活動拠点は東京へ
そしてついに、舞台は東京へ。現在、ヒゲドライバーさんが所属している事務所の社長である村田さんとの出会いは、決して良いものではなかったそうだ。「俺は、20歳の頃に自分でもバンドやってて、本気で才能あると思ってたボーカルが引退して解散したんですね。で、エイベックス出資のハッチ・エンタテインメントっていうmuzieを引き継いだ会社に入ったんだけど、バンドで成功する夢を諦めきれなかったし、とにかく気持ちの整理がつかなくて、生音を扱えなかった。
それで、LOiDっていうレーベルで、昔のゲームも好きだったし打ち込みの8bitが面白いと思って、8bitカバー集を企画するんだけど、そのアレンジャーの候補にヒゲさんも入れたんです」
「俺はmuzie時代のヒゲさんの音源は評価しなかったけど、8bitでランキング上位をとれるのはヒゲさんだけだったから。はっきり言って最初はそれだけでした。で、『1UP』が出る時にヒゲさんが初めて東京にくるって聞いて、ファンとのオフ会に潜り込んだ」
「俺様感出しててむかついた」「厳しいこと言ってくる業界人」
「最初の印象は?」
「とにかく垢抜けない。冴えない。あと、小さいファンコミュニティーで俺様感出しててまじでムカついた」
「手厳しいですね。。」
「いや、自分から出してたわけじゃない。ファンの集まりだったし僕が主役になるのは仕方ないでしょう。僕からすれば、村田さんこそ、ファンの集まりに乗り込んできといて、いきなり厳しいこと言ってくる感じ悪い業界人っていう印象でしたよ」
「ファンの邪魔をするつもりは全くなかったけど、少なくともファンじゃない部外者の目からはそう映ってた。お互いの第一印象は決してよくはなかったよね」
「その時はどんな話をしたんですか?」
「今後どうやって生き残っていくつもりなの?って聞かれて、まだ『1UP』だって出てないし、そんなのわかんないっすって答えた」
「正直、最初から失敗するのではないかと思ってました。まともな感じはあまりしなかったので。けど、ヒゲさんはその会社をすごい信用してたから、踏み込んだ話はできなかった。ヒゲさんがようやくそれに気付くのが、2枚もアルバム出したのにギャラをほとんどもらえないってわかってからだった」
「その当時、ヒゲドライバー名義のアルバムを出そうなんて言ってくれる会社なんてなかった。僕にしてみれば、親身になってくれる会社がやっと現れたって気持ちでしたから」
再び会社倒産、CDは廃盤に
「客観的に言えば、田舎でミュージシャンを目指す若者が、音楽業界に騙されてしまったということですよね。ただ、それを当時のヒゲさんに見抜けというのも無理な話だと思います。でも、その後、手を差し伸べたのは村田さんだったんですよね?」
「『初音ミクの消失』の暴走Pとして有名になったcosMoくんと企画の話をしてた時に、ボカロP以外で好きなミュージシャンがいるか聞いたら、ヒゲさんの名前が挙がったんです。それで、その場で電話して、2人で話させて合作が決まって、『コスモドライバー∞UP』をリリースした」
「ちょうど、あみちゃんたちと沼ででかいナマズを釣りあげてた時だったんですよ。僕は、ブームに乗っかって売れてるだけの人が多かったからボカロPとはやりたくなかったけど、『初音ミクの消失』の人ならやってみたかった。どうせ、ナマズ釣ってるくらいだから他にやることもなかったし」
その後に、うちの会社が急になくなるっていう話が出てきて。LOiDは一定利益が出ていたんだけど・・・グループに吸収合併されて。ある日社長に呼び出されて、『ごめん、無理だったわ』って言われてすげー頭にきた。エイベックス初期から働いているメンバーの人だったんだよ、そのときの社長! その一言で済まされてめちゃくちゃ悔しかった!」
「2人とも、似たような境遇を経験されたんですね」
「乗りかかった船」
「それで、吸収された先で別の部署に残るか聞かれたんだけど、今関わっているアーティストの制作を続けられないなら、辞めますって言って辞めました。
その後、レーベルに関わってくれたアーティスト一人一人に電話で、会社がなくなってCDも廃盤になります、申し訳ありませんと謝罪しました。
それぞれが行きたいところに行って活動してほしい。それでも自分と一緒にやってくれるなら、必ずその人生を背負います、ってみんなに話しました。中途半端な状態にあるアーティストを一人前にしないといけない責任があったから。
ヒゲさんにはその時、『乗りかかった船だから』って言われて。それで一緒に始めたんだよね」
「絶妙な言い回しですね・・・」
「この人は、つくづく偏屈な人間だから」
「会社がなくなるってわかる前から、村田さんは何か新しく始めたいって考えたのを聞いてたから、逆にチャンスじゃないっすか、やりましょうよ! っていう謎の楽観力を発揮して(笑)」
「ヒゲドライバーじゃなくてシンゴが出てたね、あれは・・・(笑)。
でも、まずは1年修行させてほしいってみんなに伝えました。自分一人の力で収益あげて自分を食わせられたら会社やるって約束もした。
ただ、ヒゲさんが仕事なくなると困るから、定期的に露出するために『MOtOLOiD』っていう企画を立ち上げたんですけど、その1発目のすぐ後、震災が起きた。そこから2ヶ月くらいはなにもやる気が起きなくて・・・」
チップチューンへのこだわりを捨てて広がった
「僕は僕で、『3UP』のお金で何とか食いつないでたんだけど、もう生活が立ちいかずに現実的に死ぬかもしれないところまでいく。で、山口に戻ろうとしたんです」
「米とかも差し入れにいったりしながら、山口に帰るって言うヒゲさんをなんとか引き止めて、『HIGEDIUS』と『ヒゲドライバー・トリビュート』っていう自主制作アルバムを2枚同時にリリースしたんですね」
「でもそれも、思ったほど売れず、また生活がヤバいってなり始めた頃に、平野綾さんのアルバム参加の話をもらったんです」
「チップチューンを捨てるか捨てないかっていう話もした。自分名義のリリースだけじゃなくて、作家活動でも、とにかく何をやるにもヒゲさんはチップチューンにこだわりすぎてた。と言うか、チップチューンから知ってもらったファンが離れていくことを病的に恐れてたよね」
「お金も自信もなくなった僕にとって、キレイごとじゃなくて、信じられるのはファンだけだったから。だから、ファンは裏切れなかった。だけど、このままじゃ音楽も続けられないし、そんな結末はファンも望んでないというのもわかってたから、めちゃくちゃ悩んでました」
「俺は、今いる20人を取るのか、まだ見ぬ100人を取るのかハッキリしろって言ったんです」
「それで、チップチューンに固執することをやめて、自分の領域を広げる方を選びました」
「チップチューンを手放したらファンが一人もいなくなるかもしれないって本気で思ってたけど、全然そんなことはなかった。ファンはついてきてくれました。
そこからどんどんできることは広がって、作家活動のおかげで自分は今も音楽を続けられたし、10周年を迎えてアルバムも出せることになった。村田さんが乗り込んできたオフ会に来てくれた人たちも、いまだにイベントに来てくれるし、10周年記念イベントにも集まってくれました」
「ヒゲさんは、いつも物事をハッキリさせず、とにかく曖昧なことしか言わない人だった。多分、自分が傷つきたくなかったんだと思う。何をするにしても、とにかく自分を守ってた」
「それはそうかもしれません。だから、この取材でも、誰も自分を悪く言わなかった。そりゃ東京からわざわざ取材に来て悪く言う人なんてあまりいないかもしれませんけど、昔から八方美人で、小さい頃から嫌われないようにしてたのかもしれないって思い当たる部分もありました。
でも、少なくとも、何かで成功するためには、嫌われることを恐れちゃダメなんだということもわかりました。『回レ』の時も、ヒゲドライバーっぽくないっていう批判は、ファンからも同業者からもありましたから」
「『回レ』は、アニメ名義のリリースだけど、カップリングもピコピコだし、チップチューンREMIXも入れてもらった。CDとしてみれば、ヒゲドライバーのCDにもなってるんですよ。
そんな批判をする人たちは、CD全体を見ていないし、中身をちゃんと把握していない。その声に捉われてたら、前になんか進めない」
まだ世界を変えられてない!
「ずっとヒゲさんを見てきた村田さんは、10年を迎えて、今後ヒゲさんにどうなってほしいですか?」
「作家としては成功してるけど、それは『ヒゲドライバー』としての成功じゃない。
SEKAI NO OWARIとか見てて、あそこまでいったら成功って皆さんが思われるでしょう。逆に、あそこまでいかないと本当の意味での世界は変えられない。だから、誰かのフィルターを通してじゃなくて、『ヒゲドライバー』への直接の評価で成功を収めてほしいと思います」
「でも、初めて会った時に「どうすればいいかわかんないっす」と答えた山口の青年が、今こうして音楽で生活できて、次のステージを目指せるまでになっていることに、感慨はありませんか?」
「ない! だって、俺はずっと昔からヒゲさんは作曲能力が優れてるって言ってきてるから。メロディはいいんだけど、アレンジ能力、つまり編曲力が追いついてないだけ。だから、今の状況も、そこまでの驚きはない」
「売れて当たり前という実感ですか?」
「いや、実際はわからなかったですよ。でも、アーティストと仕事をするってことは、そいつを信じるってことだから。それを信じられない人はマネージャーなんかやらない方が良いと思う。
うちは、メンバー全員が、それぞれにないところを常に補い合ってやってきたんですよ。合作も多いし、意見出し合うこともある。だから、ヒゲさんの成功は、俺たちが少し成功したんだって思ってる。
正直、ヒゲさんはうちの会社の設立当初、メンバーの中で一番知名度もないし、実力もなかった。でも、俺はヒゲさんに一番可能性を感じるから、名刺でもHPでも常にトップに載せてたんです。いつかトップにしたいっていう気持ちで。一番恵まれてない人が一番成功してほしいから」
文字通りのベストアルバム
「まだ感慨を感じる段階じゃないってことですよね」
「Sさんにもずっと同行していただきましたが、振り返っていかがでしたか?」
「え、僕!? 真面目な話しかできないですよ・・・。僕みたいな仕事をする人間は、そういう作品を扱ってるんだってことを常に認識する取材でした。
ヒゲさん村田さんはもちろん、ご家族の思いも友達の応援も、悩みも鬱屈も、お父さんもこともKさんのことも含めて、なおそこに賭ける人たちの想いのこもったものを一緒につくって、世に発信していくという責任を痛感しました」
「Sさん、よろしくお願いします・・・! そういえば、ここまでベストアルバムの話、全然してませんよね・・・」
「ですね。でも、今まで振り返ってきた全てが10周年のベストに込められてるって意味では、最初から最後までその話をしてたと思います」
「まあそうですね。今回取材してもらったことは全て、僕の糧になっている人たちや思い出です。女性にフラれる度に必ず何かが生まれてきたように(笑)、合コンもホストも、何一つ無駄にはなってない! このアルバムは、こんな人生を歩んできて、こんな音楽をつくりだしてきたんだって、自分を振り返るという意味も大きいですから。
もう一つ言っておくと、当時の『1UP』『2UP』は、とにかく早く出したいって言われて、全部フリーソフトでつくってレコーディングなんてしないから音質もよくない。だから、当時から全然納得してませんでした。今、その時の心残りも全部解消して、技術的にも、人間としても、持てるものをすべて出しているので、ぜひ聞いてほしいと思います」
音楽はいつも楽しいものだった
「今回の取材で、父さんとの最後の会話を思い出しました。息を引き取る数日前が、僕の誕生日だったんですよね。
本当に余命いくばくもない状態で、父も実家に帰りたいということでみんなで集まっていたんです。もうほとんど意識もなかったけど、たまにはっきりして話もできた。僕は父さんに『今の生活は楽しいか?』って聞かれて『うん、楽しいよ』って答えたら『ああそうか』とだけ言っていました。
その後、僕は福岡に戻って、父さんも病院に戻ってすぐに、意識がなくなってしまったんです」
「子供が楽しく生きてるかどうかだけ確認して逝かれたんだ。立派な親父さんだね」
「楽しいというのは本音だったんですか?」
「好きなことをさせてもらってるから、楽しくないとは言えなかったです。
それに、全然先は見えなかったけど、誤解のないように言っておくと、音楽は僕にとっていつも楽しいものです。どんなにお金がなくて生活が苦しくても、音楽が楽しくなくなったことは一度もない」
音楽>彼女になった境界
「もしかして、その頃にはもう、音楽でモテたいという気持ちはなくなっていたんですか?」
「いや、それはないです! モテたいはモテたい。モテなくていいと思ったことなんて1秒たりとない!」
「なんで半ギレ(笑)」
「でも、彼女をつくろうという気持ちは、その時はありませんでした。
実は、卒業してアルバイトしてたコンビニで、また好きな子に出会うんですよね。同じバイトの子で、ホスト時代に覚えたテクで「姫」って呼んだりして、わりと積極的にアクションを起こしてたんです。ある時、その子が他の人に告白されて、困って僕に相談してきたんですよ」
「デカい釣り針がぶら下がってる状態ですね」
「そう、完全にチャンスで、相談に乗ってあげながら、じゃあ僕と付き合おうよって言っていればたぶん付き合えたんですよね。
でも、それでいいのかな?って。ここで付き合ったら俺ほんとに普通の男じゃんと思って、音楽を続けるために踏みとどまったんです」
「Kさんと付き合ってた時は彼女と幸せになれるなら音楽は捨ててもいいという気持ちだったのが、いつの間にか、音楽を続けるために彼女はいらないという気持ちに逆転したんですね」
「そう思うようになったのも、ヒゲドライバーになって、3大天使を目指してからですね。これから長ーい修行が始まるんだっていう覚悟で始めましたから」
「でも皮肉だよね。音楽始めてモテなくなってるっていう」
「ファンが増えているっていう意味ではモテてますよ。けど、こんなもんじゃない。ミュージシャンとしては、世界中の人にモテたい」
「その修行は今も続いてるんですか?」
「天使に会うっていう目標は揺るぎないけど、これだけ心配されているし、30超えてからちょっと考え方は変わりました。ヒゲドライバーを続けながら、もっと普通に恋愛してもいいのかもしれないって。でも、30年以上そういう生き方をしてきたから、そうそう変われるわけもないんですけどね(笑)」
「月並みであれですけど、自分を変えるってことも、世界を変えるっていうことだと思います。自分が変われば世界への見方も、世界からの見方も変わってくるんじゃないでしょうか」
ちょっと頑張ろう
「本当の本当に、最後、この旅の総括をしないといけません。村田さんは先ほど、『アーティストを信じられない人間がマネージャーなんかやるな』と仰いましたよね」
「え、まあ……」
「ということは、世界を変えるという点はもちろん、ヒゲさんの最大の野望である「3大天使」と出会うという夢も果たし、お母さんも最後まで心配されていた結婚という点でも、ヒゲさんを全面的に信じる、ということでいいですか?」
「いや、まず、30にもなっていつまで3大天使って言ってんだ、いい加減に現実を見ろって言ったのは俺(笑)! あとはもう、恋愛についてはヒゲさん次第でしょ」
「そろそろ童貞も捨てていいということですね」
「一応、3大天使についても常に実現できないか努力してます。立場的には、オファーまであと少し、というところまで来ているんじゃないかなと。会えるかどうか信じるとかじゃない、その夢を叶えていくのも自分の仕事だから。
真面目な話、世界も変えられると思う。っていうか、俺たちは一緒にヒゲさんが見る世界を変えてきたっていうのが答えでしょ。
田舎の自称ミュージシャンから『自称』がとれて、チップチューンだけじゃない広がりも持って、臆病さも捨てて、作家として売れて、バンドも組んで、ベストアルバムも出した。その度に、ヒゲさんを取り巻く世界は変わっていってる」
「いやーほんとその通りです。じゃあ一緒に天使に会いにいきましょ!」
「軽いなノリが」
「天使と会えば、今までで一番世界が変わるかもしれませんね」
「うん、なんか、頑張ればほんとに天使に会える気がしてきた。じゃあ、ちょっと頑張ろう」
「こんだけやって、最後『じゃあ、ちょっと頑張ろう』かよ。・・・まあ、いいかもね、ヒゲさんはそんくらいで」
ggnbsky
学生時代からファンだったヒゲさんのナイスなキャラクターと想い、村田さんの熱い想い、熱いものとが心に響きました。自分のこれからに勇気と希望をもらいました。ありがとうございます。
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