それが、iTunesの総合ランキング1位を獲得した『機巧少女は傷つかない』EDの「回レ!雪月花」はじめ、人気バラエティ番組「ゴッドタン」への楽曲提供など、多岐に渡る活動を行うピコピコ系ミュージシャン・ヒゲドライバーさんです。
その奇想天外な半生を辿るべく、筆者たちは生まれ育った山口県と、大学時代を過ごした福岡県をめぐる旅に出発しました。これは、その後半のレポートです。
中学のモテモテ時代からホスト時代まではこちら
【ヒゲドライバー誕生秘話】30代で童貞だけどミュージシャンとして成功した話 前編 10年前にホストとして勤務していた博多・中洲の系列店での取材も終え、再び山口県・宇部へ。メディア初登場となるもう一人のメンバーを迎えたヒゲドライバーの結成秘話や、その後長く続く不遇な時代へ突入。・1983年 この世に生を授かる
・1995年 モテ期(小学生)
・1997年 ギターを始める
・2002年 天竺を目指して旅にでる。「合コン禁止令」を打ち立てる
・2003年 音楽をやめて公務員になる決意するも、一転してホストになる
・2005年 ヒゲドライバー結成
・2006年 父が亡くなる
・2008年 1stアルバム『ヒゲドライバー1UP』発売
・2009年 2stアルバム『ヒゲドライバー2UP』発売。しかしギャラはもらえず
・2010年 東京へ拠点を移すも、収入がなく困窮
・2012年 平野綾「Sunday」の作詞作曲
・2013年 ヒゲドライバー作詞・作曲「回レ!雪月花」が大ヒット
・2015年 ヒゲドライバー作曲「吹雪」が大ヒット/ヒゲドライバー10周年
・2016年 ベストアルバム『ヒゲドライバー 10th Anniversary Best』発売 ヒゲドライバーざっくり年表
バンド募集で見つかったのはメンバーじゃなかった!
すでにかなりの場所を回り、大勢の方々に取材させてもらいましたが、いまだにインターネットの「イ」の字も出てきません。「ようやく、大学後半くらいからネットサーフィンとかをするようになったんです。バンドを組みたくて軽音サークルに入ったこともあったんですが、なんか雰囲気が合わなくて、ネットでメンバー募集もするようになりました」
「メンバーは見つかったんですか?」
「実際に会ったりもしたんですけど、結局どれも上手くいかず。でも、その時に可愛い子に出会って、実はそれが歴代最後の彼女なんです」
「バンドメンバー募集して出会った女の子を引っかけたんですか?」
「それは俺も初耳だわ」
「もちろん、そのつもりで募集してたわけじゃないですよ! 自分がつくってた曲聴かせたりしてるうちに仲良くなって、自然に。でも、Kさんと全く同じ理由で、すぐフラれましたけど」
「『いい人すぎて』ってやつですね。結局、ホストでも『男らしさ』は学べなかったんですね」
「そんな簡単に変われるもんじゃないですからね、人間は。だからもうバンドとかめんどくさくなって、一人で打ち込み音楽をつくり始めました。
最初は遊びみたいなものだったけど、ロックとピコピコ音を組み合わせたら面白い音楽ができたんです。ゲームが好きだったから思い入れもあって、自分としても手応えを感じたんですよね。そのスタイルが今につながっていってます。
当時は『チップチューン』というジャンルの名前も知らなかったから、いまだに『ピコピコ系ミュージシャン』と名乗る方がしっくりきます」
ヒゲドライバーの相方、独占初登場
「それで、ピコピコ音楽をやろうって決めたんだけど、一人でやるのもって思って、ジュンちゃんを誘って卒業間近に結成したのがヒゲドライバーだったんです」
「ヒゲドライバーに相方いたんですか!? しかも、さっき登場してもらったジュンちゃん!?」
「そう、ヒゲドライバーって最初はユニット名だったんですよ。ジュンちゃんは、相棒としては『ジョン・ストライプス』っていう名前で」
「電話で名前決めたんよね。俺がテキトーにその時目の前にあるもん言ってって」
「ヒゲはマリオをイメージしたのもあったけど、ジュンちゃんの視界にドライバーがあったみたいで、語感でヒゲドライバーいいねって」
「音楽なんてやったことない俺が何すればいいかわからんかったけど、シンゴには『ライブでうまい棒投げる役』だって言われてた(笑)。けど、結成してすぐ消防士試験に受かって、結局『ヒゲドライバー』としては何もせんかったな」
「そう。だから顔が出るのもこれが初めてだよね。
結局、うまい棒は最初のライブの時に自分で投げたよ(笑)。でも、それからもたまにCDのクレジットにジョン・ストライプスって入れてるし、今回の10周年アルバムにも入ってるから、10年一緒に歩んだことになってる」
「俺、今もヒゲドライバーなんだ(笑)。それは知らんかった」
理想の関係だった父と母
ヒゲドライバー結成が、卒業直前の2005年。そして、卒業してすぐ、『シンゴ』と『ヒゲドライバー』どちらにも大きな影響を与える出来事が訪れます。「父さんは、僕が高校の時に一度癌になって、治ったと思っていたけど、大学在学中に転移が見つかって、その時にはもう手遅れでした。普通の病院に入院した後、いわゆる『緩和ケア病棟』に移って、僕が卒業してすぐ、つまりヒゲドライバーを結成してすぐに亡くなりました。
僕にとって父さんは強い存在です。怒ると怖いけど、基本は穏やか。頭も運動神経も良くて、何でもできる人で、尊敬してました。だから、病院でゲッソリとして寝たきりの父さんを見て、すごいショックだった。
僕の恋愛観は、父さんと母さんからの影響が一番大きいです。僕にとって、昔から2人が理想の関係なんです。
2人は昔からほんとに仲が良くて、癌の転移がわかった時、僕らも辛かったけど、母さんが一番心を痛めてた。だからか、僕に昔のことを話すようになって。
父さんは、戦争で父親を亡くして、すごい貧乏な生活をしてたんだけど、大学にいきたくてマラソンで頑張って特待生として学費免除されて入学できたそうです。でもマラソンで食っていくのは難しくて、学校の先生になって、そこで女性にフラれて死にそうになるんです(笑)」
「この取材で、似たような話を何度か聞いた気がします」
「そういう家系なのかな(笑)。それで、その時に出会ったのが、父さんのいる学校に先生として赴任してきた母さんだったと。
父さんと真逆で、明るくてよくしゃべる天然な母さんに救われて、2人は結婚したいと思うんだけど、母さんの家は地主で、厳格な父親──僕の祖父さんです──に反対された。
でも、父さんは毎日のように『娘さんをください、結婚させてください』って頼みにいって、なんとか認められて結婚するっていう、昭和的な馴れ初めだったそうです」
「入院してから、2人だけの時は昔のあだ名で呼び合ってることも偶然知って。
父さんは絵文字とか使うような人じゃなかったんですが、母さんには、AAみたいにハートでハートをつくってメールしてたそうです。でも機種が違うから母さんの携帯では崩れるって気付いて、自分の携帯では崩れるけど母さんの携帯ではちゃんとハート型になるようにメールを打って送ってたって聞いて、僕は泣きました。
自分たちの前では父さんと母さんでしかないけど、ちゃんと恋愛して、お互いを好き合ってた2人がいたことを知って、僕も付き合う人とはそんな関係でありたいっていう憧れがより強くなった。だから、僕自身も、軽々しいことができないというか、したくないんです。
いまだに母さんは、何かと父さんのことを引き合いに出す。車のナンバーも、父さんの誕生日にしてるんですよ」
父がヒゲドライバーの音楽に与える影響
「お父さんのことは、『シンゴ』の恋愛だけじゃなく、『ヒゲドライバー』の音楽にも影響を与えていますか?」
「そうですね。みんな苦しんだけど、みんなに愛されて看取られて逝った父さんのことが、僕にとっての原体験だから、命をテーマにしてる作品も多いんだと思います。
父さんとのことが僕の心の大きな部分を占めているように、それが、ミュージシャン『ヒゲドライバー』として人の心を動かすモチーフなんじゃないって、最近思うようになりました。
だって、音楽なんて、自分のもってるものを全部出し切って、それでやっと何割か人に伝わるかどうかっていう世界です。その当時、ブログにだけは父さんのことを書いたことがあったけど、本気で人に何かを伝えようとするなら、自分の中にあるものを出し惜しみしてる場合じゃない。ようやくそれが、わかってきました」
ggnbsky
学生時代からファンだったヒゲさんのナイスなキャラクターと想い、村田さんの熱い想い、熱いものとが心に響きました。自分のこれからに勇気と希望をもらいました。ありがとうございます。
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