18歳が14歳に覚えた危機感
──今作ではブックレットイラストにmeisaさん、PVのイラストレーターには金子開発さんという、同じ10代のクリエイターが参加されています。同じ世代として、共鳴する点はありましたか?もた まず、金子開発さんという自分より下の世代が出て来ているという事実にびっくりしました。14歳なので、下手したら00年代生まれじゃん! っていう。
──とても14歳とは思えない仕上がりですよね。出来上がってきたイラストを初めてご覧になった時の感想は覚えていらっしゃいますか?
もた いや、ただもうびっくりしました。
曽根原 とにかく危機感を覚えたらしいんですよね。「やばい、下からの突き上げが」とか言って。18歳が14歳の子に危機感を覚えるというのも不思議な話なんですけど(笑)。
──一般的に、18歳は「追う」側の年齡だと思うのですが、もたさんの場合は、すでに「追われる」側になっているのかもしれませんね。
もた そんな話をしていた時に、僕らは金子開発さんに何をしてあげるべきなのかと考えていました。
曽根原 2人で話していたのは、次の世代のフックアップをしていこう、ということです。ある程度人気・知名度があって、フォロワーも何万人かいる君が「良い」と思う奴を、みんなにプッシュしていこうよ、と。育てるよりも不親切かもしれないけど、そうやって1つ階段を登らせて、「若い中にはこんなにヤバい奴らがいるんだぜ!」って言っていこう。それができたら、上の世代に一発パンチ入れられるんじゃないか、と思っているんです。
もた それって、10代の今しかできないことだと思うんですよね。 ──meisaさんとは同学年で、交流も長いんですよね?
もた それこそ同人時代、14歳からの付き合いです。普通に仲が良いし、僕は彼女のことを全身全霊で買っているので、制作については彼女に全部任せました。
曽根原 今回、meisaちゃんにまた頼むということが決まった時に、3人でSkypeで話したんですが、彼は本当に何も言わないんです。「好きにやったらいいよ」って感じで。
──それだけ信頼されているということなんですね。
もた そうですね。ただ一つ、「つぎはぎ」をテーマにしようということは自分の中では決めていました。「つぎはぎ」は異物感とも言い換えられますが、つまり、イラストが楽曲に寄ってもらわないようにしたかったんです。
例えば「雨が降っていた」という歌詞があったら、雨の絵を描いてしまう。そういうのは絶対に嫌だよね、と曽根さんと話していました。だから、意図的に何も言わなかった部分もあります。
曽根原 「何なら曲は聴くな!」とまで言いました、結局はあげましたが(笑)。「お前はこの絵でぽわぽわPを殺せ!」とも(笑)。それくらいガチンコで才能をぶつけ合いましたね。
ボカロではなく、自分が歌っている?
──もたさんはVOCALOIDオリジナル曲以外にも、他のアーティストさんに楽曲提供をされていますよね。歌手がVOCALOIDと生身の人とでは、曲の作り方も変わってきますか?もた ボーカルディレクションという部分での違いはあると思います。ボカロは勝手に歌うわけでなく、自分で打ち込むから歌になる。でも、生身の歌手の方に歌ってもらう場合は、歌い方や曲のイメージを、言葉にして相手に伝えなくてはいけないですよね。
僕の場合はボカロを使って曲を作る場合が圧倒的に多くて、その逆はまだ少ないです。なので、不慣れな部分もありますね。
曽根原 「経験値がないから」と言うと良くないかもしれないけど、逆に言えば、数をこなせばできるようになるんですよね。まだ18ですから、やったことがないものの方が多いのが当たり前です。けど、「自信ない」なんて言うけど、いざやらせてみれば、ちゃんとやるんですよ。
もた 不安も多くて、ずっと緊張しっぱなしでしたが……その時その時で興奮と不安で成り立っています。
──その時の経験が、今のVOCALOID楽曲制作に活かされたりするのでしょうか?
もた どうなんでしょう……正直、あまり実感はしていません。
曽根原 たぶん、「ボカロの方が楽」だなって感覚はあると思うんですよ。
もた それはあるね。
曽根原 おそらく彼らボカロPにとってボカロは、「歌ってくれている」じゃなくて、ボカロで「歌わせている」というか、「自分が歌っている」に近い感覚だと思うんです。元々ボカロと人間は全然違うものだって認識があるし、それを比べても実感がわかないんだと思います。やっぱり、ボカロと人間を比べるのは危ういと思いますね。
新しい世界が見えたらいいな、という期待でいっぱい
──やはり多くの方が、もたさんの若く早熟な才能に注目されていると思いますが、そのように言われることについて、ご自身ではどのように思われますか?もた 最初のうちは「じゃあ、若くなくなったらどうなるの?」と思っていたんです。でも、GINGAに出会って、年齢ではなく自分の実力を買われたんだって思えるようになってからは、その年齡を盾ではなく矛にしようと思いました。今は、年齡をどうこう言われて気に病んだりすることもなく、自由気ままにやっています。
──もたさんにとって、GINGAとの出会いは大きなことだったと思います。そのGINGAに所属されることになった経緯は何だったんですか?
もた つまりは曽根さんとの出会いということになりますが、最初は曽根さんからのメールがきっかけでした。でも、なんだかめっちゃ怪しくて、ボカロP仲間で回し読みしたんですよ(笑)。まあたぶん大丈夫だろうということで、とりあえず連絡を取ってみたら、僕が当時住んでいた石川県まで来ると。それで実際に会ってみたら、不思議と意気投合したんです。
曽根原 かなりハショってるぞ(笑)! 絶対言うなっていつも言われるんですが、僕の連絡に対する返事が、「僕は今活動休止中で、しかも15歳だけど、いいんですか?」という、めちゃくちゃ卑屈な感じでメールが終わっていたんですよ。それで、どうしても直接会いたいと思って、車で乗り込んだんだよね?
もた なんかすっごいB-BOY崩れの人がきたと思って、かなりビビりました(笑)。
曽根原 相当ひねくれているだろうとわかっていたので、最初からハッタリかまさないと負けるって思ってたんですよね。それで、ジョイフルで会って、何を食べたいか聞いても「いらない」って言うので、じゃあということで、自分だけパフェ食べながら話をしていたんです。最後は結局食べたいって言い出したのであげましたけど(笑)。
──衝撃的な出会いだったんですね(笑)。その際には、どんなお話をされたんですか?
もた メールで曽根原さんに言ってあったように、ちょうどその時、僕は引退中だったんですよね。
曽根原 それを聞いて、「引退? 馬鹿か」と。何から引退したのかと聞けば「ニコ動から」と言うので、「え、そんなシステムあったの?」 って(笑)。「そんなの関係ないからやればいいじゃん、みんな待ってるよ」って言ったんです。それでまた曲を公開したら、批判もあったけれど、やっぱり再生数もすごい伸びて、祝福も沢山されて。本人も喜んでいましたね。
そして、「これから何をしたいのか」という話をしたんです。
もた 「音楽で飯を食って行きたい」と言いました。そうしたら、「じゃあその方法を考えよう。一緒にやるかい?」と行ってくれたので、GINGAでやっていこうと決めました。
──その頃から明確に「音楽で食べていこう」という気持ちがあったんですね。
もた そうですね。ただ、曽根さんと出会う前と後で意味が変わったんです。
会う前は、学校に通えなくて、もう「音楽で食べて行くしかない」という崖っぷちにいるような絶望というか、すごく後ろ向きな気持ちからでした。でも、会って色々と話してからは、「音楽で食べて行きたい」という前向きな気持ちに変わりました。
──そのGINGAと共にU/M/A/Aに移籍することになりましたが、何か意識や環境の変化は感じますか?
もた 以前のGINGAは、実は所属・契約アーティストは自分しかいなかったんです。だから周りにライバルのような存在がいなかった。でも、今は多くの先輩アーティストがいるので、そこから刺激を受けることができる環境にはなりました。
曽根原 わかりやすい例だと、DECO*27やmillstonesが曲をアップしたら、即聴いてマイリスするとか。前まではそんなに反応していなかったけど、環境の変化で聴くものが変わったり、影響の受け方は絶対に変わりますから。前が良い悪い、今が良い悪いということではないですが、劇的に変わったところと言えばそこじゃないかな。
もた たぶん、大きな変化はこれから出てくるんじゃないかと思っています。今はとにかく新しい世界が見えたらいいな、という期待でいっぱいです。これは僕自身のU/M/A/Aへの期待ですが、まずは今の「椎名もた」にも期待してほしいと思います。
取材協力:KAFFE Orobianco http://www.orobiancokaffe.com/
椎名もた(ぽわぽわP) // MOTA SHIINA(POWAPOWA-P)
VOCALOIDプロデューサー/ミュージシャン
幼少から楽器に親しみ、中学2年の時にDTMにのめり込む。その後、VOCALOIDを用いたオリジナル楽曲などを「ニコニコ動画」に投稿、ファンの心をつかむ。有名ボカロPとして人気を博すも、2011年、突然の活動休止宣言。半年後、GINGAとの邂逅を経て活動を再開する。そして2013年、弱冠18歳でU/M/A/Aより2ndアルバムをリリース。
文:たかはしさとみ
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