自らの口だけを利用し、ドラムセットで使われる音はもちろん、楽器では表現できないような音までを繰り出し、ビートを刻むパフォーマンス、その名も「ヒューマンビートボックス」。特に近年その技術的進化が進んでおり、さらにはYouTubeなどの動画共有サイトなどの存在が、パフォーマー人口増を後押ししているという。
そこで今回は、日本国内のヒューマンビートボクサーの祖である・AFRAさんと、YouTube動画の総再生回数が4000万回以上を越え、今や国境を越えて注目されている若手ビートボクサー・Daichiさんによる対談を収録。2013年9月23日(月)の「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」を目前に控えたお2人に、ヒューマンビートボックスを始めようとしたきっかけから、現代のWebを巻き込んだそれぞれのシーン、そしてヒューマンビートボックスの未来像まで、余すことなくお話いただいた。 (取材・構成 武田俊)
AFRA 僕が初めてDaichiくんのことを知ったのは、やっぱりYouTubeにアップされていた動画でした。「Daichi for Beatbox Battle Wildcard」かな。あと「ENJIN BEATBOX」。テレビ番組「ハモネプリーグ」に出演しているのも見ました。なので、メディアを通して存在を知ったんです。
AFRA きっかけはヒューマンビートボクサーとしてニューヨークで活動していたRahzelというアーティストがいて、彼のパフォーマンスを生で見て感じた衝撃でした。1996年のことです。もともと僕はヒップホップが好きだったんですが、ヒップホップっていうカルチャーの中には、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティなど色々なものが混ざりこんでいる。その中にヒューマンビートボックスも存在しています。でも僕はラップもやりたかったし、ダンスもやってたんですけど、Rahzelのパフォーマンスであまりにもシビレてしまった。ヒップホップって、楽器ではなくてレコードを使ってそこにラップを乗せるっていうスタイルが新しかったのに、レコードすら捨てて口でビートを刻むのが驚きでした。すると、当然やってみたくなる。それがキャリアのスタートでしたね。
Daichi 僕は、テレビの「ハモネプリーグ」でRAGFAIRさんが出てる回を見たのが最初です。最初はオケを流して、その上で歌ってると思ったんですね。だからなんで6人もいるんだろうって思ってたら、ビートを含め全部人間の声だったってことを後から知って、すごい衝撃を受けました。「じゃあ、あのドラムの音は何だったんだ!?」と。でも他の人ができるなら、僕にもできるんじゃないかな、自分でもやってみたいなと思って始めました。それが小学5年生くらいの時です。
AFRA その時から、耳コピをしてたんだ。というと、つまりその頃からビートボックスのスキルアップのための方法に触れていたわけだね。
──どういうことでしょう?
AFRA ヒューマンビートボックスには、楽譜があるわけではないですよね。だから人のパフォーマンスを見るしかない。例えばYouTubeを見ればキックの出し方、スネアの出し方などを知ることができるんだけど、みんな口の形も違うし、息の量も歯並びも違うから出る音が違う。つまり「こうすれば間違いない」っていうメソッドがないんです。だからひたすら耳コピをしないといけない。「こういう音だったら、こういう口をするんだろうな」って感じてひたすら試していくしかないんです。だからDaichiくんが6歳から耳コピをしてたっていうのは、もうそこから今の活動につながっている気がします。
Daichi 確かに耳コピは必須ですよね。また、人の音を聞くのも大事ですけど、自分が出している音を客観的に聞くことも大事。僕はビートボックスの練習する時には、壁に向かって発声して反響音を聞きながら調整してます。あとは録音すること。今ではiPhoneがあるので、録音ができるアプリを使ってやってます。
──それこそ今ではネット経由で他の人のビートボックスを見て参考にする、っていうことが普通にできますが、AFRAさんが始められた時ってそういう環境にないですよね?
Daichi ですよね。どうやって練習していたんですか? すごく気になる……。
AFRA Rahzelを見て衝撃を受けた後、まずCD屋さんに行ってジャケットに「ビートボックス」って書いてあるものを探して聞いて、家でひたすらマネしてましたね。1番役に立ったのは、彼が来日していた時のライブパフォーマンスを録音した音源でした。
Daichi 現場なんですね! なんというか……、アナログ!
AFRA めちゃめちゃアナログだよ(笑)。当時はまだカセットテープのウォークマンで、学校行く途中にずっと聞いてたなあ。
Daichi 完全に一緒です! ぼくも通学中によく聞いてました。でも自然とぶつくさ口から音が出ちゃって、人に聞かれてそうで恥ずかしかったです。あとは入浴中。お風呂場でやらないビートボクサーっていないと思います(笑)。どこよりも音が響くから、やってて楽しいんですよ。よく考えてみれば、唯一お風呂場でできる楽器なんじゃないですかね。他のものは濡れたら困るじゃないですか?
AFRA それは言い得て妙だなあ(笑)。ギター持ってシャワー浴びれないしね。ほんまや。
Daichi あとはWebの存在も大きいです。昔とある掲示板があって、高校生の時とかはそこに自分の音源を投稿して、どっちのスキルが高いか比べ合うバトルとかもやってたり。
AFRA あったあった。そんで自分ではビートボックスやらないような人が、なんか異様に文句言ってきたりするんだよね(笑)。その話で言えば、1980年代のニューヨークでは「ブロンクスにヤバいビートボクサーがいるぜ」みたいな情報が出回ると、腕試しに出かけて行ってそいつとバトルしたり、ってことがよくあったみたいです。今はそれがWebで行われてる印象ですね。
Daichi なのにそれぞれを分けたがる人が多いんですよね。ビートボックスって名乗ってる人はボイパって言われたくないって言ってたり、その逆もしかりで。特に、「ビートボックスは1人で色んな音が出せてすごい」「ボイパはビートの担当として、つまりある種〝ドラマー〟としてすごい」みたいな認識があると思います。その他にテクニック的な部分で言うと、無声音を中心に使って打ち込みっぽい音を出すのがビートボックス、有声音で打楽器のような音を出すのがボイパ、っていう違いもありますね。
AFRA そうだね。でも今ってハモネプからボイパに入った人たちでも、ヒューマンビートボックスに興味を持つ人が増えているし、その逆もある。僕はボイパの人を見てると、ヒューマンビートボックスにはできない混声を活かしたパフォーマンスをされてるなって、刺激的に感じることが多いですね。
Daichi やっぱりまだ確立されきっていない分野だから、呼び方も様々なんだと思います。だから僕たちが新たにシーンをつくっていく必要があるんだろうな、っていう気がしています。
AFRA 逆に過去をさかのぼってみれば、ジャズで使われる歌唱法のスキャットとかの延長に、ヒューマンビートボックスもあるような気がするんだよね。人間が出す声を楽器として扱う、という意味ではインドネシアのケチャとかヨーデルも同じように捉えられる気がするんですよ。ヒューマンビートボックスも僕が始めたころはヒップホップのカルチャーの一部だったのが、ヒップホップの外側の人がやり始めるようになったことで、新たな表現の可能性が感じられるようになっている。Daichiくんみたいなやり方もあるし、音楽的にも多様になってきている。それがヒューマンビートボックス自体の進化だし成長だよね。
AFRA 1番記憶に残ってるのは、オーストラリアの「Big Day Out」っていうフェスに出た時のことです。そこでライブ中に、突然ヒッピーみたいな女の子が目の前でひざまづきだして「結婚して下さい!」って言ってきたんですよ(笑)。一体何が起こってるのかよくわからなかったし、何よりライブ中なので、名前を聞いて他の観客に「○○さんに拍手を!」ってやりました(笑)。 Daichi それすごい話ですね(笑)。ビートは言語を越えられるから、感動できたんだろうなあ。僕の場合はニューヨークのアポロ・シアターでのステージが、自分のすべてをさらけ出せたようなライブだったんです。出演者の中でビートボクサーは自分だけで、どんな反応をされるのか想像がつかなくて不安だったんですが、すごい歓声をもらえて。それこそお客さんの声の音圧で肌がビリビリ震えるくらいで、いまだにうまく言葉にできないパワーがそこにはありました。
AFRA じゃあそのステージで自分の意識とか変わったんじゃない?
Daichi そうなんです。やっぱり1番自分を成長させてくれるのはライブなんだなって。
AFRA ビートボクサーってライブがメインの活動になっている部分ってあると思う。僕は毎回のライブが1番大事なんですよ。毎回のパフォーマンスに快楽があるし、終わった後には反省点がまたある。1回1回が本当に貴重で、生きがいですね。
Daichi ライブで他のビートボクサー以外のアーティストを見られるのもうれしいです。「この感じをビートボックスにしたらおもしろそうじゃん」みたいにアイデアをたくさんもらえることが多くって。自分の中にはなかったものと出会うことで、本来生まれなかっただろうテクニックが蓄積されて、引き出しが増えていく。その反面、毎回本気で臨まないとうまくいかないなとも感じます。ビートボックスってパフォーマンスのすべてが自分由来だから、調子の悪さを機材とかのせいにするわけにはいかないんですよね。だから自分が不安を感じたりしていると、それが音にも出てしまうし、お客さんにあますことなく伝わっちゃうんです。
AFRA だからこそ練習が大事なんよね。技術を磨く以上に、平常心でパフォーマンスするためには「これだけ練習したんだから大丈夫」っていう自信が必要。もう空手みたいなものだよね。身体的なパフォーマンスを高めるために、メンタルをコントロールしておかないといけないっていう。
Daichi アスリートみたいなものなんですよね。体全体が楽器なので。
AFRA 本当にそう。だから控室で弁当を食べ過ぎないようにするのも、また大事っていうね(笑)。でも冗談じゃなくって、体は全部つながってるからね。
Daichi 毎年開かれている「JBC(Japan Beatbox Championship)」でも、参加者が増えていて、特に若い人が多くなってます。9月23日(月)には、AFRAさん、そして「JBC2011」のチャンピオンであるTATSUYAさんに出演頂く「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」というイベントを主催するんですけど、YouTubeの動画投稿を利用して、一般の方から出演者を募りました。それも想像以上の数が集まっていて、みんな僕より若い人ばっかりなんです!
AFRA ルーツも様々で、それこそアニソンが好きで、そこに合わせてビートボックスをやってる子もいます。感性が全然違うビートボクサーに会える、っていうのはすごく楽しみ。新しい世代が登場すると、それに触発されて古参の俺らもパフォーマンス上げていかないと、ってなりますよね。それがすごくうれしいです。
──なぜ今、ビートボックスをやってみよう、という若者が増えているんでしょうか?
AFRA やっぱり1人でできるから、っていうのは大きいんじゃないですかね。楽器を買わなくていいし、メンバー募集をしたり「バンドやろうぜ!」って言わなくていい。すぐに始められるのは強みですよね。あとはWebかなあ。
Daichi Webで広がった部分はすごく大きいと思います。いつでも他人のパフォーマンスが見れるし、逆に自分の動画や音声をアップすることで、すぐ見てもらえるっていうのはビートボクサーにとって願ったり叶ったりな環境ですから。
AFRA 自分が作ったものが好意的にシェアされていくのは、他ではあまりないことだしね。
Daichi しかも見てもらえるのが、全世界なわけですよ。特にビートボックスは言葉ではないので、国境を越えて誰でも理解できて楽しめますから。最近動画投稿を頑張っているのも、裾野を広げたいからなんです。
AFRA 一方でしっかりパフォーマンスを届けたい時には、ライブの方が適している。両方をうまく使っていくのが重要だと思う。
Daichi それは僕もそう思います。Webで広がったのは、あくまで入り口。じゃあそこからもっと深いものにしていくにはどうするべきか。それが今後の課題だと思います。僕は、ビートボクサーがビックリ人間みたいな感じで扱われていたのを超えて、もっと世界に音楽として認知させたいと思ってます。そのためには、やっぱりプレイヤーが増える必要がある。将来的に10人に1人くらいがビートボックスをやっているような状況になれば、音楽の教科書にすら載るはずです。そうなると「楽器」として認められるんじゃないかな、もっとおもしろい音楽が生まれるんじゃないかなって!
──そんな思いが「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」に込められてるんですね。
Daichi そうですね。一般の方のパフォーマンスや、ライブの合間にトークセッションを設けたのもそういう意図です。ビートボックスって、シーンがあるにはあるんですが、小さなシーンがバラバラに散らばってる状態なんですね。僕はそれを1つにして、もっと大きなシーンとすることでおもしろくなるんじゃないかなって思ってます。つまりAFRAさんの持っているシーンと、TASUYAさんのそれと、僕のそれを合わせたい。今日改めてAFRAさんとお話して、これまで触れられてきたシーンの奥深さを感じました。そんなAFRAさんのパフォーマンスを、もっと知りたいって思うんです。見る側もやる側もそうだといいですね。
──お話を聞いていると、お2人は出自も好きな音楽も異なるのに、同じような開けた感覚で、新しいヒューマンビートボックスの地平を見られているように感じます。それはすべての音楽にはビートが存在しているからこそ、ジャンルを横断して様々な表現を取り入れ、再構築できるんじゃないかという気がしました。
AFRA 例えば合唱を考えてみると、それこそ幼稚園の頃から集団の中で歌う、ということが日常的にあったと思います。だからメロディを歌うってことは誰にとっても、自然なものとしてありますよね? でもビートを歌う、という感覚ってなかったと思うんですよ。ただ歌も人に何かを伝える手段だし、ビートボックスもまた伝える手段で、その意味では大して変わらない。だったら、ビートボックスっていうツールのおもしろさと可能性が届けられれば、それこそみんなが歌を聞いたり歌ったりするようなレベルにまで広がっていくんじゃないかな。
Daichi 例えば海外に行った時に路上でビートボックスをやってみたら、そこにラッパーが混ざってきて、ギタリストが混ざってきて……っていうことがあったんです。こんなことが起こるのは、理屈じゃなくて、みんなが気持ちのよいリズム共有できているからなんじゃないかな。そんな楽しさを誰もが持っている口だけで表現できるヒューマンビートボックスは、もっと広がっていけるはずなんです。そのためにももっと練習して、多くの人と共演して、シーンを広げることで、これまで興味がなかったような人に届けたい。そのためにはもっと自由に、枠組みを越えて表現していきたいです!
AFRA
http://afra.jp
1996年にビートボクサーRahzelのパフォーマンスに衝撃を受け独学でビートボックスを始める。高校卒業後N.Y.へ単身渡米、映画「Scratch」出演や、唯一の日本人として出演したビートボックス・ドキュメンタリー映画「Breath Control」などにも出演。2003年、日本人初のヒューマンビートボックス・アルバム「Always Fresh Rhythm Attack!!!」をリリース。以降、国内ビートボクサーのパイオニア的存在として、多くのイベントやフェス、CMなどに出演するなど国境を越えて活動を展開している。
Daichi
http://daichibeat.jp
http://www.youtube.com/daichibeatboxer
1990年7月2日生まれ。福岡県出身。10歳の頃から、独学でヒューマンビートボックスを始める。18歳の頃、自宅で撮った動画をYouTubeにアップしたところ、2,200万アクセスを突破。現在チャンネル登録者数20万人を超える。世界的に注目され、久保田利伸、SMAP、Backstreet Boys、Boyz II Menなど大御所アーティストとのコラボを展開するなど、今最も注目を集めるヒューマンビートボクサー。
そこで今回は、日本国内のヒューマンビートボクサーの祖である・AFRAさんと、YouTube動画の総再生回数が4000万回以上を越え、今や国境を越えて注目されている若手ビートボクサー・Daichiさんによる対談を収録。2013年9月23日(月)の「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」を目前に控えたお2人に、ヒューマンビートボックスを始めようとしたきっかけから、現代のWebを巻き込んだそれぞれのシーン、そしてヒューマンビートボックスの未来像まで、余すことなくお話いただいた。 (取材・構成 武田俊)
口さえあれば表現できる、ヒューマンビートボックス
──まず最初にうかがいたいのですが、お互いを最初に認識したきっかけは何だったのでしょうか?AFRA 僕が初めてDaichiくんのことを知ったのは、やっぱりYouTubeにアップされていた動画でした。「Daichi for Beatbox Battle Wildcard」かな。あと「ENJIN BEATBOX」。テレビ番組「ハモネプリーグ」に出演しているのも見ました。なので、メディアを通して存在を知ったんです。
Daichi for Beatbox Battle Wildcard
ENJIN BEATBOX
Daichi 僕もAFRAさんを知ったのは、メディアを通してですね。それこそ富士ゼロックスのCMがめちゃくちゃ新鮮で。あとは深夜番組に出演されているところや、YouTubeでの動画なども見てました。僕らって、まさにAFRAさんのパフォーマンスを見て育った世代なので。HUMAN BEATBOX - AFRA - FUJI XEROX CM
──やはり、日本のお茶の間にヒューマンビートボックスというものの存在を届けたのは、AFRAさんだと思います。あのCMは本当にセンセーショナルでした。それが2004年だったと思いますが、AFRAさんはいつ頃ヒューマンビートボックスに出会われたのでしょう?AFRA きっかけはヒューマンビートボクサーとしてニューヨークで活動していたRahzelというアーティストがいて、彼のパフォーマンスを生で見て感じた衝撃でした。1996年のことです。もともと僕はヒップホップが好きだったんですが、ヒップホップっていうカルチャーの中には、ラップ、ブレイクダンス、グラフィティなど色々なものが混ざりこんでいる。その中にヒューマンビートボックスも存在しています。でも僕はラップもやりたかったし、ダンスもやってたんですけど、Rahzelのパフォーマンスであまりにもシビレてしまった。ヒップホップって、楽器ではなくてレコードを使ってそこにラップを乗せるっていうスタイルが新しかったのに、レコードすら捨てて口でビートを刻むのが驚きでした。すると、当然やってみたくなる。それがキャリアのスタートでしたね。
Daichi 僕は、テレビの「ハモネプリーグ」でRAGFAIRさんが出てる回を見たのが最初です。最初はオケを流して、その上で歌ってると思ったんですね。だからなんで6人もいるんだろうって思ってたら、ビートを含め全部人間の声だったってことを後から知って、すごい衝撃を受けました。「じゃあ、あのドラムの音は何だったんだ!?」と。でも他の人ができるなら、僕にもできるんじゃないかな、自分でもやってみたいなと思って始めました。それが小学5年生くらいの時です。
知られざるビートボクサーの練習方法
Daichi AFRAさんがビートボックスを始められた96年っていうと、僕がちょうどピアノを始めた時期だと思います。姉が習ってたそのピアノを使って、耳コピしたりして遊んで弾いてたのが、音楽に触れた最初で。習ってたというより、ただ楽しくて触ってました。AFRA その時から、耳コピをしてたんだ。というと、つまりその頃からビートボックスのスキルアップのための方法に触れていたわけだね。
──どういうことでしょう?
AFRA ヒューマンビートボックスには、楽譜があるわけではないですよね。だから人のパフォーマンスを見るしかない。例えばYouTubeを見ればキックの出し方、スネアの出し方などを知ることができるんだけど、みんな口の形も違うし、息の量も歯並びも違うから出る音が違う。つまり「こうすれば間違いない」っていうメソッドがないんです。だからひたすら耳コピをしないといけない。「こういう音だったら、こういう口をするんだろうな」って感じてひたすら試していくしかないんです。だからDaichiくんが6歳から耳コピをしてたっていうのは、もうそこから今の活動につながっている気がします。
Daichi 確かに耳コピは必須ですよね。また、人の音を聞くのも大事ですけど、自分が出している音を客観的に聞くことも大事。僕はビートボックスの練習する時には、壁に向かって発声して反響音を聞きながら調整してます。あとは録音すること。今ではiPhoneがあるので、録音ができるアプリを使ってやってます。
──それこそ今ではネット経由で他の人のビートボックスを見て参考にする、っていうことが普通にできますが、AFRAさんが始められた時ってそういう環境にないですよね?
Daichi ですよね。どうやって練習していたんですか? すごく気になる……。
AFRA Rahzelを見て衝撃を受けた後、まずCD屋さんに行ってジャケットに「ビートボックス」って書いてあるものを探して聞いて、家でひたすらマネしてましたね。1番役に立ったのは、彼が来日していた時のライブパフォーマンスを録音した音源でした。
Daichi 現場なんですね! なんというか……、アナログ!
AFRA めちゃめちゃアナログだよ(笑)。当時はまだカセットテープのウォークマンで、学校行く途中にずっと聞いてたなあ。
Daichi 完全に一緒です! ぼくも通学中によく聞いてました。でも自然とぶつくさ口から音が出ちゃって、人に聞かれてそうで恥ずかしかったです。あとは入浴中。お風呂場でやらないビートボクサーっていないと思います(笑)。どこよりも音が響くから、やってて楽しいんですよ。よく考えてみれば、唯一お風呂場でできる楽器なんじゃないですかね。他のものは濡れたら困るじゃないですか?
AFRA それは言い得て妙だなあ(笑)。ギター持ってシャワー浴びれないしね。ほんまや。
Daichi あとはWebの存在も大きいです。昔とある掲示板があって、高校生の時とかはそこに自分の音源を投稿して、どっちのスキルが高いか比べ合うバトルとかもやってたり。
AFRA あったあった。そんで自分ではビートボックスやらないような人が、なんか異様に文句言ってきたりするんだよね(笑)。その話で言えば、1980年代のニューヨークでは「ブロンクスにヤバいビートボクサーがいるぜ」みたいな情報が出回ると、腕試しに出かけて行ってそいつとバトルしたり、ってことがよくあったみたいです。今はそれがWebで行われてる印象ですね。
ジャンルを横断するヒューマンビートボックスシーン
──口でビートを刻む表現というと、ヒューマンビートボックスとボイスパーカッションの2つの呼び方があると思います。それぞれどこに違いがあるんでしょう? 先程お話にあがった「ハモネプリーグ」では「ボイパ」って言われてたと思うのですが。 AFRA 僕もボイパっていう言葉を初めて聞いたのは「ハモネプリーグ」でした。ビートを担当する人のことを、ボイスパーカッション=ボイパって呼んだんでしょうね。一方でヒューマンビートボックスという言葉は、ビートボックスっていうドラムマシンのような機材からとられてます。それを買えないような人たちが、自分の口でマネをし始めたのがヒューマンビートボックス。1980年代にヒップホップのシーンから生まれた言葉のはずです。ただ、今はそんなに変わりがないと思う。Daichi なのにそれぞれを分けたがる人が多いんですよね。ビートボックスって名乗ってる人はボイパって言われたくないって言ってたり、その逆もしかりで。特に、「ビートボックスは1人で色んな音が出せてすごい」「ボイパはビートの担当として、つまりある種〝ドラマー〟としてすごい」みたいな認識があると思います。その他にテクニック的な部分で言うと、無声音を中心に使って打ち込みっぽい音を出すのがビートボックス、有声音で打楽器のような音を出すのがボイパ、っていう違いもありますね。
AFRA そうだね。でも今ってハモネプからボイパに入った人たちでも、ヒューマンビートボックスに興味を持つ人が増えているし、その逆もある。僕はボイパの人を見てると、ヒューマンビートボックスにはできない混声を活かしたパフォーマンスをされてるなって、刺激的に感じることが多いですね。
Daichi やっぱりまだ確立されきっていない分野だから、呼び方も様々なんだと思います。だから僕たちが新たにシーンをつくっていく必要があるんだろうな、っていう気がしています。
AFRA 逆に過去をさかのぼってみれば、ジャズで使われる歌唱法のスキャットとかの延長に、ヒューマンビートボックスもあるような気がするんだよね。人間が出す声を楽器として扱う、という意味ではインドネシアのケチャとかヨーデルも同じように捉えられる気がするんですよ。ヒューマンビートボックスも僕が始めたころはヒップホップのカルチャーの一部だったのが、ヒップホップの外側の人がやり始めるようになったことで、新たな表現の可能性が感じられるようになっている。Daichiくんみたいなやり方もあるし、音楽的にも多様になってきている。それがヒューマンビートボックス自体の進化だし成長だよね。
ライブ中に求婚!? 印象深い驚きのステージとパフォーマンスのあり方
──それぞれビートボクサーとして活動してきた中で、特に印象的だったステージってありますか?AFRA 1番記憶に残ってるのは、オーストラリアの「Big Day Out」っていうフェスに出た時のことです。そこでライブ中に、突然ヒッピーみたいな女の子が目の前でひざまづきだして「結婚して下さい!」って言ってきたんですよ(笑)。一体何が起こってるのかよくわからなかったし、何よりライブ中なので、名前を聞いて他の観客に「○○さんに拍手を!」ってやりました(笑)。 Daichi それすごい話ですね(笑)。ビートは言語を越えられるから、感動できたんだろうなあ。僕の場合はニューヨークのアポロ・シアターでのステージが、自分のすべてをさらけ出せたようなライブだったんです。出演者の中でビートボクサーは自分だけで、どんな反応をされるのか想像がつかなくて不安だったんですが、すごい歓声をもらえて。それこそお客さんの声の音圧で肌がビリビリ震えるくらいで、いまだにうまく言葉にできないパワーがそこにはありました。
AFRA じゃあそのステージで自分の意識とか変わったんじゃない?
Daichi そうなんです。やっぱり1番自分を成長させてくれるのはライブなんだなって。
AFRA ビートボクサーってライブがメインの活動になっている部分ってあると思う。僕は毎回のライブが1番大事なんですよ。毎回のパフォーマンスに快楽があるし、終わった後には反省点がまたある。1回1回が本当に貴重で、生きがいですね。
Daichi ライブで他のビートボクサー以外のアーティストを見られるのもうれしいです。「この感じをビートボックスにしたらおもしろそうじゃん」みたいにアイデアをたくさんもらえることが多くって。自分の中にはなかったものと出会うことで、本来生まれなかっただろうテクニックが蓄積されて、引き出しが増えていく。その反面、毎回本気で臨まないとうまくいかないなとも感じます。ビートボックスってパフォーマンスのすべてが自分由来だから、調子の悪さを機材とかのせいにするわけにはいかないんですよね。だから自分が不安を感じたりしていると、それが音にも出てしまうし、お客さんにあますことなく伝わっちゃうんです。
AFRA だからこそ練習が大事なんよね。技術を磨く以上に、平常心でパフォーマンスするためには「これだけ練習したんだから大丈夫」っていう自信が必要。もう空手みたいなものだよね。身体的なパフォーマンスを高めるために、メンタルをコントロールしておかないといけないっていう。
Daichi アスリートみたいなものなんですよね。体全体が楽器なので。
AFRA 本当にそう。だから控室で弁当を食べ過ぎないようにするのも、また大事っていうね(笑)。でも冗談じゃなくって、体は全部つながってるからね。
ヒューマンビートボックスの明日のために
──Daichiさんはご自分のYouTubeチャンネルに毎週動画をアップされているように、積極的にWebを利用されています。それをまた多くの人たちが日常的に見ているわけで、ヒューマンビートボックスの裾野がこれまでよりも広がっているような気がします。Daichi 毎年開かれている「JBC(Japan Beatbox Championship)」でも、参加者が増えていて、特に若い人が多くなってます。9月23日(月)には、AFRAさん、そして「JBC2011」のチャンピオンであるTATSUYAさんに出演頂く「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」というイベントを主催するんですけど、YouTubeの動画投稿を利用して、一般の方から出演者を募りました。それも想像以上の数が集まっていて、みんな僕より若い人ばっかりなんです!
AFRA ルーツも様々で、それこそアニソンが好きで、そこに合わせてビートボックスをやってる子もいます。感性が全然違うビートボクサーに会える、っていうのはすごく楽しみ。新しい世代が登場すると、それに触発されて古参の俺らもパフォーマンス上げていかないと、ってなりますよね。それがすごくうれしいです。
──なぜ今、ビートボックスをやってみよう、という若者が増えているんでしょうか?
AFRA やっぱり1人でできるから、っていうのは大きいんじゃないですかね。楽器を買わなくていいし、メンバー募集をしたり「バンドやろうぜ!」って言わなくていい。すぐに始められるのは強みですよね。あとはWebかなあ。
Daichi Webで広がった部分はすごく大きいと思います。いつでも他人のパフォーマンスが見れるし、逆に自分の動画や音声をアップすることで、すぐ見てもらえるっていうのはビートボクサーにとって願ったり叶ったりな環境ですから。
AFRA 自分が作ったものが好意的にシェアされていくのは、他ではあまりないことだしね。
Daichi しかも見てもらえるのが、全世界なわけですよ。特にビートボックスは言葉ではないので、国境を越えて誰でも理解できて楽しめますから。最近動画投稿を頑張っているのも、裾野を広げたいからなんです。
AFRA 一方でしっかりパフォーマンスを届けたい時には、ライブの方が適している。両方をうまく使っていくのが重要だと思う。
Daichi それは僕もそう思います。Webで広がったのは、あくまで入り口。じゃあそこからもっと深いものにしていくにはどうするべきか。それが今後の課題だと思います。僕は、ビートボクサーがビックリ人間みたいな感じで扱われていたのを超えて、もっと世界に音楽として認知させたいと思ってます。そのためには、やっぱりプレイヤーが増える必要がある。将来的に10人に1人くらいがビートボックスをやっているような状況になれば、音楽の教科書にすら載るはずです。そうなると「楽器」として認められるんじゃないかな、もっとおもしろい音楽が生まれるんじゃないかなって!
──そんな思いが「Daichi presents BEATBOX SUMMIT」に込められてるんですね。
Daichi そうですね。一般の方のパフォーマンスや、ライブの合間にトークセッションを設けたのもそういう意図です。ビートボックスって、シーンがあるにはあるんですが、小さなシーンがバラバラに散らばってる状態なんですね。僕はそれを1つにして、もっと大きなシーンとすることでおもしろくなるんじゃないかなって思ってます。つまりAFRAさんの持っているシーンと、TASUYAさんのそれと、僕のそれを合わせたい。今日改めてAFRAさんとお話して、これまで触れられてきたシーンの奥深さを感じました。そんなAFRAさんのパフォーマンスを、もっと知りたいって思うんです。見る側もやる側もそうだといいですね。
──お話を聞いていると、お2人は出自も好きな音楽も異なるのに、同じような開けた感覚で、新しいヒューマンビートボックスの地平を見られているように感じます。それはすべての音楽にはビートが存在しているからこそ、ジャンルを横断して様々な表現を取り入れ、再構築できるんじゃないかという気がしました。
AFRA 例えば合唱を考えてみると、それこそ幼稚園の頃から集団の中で歌う、ということが日常的にあったと思います。だからメロディを歌うってことは誰にとっても、自然なものとしてありますよね? でもビートを歌う、という感覚ってなかったと思うんですよ。ただ歌も人に何かを伝える手段だし、ビートボックスもまた伝える手段で、その意味では大して変わらない。だったら、ビートボックスっていうツールのおもしろさと可能性が届けられれば、それこそみんなが歌を聞いたり歌ったりするようなレベルにまで広がっていくんじゃないかな。
Daichi 例えば海外に行った時に路上でビートボックスをやってみたら、そこにラッパーが混ざってきて、ギタリストが混ざってきて……っていうことがあったんです。こんなことが起こるのは、理屈じゃなくて、みんなが気持ちのよいリズム共有できているからなんじゃないかな。そんな楽しさを誰もが持っている口だけで表現できるヒューマンビートボックスは、もっと広がっていけるはずなんです。そのためにももっと練習して、多くの人と共演して、シーンを広げることで、これまで興味がなかったような人に届けたい。そのためにはもっと自由に、枠組みを越えて表現していきたいです!
AFRA
http://afra.jp
1996年にビートボクサーRahzelのパフォーマンスに衝撃を受け独学でビートボックスを始める。高校卒業後N.Y.へ単身渡米、映画「Scratch」出演や、唯一の日本人として出演したビートボックス・ドキュメンタリー映画「Breath Control」などにも出演。2003年、日本人初のヒューマンビートボックス・アルバム「Always Fresh Rhythm Attack!!!」をリリース。以降、国内ビートボクサーのパイオニア的存在として、多くのイベントやフェス、CMなどに出演するなど国境を越えて活動を展開している。
Daichi
http://daichibeat.jp
http://www.youtube.com/daichibeatboxer
1990年7月2日生まれ。福岡県出身。10歳の頃から、独学でヒューマンビートボックスを始める。18歳の頃、自宅で撮った動画をYouTubeにアップしたところ、2,200万アクセスを突破。現在チャンネル登録者数20万人を超える。世界的に注目され、久保田利伸、SMAP、Backstreet Boys、Boyz II Menなど大御所アーティストとのコラボを展開するなど、今最も注目を集めるヒューマンビートボクサー。
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