彼らが今年10月に結成10周年を迎える。インタビューでは、メンバー5人に10年を振り返ってもらいながら、一見混じり合わないオタクカルチャーとダンスを融合させるに至った経緯、活動初期にぶちあたった壁、盛り上がりを見せるアニソンダンスの可能性、ダンスシーン全体の現状と展望について話が及んだ。
元々それぞれ世界大会などで活躍するブレイクダンサーだったメンバーたちは、2007年にアニソンでキレキレのダンスを踊った動画をニコニコ動画に投稿。2011年に日本テレビ「スター☆ドラフト会議」への出演をきっかけに一気に注目を集めた。
2012年には声優とのコラボユニット「福原香織とRAB」としてエイベックスからCDデビューも果たし、その後も「Japan Expo 2014」へ出演、世界初の企画アニソンダンスバトルの全国大会「アキバ×ストリート〜世界最強オタクダンサー決定戦〜」をプロデュースするなど、アニソンダンスのパイオニアとして活躍してきた。
また、先日クラウドファンディングサイトCAMPFIREで「中野サンプラザで2000人規模の無料ワンマンライブを開催したい」というプロジェクトを立ち上げたところ、わずか1日足らずで目標額を達成。
現在は720万円以上の支援が集まり、これまでの活動が結実した結果を叩き出している。このプロジェクトの目的と反響についても尋ねてみた。 取材・文:鳴田麻未 編集:新見直 撮影:布村喜和
『ハルヒ』世代はアグレッシブなオタクだった?
──皆さん、ステレオタイプな「オタクファッション」をされていますが、オタク歴はどれくらい?けいたん 小学2年生くらいからアニメが好きです。
ドラゴン 俺も、小学生の頃から絵を描いたりするのが好きでした。
ムラトミ 自分もそうですね。
マロン 僕は小学校の頃、声優好きの友達に教えてもらった『ときめきメモリアル』を触った時に、「終わったな」って確信した感じ。そこから完全にオタク。
あつき 俺も小学生のときからアニメイトに通ってたんだけど、友達に堂々と言えないところがって、あれが「最初のオタク的な意識の芽生え」だったのかな。
けいたん 忍んでる感じはあったよね。少女マンガを読んでたらバカにされる感じとちょっと似てる。
──そういうオタクカルチャーとブレイクダンスは対極にある気もしますが……。
あつき 相まみえない感じはありますよね。
けいたん 「アニメ」にしても「ダンス」にしても、ハマり症なんですよ僕たち。
あつき もともと、みんな体を動かすのは好きだしね。昔のオタクって家にこもりがちな人も多かったけど、『ハルヒ』世代の僕らはなんとなく、アウトドアでアグレッシブなオタクが多いのかなと。アニソン系のライブで、「お前ら普段何やってんだ!?」って不思議に思うくらい叫んでるヤツもいますからね(笑)。
マロン 僕も中高と陸上部だったんですけど、今年の箱根駅伝で活躍した人たちの中にもオタクがすごく多いらしいんですよ。理想のタイプを聞かれると挙がるのはアニメキャラか声優ばっかり(笑)。
けいたん 言われてみれば、みんなマロンみたいな顔してるかもね。
マロン よく見てごらん! 駅伝選手にはオタクっぽい顔してる人が多いから。“山の神”(※東洋大学の選手だった柏原竜二)なんて花澤香菜大好きなんだって。
オタクとブレイクダンスが「ハレ晴レユカイ」で出会った
──それぞれダンスをやるようになってから、RAB結成までは、プロのダンサーとして活動してこられたんでしょうか?けいたん 全然。草ダンスですね!(笑) いわゆる一般的なB-BOY、ブレイクダンサーです。
マロン オフ会を秋葉原で開いて、一緒に買い物してるだけの関係でした。
──お知り合いになったのはダンスがきっかけ?
あつき はい。それぞれ別のチームを組んでて、最初は僕とドラゴンなんかライバルチームでめっちゃ仲悪かったですから!
──そんな仲が悪かったのに、なんでチームを結成することになったんですか?
あつき アニメの力ですよねえ。
けいたん 京アニですね。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『らき☆すた』とか。
ドラゴン 当時、ダンサーでオタクという人間が周りにいなかったんですよ。その中で、ライバルだけど唯一話がわかるヤツらだったから、自然と交流が生まれていきました。
けいたん で、ある日「ハレ晴レユカイ」を踊ろう!ってことで動画を上げてみた。
あつき 僕らの実力が同じくらいだったのも大きかったと思います。単にアニメ好きでダンス好きっていう人は当時もいたと思うけど、僕らはダンスの世界では一線で活躍していましたから。
ドラゴン 最初は、本当にただ趣味を楽しむためのチームだったんですよ。ダンスもできるんだったらやろうというくらい。
マロン でも、みんなオタクの部分を抑えながらダンスをやってきたから、結成したときにだいぶ開放されちゃったんですよね。ダンスにオタク要素を入れるとか、グッズを使って踊るとか、やってみたかったけど周りの目を気にしてできなかったことが、このメンバーとだったらできそうだ、と。
あつき ちょうど『ハルヒ』や『らき☆すた』人気が後押しになりましたね。
「踊ってみた」というジャンルが後からついてきた
──「ハレ晴レユカイ」を踊った2007年は「ニコニコ動画」自体が正式にリリースされた年でもありますが、その時「踊ってみた」というジャンルはありましたか?あつき タグがなかったから、ジャンルはなかったですね。
──盛り上がると確信して上げたわけじゃないんですね。
けいたん 面白いから上げてみようぜ、コメント付くんじゃね?くらいの気持ちでした。
あつき 継続するつもりもなかったです。(盛り上がるかなという)期待もなくはなかったけど、当時はオタクのブレイクダンスが受け入れられるとは思わなかったので。
──反響はどうでしたか?
マロン すごかった。当時、「ニコニコ動画」のランキングはジャンル分けがなくて総合だけだったんですけど、20位以内には入ってたと思う。
けいたん それがきっかけでイベントに呼ばれ始めて、「ギャラ出るならやろうぜ」ぐらいのノリでした。それぞれチームの練習があったから、集まって踊るのは2ヶ月に1回くらい。
ドラゴン その中で、地方のイベントに出てるとき、ムラトミっていう面白いヤツがいるよってみんなに紹介したんだよね。
ムラトミ 僕は愛知県に住んでたんです。
けいたん ムラトミは実力もヤバいし、性癖もヤバいし(笑)。
──性癖?
ムラトミ ご想像にお任せします(笑)。
けいたん ムラトミがいろんな意味で一番ヤバいですね(笑)。でも、そうじゃないと、「アメトーーク!」(※2016年8月11日放送「アメトーーク!Presents ブラマヨ吉田の変愛トーーク!」)に出演して「Yahoo!検索」ランキングで1位になるなんてことは起きない。今ムラトミ単独でトークショーやったりしてるんですよ。
スタドラ出演で世界が一変した
──10年におよぶRABの歴史の中でターニングポイントがあるとしたら?あつき 2011年に出た「スター☆ドラフト会議」ですね。あれで世界が一変しました。
マロン 「スタドラ」で一気に世に出た感じはしますね。いろんな人に見てもらえるようになりました。
あつき 当時、僕ら自身はまだ遊び半分だったから、どうせテレビに出るんだから最初で最後のつもりで伝説つくれればいいやって。江頭2:50ですよ。
マロン 結果、それまでの放送の中で視聴率ナンバーワンだったらしいよ。
──それで注目されるようになり、2012年には「福原香織とRAB」名義でエイベックスからCDデビューも果たしたんですね。
あつき CDデビューという話になって、ようやく遊びじゃなくてプロの意識を持つようになりました。
「踊ってみた」を定期的に上げ始めたのも、そのユニットのリリースのPRというつもりでした。それ以前は、お揃いのチェックシャツなんて着てなくて、遊びでやっていただけです。
──そこでようやく、RABの名前を売る活動の一環として「踊ってみた」というジャンルを効果的に使い始めたんですね。
あつき 当時は、僕らをアピールできるプラットフォームはニコニコ動画の「踊ってみた」だったんです。
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RAB
アニソンダンスパフォーマー
レペゼン秋葉原のアニソンダンスパフォーマー「リアルアキバボーイズ」! 2006年結成以来、アニソンでダンスを踊り続けるやいなや、日本テレビ「スタードラフト会議」に度重なる出演をきっかけにブレイクしメジャーデューを果たす。 その後ニコニコ動画・YouTubeなどの動画投稿サイトに投稿した踊ってみた動画は軒並み数十万再生以上を連発。そんなアニメをこよなく愛する彼らの夢は「アニメになること」。アニメが好きで“アニメみたいな”人生を送りたい、自らがアニメになるために踊るオタクが目指す場所はただひとつ『日本武道館』。この夢を叶えるべく、日々挑戦し続けます。
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