劇場版は、YouTube版アニメの主人公たちが小学生だった頃の物語。文字通り、“モンストのはじまり”に対峙する少年少女を描くにあたって、キャラクターデザイン・総作画監督に抜擢されたのがアニメーターの金子志津枝さんだ。 シンエイ動画時代から、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』などで魅力的な子どもを描いてきた金子さん。今作でも発揮された、どこかみずみずしく、かわいらしい子どもはどのように描かれるのか?
少年少女の冒険譚としての『モンスト』において、重要なピースとなったみずみずしさと躍動感の出どころを探った。
取材・文:恩田雄多 撮影:nanami 取材・編集:吉田雄弥
美術しか取り柄がなかった子供時代
──『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など、20年以上にわたりアニメ業界で活躍されていますが、そもそもアニメ業界を目指されたのはなぜでしょうか?金子 子どもの頃から学校に週に2〜3回くらいしか行かなくて、そのおかげで勉強もできなくて。でも、絵は好きで、美術だけは褒められる。友だちにも、「しっちゃんて、美術しか取り柄がないよね」と言われていて。
──それは褒めているというか……。
金子 悪気があったわけではなく、純粋な言葉だったんだと思いますよ。私も、「そっか、そうなんだなぁ」と思いましたから。
高校のときに描いた絵が賞をいただいて、全校生徒の前で表彰されることになったんですけど、ほとんど学校に通っていないし、真面目な学生ではなかったので、学校の先生としては、「模範となる生徒ではないので壇上に立ってみんなの前で表彰されるのはよくない」と。
結局、校長室で校長先生からひっそりと賞状をいただきました。「本当に自分には絵しかないのかなぁ」と、身にしみて感じましたね。
──卒業と同時に制作会社に就職されたんですか?
金子 職業訓練校で広告デザインの勉強をしながら試食販売やポップデザインなんかのアルバイトしてたのですが、学歴もない私は、絵しかないならそれを生かした仕事をしたいなぁと、漠然と考えていました。それで、ふと見た求人誌に「アニメーター(未経験可)」と書いてあって、未経験なら、と思って会社に応募したんですけど、断られてしまって。
話を聞くと、「専門学校で即戦力となる基礎を学ぶ必要がある」と。当時の自分は言われた通りにするしかなかったのでアルバイトでお金を貯めて、一番学費が安くて、1年制ですぐに卒業できる学校に通いました。
──その後、数ある制作会社からシンエイ動画を選ばれたと。
金子 専門学校の先生に、「シンエイ動画は福利厚生がしっかりしていていいですよ」と言われたので(笑)。
ダメ元で、当時就職試験に行列ができるくらい大人気のProduction I.G.さんも受けたんですけど、案の定ダメで、当時からほとんど採用をやってなかったシンエイ動画に奇跡的に入社できました。何年かぶりくらいの採用試験で、私1人だけ。本当にありがたいですよね。
『ドラえもん』から学んだこと
──シンエイ動画時代は主に『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』の制作に携わられていますが、どのような役割を担当されていたのでしょうか?金子 私はアニメーターとして入社したので、動画・原画を経て、それらの方々が描いた絵をチェックする作画監督も任せていただけるようになりました。モノづくりに対する姿勢という意味では、シンエイ動画時代の経験が根底にあるような気がします。
──どんな経験をされてきたんですか?
金子 1つのスタジオにスタッフが集まって、真に迫る作品を作りたいという意識が強かったと思います。私は『ドラえもん』の劇場班が長かったのですが、劇場班には私と先輩2人くらいしか社員がいなくて、ほとんどがフリーランスのスタッフでした。
フリーのスタッフ達とチームを組んで、社員、フリーの垣根なく、お互いに刺激しあって純粋に仕事に向き合えてたように思います。
行き過ぎると風通しの悪い、窮屈な現場になるものですが、いい意味での縦社会。決してそんなに厳しいものではなかったけど、敬意だったり、見たり学んだり、そういった社会性みたいなものも空気感として学べました。
人が見える現場は、自分の手から離れた仕事が次のセクションにわたっていく様もなんとなくわかる。なのでぞんざいな仕事ができない。だからこそ経営者からスタッフまでの関係性が、今の時代よりも密だったんじゃないでしょうか。垣根なく、チームとしての意識が高かったですね。
仕事に向かう姿勢、描く絵に込める気迫などを互いに感じ合うことができました。だからこそ、良いか悪いかは別として、人の仕事をぞんざいに扱えない、素材として考えられない。
「稼ぎたい」とか「技術を学びたい」とか「自分を売り込んでやりたい」とか、仕事に対するモチベーションは人それぞれですけど、今日、今を生きるための生活の仕事をする人もいれば、もっと言うと明日の未来の目標のために、しがみついてまで描こうとしてくださる方々もいて。 金子 私自身、作画監督をやる上で、それらすべてを受け入れられるほど器用な人間ではないですし、ひとりひとりの思いを汲むなんて、到底できることじゃありません。でも、そういう気持ちの部分をわかっているか否かという点は、(アニメーターが描いたものを)修正する立場として大切にしていました。
いわゆる情に近いものかもしれませんね。仕事においては邪魔になることもあるので、一概に良し悪しの判断はできませんけど、先輩方と仕事をする中で、人と人との仕事には情も必要なのかもしれないなと。もちろん、理性とのバランスありきですが。情というとウィットですが、言い方を変えると想像力ということかもしれません。
作画監督としては、アニメーターの方々と互いに活かし活かされという関係でいたいと思っています。だからこそ、ちょっとおこがましい言い方ですけど、たとえ(描いたもの)すべてを修正することになったとしても、描いた人の思いは受け止めたい。
──それはシンエイ動画の中で脈々と受け継がれてきたものなのでしょうか?
金子 私がそういう受け取り方をしてしまってるだけなのかもしれませんが(笑)。劇場版の『ドラえもん』でいうと、富永貞義さんや渡辺歩さんが作画監督を担当されていました。私が担当するようになって、クライアント側からキャラクターデザインについて私の絵の上から赤ペンで修正が入ったことがあって。
金子 何も考えずにその赤ペンをなぞってOKをもらおうとするのは簡単なんですが、それだと己の仕事を守るために、悩んだりしながらキャラクターを自分に引き寄せ、自分の答えを出してきた先達の仕事のスタイルを崩してしまう。
やはり、絵を描く仕事なので、こうしてほしいという要望をうかがってから自分で咀嚼して出していかなければならない。なので、赤ペンで相手に答えを出させるのではなく、要望をよりうかがえるように、話し合いをしませんかと提案したことがありました。
『ドラえもん』の場合、私自身は、長い歴史の途中から制作に参加しています。そういう意味で、土台はできあがっている。ゼロから何かを生み出すのではないからこそのやりやすい部分がある一方で、蓄積された作品世界を守り受け継ぐという難しさもあるんだと思いましたね。その時、先輩方がつくってきた仕事の守り方を受け継ぐのも、作画監督の仕事なんだと学びました。
もちろんそれらをとは違う新しい価値観や発見は、素晴らしい発展や広がりもあると思いますが、変わらなくてよいものもあるように思います。
次の人が仕事を守るようにしないと、現場が何でもありな精神性になってしまう。そうすると、みんなが自分の仕事を守れなくなってしまうんですよね。それはとても現場としては不幸なことです。
映画『千と千尋の神隠し』で、かまじいが「簡単に人の仕事を奪ってはいけないよ」というセリフがありますが、それを考えながらできないと、最後まで結末を見ない“責任持たず”になって、自分も他人も作品も守れなくなってしまうんですよね。
絵を描くことは色っぽい仕事
──シンエイ動画時代から現在まで、金子さんは数多くの子どものキャラクターを描かれてきました。いずれもかわいらしさ、やわらかさが印象的ですが、描くときにこだわっているポイントを教えてください。金子 正直、私の絵は動物的というか、本能的な描き方をしていて、美大で勉強するような基礎とかがなくて。それがちょっとコンプレックスでもあるんです。よく見るといろいろおかしい部分があるんですよね。(『モンスト』のラフを手にとって)恥ずかしいから見せないですけど(笑)。
──いえいえ、せっかくお持ちいただいたので(何がおかしいかわからない……)。描くときにはどんなことを意識されているんですか?
金子 アニメーターとしては、見る人にとって「上手い絵よりも愛される絵を描きたい」というのがあって。「もらわれる人に愛されてたらいいね」と、ぬいぐるみ職人のような気持ちで描いています。お客さんに届けるためのメッセンジャーみたいな。時々裏切るようなメッセンジャーの部分も持っていたいですが。
私は絵において、「色っぽい」ということが重要な気がしていて。かわいらしさややわらかさなどは、色っぽさの延長線上にあるような気がします。言い方が難しいんですけど、命を吹き込むというか、生き生きとしている感じを伝えられるように、躍動感のある絵にしたい。要約すると「色っぽい仕事」を意識して描いているんだと思います。
金子 やっぱり、愛されるためには、観た人に何かを伝えないといけない。伝えるためには色っぽさに内包された躍動感が必要なので。自分の気持ちを相手に伝えるには言葉が必要であるように、絵に躍動感があることで、観る人の心に訴えることができる。
とはいえ、必要な言葉を揃えるためには賢くないといけないし、絵の場合も、絵が上手くないといけない。自分はその両方が不足しているので、常にジレンマを抱えながら生きています(笑)。
──その躍動感を表現するためのアイデアはどうやって思いつくのでしょうか?
金子 基本的に自分が見てきたものからしかなかなか出てこないですね。たとえば、電車の中で抱かれた赤ちゃんのほっぺたがお母さんの肩に乗っている姿とか。日常生活で仕事のことを考えたくない人間なんですけど、とはいえ、発想の結びつきみたいなことはあると思います。
ただ、もっとカッコ良くしてというオファーならカッコ良いということをリサーチしますし、もっとエッチにしてと言われたらエッチをリサーチします。求められたものに対しては、それなりに本や映像を見たりはしますね。
劇場版『モンスト』に見る、躍動感と色気
──『モンスターストライク THE MOVIE はじまりの場所へ』では、キャラクターデザイン・総作画監督として参加されていますが、総作画監督とは具体的にどのような役割なのでしょうか?金子 作画全体の総括ですね。今作では全体で1500ほどあるカットを30〜200カットずつ、10数人くらいの作画監督が修正しました。
その作画監督が修正したものをさらに修正するというのが、総作画監督の仕事です。カットによっては原画に近い修正も時には入れますし、時には動画までやります。人によって多少仕事のスタイルは変わると思います。
そういう意味で、『モンスト』の制作ではスピード感が求められていたので、限られた時間で最大限のパフォーマンスを発揮しようと考えていました。クリエイターにとって、クオリティへのこだわりは尽きません。一方で、仕事にはスケジュールがあるし、終わらせないと作品として成立しないんですよね。 金子 そのために私がすべてやらなきゃいけない部分を、作画監督の方に半分委ねてというか、その人なりの味がある部分はどんどん活かしていったりしました。私が描いた大ラフを補佐の人がクリーンナップして、最終的に私が再び手直しを入れたりして、なるべく多くのカットに手が入れられるよう、従来とは異なる方法も取り入れたりしました。
──時間的制限がありながらも、劇場版に登場するキャラクターは、文字通り金子さんらしく躍動的に感じました。今回は岩本さんが原案の4人の子供たちをメインに、金子さんが実際にキャラクターに落とし込んでいったと聞いています。何か意識されたことはありますか?
金子 岩元辰郎さん(キャラクターデザイン原案を担当)のデザインは本当に素晴らしくて、私にない要素もたくさん持ってらっしゃってて、私自身勉強させていただきました。岩元さんのシャープでかっこいい絵の要素を残しながら、子どもらしくかわいらしいデザインを意識しました。というか、私が描くとみんな丸っこくなっちゃうんですけど(笑)。
私が参加した『花は咲く』や『彼女がフラグをおられたら』とかでエッジハイ(影を落とさずにハイライトを飛ばす技法)を付けた作品が続いていたこともあって、それを監督の江崎さんが気に入ってくださっていたので、『モンスト』においてもキャラクターデザインの時に光と影を強調できるように取り入れました。
あと、色彩設計の大西峰代さんのコントラストのバランスもとても素敵に仕上げて頂いたように思います。
光と影の強調ついては、監督からも意識をしたいと当初から要望がありました。陰影をつけることで、より奥行きを感じられる印象になったように思います。 ──たしかに言われてみると、至るところに光と影が顕著に現れていますね。個人的には、子どもたちにかわいらしさややわらかさを感じる一方で、先ほどもお話しされていた色気を感じました。
金子 不思議ですよね、あまり性欲もないのに(笑)。ただ、色っぽい仕事ということを意識しているからでしょうか。そう感じてもらえたら作画冥利に尽きます。
実は、趣味で40年くらい前の古い本や雑誌を集めるのが好きなんです。そこには、今だったら絶対にありえないですけど、10代前半くらいの子どものヌードがアートとして掲載されているんです。それが結構衝撃的で。
もちろん、直接参考にしたというわけではないですけど、自然とにじみ出てしまったのかもしれません。 金子 あの……変態じゃないですよ。人間の根源的な部分の話で、人間なら誰もが“自分のエロフォーマット”を持っているじゃないですか。あくまでも、私のそれが少し顔を覗かせたということだと思います。
それに、きっと、自分と観る人の感覚の中で共鳴し合うポイントはあるだろうなと。自分が本能で良いと思って描いたものは、少なからず観る人も動物的本能で共鳴して反応することもあるのではと。大げさな言い方ですけど、作品を観てもらうからには反応してほしいし、心を震わせて感動してもらいたいんです。
ただ、色気について言うと、躍動感に付随するものという一面もあるので、キャラクターを無機質に描けない自分にとっては、常に存在する要素かもしれません。
──個人的に思い入れがあるキャラクターはいますか?
金子 どのキャラクターもわりと並列に見てしまうので、仕事で個別のキャラに思い入れを抱いたことがそれほどなくて。でも強いて言えば、レン(焔レン)ですね。やっぱり、描き手も主人公に思いを込めないといけない気がするので。 ──劇場版を観たときは、若葉皆実の表情の幅が印象に残りました。
金子 たしかに皆実は性格も天真爛漫で表情がつけやすく、私として描きやすいキャラクターでした。だからこそ、いろいろな表情が描けたのかもしれません。ただ、岩元さんとしても、いい意味で“狙っている”キャラクターなような気がして。
具体的な狙いはわかりませんし、私が適当なことを言っているだけかもしれません。でも、その狙いを感じ取ったときは、とにかく“キャッチしなきゃ! 応えなきゃ!!”と。 金子 皆実に関しては正直、監督の江崎慎平さんも岩元さんと同じような意識だと思ったので、“それなら私も(狙ったところを)いじってあげるわよ!”と(笑)。
──監督が皆実に対して何を言及されていたのか気になります。
金子 言葉で直接というよりは、演出面で“何か”訴えるものがあったように思えます。劇中で尻もちをつくシーンがあるんですけど、監督の訴えに応えるべく、独断で股を開かせてしまいました。きっと、みんなが求めているんだろうと思って(笑)。
時代の変化を感じた劇場版『モンスト』の現場
──劇場版は12月10日から公開中です。今作を改めて振り返ったとき、金子さんにとって、劇場版『モンスト』はどのような作品になりましたか?金子 ゲームから派生する仕事はあまりやったことがなかったので、オファーをいただいたとき、「どのようにつくられているのだろう?」と興味を抱くと同時に、体験したいと思いました。
作品として、すでにYouTube版があり、その時点でキャラクターもできあがっている。制作面では、ご一緒したことがない3Dアニメーターの方々もたくさんいて、そういう意味では、すごく新鮮で、好奇心を刺激されましたね。
──これまでの仕事と比べて、感じた変化はありますか?
金子 長く業界で仕事をしていますけど、アニメの制作環境もだいぶ変わったなと。今回でいうと、ペーパーレスでデジタル上で修正をいれる作画監督もいらっしゃったり、動画もデジタル作画もあって。私自身も、いまだに紙に描く仕事をする一方で、デジタル作業のボリュームも増えています。
今回のような現場ではメリットがある反面、デジタルはうまくやらないと同じ(ソフトから生まれる)線になってしまうので、そこはちょっと寂しいですね。描いた絵は仮想空間にいってしまいますから。もちろん、手で描いたように描こうすることができますけど、鉛筆を通して、紙という物質に手の筋肉で落とし込む線と比べると、やっぱり全然違いますしね。 金子 それに、昔はアニメーターをはじめ、スタッフのほとんどを会社で抱えてフェイストゥフェイスで机を並べて仕事をしていましたが、最近は個人主義というか、スタジオ内で一緒に作業することが少なくなったような気がします。自分にとって、劇場版『モンスト』は、そういった価値観や時代の移り変わりを体感しながらの仕事でした。
──新しいメディアから生まれたコンテンツだからこそ、その後のアニメ化・映画化というステップにおいても、従来からの変化があるのかもしれません。それでは最後に、劇場版を観た人、そしてこれから見ようという人に向けて、一言お願いできますでしょうか?
金子 まずは、見ていただいてありがとうございます! 何かしら心を震わせる瞬間があったのならうれしいです。
これから観る方々には……私、こういうコメントが本当にヘタなんですけど(笑)。“おいしいご飯が炊けたので、召し上がれ”という感じですかね。
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