FANTASTIC EROTICA

一般/成人 同人/商業 作家/編集者…あらゆる壁は壊れる

──智弘先生もそうですが、成人誌で連載していた作家が一般誌に描くことも、近年増えていますよね。

稀見 昔は、業界全体として「一般誌が成人誌を下に見ていた」傾向が強かった。そういった見えないヒエラルキーを作家も読者も感じていたんですけれど、その垣根は最近なくなってきましたね。

その要因は大きく分けて3つあると思います。

1つ目はネットの時代になって、読者がいろいろなジャンルのマンガにアクセスしやすくなったこと。

2つ目は、作家自身がエロ・一般の区別を付けなくなったこと。昔は一般誌に行ったらエロマンガに「降りてこない」作家も多かったんですが、そういうこともなくなりました。

最後に、編集者も成人誌から一般誌の出版社へ移動することが増えたこと。成人誌の現場で知り合った作家を一般誌に連れて行くことで、民族大移動みたいな形で作家・編集者がいずれも移動する、ということが起きています。

智弘 成人誌・一般誌にかかわらずマンガを描く作家が急増して「普通」になったのはここ10年、00年代以降だと思います。その理由として、作家の技術向上はもちろん、読者の受け取り方にも違いが出てきたように思います。

以前にエロマンガを描いていたとしても、それはそれで柔軟に受け止めてくれる土壌ができたのかな、と。僕もそうですが、成人誌と一般紙でペンネームを変えない作家さんも増えました。

稀見 (過激すぎて)変えざるを得ないペンネームの人もいましたけど(笑)。相対的にエロマンガの地位向上がなされて、エロで培ったネームバリューを一般誌でも活かそう、という動きが出てきました。

──奥浩哉先生、うたたねひろゆき先生が生み出した「乳首残像(※2)」も、今ではエロマンガにとってスタンダードな表現ですよね。それももとをたどれば、それぞれ『AKIRA』の大友克洋先生、『攻殻機動隊』の士郎正宗先生、つまり一般マンガから影響を受けているということがとても印象的でした。エロマンガが一般誌から受けた影響があるように、エロマンガにおける表現の試行錯誤が、一般誌に与えた影響はあるのでしょうか。

稀見 あります。特に最近は強く感じますね。昔はエロマンガと一般誌って、女性の身体の描き方が全然違ったので絵柄ですぐ判別がついたんです。

でも今は、「どちらが一般誌、どちらがエロマンガの作家が描いた作品でしょう」と聞かれても、わからないことも多いかもしれません。最初に言ったように、女性の描き方はもちろん、エロマンガ家や編集者が一般誌に流れて、技術やノウハウが共有されたことも影響していると思います。

※2 乳首残像:稀見先生が名付けたエロマンガ特有の表現技法で、女性の乳房の動きを表すために乳首が動いた軌跡を描く残像描写。

──「作家の技術向上」についてですが、確かにこの20年でエロマンガの全体的な画力向上があったように思います。これはなぜ起きたのでしょうか?

稀見 僕の推論なのですが、まず、エロマンガが一番売れたのは95〜97年ごろなんです。『COMIC快楽天』をはじめとして、もっとも多くのエロマンガ誌が創刊された時期です。

この頃は出版バブルで、どんなクオリティのマンガでもある程度は売れたので、「作家を集めてどんどん出す」というような流れがあった。それが次第に落ち着いてくると、画力の高い作家さんが残りました。

これに加えて90年代後半に、美少女ゲームの原画家さんなど、CGイラストレーションに明るい方がエロマンガ業界に流入してきたんです。
『COMIC快楽天ビースト 2018年11月号』/©ワニマガジン社 2018

『COMIC快楽天ビースト 2018年11月号』/©ワニマガジン社 2018

稀見 そもそもエロマンガの業界はCGの導入がとても速かったんです。

稀見 Photoshopでトーン貼りのような技術やワークフローを独自に構築して、コンピューティングを自力で導入するギークな人たちがエロマンガには特に多くて、そういう人たちが独自の技法を発達させていきました。

美少女ゲーム特有の限られた色数で陰影を描く表現など、女性の身体の質感を高める新たな技法が持ち込まれたことも、全体的な画力向上につながっていったと思われます。

──90年代前半から始まった美少女ゲーム隆盛の歴史とCG黎明期の技法が、エロマンガの世界に影響を与えたわけですね。90〜00年代を代表する作家を具体的に挙げるならば、どなたでしょうか。

稀見 村田蓮爾先生、胃之上奇嘉郎先生、OKAMA先生、新貝田鉄也郎先生などはやはり革新的でした。その画づくりは、同世代の作家だけでなく、後年にも大きな影響を与えていると思います。そこから10年経つと、若い作家はおっぱいの作画で石恵先生に影響を受けているとよく聞きます。

智弘 鳴子ハナハル先生も、若い作家から名前が挙がるのをよく聞きます。時代を越えて支持されている先生たちだと思います。

──「一般誌と成人誌」と同様に、近年では「同人誌と商業誌」の垣根もなくなっているように感じます。

稀見 同人と商業は昔から密接に関係しているんですが、特に一般の編集さんには「同人の方が下」というような認識が強かったと思います。ただ、それがよりシームレスになってきたのはここ数年ですね。近年では、出版社の編集者が同人誌即売会で作家をスカウトしても、「同人誌での活動を優先したい」と断られるような事例もあるようです。

智弘 インターネットの普及に伴って、同人の販路が拡大したことも大きいですね。

稀見 かつては商業・同人の両方で活躍するのは難しかったんですが、今は両方やるのが当たり前、商業作家が同人に来るのも当たり前という時代になりました。

結果、今のエロマンガの世界では、アマチュアとプロの垣根すらフラットになってきました。昔から、「エロさえあれば何を描いてもいい」というところがあるので、描くジャンルや、CGの技術についても、あまり伝統に縛られず、革新を生みやすかった土壌があると思います。

──読者・作家の視点の変化や販路の拡大によって掲載誌の垣根がなくなってきました。これらの事象について、智弘先生はどのように意識されていますか?

智弘 僕がデビューした2012年あたりはスマホが完全に普及する前だったので、ガラケー用のコマ送りマンガなどが普及していて、そういうサービスの利用者には紙媒体と比較して女性の割合が多いと聞いていました。

もしこの先、電子書籍の市場が広がってエロマンガを売る機会が増えるのであれば、読者を取り逃すのはもったいないので、デビュー時から「女性にも読んでもらえるものを描こう」という意識はありましたね。

──関連する話として、エロマンガの表現においては、昔は男性上位の表現が多かったのが、女性上位の表現も増えてきましたよね。

稀見 いろいろな要因があると思いますが、成人誌はもちろん、特に一般誌においても「女性が『痴女化』するシチュエーション」を描くことが増えてきました。

「女性を強く虐げるような描写」よりも、「女性がエッチなことに積極的な姿」を描くほうが、「読者が喜びやすい」表現である、という社会状況になってきたのかな、と思います。作家や編集者が、男性・女性いずれにも受け入れられるようなシチュエーションを考えた結果として、増えてきた表現だと思います。

モザイクは必要? 修正すらも表現に取り込むエロマンガ

──エロマンガの表現において、必ず付きまとうのが「局部修正」です。陰部の修正について、お二人はどのような所感をお持ちですか?

智弘 作家としては描いたものを消すのはイヤだけれど、エロマンガを楽しんでいる個人としては、完全になくしてほしくはない、という気持ちがあります。

たとえば官能小説には「言葉狩り」によって直接的な表現をできなかった時代があり、その時期にさまざまな語彙が生まれて、それは規制が緩和されてからも変わらず利用されて文化として定着していきました。

つまり、「禁止されているものだからこそ欲しくなる」というところがあると思います。フランスの哲学者、ジョルジュ・バタイユが定義した「エロティシズム」についてすごくざっくり言うと、「禁止されているものを一時的に、不安を抱えつつ侵犯する」というところにエロティシズムはあると。自分が描いた絵に黒ずみを入れるのはやはり嫌ですが、「これは禁止されているオブジェクトなんだぞ」というアイコンとして、修正が少しぐらいあった方がいいんじゃないかと思います。

稀見 局部修正はない方がいいと思っていますが、ただ、規制すらネタにしてしまうのが作家なんです。表現をするうえでは何か「縛り」があった方が、表現自体に粘りが出ると思っているので、そういう意味で一定の制限はあった方がいいとは思います。

僕が問題だと思うのは、日本の今の仕組みでは「規制を犯すと即逮捕、それを覆すには裁判をおこすしかない」ということ。この非常に厳しいハードルを乗り越えないと、勝ち取れない自由があるんです。

先ほど智弘先生が言われたように、小説は言葉狩りを起点としていろいろな比喩が生まれた。だからエロマンガでも、「修正の義務がなくてもモザイクを入れる自由」が勝ち取れたら面白いと思います。

過去、アメリカ人エロマンガ家の新堂エル先生(※3)にインタビューしたとき、「日本のエロマンガはどこがエロいですか?」と聞いたら「モザイクがエロい!」って言うんですよ。海外のエロコンテンツは無修正が当たり前だけれど、日本では隠す。その奥に何があるのか? という妄想がエロスを掻き立てると。モザイクも一種のエロ表現になっている。

ただ、規制によっていきなり不明確な理由でコンテンツが規制されるような流れは良くないですね。表現を萎縮させてしまいます。

※3:ニューヨーク出身のアメリカ人マンガ家で、純愛から獣姦、TS(TransSexual:肉体的異性化・性転換)まで幅広いジャンルの作品がある。著書に『TSF物語(ティーアイネット)』『晒し愛(ティーアイネット)』などがある

智弘 修正・規制の義務を逆手に取った表現の実例としては、「ハートマーク修正」ですね。ハートマークでクリトリスを隠しているのを見て、当時とても驚きました。同じ修正でも黒塗りとは画面の印象が全く違いますし、その奥に隠されたものに対して卑猥なニュアンスの想像を掻き立てますよね。

智弘 また、「内臓」には修正の必要がないので、「膣内から男の顔を見る」みたいな描写もあります。作家の立場からすると修正はない方が嬉しいことには変わりありませんが、「修正で遊ぼう!」というような心構えを同時に持つことも大事だと思います。

いつだって、新しいことに最初に名乗りをあげてきた

──エロマンガを電子書籍で読むユーザーも増えています。デジタルデバイスの普及に伴って生まれた表現技法などもあるのでしょうか?

稀見 スマートフォンで読む読者が増えたので、ページあたりの画面密度が薄くなる傾向にあると思います。画面が小さいので、密度の高いページをつくると、読みにくくなってしまうんです。

智弘 僕のデビュー当時(2012年)は、エロマンガの描き込み量が増えていく時期でした。掲載誌の『COMIC快楽天BEAST』が、密度の高い描き込みを要求される雑誌だったということもあり、「密度は上げるものだ」と思って描いていました。

稀見 また、スマートフォンで読みやすいように、コマ数を減らしてはっきり・すっきりしたラインをつくることがトレンドになっていると思います。

──1コマあたりの大きさも変わっているのでしょうか?

智弘 コマは大きくなっています。昔は4段組みまでは平気でしたが、今は3段組みが限界です。あえて4段にする演出の意図がない限りは増やさないですね。
快楽天ビースト掲載 の 『RE:セルフィーズ(2017)』 智弘カイ ©ワニマガジン社

快楽天ビースト掲載 の 『RE:セルフィーズ(2017)』 智弘カイ ©ワニマガジン社 より (加工は編集部) 

──まさにデジタル時代の表現ですね。

智弘 あとは、ジャンルでいうと「ネット配信もの」がすごく増えてきました。エッチな生配信というシチュエーションが、読者にとって身近に感じられるものになって、「人のプライバシー(無防備な人間の姿)を第3者視点で見る」ことが違和感のないことになったから出てきた描写なのかな、と。読者のリテラシーが変化してきた部分だと思います。

稀見 まだあまり一般化していませんが、「デジタルコミックでキャラクターに読者の名前を設定できる」という、ゲーム的な試みもあります。自分視点でマンガのシチュエーションを体験できるので、没入感が生まれます。

そういう意味では、まだまだ電子媒体の可能性はありますし、いろんな表現が生まれると思っています。「VR(仮想現実)」もそうですが、エロはいつだって、新しい技術に一番最初に名乗りをあげるジャンルなんです。

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プロフィール

稀見理都(きみ りと)

稀見理都(きみ りと)

美少女コミック研究家

エロマンガ特有の表現やその歴史について研究を行う。著書に『エロマンガ表現史(太田出版)』『エロマンガノゲンバ(三才ブックス)』などがある。同人サークル「フラクタル次元」主宰。

智弘カイ(ともひろ かい)

智弘カイ(ともひろ かい)

マンガ家・イラストレーター

ワニマガジン社の成人向けマンガ誌『COMIC快楽天BEAST』にて活動するほか、講談社のマンガアプリ『マガジンポケット』にて連載を行なうなど、一般誌・成人誌の両面で執筆を行う。著書に『とろくちずむ(ワニマガジン社)』『デスラバ(講談社)』などがある。同人サークル「Ink Complex」主宰。

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