スクランブル交差点を見下ろすようにそびえるビル群の煌々と輝く巨大モニターも、20時になるとそのいくつかが音もなく消えていった。
緊急事態宣言からおよそ一ヶ月。
いまだ収束の兆しが見えない新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の猛威に世界中が翻弄されているなか、路上にあふれる渋谷の若者らは何を思っているのか。
4月25日からは緊急事態宣言が発令。当初5月11日までとされていたが、感染者数を鑑みて5月31日までの延長が決まった。
東京都からの“消灯要請”をうけて、大型モニターが消灯された後の、渋谷の金曜の夜。
営業を続けている店舗も決して少なくない。街は多くの人で賑わっている。
一見すると、普段の渋谷と全く変わらない光景がそこには広がる。
しかし、唯一これまでと異なるのが、道端で、軒先で、街灯の下で、座り込んで酒盛りをする人々の存在だ。
「メディアがどれだけ本当の情報を流しているのか」と、終わりの見えない抑圧された日々で積もった不信感があらわになった。
だから発表される感染者数の数字やデータも意味をなさない。耳の痛い話だ。
「大人の考えと若者の考えが一致しないのかなって」と言う彼らは、特に深刻そうでも悲壮でもなく、淡々と語る。
アルコール片手に上機嫌な態度とは裏腹に、彼らを取り巻く状況は決して芳しくない。 その日、彼らはあるクラブのイベントに参加していたが、その箱ではアルコールの提供がなく、終演後にどうしても飲みたくなってこの公園にやって来たそうだ。
メンバーの1人は「5月のライブが2本なくなった」と悲痛な声を上げた。
アルバイトと音楽活動で生計を立てている彼にとって、CDを手売りできるイベント出演の存在は大きい。
貴重な収入源であるイベント中止が相次ぐ現状に、「やってられないですね」と笑うしかない。
バイト先も飲食店のため休業を余儀なくされ、八方塞がりだ。
キー局の報道陣を引き連れ、20人ほどの団体が、飲酒中の人々に不要不急の外出や野外での飲酒を控えるように呼びかけ、注意喚起のビラを渡してまわる。 そそくさとその場を去る人もいれば、ほとんど取り合わずに職員が通り過ぎたあとに平然と再び酒を煽る人もいた。
取材に応じてくれたのは大体が20代だったが、路上で飲み歩いているのは何も若者だけではない。
仕事終わりであろうサラリーマングループや中高年カップルの姿も散見された。
センター街のコンビニ前で、路地裏で、植え込みで、自動販売機の明かりの前で、思い思いに飲み明かしていた。
ひときわ大規模な人数で酒盛りをしていた外国人グループは、巡回していた警官に解散を促されるも、その中の一人は警官に食ってかかっていた。
彼が大声で何をまくし立てていたのかは聞き取れなかったが、何やら強く憤っていることは十分に伝わった。 我慢が効かなくなってきているのは、若者だけではない。
病床が逼迫している都道府県も少なくない。医療崩壊の瀬戸際であることが叫ばれ続けている。
世界で始まっているワクチン大規模摂取は、この国では遅々として進まない。まずは医療従事者や高齢者への摂取が行われているが、このペースでは10代や20代に回ってくるのはいつになるのか。
先行きの見えない状況で、居場所をなくした者たちが路上にあふれ出している。
緊急事態宣言からおよそ一ヶ月。
いまだ収束の兆しが見えない新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の猛威に世界中が翻弄されているなか、路上にあふれる渋谷の若者らは何を思っているのか。
消灯後の渋谷で
2021年4月23日、東京都知事の小池百合子氏が定例会見にて20時以降は街頭の看板やネオンなども消灯するよう関係団体に要請すると発表した。4月25日からは緊急事態宣言が発令。当初5月11日までとされていたが、感染者数を鑑みて5月31日までの延長が決まった。
東京都からの“消灯要請”をうけて、大型モニターが消灯された後の、渋谷の金曜の夜。
営業を続けている店舗も決して少なくない。街は多くの人で賑わっている。
一見すると、普段の渋谷と全く変わらない光景がそこには広がる。
しかし、唯一これまでと異なるのが、道端で、軒先で、街灯の下で、座り込んで酒盛りをする人々の存在だ。
「メディアがどれだけ本当の情報を流しているのか」
チャミスルを飲んでいたのは、20代の男性2人。聞くと、埼玉県から来た兄弟だという。 食事を終えた後、店内ではアルコールを提供していなかったため、コンビニで購入してそのまま路上で飲み始めたという。「メディアがどれだけ本当の情報を流しているのか」と、終わりの見えない抑圧された日々で積もった不信感があらわになった。
国民には自粛を呼びかける一方、東京オリンピック・パラリンピックの開催を強行する国やそれを支援するメディアは、もはや彼らにとっては信用できない語り手でしかない。オリンピックのためについてる嘘を、俺らに押し付けられちゃってる感じがして
だから発表される感染者数の数字やデータも意味をなさない。耳の痛い話だ。
「大人の考えと若者の考えが一致しないのかなって」と言う彼らは、特に深刻そうでも悲壮でもなく、淡々と語る。
若いアーティストたちの悲痛な声
交番にほど近い公園では、輪になってフリースタイルを披露するサイファー中の若いラッパーたちの姿も。アルコール片手に上機嫌な態度とは裏腹に、彼らを取り巻く状況は決して芳しくない。 その日、彼らはあるクラブのイベントに参加していたが、その箱ではアルコールの提供がなく、終演後にどうしても飲みたくなってこの公園にやって来たそうだ。
メンバーの1人は「5月のライブが2本なくなった」と悲痛な声を上げた。
アルバイトと音楽活動で生計を立てている彼にとって、CDを手売りできるイベント出演の存在は大きい。
貴重な収入源であるイベント中止が相次ぐ現状に、「やってられないですね」と笑うしかない。
バイト先も飲食店のため休業を余儀なくされ、八方塞がりだ。
受け止め方は様々だ。上の世代はもっと直接的に国の方針に噛みつく人も多いそうだが、「(政治批判も)わかるけど、そのなかで楽しもうというのが若い人では多い気もしますね」。(緊急事態宣言や自粛要請について)言ってることはわかる。けど、我々も我々で生きてかないといけないんで
都職員の見回りも、効果なし
取材中、東京都職員の一行に出会った。いわゆる“見回り活動”だ。キー局の報道陣を引き連れ、20人ほどの団体が、飲酒中の人々に不要不急の外出や野外での飲酒を控えるように呼びかけ、注意喚起のビラを渡してまわる。 そそくさとその場を去る人もいれば、ほとんど取り合わずに職員が通り過ぎたあとに平然と再び酒を煽る人もいた。
取材に応じてくれたのは大体が20代だったが、路上で飲み歩いているのは何も若者だけではない。
仕事終わりであろうサラリーマングループや中高年カップルの姿も散見された。
センター街のコンビニ前で、路地裏で、植え込みで、自動販売機の明かりの前で、思い思いに飲み明かしていた。
ひときわ大規模な人数で酒盛りをしていた外国人グループは、巡回していた警官に解散を促されるも、その中の一人は警官に食ってかかっていた。
彼が大声で何をまくし立てていたのかは聞き取れなかったが、何やら強く憤っていることは十分に伝わった。 我慢が効かなくなってきているのは、若者だけではない。
路上が居場所
いまだ猛威を振うコロナウイルス。延長する緊急事態宣言。全国の感染者数は一進一退を繰り返している。病床が逼迫している都道府県も少なくない。医療崩壊の瀬戸際であることが叫ばれ続けている。
世界で始まっているワクチン大規模摂取は、この国では遅々として進まない。まずは医療従事者や高齢者への摂取が行われているが、このペースでは10代や20代に回ってくるのはいつになるのか。
先行きの見えない状況で、居場所をなくした者たちが路上にあふれ出している。
ストリートで生きる彼ら
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日本が世界に誇るべき最高のポップシティ、渋谷。 あらゆるカルチャーと人種が集まるこの街で、毎日のように繰り広げられるパーティー、愛のはじまり、夢の終わり、高揚感と喧噪、その捉えがたきポップの断片をかき集める人気連続企画。 2010年代は渋谷から発信されていく、と思う。
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