元は同人誌から始まった「ピギーワン」は、SNSを中心に人気が拡大。グッズなど様々な展開を経て、遂にゲーム『ピギーワン SUPER SPARK』へと結実する。制作にあたって気鋭のゲームクリエイター・hako 生活さんとタッグを組み、クラウドファンディングを実施。早々と目標金額を達成した。 果てなく広がり続けるユニバースの原初たる一冊の同人誌は、“渡邊巧大”として商業アニメの世界で活躍していたはなぶしさんが、現実逃避しながら会社のコピー機で夜な夜なつくり上げたというのだから、もうそのはじまりからしてドラマチックだ。
幼少期の体験からガイナックスへの憧れを抱いた青年は、東映アニメーション所属のアニメーターとしてキャリアをスタート。フリーに転向し、ずっと真夜中でいいのに。の「お勉強しといてよ」のMVで飛躍的に知名度を高めると、自らゲーム制作にまで乗り出した。恐るべきバイタリティの持ち主が創作へ込めるこだわりと、その源泉とは。
※今回、9月22日(金)からの「インディーアニメクロスX! in 渋谷パルコ」開催決定に伴い追加取材を実施した。
取材・文:オグマフミヤ 編集:恩田雄多
目次
アニメーターはなぶしと“描く仕事”
はなぶしさん。『ILLUSTRATION 2023』ではカバーイラストも担当した。
はなぶし 中学時代はバスケ部に入ってたんですけど、すごくキツかったので高校では帰宅部になったんです。でも高校って、何をするにも部活単位で動くじゃないですか。
だから急激に友人がいなくなって、暇人になってしまいました。
それで、当時流行っていたお絵描きチャットに入り浸るようになり、家に帰るとまずPCの電源を入れる生活が始まりました。そこでできた友人が絵を生業にしたいという志を持った学生や、すでにプロとして仕事をしているような人達だったんです。
ネットを介した交流を通じて、今まで想像したこともなかった“絵を仕事にする”ことが身近になっていきました。ろくに勉強もできなかったし、面白いこともそれくらいしかなかった。
彼らの話を聞いているうちに、「もしかしたら自分でもいけるかも……」と感じて目指してみようと。
──アニメはもともとお好きだったんですか?
はなぶし アニメは小さい頃から好きで見てました。小学生の頃に母親がある日『新世紀エヴァンゲリオン』のビデオをレンタルしてきたんですよね。
お茶の間で一家だんらんしながら『エヴァ』を見ていました。今思えば気まずいシーンもありそうだけど、当時はなんのこっちゃわからなかった(笑)。
アニメ本編の放送終了後、キャストの人たちがキングの大月さん(※)の意向によって新シリーズをつくるという内容だったんですけど、“BLベタで背景引けばいいから宇宙は楽”とか今になってわかるようなネタが満載で……(笑)。
そういうのを通じて「そうかアニメって人がつくっているものなんだ」と、つくり手側を意識するようになりました。
※キングの大月さん:『新世紀エヴァンゲリオン』のプロデューサーを務めたキングレコードの大月俊倫さん。
──なかなかレアな経験をされているんですね。
はなぶし 同時期、家にCS放送のキッズステーションが導入されたので、かじりついて見るようになりました。そこで好きになったのが、『フリクリ』や『トップをねらえ!』。
ある日、このアニメ面白いなって思った作品は、だいたい最後に“制作・ガイナックス(GAINAX)って書いてあることに気づいたんです。それ以降、「もしや、僕が好きなアニメはみんな同じ会社がつくっているのか?」と全てが繋がったような思いでした。
ガイナックス好きが東映アニメを選択
2022年に受注販売された『トップをねらえ大全!【復刻版】』 ©BANDAI VISUAL・FlyingDog・GAINAX ©2003 GAINAX/TOP2委員会
はなぶし 当時はアニメーターが具体的にどんな仕事をするのか知らなくて、絵の仕事ならなんでもいいくらいの心持ちだったんです。美大も受けたんですが勉強嫌いがたたって落っこちてしまって、どうしようかなと思っていた時に、東映アニメーション研究所(※)の存在を知りました。
名前に“東映”ってついてるから、同級生に多少は格好がつくかなっていう……今思うと本当に情けない動機でした。その上、入った当初は「卒業したらガイナックスにいこう」とぼんやり考えていましたね。
※東映アニメーション研究所:東映アニメーションが設置していた人材育成期間。2011年に閉所。
──ですが、その後は東映アニメーションに就職。決め手は何だったのでしょう?
はなぶし 待遇ですね(笑)。
東映アニメーション
はなぶし 東映アニメの待遇は、当時ダントツで良かったんじゃないでしょうか。加えて、細田守監督を輩出した会社だったことも大きな理由でした。
他にも山下高明さんや西田達三さん、林祐己さんたちが活躍していたこともあって、若手が元気な印象もあった。組織は大きいけど若手が活気に溢れている雰囲気がかっこよくて、先輩らに憧れたのも決め手になりました。
そもそも“アニメの演出”を初めて意識したのが東映アニメの作品だったんです。例えば、学生時代に見ていた「プリキュア」シリーズでも、放送回によって「別のアニメなんじゃないか?」ってくらい作風が違うことがありますよね。
──何か理由があるんでしょうか?
はなぶし あれは東映アニメがシリーズディレクター制(※)を採用していて、各話の演出担当が事実上の監督であるという気風が強く残っているからなんです。
ほのぼのとした回があったかと思えば、『京騒戯画』や『血界戦線』で知られる松本理恵さんみたいな尖った回があったりして、そうして演出によって同じ作品でも様々な魅力を表現できるのがかっこいいと思ったんですよね。
※シリーズディレクター制:TVシリーズを通じて「監督」のクレジットはなく、シリーズ全体を統括する立場としては「シリーズディレクター」「チーフディレクター」の役職が置かれている。各話の担当演出がその話数における監督的立場。
はなぶし 思い返せば、記憶に残っているアニメも東映アニメ作品が多かった。
『デジモンアドベンチャー』のTVアニメもリアルタイム世代ですし、細田守監督の劇場版『デジモンアドベンチャー』は、当時「すごいアニメを見てしまった」と衝撃を受けて帰った記憶があります。本当は同時上映された『遊☆戯☆王』の特典のカード目当てで行ったのに。
もっと前の作品で言うと『Coo 遠い海から来たクー』も小さい頃にビデオテープが擦り切れるくらい見た作品のひとつでした。研究所に入って「好きだったあのアニメをつくった会社なんだ」と気づいていくのは嬉しかったですね。
──入社前後で東映アニメに対する印象は変わりましたか?
はなぶし そもそも東映アニメーション研究所に入るまでは、「ガイナックス以外はアニメ会社と認めね〜」「次点でProduction I.Gだけは認めてやってもいいかな!」みたいな、若者特融の上から目線で業界を見ていました。おれのたからをみてくれ pic.twitter.com/VYHef6pfFK
— はなぶし🚀KUNG-FU-PIGGY (@hanabushi_) October 7, 2022
他に会社知らないだけのくせに愚かですよね(笑)。
でも、いざ東映アニメーション研究所に入ってみると小田部羊一さんや大塚康生さんといった名だたる方々が講師をしてくださいましたし、影響を受けていたいろいろなアニメが東映アニメの作品だったという発見もあって、卒業する頃には東映アニメが好きになっていました。
だから入社前後というよりも、その前段階で印象は大きく変わっていましたね。
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