映画『グリッドマン ユニバース』の“雄弁な無音”から考える、雨宮哲 監督論

映画『グリッドマン ユニバース』の“雄弁な無音”から考える、雨宮哲 監督論
映画『グリッドマン ユニバース』の“雄弁な無音”から考える、雨宮哲 監督論

劇場版『グリッドマンユニバース』

2018年に僕はTVアニメ『SSSS.GRIDMAN』(以下、GRIDMAN)についてのテキストをKAI-YOUに寄稿した。当時放映中だった本作と松本人志監督の『大日本人』を比較するものだった。 歪なアプローチだが、目的は「アニメにおいて、実写ドキュメンタリーの雰囲気で特撮世界を描くリアリズム」を評価することにあった。どちらかといえば純粋な特撮テーマから一歩離れたスタンスを評価したものだ。いま読み返してみて、何よりも雨宮哲(あめみや・あきら)監督による日常描写の異質さに目が離せなかったことが、論旨の決め手になったことを思い出す。

それから5年が経った。次作『SSSS.DYNAZENON』(以下、DYNAZENON)を経て、現在公開中の映画『グリッドマン ユニバース』まで、あの日常描写は変わらずに続いている。
『グリッドマン ユニバース』本予告
僕は『GRIDMAN』のとき「特撮に対する批評的なもので、たぶん一回限りの表現になるのだろう」と思っていた。しかし2023年まで一連のシリーズで同様のスタイルが続く。この5年で新型コロナウイルス感染症が蔓延し社会の風景が変わり、特撮をテーマにした新たなリアリズムに基づく作品も増えた。その中で見え方も変わってきた。

いま、雨宮哲監督のリアリズムは考察する意味が大きいはずだ。ともすれば、もっとも現代的な世界観を提示する可能性があるからだ。今回『グリッドマン ユニバース』を通して、彼の過去の発言や手法などを紐解きつつ、いかにその作家性が現代的であるかを考えてみたいと思う。

(以下、ここまでに挙げたタイトルのネタバレが含まれている。)

執筆:葛西 祝 編集:恩田雄多

目次

学園祭の演劇で「グリッドマンとは何だったのか?」を問う

『グリッドマンユニバース』本ポスター。中央に響裕太、右隣が宝多六花

さて『グリッドマン ユニバース』の冒頭はこうだ。『GRIDMAN』の物語が終わった後、平和になったツツジ台で、響裕太内海将宝多六花たちと学園祭の準備を進めていた。

奇妙なのは、彼らが学園祭でつくろうとしていることだ。なんとグリッドマンの演劇を行おうとしているのである。演劇の制作は上手く進まない。脚本づくりは何稿も重ねるほど難航する。さらに裕太たちも、グリッドマンがどんな姿だったのか上手く思い描けない。将が思い描く姿はさらに異なっており、みんなの“グリッドマン像”はバラバラだった

内海将

ここで気になるのは作品世界の構造だ。もともと裕太たちが住むツツジ台の世界は、『GRIDMAN』で戦った新条アカネがつくり上げた虚構の世界である。その虚構世界における虚構の人物でもある裕太たちは「グリッドマンとは何だったのか?」の演劇を苦労しながらつくろうとする。つまり虚構の中で、さらに虚構を生み出そうとする重層構造が示唆されている

これは何を意味するのか? 現実と虚構の対立自体は珍しくなく、日本の商業アニメでありがちなものだ。とりわけアカネの虚構世界における学園祭という舞台もあり、押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の終わらない文化祭準備を思い出しもするだろう。

無音と静止画のスタイル。 “雄弁な無音”がもたらすものは

まず考えたいのは雨宮監督の表現のスタイルだ。今作までに雨宮監督が培ってきた『GRIDMAN』スタイルの異質な日常描写によって、現実と虚構のテーマはかつてのように単純な話では無くなっている。

雨宮監督のスタイルとは、まずフィックス(※カメラを固定した画角で映す技術)と劇伴を排した演出が挙げられる。こうして淡々とした印象の日常が描かれ、『GRIDMAN』シリーズのリアリティラインを形づくる。 ただフィックスによる日常描写も珍しくない。古くから存在しているものだ。たとえば2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』の「サムデイ イン ザ レイン」がそうだろう。まるでアニメキャラが現実的な時間を過ごしているように見せている。以降の京都アニメーション(以下、京アニ)作品をはじめ、フィックスでメインキャラからモブまでを丹念に描写することで、観客に日常の手触りを感じさせた。

だが、雨宮監督作品の場合は逆だ。異質な現実感をもたらす。その理由を考えたとき、無音が何よりも雄弁であることが重要に思う。カットによっては劇伴が入らないだけではなく、環境音さえ入らないことさえある。

さらにフィックスに加えて、登場人物がほとんど動かないことも無音を際立たせる。京アニの日常描写と比べればより異質さが浮かび上がる。 京アニは画面内を生きた空間として感じさせるように、メインキャラだけではなくモブも丁寧にアニメートさせる。だが雨宮監督の場合は動かさない。彼はその意図についてこうも語っている。

“日常シーンは、あえてちょっと間延びした感じをつくりたいと思っていたんです。必要なところは楽しく見せつつも、退屈な部分はむしろその退屈さを強調しないといけないなっていうのがありまして”アニメハックのインタビュー記事「雨宮哲監督の「SSSS.GRIDMAN」制作スタイルと“白飯”からはじまった「SSSS.DYNAZENON」」から引用

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