最新ニュースを受け取る
その事業内容は幅広く、クラブイベントの企画運営にはじまり、ファッション事務所としての役割や、メディア運営なども行い、そのそれぞれがリンクした複合的なビジネスを展開している。
その横断的な活動は、「カルチャー×ファッション×音楽の融合、そして原宿」というテーマのもとに行われ、多くの原宿系と呼ばれるアーティストやモデルが所属して様々なプロジェクトや作品を発表。その形容しがたい「アソビらしさ」から、若者を中心に絶大な支持を集めている。
今回はカルチャープロダクション、ASOBISYSTEMの代表取締役社長をつとめる中川悠介さんに、いま最も勢いのある「アソビらしさ」の秘密をうかがった! きゃりーぱみゅぱみゅはいかにして生まれたのか? あーみーさんと多くのアーティストや業界人に慕われれる彼の素顔とは?(取材・構成 新見直/米村智水)

ASOBISYSTEMが新木場ageHaで定期的に開催するイベント「ASOBINIGHT」
クラブという空間から生まれた、ASOBISYSTEM
───きゃりーぱみゅぱみゅさんの人気に顕著ですが、傍から見ていても、中川さん率いるASOBISYSTEMは飛ぶ鳥を落とす勢いの会社だと思います。まずはそんなASOBISYSTEMがどのように発足していったのかを教えて下さい。中川悠介 最初のきっかけは2002年に開催して5年間続けた「美容師ナイト」というクラブイベントを企画したことです。月曜日だと安くクラブが借りられて、しかも美容師は平日の休みも多いから、原宿で有名な美容師にも出演してもらって1000人規模の集客があった。そのころ企画したメンバーと一緒に、これを会社にしたら面白いな、と思ったんですよね。そうやってイベントを続けていく中で、どんどん原宿関係のクリエイターやDJ、モデル、イベンターといった人脈が広がっていった。そこで一念発起してASOBISYSTEMをつくりました。
──これは僕らの経験で申し訳ないのですが、イベントでの収益化はとても効率が悪いし、リスキーなものだと思うのですが……。なぜそれを会社に?
中川悠介 そうですね(笑)。ただ、イベントを単体として捉えるのではなくて、一つの空間から派生していく可能性や繋がり、空間が生む、むしろ副次的な要素が大切なんだと考えています。イベントと一つ言うだけでも、ファッションショー、DJ、バンドなどのジャンルレスな形態がすぐに思い浮かぶし、そこで多くの面白い人が集まって、マネージメントやプロダクトの販売、宣伝など、たくさんの役割やビジネスが生まれていきますよね。
元々、僕はジャンルやカテゴライズといったものがあまり好きではなくて、なんでもかんでも組み合わせて繋げようとして動いていました。そうしないと、どうしても偏ってしまうから。
当時はすでにテクノでもハウスでも有名なプレイヤーやコミュニティが確立されていて、僕らに参入する余地もなかったから、「美容師ナイト」にしても、J-POPを流したりしていました。今ではけっこう当たり前になっているけど、クラブでJ-POPやアニソンを流したりすることは、当時では絶対にあり得ない光景だったと思います。
僕らはそういった確立されたジャンルで壁をつくるのではなくて、間口の広さと、入りやすさを意識して──「友達」ということをキーワードにやっていました。クラブにいったことがない人も、実は行ってみたら楽しいじゃないですか。だから「友達」っていうきっかけがあれば、来てくれると思ったんです。

もはや説明不要。デビュー以来、圧倒的な原宿アイコンとして快進撃を続けるきゃりーぱみゅぱみゅさん
原宿という場所性が生み出すネオ・カルチャー
──ずっと原宿にこだわり続けている理由も、そのご意識と関係があるのでしょうか?中川悠介 当時の原宿は非常に面白かったんですよ。僕は三軒茶屋出身だったので、渋谷や下北沢でもよく遊んでいたんですが、原宿はまた全然違う文化圏だった。例えばGAP前で適当にくっちゃべっていたら一日が終わっていたりとか、原宿友達みたいなのが、なぜか自然にできていったりする雰囲気がありましたね。
──渋谷系というと、少しスカした、どこか都会的な大人の街だという側面もありますが、原宿というと本当に若い子たちが多いイメージです。
中川悠介 そうなんですよ。しかも、いろんなことがつくりだされている街なんですよね。年齢よりも、渋谷と一番違うのは、渋谷は「つくられてる街」だということです。原宿は「つくり出す街」。なにをしてても許されるような自由さがあります──よく「原宿系ってなんなんですか?」って質問をされるんですが、言葉じゃ言えないような複雑さがあるんですよね。例えば「ギャルってどんなの?」と聞かれれば、指を差せば一瞬でわかるけど、原宿はそうじゃない。そういう原宿のよくわからなさ、未分化なところに惹かれたんだと思います。
ずっと原宿の近くで何かを仕掛けたいと思っていたんですが、原宿ってかつての「裏原」や「ゴスロリ」のような、名前がついていない、ジャンルにもなっていないような何かがある。
「カルチャー」というものを単純化して考えると、音楽とファッションと場所、それぞれが上手くリンクして一つの大きなムーブメントになることなんですね。クラブで出会った仲間には、DJや、クリエイター、モデルがいて。そういう人たちが自然と近くにいたから、ここから新しく文化をつくり出せると思った。
原宿には、もちろん歴史も文脈も多くあるけど、僕は「いまの原宿」をつくり出したいと考えたんです。当時、原宿を選んだ一番の理由は、すごく面白いものがあるのに、まとめる人が誰もいなかったからです。チャンスだし、絶対にイケると思った。
──渋谷系がすでに隆盛していた中で、それに乗っからずに新しく文化をつくろうとした理由はなんでしょうか?
中川悠介 乗っかるよりも、0から1をつくるほうが、好きだったというのがすべてですね。1を10にするのと、0から1にするのって、数値でみると差があるのに、0から1にすることのほうが圧倒的に難しい。でも、その感覚が好きだったんです。つくられたものより、つくりだすことが好きだったから。

独自のポップセンスとダンスミュージックの最先端を表現するRAM RIDERさん
中川悠介 原宿的な感覚を「青文字系」という言葉で表現したり、他にもいろいろ試したんですが、代理店とかの食いつきはめちゃくちゃ悪かったですよ(笑)。わかりづらかったというか、そもそもマスを向いていないから。
代理店や普通の企業って「とにかくマスじゃないといけない」という考えで、簡単じゃないと興味を示しませんよね。だから、きゃりーがデビューして、頭一つ抜けたときには「きゃりーだ! 時代は原宿だ!」という認識になった。
何かが頭一つ抜けてマスメディアに乗ったとき、いままで関係のなかった人たちがそれを知って、そのジャンル自体が広がって行く──ただ、その瞬間が一番怖いと思っています。消費とカルチャーっていうのはどうしても対立してしまうものですから。だから、いろんな人が寄ってきて、消費された瞬間に、また誰も見たことのないカルチャーをつくっていくというバランス感はとても大事だと思う。
現代の速度、そしてきゃりーぱみゅぱみゅというアイコン
──マス化というお話が出ましたが、何かわかりやすいアイコンがないと、外の人たちに伝わりづらいというのはありますよね。中川悠介 アイコンは絶対に必要。そういう意味でも、きゃりーは「アイドル」じゃなくて「アイコン」という言い方をしています。
──まだ創業5周年ということなのですが、なぜきゃりーぱみゅぱみゅさんのようなスターを生み出すことができたのでしょうか?
中川悠介 きゃりーのデビューが2周年、会社は5周年で、「(成長が)早いですよね」ってよく言われる。でも何と比べて早いと言っているのか、僕にはわからない。僕らはただ、目の前にある課題や困難をひたすらクリアしていこうと、自分たちのスピードで動いていただけなんです。
ただそれを10年や20年かけるかというと、今はそういう時代じゃない。いまだによくあるけど、「情報解禁を雑誌合わせにしよう」とか言われて、そのために告知を一ヶ月も待ったりすることがあるんですよ。でも今はTwitterにポストしたり、YouTubeにアップしたら、一瞬で情報なんて拡散されていくわけですよ。
やはりインターネットの力はすごく感じていて、きゃりーでいえば、フォロワー150万人に何のコストもかけず一瞬で拡散することができてしまう。だから、時間の考え方に関しては、まったく旧来のモデルケースは参考にならないと思う。早い、遅いという速度ではなく、自分たちの動く速度に周りがついてきてくれるかどうかが大事ではないでしょうか。
今できるか/できないか、それだけを考えています。明日やることを今日やってもいいし、今日やることを今やってもいい、そういう感覚が時代にあっていると思うんです。
ASOBISYSTEMは会社になって5年目ですが、ようやくルールや計画を整備するような段階に入ってきました。マーケティングや理論的なことはあまり好きではなくて。それを理解して儲かるんだったら、会社が潰れるわけないじゃないですか。現代がネット社会でフラットになったからこそ、個々人の身体的な感覚で大きな差が出てくると思う。

livetuneやAvec Avecといった気鋭のプロデュース陣の楽曲を歌いこなすYun*chiさん。そのルックスも素晴らしい。
アソブための思想! アソビシステムというチーム
──やれることをただやる、というお話ですが、その中でもASOBISYSTEMという会社で一番気にかけていること、大事にしている根幹の思想のようなものはありますか?中川悠介 「チーム」だという意識です。ASOBISYSTEMは会社で、つまりは「組織」だけれど、組織と呼ぶよりはチームと呼んだほうがしっくりきます。「これをやりたい、これを売りたい」と思ったものや方向に、全員が本気で向いて取り組むができる。
本当に合理的な組織だと、結果的にシステマティックな分業を採用して、「このことは君だけ、このことは君だけ」と役割に仕切りをつくるじゃないですか。そうではなく、みんなでできる。それがチームという形態の強さだと思います。何か会社にとって嬉しいことがあったとき、それを「嬉しい」と思えるやつがどれだけいるかだと思うんです。誰か一人が手柄を立てたときに、一人にボーナスを与えたら、ふつうは社内が微妙な感じになるじゃないですか(笑)。でもそれをみんながよかった!って思えるような環境にしたいと思っています。
イベントも、モデルも、アーティストも──会社もそうなんですが、発信力がいま最も大事なことだと思う。会社もメディアだと思っています。
──ASOBISYSTEMの5周年パーティーで、スタッフやアーティストのみんなが集まって集合写真を撮られていましたが、あの写真から伝わるみんなの仲の良さがすごいなと思いました。それぞれ立場や役割を厳しく線引きしていたら、あの連帯感は生まれないと思います。
中川悠介 たしかにみんな仲が良いですね。いま社員は30人ほどなのですが。きゃりーも、ただ与えられた役割をこなしているのではなくて──よく「操り人形だと思ってた」ということも言われるのですが──彼女も一人のプロデューサーなんですよね。中田ヤスタカや増田セバスチャンといった個性の強いプロデューサーやアーティストが周辺にいつつも、自分でそれらを吸収して、自分の好きなものとして発信しています。あくまで、みんなチームのメンバーなんです。

ウルトラダンスユニット・TEMPURA KIDZの平均年齢はなんと14歳。一度見たら絶対に忘れることのできない強烈な個性を持つ。
ブレずやり続けることの強さ
──社員数が30人程度ということに驚きました。そんなに少ない人数なのに、高頻度にイベントを開催されているんですね。中川悠介 相当ちびりそうですけどね(笑)。実際大変です。でもペースを減らそうとは考えていません。会社もずっと順調だったわけじゃないし、金もなかったし、それを考えると、いまやれることをやらないと駄目だというハングリー精神がある。いまはきゃりーみたいなアーティストも生まれて、昔に比べれば余裕も出てきているのかもしれないけど、それでも地道にイベントは続けていきます。イベントは原点だし、何よりもブレてはいけないと思うからです。このプロジェクトが上手くいったから、こっちだけやろう、という動きはしたくない。
会社にとって、元々の居場所というのはすごく大切なもので、変わらずやり続けるからこそブランドが生まれていく。それは自分たちで身をもって勉強しました。クラブがなかったら出会えなかった人がたくさんいた。原宿という場所に関してもそうです。
最近ASOBISYSTEMを知ったばかりの人がみたら、どう見えてるのかわからないですけど、昔から知ってる奴は「変わらないね!」って言ってくれる。それがすごく嬉しいし、そのためにもイベントは企画していきます。
──会社自体は2007年にはじまったとうかがいましたが、ずっと原宿で活動を続けてこられている一貫性がすごいと思いました。
中川悠介 だから底力はあると思います。今だと「きゃりーぱみゅぱみゅが売れた会社」ってイメージなのかもしれないけど、ぽっと出じゃない。長い下積みがあって、ブレずにやり続けてきたことは、自信にもつながっています。悔しい思いはたくさんしましたけどね。今だと「ほら見ろ!」って言えますけど、手のひらを返してくる人も死ぬほどいますよ(笑)。どうして続けてこれたのか、わからないけど、ただ、ひたすら自分たちのやってることを信じてきました。

ASOBISYSTEMが総力をかけて行ったイベント「KAWAii MATSURi」のフィナーレ
世界と遊ぶためのシステム=コンテンツ
──社名は中川さんが自ら考えられたんでしょうか。「遊び」の「システム」=ASOBISYESTEMって本当に素晴らしい名前だと思います。僕らも何度もイベントにうかがわせていただいているんですが、やはりアーティストもお客さんもフラットに楽しんでいます。そのときに名前がずしんってきます(笑)。中川悠介 ありがとうございます。名前の理由は語呂が良かったっていうのと、あとは「遊び」というワードだったら、世界にも通用するかなと思ったんです。「カワイイ」や「もったいない」とかと一緒で、日本語のまま意味が伝わるような言葉かなと。
──なるほど。やはり、世界進出は強くご意識されているんですか?
中川悠介 進出や発信というよりは、日本でやっていることがそのまま世界で認めてもらえる状況をつくりたいと思っています。簡単に言うと、L.A.で売るためにL.A.でレコーディングする、とか歌詞を英語にする、という方法論ではなく、あくまで日本のパッケージやクリエイティブのままで、つまり今の形のままでやっていくことが大事だと考えています。
日本がつくり出すもの、クリエイティブのレベルの高さや面白さは特有のものです。例えば、つくり込んではいるけど、つくり出されているものじゃない。身体能力が高くて似たような顔の人を集めて、流行のサウンドに乗せてダンスをさせたところで、それは無理をしてつくり込んでいるから一過性のブームで終わってしまうと思う。でもJ-POPはノンジャンルなのに、独自性が非常に高い。それは自然に発生しているものだから、無くならない。
──方でガラパゴス化しているという指摘もよくありますが、むしろそれこそが強みということですね。

中川社長。「あーみー」という愛称でも呼ばれているそうです。
千駄ヶ谷東京体育館で開催した「KAWAii!! MATSURi」では、秋葉原もはじめてフューチャーしました。実は「オールジャパン」の祭りだというテーマがあって、海外の人に訴求していた。きゃりーぱみゅぱみゅも初音ミクもアイドルもアニメも、「J-POPカルチャーなんだ」というコンセプトでした。ただ、日本人の感覚としては、逆にまだ秋葉原と原宿はバラバラなので、日にちを分けてわかりやすくしてみたりと工夫しました。
──日本は技術力こそが世界で通用してきたと言われていますが、いまは日本という文化やコンテンツそのものこそを外に出していくべきなのかもしれませんね。
中川悠介 僕はずっとコンテンツ力こそが、世界に通用する日本の力だと思っていますよ。これからは、もっと世界に目を向けて、世界を元気にしていきたいと思っています。海外にいくことのネガティブさは微塵も必要ない。例えば、外国人は強い、とか思わなくていいと思いますよ(笑)。
僕は、アソビシステムの代表をやっているけれど、実は女の子のファッションも音楽も、専門家に比べたらそこまで詳しいわけではありません。ただ空間や場が生む形容しがたい力が好きで、それだけを信じてやってきました。原宿にはじまり、秋葉原も顕著ですが、日本という場と空間は本当に魅力的だし、それを世の中のすべての人に届くように大きくしていきたいですね。
中川悠介 // YUSUKE NAKAGAWA
アソビシステム株式会社代表取締役社長
アソビシステム株式会社代表取締役社長。クラブイベント「美容師ナイト」の開催などを経て、2007年にアソビシステムを創業。以来、原宿という街にこだわり続け、日本独自の文化である“HARAJUKU CULTURE”に焦点をあて、新時代のファッション・音楽・ライフスタイルを展開。「赤文字系」雑誌に対抗し、「青文字系」という言葉をつくったことでも知られる。

関連商品
KPP MV01(DVD)通常盤
発売 : 2015年9月30日
価格 : 3,780円(税込み)
販売元 : ワーナーミュージック・ジャパン
関連リンク
KAI-YOU.netでは、ユーザーと共に新しいカルチャーを盛り上げるため、会員登録をしていただいた皆さまに、ポップなサービスを数多く提供しています。
会員登録する > KAI-YOU.netに登録すると何ができるの?ご利用にはログインが必要です
コメントを削除します。
よろしいですか?

この記事へのコメント(0)