ことこういう趣味は「詳しさ」や「コレクターとしての年季やコレクションの厚み」みたいなところは青天井なので、筆者程度では口が裂けても「自分は詳しい」とは言えない。が、一応中学生くらいからずっとアメトイを買い、コミックを読み(中学生当時は邦訳アメコミ冬の時代だったので、もっぱら古本屋で昔小プロが出していた『Xメン』などを漁っていた)、映画を見ては累計18年ほどダラダラやってきた。
なので、ここ10年くらいのマーベルのスーパーヒーロー映画の隆盛はとても眩しく見えるし、それと反対にアメリカのトイメーカーが魅力的な商品をリリースできなくなっている現状にはしみじみと残念な気持ちを感じている。
その目線からすると、東京コミコンというのはいまいち何がやりたいのかわからないイベントに見えた。海外のカルチャーの紹介という割には海外ディーラーの出展は少なく、日本の文化を海外ではなくわざわざ幕張で紹介する理由も謎である。
言葉を選ばずに言えば、海外の俳優やアーティストのサイン会とステージイベント、加えてコスプレだけにしか存在意義がないイベントに見えた。
取材・文:しげる 編集:新見直
「コミコン」とは本来なんだったのか?
「コミコン」とは元々、アメリカ発祥の文化である。正確には「コミック・コンベンション」の略称で、1970年に開始されたゴールデン・ステート・コミック・ブック・コンベンションがその始まりとされている。今では毎年全米の各地で開かれていて、特にカリフォルニア州サンディエゴで開催されているものが有名だ。規模感としてはコミケ並みの巨大イベントなのだが、有志による同人誌の即売会が巨大化したものであるコミケと比べると、コンベンションの名の通り「大会」的な側面が強い。開会式に始まる各種のステージイベントやゲストを呼んでのトーク、各種ディーラーがブースをつくっての物販などが混合して数日間ぶっ続けで行われるのが特徴だ。扱う作品のジャンルや商品も、コミックや映画を中心にトイやガレージキット、アパレルや同人誌など極めて多岐に渡る。
こういうイベントなので、提供される体験は単なる買い物には留まらない。列をつくって好きなアーティストにイラストを描いてもらい、俳優や有名人にサインをもらい、目当てのステージには自分でタイムテーブルを把握して足を運ばなくてはならない。
コミコン最大の利点はこの場でしか会えない人に会うことやそこでしか見られないものを見ることであり、そこで発生した交流を能動的に楽しむことにある。非常にアメリカ人的な、アッパーな姿勢を要求されるイベントなのだ。
そんなイベントを日本でも開きましょう、という開催の動機はわかる。マーベルとディズニーによって10年にわたって公開されてきた一連のスーパーヒーロー映画や、それに伴う単行本や関連商品の発売によって、海外コミックやその周辺の文化はある程度日本にも浸透している。そこで本家アメリカと同じテイストのイベントを開こうというのは自然な流れだろう。
だが、東京コミコンのスタッフや企画者は、果たしてちゃんとした定見があってこのイベントを開催しているのか、甚だ疑問である。
以下、オタクとしての悲鳴です
いかに主催者がコンセプトを把握していないかは、開会式で行われた東京コミックコンベンション名誉実行委員会長をつとめる自民党・山東昭子氏の挨拶の時点で明らかだ。少し長くなるが引用したい。この挨拶から、このイベントがスーパーヒーローのコミックや大作SF映画や各種トイやコスプレに関係したものだとわかる人は皆無だと思う。決して恣意的な抜粋ではなく、アニメやコミックという単語は一度も登場していない。(前略)日本のカルチャーと、アメリカのカルチャーとが融合して、そしてまたサイエンスとテクノロジー、こういうものが詰まったイベントが開催されることを、本当に嬉しく思っております。
(中略)
もちろん日本の伝統文化というものを大切にしていかなければいけませんけれども、新しい息吹、新しいテクノロジーというものを加味した私たちの娯楽、文化、そういうものを力を入れていかなければならないと思っております。先国会で日本の伝統文化、文化芸術基本法の完成がございましたけれども、その中で、ユネスコで世界遺産に登録されました日本の食文化というものが法律の上で明記されたということを皆さん方にご紹介したいと思います。
楽しいいろんなものを見ていただいて、そしてやっぱり日本の食というもの、これを是非この会場の一角で味わっていただいて、(中略)今日から三日間、是非みなさんお楽しみいただきたいと思います 山東昭子氏の挨拶より
いきなりサイエンスとかテクノロジーとか言い出したあたりは、恐らく「東京コミコンはシリコンバレーコミコンの姉妹イベントであり、シリコンバレーコミコンではテクノロジーなどの側面もフィーチャーされている」という点に影響を受けてしまってのことだろう。
途中からは日本の食文化の話になっていたが、フードコーナーにはドミノ・ピザの屋台とかも出てましたけど……? ちなみに会場で配布されるプログラムブックの冒頭に掲載されている山東氏の挨拶も、「コスプレ族」などの謎単語が出てきて散らかっている(横に英訳まで載っているのが泣ける)。
この挨拶のような内容のちぐはぐさが、東京コミコンの至るところで見られた。なぜかそこそこ広いブースで展示されているくまモンのイラスト類や、わざわざコミコンで展示する必要があるのかという気持ちになる『おそ松さん』ゲームアプリの宣伝。妙にスペースをとって展示されている美術品の鎧や刀剣、年末に放送されるガキ使の巨大なパネルがそびえ立つHuluのブース……。これらをコミコンの名を冠したイベントで展示する必要はあるのか、筆者にはわかりかねた。
コトブキヤやバンダイなど、以前より海外コンテンツ関連のアイテムをリリースしていたメーカーの新製品発表は歓迎したい。が、それ以外のメーカーの展示や、ブース自体の見せ方についてはあまり新鮮さや"コミコンならでは"という面白味は薄かった。そもそも、日本のメーカーによるフィギュアやトイの新製品展示でいえば、「ワンダーフェスティバル」や「ホビーショー」や「東京おもちゃショー」、各種問屋向け説明会など、すでに充分な機会がある。
以前から海外コンテンツに関する商品をさほど展開していないメーカーにとっては、わざわざ東京コミコンに出展する意味はさほどないように感じる。実際、ブース周辺の空気感は上記のような国内ホビーイベントそのままだった。
本家コミコンの名物であるTシャツタワーを再現した豆魚雷など、「コミコンという名前のイベント」であることを意識した展示をしていたブースはほんの一握りである。
例えば、海外と日本のトイメーカーが並んで出展して、アメトイと国産トイを同じ会場内で見比べることができる……とかならわかる。ハズブロやマテル、ネカやサイドショウやメズコといったアメリカのメーカー、はたまた近年隆盛目覚ましい中国系フィギュアメーカーなどを招聘することはできなかったのだろうか。本日 #東京コミコン 最終日!そびえ立つTシャツタワーが皆様を迎えてます。もちろんTシャツ以外、寒いこの時期に重宝するブランケットなどのグッズもあり。よろしくお願いします! pic.twitter.com/hcRCpkZFHA
— 豆魚雷@東京コミコンご来場ありがとうございました (@mamegyorai_jp) 2017年12月2日
簡単に見ることのできない海外メーカーの商品を日本で手軽に見られる機会こそ、コミコンという名前のイベントが日本で提供するべきものではないだろうか。
「東京コミコン」開催の意義はなかったのか?
しかし、である。公式Webサイトにはこう書かれている。
老若男女問わず、全世代を通して楽しめるイベント……そう言われるとそうなのかもしれない、というところはある。既存のコミック・映画・アニメーション・あるいはゲームショーなどのイベントとは一線を画し、 革新性と楽しさを共有する空間を創出。老若男女問わず、全世代を通して楽しんでいただける知的好奇心を刺激するイベントです 「東京コミコン」HPより
スレたオタクはスレたオタクでしかない。毎回ワンフェスやホビーショーに足を運んでは、「今回も大した新製品はなかったねえ……」と半笑いで会話し、海外コミックの原書を買い漁ってはTwitterで暴れまわる、そんな人間はそう沢山はいない(というか沢山いたらイヤだ)。
そんな人間だけを相手にしたニッチなイベントではなく、老若男女問わず「なんとなく洋画やアメコミに興味はあるけど、どこから手をつけていいかわからない」という人向けのポータルとしての役割を果たすイベントは、確かに日本には存在していなかった。
前述の通り、ハリウッド映画をきっかけにアメコミ界隈の裾野が薄く広がっているのも事実だ。そういう人にとっては、くまモンやガキ使の展示も、とっつきやすくて親しみやすいものに見えるのかもしれない。
そもそも、日本に散らばって存在している海外系コンテンツのファンがざっと一気に集まることができる受け皿は今まで存在していなかった。そういうコンテンツには幅がありすぎ、また総人口で言えば国産コンテンツのファンと比べるとずっと少ないことから、オフ会レベルより先の規模のイベントは開催が難しかったのである。
それを半官製(とは言い過ぎかもしれないが後援に農林水産省などが名前を連ねている)イベント特有の雑さと力技で成立させたという点で、東京コミコンの存在意義はある。運営の方向性自体には疑問は残るが、とりあえず受け皿としては有意義なものだと思う。
そういった海外コンテンツのファンが、ワンフェスやホビーショーにマメに足を運んでいるかと言えばそうでもないだろう。既存のホビーイベントは海外コンテンツに特化したイベントではないので、海外コンテンツに関連した商品を中心に、一気に並べて見られる機会は需要と供給が噛み合ったものなのかもしれない。求められているのはフレッシュな新製品ではなく、既存の製品の中で「東京コミコンの客」が興味を持ちそうなものを並べて見せることであるなら、あの展示内容にも意義はあるだろう。
土日の会場に関して言えば、コミケなどと比較すると外国人や家族連れ、女性客が多かった印象である。更に、海外コンテンツ以外に興味があって来場する人の姿も印象的だった。例えばステージイベントは、実写版『鋼の錬金術師』に出演している俳優たちを目当てに来場しているお客さんが目立った、と言えばわかりやすいだろうか。
俳優やクリエイターのサイン会・撮影会には3日間途切れることなく長蛇の列が形成されており、「コスプレのネタもマーベル作品が多くて楽しいし、概ね満足してます」という声も聞けたのだが、大体このあたりが来場者の感想としては平均的なものだと思う。 つまるところ、「東京コミコン」は濃度や深さの面を志向して立ち上げられたイベントではないということだろう。むしろ"浅くてヌルい"がゆえの敷居の低さに意義があり、筆者としてもそれは決して悪いことではないと思う。
第一、今回でイベント自体がまだ2回目だ。あまりあれもこれもと要求してもな……という気もする。前回から来場者数も数千人ほど増加し、2017年は約4万3千人を記録したそうだ。
しかし、オタクとしては、ちゃんと一貫したコンセプトの感じられる、濃いイベントとして成長してほしいという気持ちもある。そのあたりは、来年のも開催も決まったそうなので、今後ちゃんと取り組んでほしいところだ。
海外コンテンツ全体に関する"ふんわりとした受け皿"としての東京コミコンの存在意義は、なんとなく実感できた。今後はなんとかちゃんとイベントとして回数を重ねて金銭的にもペイしつつ、海外ディーラーの招聘など内容面での充実をちゃんと図ってほしい。
なぜなら、「あのコミコンと同等のイベントが日本でも開催される」というのは、やっぱり長年日本で海外コンテンツのオタクをやってきた者にとっては悲願だからだ。
「東京コミコン」初回開催時には事前の杜撰な運営面から一部で批判されたことはオタクには知られているところではあるが、なんとかうまく頑張ってほしいし成功してほしい……と切に願う。オタク特有の複雑な気持ちに嘘はないのである。
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しげる
Writer
1987年岐阜県生まれ。プラモデル、アメリカや日本のオモチャ、制作費がたくさんかかっている映画、忍者や殺し屋や元軍人やスパイが出てくる小説、鉄砲を撃つテレビゲームなどを愛好。好きな女優はメアリー・エリザベス・ウィンステッドとエミリー・ヴァンキャンプです。
https://twitter.com/gerusea
http://gerusea.hatenablog.com/
1件のコメント
CKS
〝海外コンテンツ全体に関する"ふんわりとした受け皿"としての東京コミコンの存在意義は、なんとなく実感できた。〟