『からくりサーカス』アニメ化記念インタビュー 藤田和日郎が吠えるっ!!

藤田和日郎インタビュー 歯車が回転して動きだしたアニメ

時系列を明らかにしておくと、このインタビューはトークステージ前に行わせていただいたものだ。

楽屋裏で、周囲の喧騒をよそに藤田さんが丁寧に語ってくれたところを記したい。

──『からくりサーカス』アニメ化おめでとうございます。発表コメントでは「ゲンサクシャは『やった〜〜!』と『え〜!?できないだろ〜冗談やめろよ〜!』の交差点でうろうろしてますな!」という期待と不安をうかがわせるコメントでしたが、実際どうでしたか?

藤田和日郎 期待と不安というのは、ちょっと謙虚になりすぎましたね(笑)

本来終わって10年も経ってるような漫画なんて、アニメになるなんて夢は持っていなかったのでそりゃ嬉しいですよ!

不安というのは、待っている人間のものだから。やるってなったら「どうすればうまくいくか」って考えになっていくから。それを差っ引いたら嬉しさが100%ですよ!

──藤田さんご自身は、なぜ今『からくりサーカス』がアニメ化されると考えていますか?

藤田和日郎 自分が求められてることの分析はできないんですよ、わかんないから。

『うしおととら』アニメの時にも言ったんだけど、洗濯しようと思って服の山を漁ってて、ポケットに手に入れたら「あ、1000円入ってた!」みたいなそんな感じじゃないかと思います。

偶然が偶然に重なって、やっていただく会社なり意思のある人たちなりがその企画を動かしたっていう。何か機が熟したとか……あ、『からくりサーカス』だからこういう言い方がいいか! “歯車が回転した”って形で捉えてます。 藤田和日郎 だいたい俺は連載当時ですら自分の漫画が読者から待たれていた、とは思えてませんからね。待っててくれたらいいなという思いはありますけど、漫画家って自分の考えた面白いものを出すのに必死。みんなが何を待っているんだろうっていうのはなかなか見えないんですよね。

──『からくりサーカス』の連載当時は苦しかったとよくお話されていますよね。

藤田和日郎 まあ、連載はみんな苦しいんですわ(笑)。でも、俺が『からくりサーカス』アニメがことさら嬉しいのは、連載当時はあんまり反応なかったのにアニメ化ってなったらみんな喜んでくださってるからです。

──僕は連載当時からずっと読み続けてきたので、当時はあまり反応がなかったというお話は意外でした。

藤田和日郎 ありがとう! 読んでてくれて!

でもね、わからんもんですわ。だって、自分だってすごい大好きだった『湘爆』(湘南爆走族)の吉田聡先生や高橋留美子先生にファンレターとか送ってないから、そのバチが当たったんだと思ってます。

読者は読んで楽しんでくれればそれでいいんだと思います、苦しいのはこっちの勝手で。だからアニメも嬉しいのはこっちの勝手。読者はできたものに対してあーだこーだ好き勝手に言って盛り上がってくれれば嬉しいですよ。

何を描くか俺が決める! だから文句も俺に言え!

──『からくりサーカス』アニメ化に至るには、『うしおととら』のアニメがあったことも大きいと思いますが、『うしおととら』の手応えはいかがでしたか?

藤田和日郎 嬉しかったですよ。大したことはしてないけど、納得のいく参加のさせてもらい方だったから。

──どこを削ってどこをアニメで描くか、全部ご自分で決められたとうかがいました。

藤田和日郎 『うしおととら』が一番うまいのは俺だと思ってますから。でも、井上敏樹さんという脚本家の方の力はすごいなと思いますよ。

井上さんはじめ、本当にスタッフの方たちの力を借りてこっちはベストのものを出した。そっから先、受け取った方がどう考えているかはわからない。

『からくりサーカス』もそう。漫画と同じように、運命的に決められた36話の中で『からくりサーカス』を凝縮、もしくは入れ替えて再構成するというのが俺の挑戦。今回も、何を描くか自分で決めますから。

──それを聞いて安心しました。

藤田和日郎 やっぱり不安に思うもんですか? 俺がやらないと。

──『からくりサーカス』は『うしおととら』以上に長大な物語で設定も複雑なので、そういう意味では「何をどこまで描くのか」という取捨選択は『うしおととら』以上に大変なように思いました。

藤田和日郎 俺がやる方が、あきらめもつくでしょ(笑)? まあしゃーないなって。

楽しみにしてくれている人には、ベストを尽くしますとしか言えない。ただ、『からくりサーカス』は俺が一番うまい。見てから文句言ってもいい、でもそれは俺に言ってくれというだけです。 ──アニメ化にあたって、ご自身として動くのが楽しみなキャラは?

藤田和日郎 下手に話して、アニメスタッフにプレッシャー与えたら嫌なんですけど(笑)。

アニメであんまり中国拳法を見たことがないので、鳴海が動くところは見たいです。スタッフさんには、鳴海がやっている拳法を特定しなくても、香港アクションみたいなものを見れたら俺は嬉しいですとは言っています。

伏線なんかない! 登場人物が人生を生きた痕跡があるだけ

──過去作を読み直したりされますか?

藤田和日郎 過去の作品って、「あーやっと決着つけた」っていう安心なんですね。その時連載しているものに、真っ正面から組んでますから。だからこういうアニメ化とかの時でないと読み返したりしない。

今回もたっぷり『からくりサーカス』を読み返しましたよ。迷ってる時や不安なまま描いてる時とか、最後が決まってそっちの方に始動した時の勢いとか全部詰まってて、やっぱりその時しかかけなかった漫画なんだなと。

その時一番良いものを18Pに叩きつけてるものの集合体ですから。若い時のエネルギーはすごい……でも、あんまり変わってないかな(笑)。正直に言うと、『からくりサーカス』と『双亡亭』とで、そんなに変わってない(笑)

「あ、どうしよどうしよ、うーん……これが面白いかな?」の繰り返しですから、相変わらずの藤田和日郎だなって。「若い頃は良かった」じゃない、今だって良いんですもん! ──迷っていた部分というのは?

藤田和日郎 選択肢に迷うって感じかな。最初から愛情もってそれぞれのキャラクターがどういう風になりたいか決めて進ませているから、「こいつどうしたらいいのか」ってことはない。

『からくりサーカス』には登場人物がいっぱい出てくるから複雑で、それぞれの人生を全うさせつつ、しろがねと鳴海の愛情の行く末、勝がどう行動しどう成長し、そこにどう敵が関わるのか。やりたいことはキャラクター一人ひとりにあって、あとはその順番に迷うだけ。

最後の方なんて、透明な下敷きにキャラの名前をぜんぶ書き出して、「こいつ何してるんだっけ?」って常にチェックしてました。でもね、9年間も一つのものにとりかかるのは疲れる。そんなのはもうごめんだ(笑)!

──本当に緻密な構成ですよね。

藤田和日郎 緻密って言われるとちょっと恥ずかしいですけどね。

──「後付けじゃない週刊連載はない」ともおっしゃってましたね。

藤田和日郎 当たり前じゃないですか! 人間やれることとやれないことがあって、9年間の膨大なすべてを最初から全部考えてるなんて無理!

この先で使うつもりで最初から意図的に張っておいたものを伏線と言うのであれば、「伏線は張ってません」と答える。

けど、物語が進んだ先で、いろんな人物の足跡が積み重なってきた時に「ここでこの人物が行動する時に関わりのあったことはなかったか?」と振り返ると、過去に何かをなした痕があるんですよ。で、それはここに繋がっているじゃないか、という感じ。ニュアンスがね、難しいんですがね…

──ご自身の頭の中で、それぞれのキャラがちゃんと人生を送っていれば、現在から振り返った時にその過去が未来に活きてくるといったことでしょうか?

藤田和日郎 ああ、確かに。俺の中でキャラって単体で人生歩んでいるから、最後にそのキャラに一番見合った過去のエピソードがここにきてそのキャラの行動を決めるのかもしれません。

ずっと「後付けだ」って言われてるうちに、こっちとしても「おお! 後付けだよ!!」ってなってたんだけど、キャラクターもめいめい人生はもってるから彼らが過去になしたことが最後に巡ってくる。「伏線」は言い過ぎだけど、その言い方がフェアかもしれませんね。

自動人形に心は宿る? 『からくりサーカス』の問いかけ

──『からくりサーカス』については、ドイツの作家・ホフマン『砂男』の影響をあげていらっしゃいます。自動人形も出てくるし、少年漫画ではできない昏い魅力があったと。他にどういった小説作品の影響があるとお考えですか?

藤田和日郎 自動人形に心はあるのか? 彼らは人に愛されるのか? それはホフマンの影響を受けてて、ずっと考えてきた。

ホフマンの『砂男』は、学生がある人に恋をしたけど彼女は自動人形で、学生はだんだん精神がおかしくなっていくっていう話。江戸川乱歩の『人でなしの恋』も、若い旦那が新婚の妻をほったらかして人形に恋をする話ですから。背徳的な匂いもある。

でも、松本零士先生の『銀河鉄道999』のメーテルとか、高橋留美子先生の『めぞん一刻』の音無響子さん──要するに紙に書いた記号ですよね。俺たちはその記号を容易に好きになることができるから(人形に恋をしても不思議じゃない)。

あとは『未來のイヴ』(ヴィリエ・ド・リラダン著)や『フランケンシュタイン』(メアリー・シェリー著)、『コッペリア』(バレエ作品)とか。

人造人間にまつわる小説は当時、ありとあらゆるものを集めて読んだ記憶があります。ロボットのアンソロジー本なんかも読み漁っていました。人間側の自滅、人形は人形という結論の話がなんとなく多かったけど、目的を定めた読書体験としてそれはそれで面白かったです。

──でも、『からくりサーカス』は必ずしも人間と人形の二項対立ではなかったですよね。

藤田和日郎 「人形は人間になれるのか?」という疑問が常にあったから。人間と人形の差をどこで計るんだろう、と。人形が人間になっていくという話をむしろ描きたかったので、二項対立では考えませんでした。

ただ「真夜中のサーカス」編では、自動人形たちとの戦いの中で(対立について)鳴海に言わせたりもしましたけどね。

『からくりサーカス』真夜中のサーカス

──AIが社会的に取りざたされていて、シンギュラリティ(技術的特異点)のような議論もありますが、先生はどうご覧になっていますか?

藤田和日郎 ねーーー! すごい面白いですよね。

俺は『からくりサーカス』の時に自動人形に対応するものとして「ロボット」じゃ物足りなくて「AI」も調べたんですが、結局どっちも悩みは変わらなくて。人の心はどこにあるのか、人間はAIに取って代わられるのか、もしくは逆は? という。今もその問いというのは続いていると思いますよ。

「シンギュラリティ」って、AIが人間を超えたらもう人間はおいつかなくなってしまう、みたいなことですよね? 最悪世界が滅びてしまうみたいな。

俺は、人間って地球のコーディネートの一環という気がしていて。だから、人間がつくったAIって地球のコーディネートにはもしかしたらうまく合わないんじゃないかなって気もするんだよね……でも、わかんないな。これに答えを出せる人はまだいないでしょう。俺も興味はあるけどね。

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記事初出時、一部表記に誤りがありましたのでお詫びして訂正いたします

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3件のコメント

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匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:2176)

『吉田聡先生や高橋「久」美子先生にファンレター』
留美子先生だと思うけど

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:1941)

鳴海失踪までを3話でまとめて、仲町サーカス編を5話、真夜中のサーカス編を7話+前半ダイジェスト1回、金銀しろがね誕生編+正二郎とアンジェリーナ編で7話、勝の黒賀村滞在編を3話(多分、構成上一番辛いのがここ)+中盤ダイジェスト1回、残り9回でラストまでって感じかな。まあ、どこをどう抜いて誰に誰の役割を重ねるか、原作者ならではのあっと驚く大英断に期待しちゃうね。

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん(ID:1919)

封神演戯と違って成功しそう。