連載 | #6 戸田真琴のコラム『悩みをひらく、映画と、言葉と』

性欲がなく、恋人もいない私は変ですか?【AV女優 戸田真琴の映画コラム】

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性欲がなく、恋人もいない私は変ですか?【AV女優 戸田真琴の映画コラム】
性欲がなく、恋人もいない私は変ですか?【AV女優 戸田真琴の映画コラム】

今回紹介する映画 『アデル、ブルーは熱い色』

みなさんこんばんは。戸田真琴です。

家を出るたびに夏の日差しにまみれて、あんまり眩しいので強制的に明るい気持ちにさせられる毎日です。玄関がこの向きに立っている家にたまたま住んだこと、そうして重ねて来た手作りのひとつひとつが眩しさに繋がったことを思うと、一人でもふいににこにこする時があります。

みなさんも一日のうちに、不意打ちにでも笑ってしまうようなことがありますように。

人は、自分に自信がなくなっていたり、心や身体が疲れ果ててしまうと、「何かが欲しい」「なにかをしたい」と強く思えなくなることもあります。

そして、元気になるとどんどん、良い意味で「よくばり」になっていく生き物です。

私も太陽の光に毎日すこし「よくばり」な自分へとチューニングしてもらいながら、好きなことを求めて暮らしています。

「よくばり」は「欲張り」。欲は、何かを頑張るエネルギーを生み出してくれます。

今回はそんな「欲」についてのこんなお悩みを一緒に考えてみたいと思います。

まこりんに相談です。私にはあまり性欲がなく、今まで彼氏がいたことがありません。9:1で食欲が勝っています。このままじゃダメですよね。どうすればいいんでしょうか。

彼女は「私が変なのよ」と泣いていた

思春期の恋と身体のまぐわいを情熱的に描いて話題になった『アデル、ブルーは熱い色』という映画があります。

主人公のアデルは、普通の女子学生。ただ、周りとは少しだけ違う不思議な雰囲気を持っていて、なぜか男の人によくもてます。

興味を持って近づいてきた男の子と親しい仲になりますが、性的に迫られるとつい避けてしまいます。避け続けて数日、落ち込んでしまった彼にアデルは情から身体を許しますが、何かが違うと感じたのか、後日友人に話します。

「私に何か欠けてる、私が変なのよ」

すっぴんで涙を流しながらそう話すアデルに、どうしても「変じゃないよ」と言いたくなって、なんだか私も泣きそうになりました。

この映画について一緒に考えるよりも前に言えるのは、「こういう欲がなければおかしい」または「こういう欲を持っているなんておかしい」なんていうことは絶対にないということです。

もちろん性欲がないことも、彼氏をつくりたいと思わないこともぜんぜんおかしいことではありません。たとえ自分以外のクラスメイト全員がおかしなことだと言ってきたとしたって、あなたはおかしくないんです。

欲の在りかたはあなたの歴史

「欲」もとい「なにかをしたい」という気持ちは色々なことに対してあるものですが、その重心の置かれる場所は人によって、また時と場合や精神状態によって違います。お肉が食べたい人もいればお野菜が食べたい人もいて、全部欲しい人もなにも欲しくない人もいる、というのと同じことです。

そこには、生まれたときからお野菜に興味がない人もいれば、お野菜にいやな思い出があって食べない人もいます。お肉に良い思い出があるからこそ頻繁には食べたがらない人も、嫌な思い出があるから克服しようと過剰に求める人もいます。

ひとの欲の持ち方の個性は、あなたの本能と、そして今までの人生の、傷や喜びの結果です。 相談者さんのように、まわりとちょっと違うのかな?と悩むような個性はもちろん、たとえ実行したら社会的に罰がくだってしまうような欲望であっても、実現の不可能なおとぎ話のような欲望であっても、誰にも罰することはできません。

「何かをしたい」「これはしたくない」と思う心の内は絶対に自由で、その欲望を持つに至ったあなたの人生も肯定すべきもので、人や物を傷つけたりしない限りは誰にも否定されるべきではないからです。

みんなで同じところで泣いて同じところで笑って同じ感想を言い合うための映画もたくさんありますが、同時に、あなたのどんな個性にもいつか隣り合って座れるように日々たくさんの映画が生まれているのかもしれないな、とも思います。これは音楽でも、本でも、生まれ続けるあらゆる文化において言えることです。

性欲をもとめず心の繋がりや友情を求めるのであれば、子供さん向けに作られた勇気の物語がいつもあなたの心の色に頷いてくれるでしょう。人間の不完全な所や劣情を鮮明に描いた映画も、移り変わる欲望や性愛を色濃く描いた映画もたくさんあります。

あなたと手を繋いで歩ける映画を、ジャンルを問わず見つけられたら少しは寂しくなくなるのかもな、と思います。

「足りない」という声なき叫び

『アデル、ブルーは熱い色』で、アデルは彼とデートをしているときにすれ違った、青い髪の女性のことを一瞬で鮮明に記憶していました。

それからのアデルの自慰は、彼女に愛撫されていることを想像しながら行われました。

そういうこともあって、アデルは自分が変なのではないかといっそう悩んでいたのだと思います。

それからいろいろなきっかけがあって、女性同士の世界に興味を持ったアデルは、レズビアン・バーへと繰り出します。そこで、あの日すれ違った青い髪の女性・エマと出会うのです。

二人は次第に親しくなり、交際をはじめます。

異性とのセックスに受け身だったアデルが、エマに対してはずっと扇情的な目を向けるようになります。

今か、今かと情を渡し合うきっかけを無意識に探るアデルの姿は、性欲という形をとった生命力に満ち満ちていて美しく、抑圧されていた身体を解放し新しい愛に漕ぎ出させているようでした。

二人は身体の相性がとても良く、人が変わったように激しく求め合います。

それは生々しくも切なく、見る人たちの身体の真ん中あたりを突き抜けていくようなベッドシーンとして映されています。いくら貪り合っても足りないと、そう聴こえて来るような二人の有り様に、「欲望」というものの本質を見たような気がしました。

相談者さんを含めみなさんは、何かが足りないと感じることがありますか?

欲望は、あなたが欲しがっているものを教えてくれます。それを素直に求めることも、それをなだめながら生きていくことも、どちらもあなたの人生の道しるべのひとつになってくれます。

興味の薄かった相手になにかの拍子で、相手のことをもっと深く知りたいという欲が出るかもしれません。それは性欲とは限りませんし、どんな形をして現れるかもわかりません。

もしかしたら相手の方の常識内では理解しがたい形の場合もあるかもしれませんが、欲望の在り方の差異をおそれずに、焦らずに慎重に真心を持って理解し合っていけたらいいんだろうなと思います。

好きだと思う人と出会って絆を結んでいくとき、越えなければいけない差異があったとしても、真心のあるあなたは、仲良くしていくことができるはずです。お互いに、「傍にいたい」という気持ちさえあれば。

あなたの心の求めることが、あなたという自然の摂理

アデルとエマが一緒にいるところを目撃したクラスメイトたちは、アデルに暴言を吐きます。

男子たちは嘲笑し、女子たちは自分たちが性の対象にされないかと不必要に怯えて、「あんたがレズビアンであろうと構わないけど私のは舐めないでよね」と下品に罵りました。

相手をちゃんと見つめないでイメージや型にはめ、過剰な自己防衛から吐かれる批判は、いつも的外れで、感情のない石つぶてのようです。

哀しみに暮れる日もありますが、アデルはエマとの一途な愛を貫いていきます。 時代や環境によって、社会のシステムに許容されていない愛や繋がりの在りかたは、しばしば批判されることもあります。

自然の摂理に適っていないだとか、子供を残すことが義務だという話をひっぱり出され、自分はアウトローなのではないかと感じる方も多いと思います。

アデルたちのように同性愛者であったり、異性愛者であっても結婚や家族を持つことに興味がなかったり、大多数の人が想像する「普通の人生」のレールから少しでもはみ出していたら、誰かに無邪気にでもハテナマークを向けられることもあるでしょう。

疑問を持つ人達にはその人達が「これが普通」と教えられてきた歴史があって、お互いを深く知るまでは、悪気さえないのならある意味で仕方のないことかもしれません。

だけれど、かならず子どもを宿さなくてはならない、という法律もないのですから、それぞれの愛が宿した欲望についても、他人に問いただされる必要もないのです。

自然の摂理を他人に説かれようと、あなたにとってはあなたの心の有り様が、なによりもあなたという自然のもつ摂理です。

誰に認めてもらえなかったとしても、共感し合える仲間がうまく見つからなかったとしても、今すぐに出来るのは、あなたがあなた自身に、勇気を持って「おかしくなんかないよ」と言ってあげることなんです。

理想の愛の形は、今を作り続けていく先にある

自由恋愛の時代で、文字どおり在りかたも「自由」です。

人との関わりにはいろいろな種類があって、相手の方への真心のあかしとして性欲にのるのも自由、それ以外の形でちゃんと好きだとわかってもらえるように愛を伝え続けることも自由で、それはどちらのほうがいいとか正しいとかいうことはありません。

あなたはあなたの「こうなっていきたいな」という理想の愛の形に向けてパートナーの方と一緒に今を作り続けていくのです。

欲望の持ち方の違いや価値観の差異を、大きな目で暖めていこうという元気が湧かない場合は、無理をする必要はありません。どこかに、あなたがいつも優しい気持ちでいようと思えるような相手がいるかもしれませんし、もしかしたら人に優しくする前に自分に優しくしなきゃいけないタイミングなのかもしれません。

なるべく未来に明るい想像を浮かべて、ひとりになることを怖がらずに生きていて欲しいです。

欲望とファンタスティックにじゃれ合いながら

ここからは余談になりますが、性欲が薄いということで悩む方もいれば、自身の持つ性欲の強さや心への影響力について悩む人もたくさんいらっしゃると思います。

私はAV女優という、誰かの性欲があってこそ成り立つお仕事をしています。性欲は、とても自然な欲望で、命の成り立ちにかかわる神秘を持った本能です。

心と脳と身体が繋がっているというファンタスティックな実感や、想い通りにいかない切なさ、恥ずかしさ、とても大切なたくさんのことを教えてくれます。

好きな人が出来たとき、そのDNAを残したいと思うのも自然なことです。

性欲はしばし批判の対象になります。暴走して人を傷つけてしまうことや、まだ知識のない子供たちに悪影響を与えることもあるからです。

しかし、性欲を持つこと自体は絶対に批判されるべきことでもなんでもありませんし、それがときに快感や満足感に羽化して日々を彩ってくれることも、なんら後ろめたいことではありません。

アデルは性欲と寂しさに弱く、肉感のある、とても人間らしい女の子です。一方エマは人間離れした異様さと美しさを纏った女性。美術学校に通っていて、芸術の世界に生きています。

思春期を生きている、あるいは生きていたみなさんには、アデルに共感するところも多くあるのではないかと思います。

抱き合いたい、寂しさを埋めたいという欲望が理性を超えてしまったとき、人と人との間に何かが生まれ、あるいは崩壊することがありますが、それは哀しいことや不義理なことばかりではありません。

また、欲望を愛が加速させることがあっても、欲望を未来の為、今の為になだめることが出来るのも、愛や理性や真心の持つ強さなのだと思います。

出来るだけ優しくありたいな、と思わせられるような人や物や芸術に出会った時、欲望と仲良くじゃれ合いながら、お互いの幸福を探していけたら、それはとても素敵なことだと思います。 戸田真琴さんの写真をもっと見る

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今回紹介した映画:『アデル、ブルーは熱い色』(アブデラティフ・ケシシュ監督,2013年,フランス)

編集:長谷川賢人 写真:飯田エリカ

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戸田真琴

AV女優

AV女優として処女のまま2016年にデビュー。愛称はまこりん。趣味は映画鑑賞と散歩。ブログ『まこりん日和』も更新中。「ミスiD2018」エントリー中。

Twitter : @toda_makoto
Instagram : @toda_makoto

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