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『たかが世界の終わり』に描かれた、家族の愛の切なさ

戸田真琴現在も公開中(2017年4月時点)の『たかが世界の終わり』は、余命が僅かだと知らされた主人公のルイが、家族にその事実を伝えるために12年ぶりに帰郷するところからお話がはじまります。

久しぶりに集結した家族は、妙な緊張感とそれを誤魔化すようにまくしたてる会話の中で、それぞれに傾いた愛情を露呈していきます。ルイの告白を拒むように、なんのやわらかい隙間も見せずに。

その様子は、家族というものの持つ切ない性質を痛々しく鮮明に表していきます。

家族は血で繋がっていますが、必ずしも解り合えるという保証はない、「他人同士」ともいえる関係です。映画のようにすれ違いも生まれますし、相談者さんのように過干渉に悩んでも、血のつながりや、育まれてきた情のようなものによって、距離を置こうとすること自体を拒まれることもあります。

それは、「解り合えないのに愛し合おうとする家族の切なさ」「愛し合いたいがゆえの苦しみ」だと美しく形容することもできますが、その渦中にいるときは純粋な憎しみや、窮屈さしか感じ得ないときもあるということを知っています。

自分を育てた人、同じ家で育ってきた人々と解り合えないという事実は、なんだか自分をとても可哀想な人だという風に思わせてくる時があります。

近しい人々との差異が解るときのほうが、ひとりでいるときよりも、孤独感を鋭利に突きつけてくるものです。

ですから一度、「家族の言うことは特別である」「自分を育ててくれた両親の言うことだから聞かなくてはならない」という無意識のルールから、抜け出さなければいけません。このルールに従えないとき、その正しさとは関係なく、自分が「悪い子」のように思えて苦しい時もありますが、そういう呪いからも一度抜け出してみて欲しいのです。

誰も、人に正しさを強いることはできません。生き方を強いることもできません。あなたの身体と心のことは、持ち主のあなたが一番知っていて、それは産んで育ててくれたご両親の持っている「あなた」に関する情報よりも鮮明です。その、すこし寂しい事実を、受け入れて自分の正しさを改めて信じなおすことが、大人になるということのひとつのやり方なのかもしれないのです。

表向き幸福で問題がなさそうに見える家庭を羨むこともあるかと思います。でも、幸福には幸福の問題点が、不幸には不幸の問題点が、過干渉には過干渉の、放置教育には放置教育の、裕福には裕福の、貧困には貧困のそれぞれ問題点があります。

必ず快適な家庭など存在しないと私は思いますし、それぞれがそれぞれの環境で、自分らしさの芽生えという小さな事件と向き合っていくのだと思います。

自分の環境を恨んだり、他人の環境を羨んだりするのは、自分の秘密基地を作って自分だけの世界を堪能してから、それでもなお環境が憎く感じられたときだけで良いのです。あなたには、あなたの育てられ方でしか掴めなかった幸と不幸があり、それはあなたの身体に積み重ねられた経験という財産だからです。

いちど窮屈さから逃れ、改めて愛に名前を付ける

『たかが世界の終わり』の一家は、鮮烈で切ないラストシーンを見せつけていきました。決して解り合えないまま、不器用なまま、泣きながら崩壊の中でそっと抱き合う家族。そこには、ぼこぼこに傷ついた愛情が見えました。息も絶え絶えに、それでも西日の中で哀しく光っていたのです。どれだけ的外れな方向に投げ合われても、愛情はそれが死ぬその瞬間まで愛情でしかないんです。

もしもあなたに注がれた愛が的外れで、裏腹にあなたを傷つけたとしても、その攻撃になった愛から逃げながら、頭の何処かでそれが「愛になりたかったもの」だということを解っていて欲しいと願います。

愛は容易くありません。愛になりそこなった「おせっかい」や「お説教」や「指図」、そのほかいろいろな煩わしい現象があなたを取り囲む日もあります。あなたを「愛したい」「認めたい」と願う誰かがいる限り。

今は自分の心を守るために認められないものだとしても、いつか、あなたがあなたとして自立した個人の幸福を掴んだ頃に、思い出すことができたなら、あなたをすりぬけていった的外れな愛の数々を、「愛になりたかったもの」を、あなたの目線でもう一度「愛だったもの」と名付けなおしてあげてください。

誰も完璧ではなく、もしかしたらどんな軌道の愛情も、最後にはあなたの幸福を願って放たれたものかもしれないのですから。

戸田真琴

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今回紹介した映画:『顔のない天使』(メル・ギブソン監督,1993年,アメリカ)、『たかが世界の終わり』(グザヴィエ・ドラン監督,2017年,カナダ)

編集:長谷川賢人 写真:戸田真琴

戸田真琴さんの連載コラム

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戸田真琴 // とだまこと

AV女優

AV女優として処女のまま2016年にデビュー。愛称はまこりん。趣味は映画鑑賞と散歩。ブログ『まこりん日和』も更新中。「ミスiD2018」エントリー中。

Twitter : @toda_makoto
Instagram : @toda_makoto

戸田真琴

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戸田真琴のコラム『悩みをひらく、映画と、言葉と』
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この記事へのコメント(2)

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ztetsu1009

ノブ

2017.04.16

何度も読み返しています。

何が正しいかわからない世の中、広くて、冷たい風の吹きすさぶ世界の中で、自分の子供を安全な場所に置いておきたいと思う親の気持ちを否定することなく、その上で、その気持ちに溺れず、眼差しを上げて、小さく閉じ籠ることなく自分の足で歩き出すことを優しく促してくれている。
本当の愛は、相手を枯らすものではなく、成長させるものだと思いますが、まこりんのこの柔らかい愛情(文章)は、胸の奥に染み渡り、私をすごく元気にしています。
映画もすごく見たくなりますね。
いい文章だなぁ。

nshmz21

ドクターab

2017.04.15

真琴さま

毎回楽しく拝読させていただいています。
とてもいい文章ですね。心の中にすっと入ってきて広がってゆきます。
まこりんの文章の上手さには感嘆させられることがしばしばあります。

今回は家族の関係、、、それぞれの家族が違う悩みを抱えているので、本当に難しい問題だと思います。本質的なことをいろいろ考えさせられました。子供を持つ親として、今まで気づいていなかったことに気づかされた部分もあります。本当に感謝です。相手の悩みとまこりんの人生と映画とが上手く混ざり合っていて、連載の中で一番心に響く文章だと感じました。映画を題材にいろいろな問題に切り込むまこりんの鋭さは、まこりんの生きてきた人生が詰まっていて、その感受性の素晴らしさに驚きます。この才能を今後もっと生かしていっていただければと思います。応援しています!

まこりんは私にとって「神様からのプレゼント」のような気がしています。人の生き方という意味で私に多くのことを教えてくれます。まこりんの3倍も長く生きて来ながら気づいていなかった人間の本質的な部分をまこりんが教えてくれたりします。神様が、お前こんなことも知らないのか!と教えてくれているようです。本当にありがとうございます。

『たかが世界の終り』を見に行こうと思いましたが、関西では上映されていないようですね。WOWOW放映かDVDになった時に見るようにします。
次回のコラムも楽しみにしています。

PS 大阪のイベントでお会いできるのを楽しみにしています。

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