戦争と震災、喪失の意味を再検討するきっかけに
──2016年は、アニメ映画『君の名は。』や特撮映画『シン・ゴジラ』がヒットを飛ばしました。そして、この2作品は明らかに東日本大震災を経由してつくられた作品に思えます。この2作品は見られましたか?片渕 そういう話は聞きましたが、見る時間がまったくないです(苦笑)。
──先のシンポジウムでは、東日本大震災を経験した我々にとって、『この世界の片隅に』の空襲シーンがある種のリアリティをもって受け止められたというお話がありました。
片渕 (東日本大震災をへて)今まで遠い昔のことだと思っていた「戦争中」という世界が、自分たちと縁のないものではない、ということがわかった。それから、戦時中も今も、そこには罹災者がいて、それを支援する人たちの活動の仕方や気持ちの持ち方もそんな変わっていないような気がしました。
──制作開始直後となる2011年に、東日本大震災が起こります。この震災が『この世界の片隅に』の内容に影響を与えた部分はありますか?
片渕 それはないですね。本当に意識の問題だけだと思います。
──なるほど。先日のシンポジウムでは、さきほど言った片渕監督の言及に加え、神山監督の『ひるね姫』制作のきっかけとしても東日本大震災への言及がありました。東日本大震災を経て、アニメ映画は何を描けるのか? あるいは、アニメ映画に東日本大震災が与えた影響について、所感をうかがえれば。
片渕 うーん、それが意識への恒久的な影響を与えているならば良いけれど…という感じですね。というのは、2011年から5年たって、今公開されている映画の企画・製作が同じ時期にあったから、足並みが揃って出現したように見えているだけであって。これからもずっとそういう作品が並んでいくかというと、ちょっと違うのではないかな。
災害があって、「自分たちの世界ってこんな簡単に覆るんだ」ということを目の当たりにした経験が、今後、自分たちにとってどういう意味を持っていくのか? というのは、もう一回自分たちで再検討しないといけないと思うんですよ。その時に受けたショックが(作品の中で)そのまま表されているのだとしたら、一過性で終わってしまいかねない。 阪神淡路大震災などもありましたが、(東日本大震災まで)我々は「大量の人間がいっせいにいなくなってしまうこと」について、たまたまそれほど(しっかりと)受け止めなくてよかった。でも、東日本大震災と同じようなことが、71年前の戦争中にも起こっていたのではないか。それに、71年前には日本だけでなく、ドイツやイギリスでも空襲があったわけです。それらは原因が違うから別の事象と言い切ってしまうことも可能だけど、それならば震災のような事態から受けた衝撃も、“その出来事”というところから出なくなってしまうのではないか、と思うんですよ。
──東日本大震災で、私たちは大勢の人の喪失にぶつかった。そこで、私たちはその喪失の意味を再検討しないといけない。再検討することで、71年前の戦争やほかの出来事にも想像を巡らせることができる、と。近年では、「想像力の欠如」といったことも叫ばれています。
片渕 想像力もそうだけど、基本的には知識とかそういうことですよね。知らないことに対しては、想像力を働かせられない。では、その知識をなぜ得られるかというと、興味を持つことによって得られる。ちょっと堂々巡りですが。
──知識へとつながる興味を持つきっかけとして、『この世界の片隅に』という作品が「そうあってほしい」という願いもあるのでしょうか?
片渕 そうです。だから、(画面に映っている情景が)空襲で街が焼けたようにも見えるし、震災の津波の後のようにも見えるということであれば、ひょっとしたらその先に思うところも出てくるかもしれない。 ──お話しいただき、ありがとうございます。現在、『この世界の片隅に』は非常に好評を博しています。上映が始まって手応えはいかがですか?
片渕 初動はすごく良いですが、自分たちとして期待しているのは、長続きすることです。それを達成する方法が見えてくるのはこれから先なので、長く続くようにつなげていきたいと思います。
──改めて、監督ご自身の『この世界の片隅に』の手応えはいかがでしょう?
片渕 う〜ん…。もう一回やり直したいですね。
──えっ! それは、どういった部分で?
片渕 予算に対して、尺が長いんですよ。それは、ちゃんとやるべきことが出来てないということ。本当にこの作品が100年後も通用するものにするためには、もっと強度を上げないといけないような気がする。逆にいうと、一回見て良かったというだけじゃなく、これから先も繰り返し見るに耐えうる作品でありたい、という意識です。
──片渕監督の“やるべきこと”をちゃんとやった場合、実際の予算ではもっと短い尺のものしかできないはずだった。予算に比して尺が長くなっている分、まだ“やるべきこと”が出来ていない部分があると。それでも、拝見した身としては、本当に素晴らしい作品だと思いました。
実際、公開が始まってみたらヒット作となっています。劇場にはどういった方々が訪れている印象ですか?
片渕 もちろん題材が戦時中ということもあるんですけど、意外だったのは、映画館に行くと60〜70代といった、自分よりもっと上の世代の人たちにも来ていただいている。その世代の方々は、普段そんなにアニメーションを見に来られないと思うんです。やっぱり、こういう映画をつくれたということが、(アニメの)客層が拡大していくことを促せたと思う。この映画をつくれなかったら、(60〜70代の観客たちは)永久にアニメーションを見なかったかもしれない。
『この世界の片隅に』という映画は今までのアニメーションのあり方を逸脱している部分が大分あって、新たな方向性だったんじゃないか? もちろん、先駆的に高畑勲さんの作品とかも存在しているんですけれど、『この世界の片隅に』は、その方向性がもっとポピュラーな形でこれから広がっていくきっかけになれてるんじゃないかなって気はしています。
『この世界の片隅に』海外上映を盛り上げる新プロジェクトにも支援殺到
好評を博している映画『この世界の片隅に』では、11月18日よりクラウドファンディングの第2弾プロジェクト「映画『この世界の片隅に』の海外上映を盛り上げるため、片渕監督を現地の上映国に送り出したい」が始まっている(関連記事)。このプロジェクトは題名の通り、『この世界の片隅に』の上映国へ片渕監督が赴き、作品に対する反応を受け止めるとともに、現地の観客との交流を後押しするものである。すでにクラウドファンディングへの支援が殺到し、目標金額を達成。それでもなお支援希望の声が絶えないことから、支援の上限数が設定されることとなった。
こうした勢いがまた、『この世界の片隅に』への興味をつくり出し、より多くの観客を生み出してくれることに期待したい。
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上映情報
「この世界の片隅に」
- 声の出演
- のん 細谷佳正 稲葉菜月 尾身美詞 小野大輔 潘めぐみ 岩井七世 / 澁谷天外
- 監督・脚本
- 片渕須直
- 原作
- こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
- 企画
- 丸山正雄
- 監督補・画面構成
- 浦谷千恵
- キャラクターデザイン・作画監督
- 松原秀典
- 音楽
- コトリンゴ
- プロデューサー
- 真木太郎
- 製作統括
- GENCO
- アニメーション制作
- MAPPA
- 配給
- 東京テアトル
<ストーリー>
どこにでもある 毎日の くらし。昭和20年、広島・呉。わたしは ここで 生きている。
すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19(1944)年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、あらゆるものが欠乏していく中で、日々の食卓を作り出すために工夫を凝らす。 だが、戦争は進み、日本海軍の根拠地だった呉は、何度もの空襲に襲われる。庭先から毎日眺めていた軍艦たちが炎を上げ、市街が灰燼に帰してゆく。すずが大事に思っていた身近なものが奪われてゆく。それでもなお、毎日を築くすずの営みは終わらない。そして、昭和20(1945)年の夏がやってきた――。
関連リンク
連載
11月12日に公開された話題のアニメ映画『この世界の片隅に』。こうの史代氏の漫画をアニメ化した本作では、太平洋戦争下の日本で“普通”に生きる女性・北條すずの生活が丁寧に描かれる。 公開時点では63館という上映規模で始まったが、口コミを中心に評判が広まり、興行収入3億円を突破し今なお客足を増やし続けている。 そんな『この世界の片隅に』の勢いを、KAI-YOUも追いかけていく。
1件のコメント
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AOMORI SHOGO
いろんなところでインタビューでてるけど、かなり面白い