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『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー前編「この空間を想像力で埋めてはいけないと思った」

『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー

11月12日に公開されたアニメ映画『この世界の片隅に』が話題を呼んでいる。こうの史代氏の原作漫画のアニメ化となる本作では、太平洋戦争下の日本で“普通”に生きる女性・北條すずの生活が丁寧に描かれる。

公開時点では63館という上映規模で始まったが、口コミを中心に評判が広まり、興行収入3億円を突破し今なお客足を増やし続けている。

本作を手掛けた片渕須直監督は『魔女の宅急便』の演出補などを務めた後、『アリーテ姫』や『マイマイ新子と千年の魔法』を監督したことでも知られている。

前編では、そんな片渕監督に、原作との出会いから、2010年から6年という歳月を費やし、自腹を切ってまでアニメーション映画化に全力を注いだ『この世界の片隅に』への思いについて、お話をうかがった。

※『この世界の片隅に』作品本編のネタバレを含む内容となります

文:須賀原みち

原作者・こうの史代は「自分によく似た遠い親戚」

『この世界の片隅に』場面写(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

『この世界の片隅に』場面写(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

──まず、『この世界の片隅に』の原作マンガを読んだ時、どういった印象をお持ちになりましたか?

片渕須直(以下、片渕) 自分によく似た遠い親戚と突然出会った感じです。生活の描き方や細部に対する目配りに、いちいち心当たりがありました。原作の巻末に参考文献が並べてあるのを見ても、自分がやるならこういうふうにやるだろうな、と。

こうのさんは、ちゃんと日常生活を描くことができれば、魅力的で見ごたえのあるエンターテインメントになりうる、という視点を明確に持っている。そうした表現を支えるものとして、日常生活がある世界の成り立ちに対する探究心を持っていました。その作家性のあり方自体が、自分から見ると親戚というか、よく似たことをされている人だな、と。

──マンガ『この世界の片隅に』は2007年に連載が始まっています。なぜ、こうの史代さんはこのタイミングで『この世界の片隅に』を描かれたのか。片渕監督はどう考えていらっしゃいますか?

片渕 僕は、こうのさんは常に自分の描くものを一定させない作家だと思ってるんです。「自分たちのいるこの世界は、どういう細部から出来ているんだろう?」ということに面白さを感じるタイプの人。個人的には、『夕凪の街 桜の国』(2003年)よりももっと踏み込んだのだと思いました。『夕凪の街 桜の国』でおぼろげに見えてきたところを、もっと自分に近いところに引き寄せて、踏み込んでいったのが『この世界の片隅に』だったんだろうな、と。

記号化されて描かれている戦時下の風景はもう古臭い

『この世界の片隅に』場面写(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

『この世界の片隅に』場面写2(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

──片渕須直監督が『この世界の片隅に』の映画化を手がけた理由についてうかがっていきたいと思っています。『この世界の片隅に』という作品は、予算や時間を度外視した場合、CGなども使った実写作品として制作することも想定し得る作品だと思います。その上で、アニメで描くことについてどうお考えでしたか?

片渕 『この世界の片隅に』を実写で描くとしたら、最小限でも広島と呉という2つの街まるごとのオープンセットに、戦艦以下、軍艦が何隻も必要になります。全部CGで可能だったとしても、ものすごい超大作になる。でも、僕は『この世界の片隅に』という企画が、超大作として成立する可能性は確実にありえないだろうと思うわけです。むしろ、そういった本来超大作であるはずのものを背景において、ささやかな生活をメインに描くという映画ですから。だから、『この世界の片隅に』は超大作じゃないんですよ。すごいこぢんまりとした作品なのにもかかわらず、それくらいの背景が必要であった。

そういう意味で言うと、『この世界の片隅に』はアニメでないと再現できなかった。超大作である『プライベート・ライアン』の冒頭シーン【注】は、それ(大規模でリアルな戦争の再現)をやってる例ですよね。あそこまでやって、主婦のささやかな生活を描くのか? ということです(笑)。

【注:第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦におけるオマハ・ビーチでの攻防】

──当初『この世界の片隅に』の制作費は持ち出しで、片渕監督の貯金も尽きかけたということでした。そこまでして作品の制作に懸けた理由、使命感とはなんだったのでしょうか?

片渕 使命感じゃなくて、つくれば絶対に、みんなに色々な感慨を持っていただけたり、「面白い」と言っていただけるような映画になるだろう、ということを信じていたからです。自分自身、「これは絶対に面白い。今手放すともったいない」という気持ちでいただけです。

『この世界の片隅に』場面写3(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

『この世界の片隅に』場面写3(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

──『この世界の片隅に』は、制作が開始された2010年から綿密な調査がなされ、その結果を丁寧に画面に落とし込んだことでも知られています。そういった仔細な調査が必要だった理由は?

片渕 (『この世界の片隅に』の舞台となる)戦時中から終戦直後の混乱期にかけての世界が、あまりにも自分たちの接している日常的な空間とは異質だからです。異質だからこそ、そこに説得力を持たせる必要があって、その日常的な空間を想像力で埋めてはいけないだろうな、と思った。「私たちはこの時代のことをこんなふうに想像しました。だから、この異質なものを受け止めてください」というのは、途中で理屈がねじ曲がっている。

だとしたら、すずさんを通じて、ここで描かれている世界も自分たちが今いる世界の一部なんだと認識し直してほしい。71年前の世界を、自分たちのいる世界の一部として描かなければいけないと思ったわけです。それはもう想像力を廃したところで成立しなければいけなかった。

──先日行われたシンポジウムで片渕監督は「今までのアニメーションと違って日常生活の動作が多いので、できるだけ記号的ではなく、実在感や肉体性を重視した」とお話しされていました(関連記事)。アニメーションにおいては、表現を記号化することによってアニメ的なリアリズムを現出させるという表現技法もあると思います。しかし、そういった記号的な表現に抗う必要があった?

片渕 実写作品で描かれている戦時中の世界も、すでに記号的にしかなっていなくて…。当時あったままの世界を見せてくれる映像作品って、本当に数えるほどしかないと思うんです。

それで、(記号的な表現に)“抗う”というよりも、むしろ「本当はこうだった」という世界を見たくならないか、という気持ちのほうが大きかった。いかにもパターン化された時代描写ではなく、本当は別の姿を持っていたということがわかる、その事自体が作品の魅力というか、興味を引くポイントになるだろうと思ったんです。

みんなが今まで見ていた、記号化されてしまった71年前の世界はもう古臭いんですよ。『この世界の片隅に』では、戦時中を描いていてもこんなふうに物事を描くことができる、という新しいビジョンを提供したわけです。

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