後編では、業界とともにアニメを支配してきた「ポタク」に迫るとともに、なぜこれほどまでに苛烈な活動に邁進するのか。その根源にある責任感や忌憚ない思いについて明かされている。
一方、現在制作中の新作『薄暮』は、アニメ業界のしがらみとは無縁の存在だという。より広い世界へのアプローチとなる作品同様、監督自身の次なる活躍の場を冷静に分析している。
前編はこちら
「オタク」という括りをさらに峻別する理由
──「革命の三ヶ月」とともに象徴的なのが、同人団体として設立された「日本フィルアニマチオン」です。ここでは業界と「狂気と悪意によってアニメを支配してきたオタク(ポタク※)」を批判すると同時に、アニメの解放を掲げています。以前、「アニメには批評がない」ということを嘆かれていましたが、批評の場として機能させたいといった狙いもあるのでしょうか?
山本寛(以下、山本) 今の段階では、何をするわけでもないんですけど、僕がアニメに対する疑義を真摯に述べるためだけのアカウントですね。日本フィルアニマチオン自体、団員はいないというか、フォロワー全員が団員みたいな感じです。
というのも、僕の個人アカウントが現在、悪口で埋め尽くされているので、ちょっと見栄えが悪いなというのがありまして、分けました(笑)。これでは訴えたいメッセージが届かない可能性があると思って、前に冗談でつくった「日本アイドル改革党」のアカウントをつかって立ち上げたんですよ。
山本 伝えるべきこと、訴えたいことを、政党のマニフェストのようにちょくちょくツイートしていくという趣旨です。少しずつリプライが来るようになっていて、それがフォロワーさんの中で盛り上がるようなら、オフ会を開いたりするかもしれないですけど、今は様子見ですね。狂気と悪意によってアニメを支配してきたオタク(ポタク)やことなかれ主義で作品をないがしろにしてきた業界から、アニメをまっとうな道へと解放するための話し合いの場です。
— 日本フィルアニマチオン(フィルアニメ) (@j_philanimation) 2017年10月27日
具体的な活動は今後みなさんと考えましょう。
※ポタク:山本監督が提唱。「上手いこと」「上手い皮肉」を言わないと気が済まない、匿名、「アニメ(などオタク文化)は自分を護ってくれる」と思い込んでるなど、複数の条件から3つ以上当てはまる人(外部リンク)
──マニフェストの1つとして、「健全なアニメファン『アニフィル』の結集」を掲げています。これは視聴者やファンにおける「革命」だと思いますが、山本監督の言うポタクではないアニメファンが「革命」には求められているということですか?
山本 さっきビジネスサイドが邪魔と言いましたけど、ポタクも同様に邪魔な存在なんです。アニメを私的なアイデンティティにしている、“イキがる”ために利用している、そんなポタクには早々に退場してもらって、純粋にアニメを楽しむアニフィルに収斂させていく。そうしないと、業界がポタクに振り回されっぱなしになってしまうんですよ。
わかりやすく言うと匿名のネットユーザーですね。20年前のようなインターネット黎明期だったら、ネットの書き込みなんて便所の落書き程度の存在でした。それが今では猛威を振るうようになった。 山本 単純にユーザーが増えたということと、あとは業界内に元2ちゃんねらーや元匿名ツイッタラーがたくさんいるんです。もう業界側にも侵食していて、蝕まれているわけですね。それはここ数年ではっきりわかりました。
そういう、かつてネットにはびこっていた当時の若者が、今はプロデューサークラスになっている。だから侵食は相当根深くて、この10年間でその1本1本を断ち切ろうと頑張ってきましたけど、もう無理だと。根こそぎごっそり、一気に根絶やしにするしかないと思ったので、「ポタク」と「アニフィル」という言葉を改めて定義したんです。
──既存のオタク、もしくはアニメオタクとして一括りにされていた人たちを分けていくということですか?
山本 そうです。過激かもしれないですけど、そうしないとわかりやすくないんですね。「ポタクもこういう条件だったら残っていいよ」というのはすごく中途半端。
理想は「ポタクだってオタクだって、全員アニメファンだよ」と言えればいいですけど、それでは現状のまま。そうやってぬるく甘く1つに群れてしまったがゆえの今の惨状なので、アニメにとってプラスになる人とマイナスになる人、両者を峻別しないといけないと思っています。
──峻別の判断は難しいように思えます。例えば「自分はポタクではない」という人でも、ポタクとされてしまうことがあるのでしょうか?
山本 「革命」である以上、血は流れるし、僕も血を浴びる。「なんで自分が」みたいな人が傷つけられる瞬間はあると思うんですよ。あるかもしれないけど、血を流してでもオタクとしてぬくぬく浸かっていた場所からポタクをぐーっと引き離して、アニフィルだけを残すっていう作業は今必要ですね。
アニメに自分の存在理由や承認欲求を求めるというのは誰しもあることです。僕自身、まったくないと言ったら嘘になる。でもそれは、アニメが真っ当だから、素晴らしいアニメがあるから、「自分はこのアニメについていくんだ」って言えることだと思うんですよ。
今は、アニメを「支配しよう」「ネタにしよう」「コミュニケーションツールにしよう」とすることで、果たしてアニメのアイデンティティは守られているのか? って訴えているわけです。
実際、最近は「自分はこんな作品を見たくなかった」という声も上がってきていて、ようやく響いてきているという実感はあります。
山本寛がオタクに負っている責任
──山本監督の理想とする純粋にアニメを楽しむファン「アニフィル」とは、具体的にアニメとどのように関わることを言うのでしょうか?山本 ちょうど最近、『母性のディストピア』を出した批評家の宇野常寛さんが、政治について「リアルポリティクスが大切」と言ってたんですよ。言葉本来の意味とは若干異なるんですけど、「是々非々」という意味で、これって実は、今のアニメにも求められていることなんじゃないかって。
要するに、すべてにおいて自分の立場を決めてしまうのではなく、作品ごとに議論、判断するっていう考え方。「流行っているから」「盛り上がっているから」ではなく、1人ひとりが「面白い/つまらない」を作品ごとに議論していく。
──非常にシンプルな言い方をすると、「自分が良いと思う面白いアニメを見ようよ」ということですか?
山本 そうです。僕らのような20年前のアニメオタクは、まさに是々非々の姿勢だったんですよ。流行っているかどうかなんて関係ない。むしろ、流行ってないけど良い作品を見つけることにこそ意義を見出していた。それで、もし自分の好きな作品を知らない/つまらないという人がいたら、魅力を力説したり、ビデオを全巻貸したりして布教する。
それをそのままとは言わないまでも、アニメへの関わり方という意味では当時のように戻るべきだと思っています。
自分で判断するという意味では、SNSの存在が邪魔になっているんですけど、それでも徐々に流行りという勝ち馬に乗ることのくだらなさは浸透しつつあるみたいなので。
──例えばTwitterでは、多数派の意見が可視化されて、そこから生まれるムーブメントがどんどん大きくなると、自分の意見が取り込まれてしまう恐れもありますよね。
山本 『ハルヒ』によって、オタクに、群れることの気持ち良さや多数派を形成することのメリットを教えてしまったのは僕自身なので。そして、結果として暴走させてしまった。「山本さんのせいですよ」って、いろいろな人にしょっちゅう言われます。 山本 だからこそ責任を取って、右に行ったものを左へ戻す。そこには様々な弊害や障害はあるんでしょうけど、過去を振り返っても、「革命」とは常にそういうものだったので、僕としては意図的に振り子を逆に戻そうとしています。
──それこそ『ハルヒ』をきっかけにアニメを見るようになった人も多いと思います。オタクではないけど、ごく自然にアニメを見ている、そういった人たちは「革命」に関与してくるのでしょうか?
山本 結論から言うと、アニメに対して行動を起こす必要のない人はそのままでいいと思います。『サザエさん』を見ているようないわゆる一般層、「革命」においてサイレントマジョリティですらない人たち向けて現状を訴えかけるのはそりゃ無理ですよ。
むしろ、そうやって広く見られることが、アニメの最終的な目標なんじゃないですか。僕も子供の頃家族4人でお茶の間で『YAWARA!』や『パタリロ!』などを見てましたけど、両親がアニメオタクかというとそうではない。
そんな人たちが、お茶の間で自然にアニメを見るのって、実は当たり前のことなんです。だから一般層は、変わらず自然にアニメを見てくれればいいんです。そこに対してまで「アニメを見るとは?」と問いかけるのは、オタク界隈の勘違いした狭い議論のような気がします。
──山本監督の活動や『けものフレンズ』の問題などは意義のある議論でありながら、そういった一般層にとっては内輪でごちゃごちゃしているというように見られかねないと思いますが、その点はどうお考えですか?
山本 『けもフレ』は別にして、もちろん僕に責任がないとは言い難いですけど、ごちゃごちゃしてしまったものはしょうがないですね。もちろん、内輪にとどまらないように外にも発信していかなきゃいけないと思いますけど、そのためには政治的な判断をいくつも下す必要がある。とにかく一刻も早く「内輪感」から脱することですね。
最終的に深夜からゴールデンタイムにアニメを戻したり、TVをインターネットにつないだりして、家族みんなでぼーっと見るっていう時代が来てほしいとは思います。まだまだ遠いですけどね。
道半ばなので、まだ内輪感は仕方ないですよ。その中で、排他性の塊であるビジネスサイドやポタクには退場してもらうといった政治的判断を下していく。自分の好きなアニメを自由に見る、その先に広いアニメの世界と市場が待っていると思っています。
──「アニメに救われたい」と思っている人を批判されていますが、監督はむしろ「アニメを護りたい」という気持ちなのでしょうか?
山本 アニメを護りたいとか、ヒーローぶるつもりはない。単に「その辺の作品より、僕のつくってるアニメの方が面白いでしょ?」って言いたいだけですよ(笑)。
しょせん、自分を守る戦いでしかなく、それが発端で、モチベーションなのは間違いないです。でもそれをもっと広くあてはめ、俯瞰で見てみると、クリエイターを護りたい、アニメを護りたい、という話になっていくんですね。
広い世界へのアプローチとしての新作『薄暮』
──現在、制作中の『薄暮』は、その「広いアニメの世界と市場」に向けた作品なのでしょうか?山本 実は『薄暮』は内輪のごちゃごちゃを飛び越えた作品、というか、意図的に内輪を相手にしてないんですよ。どういうことかというと、クラウドファンディングを通じて1200人のパトロンの協力を得て、いざ「どこに届けよう」となったとき、目的地はもう作品の舞台である福島県、いわき市なんです。 山本 ターゲットとしては一番遠いんですけど、それを見事にやってのけた『この世界の片隅に』という前例がある。あの作品も、いわゆるアニメ業界を飛び越えて、文字通り老若男女に幅広く届いた。TVCMをほとんど打てなかったのに。日々更新されたのは片渕須直監督のTwitterくらいですよ。
そういう意味では、ネットの発信力が趣を変えていると思いますね。同時に、『薄暮』にもそのチャンスはあると思っています。ネットの影響力や使い方がこの1〜2年でずいぶん変わったので、メディアの人ももうちょっと察していかなきゃいけないんじゃないですか?
「内輪でごちゃごちゃしている」というイメージはすでに更新されていて、実はそんな見方は広い市場ではそもそも存在していない。僕はそういう段階にきているんだと感じています。
──確かに、情報の伝播と外からの見え方、両者はすでに1年前とは大きく様変わりしているのかもしれません。
山本 だから僕らはいわきに向けて、きちんとアクションを起こしていこうとしています。言い換えれば、アニメ業界から見たら『薄暮』は蚊帳の外なんですよ。『WUG』や『けものフレンズ』とはまったく違う方を向いてつくっています。 山本 本業は『薄暮』なので、「内輪揉め」に加担しているのは片手間のようなものです。なんですけど、片手間側に今、自分のパワーが吸い取られつつあるという状態です。だいぶ手間なんですけどね、1カット描いたらずーっとTwitter見たりして(笑)。
──『薄暮』の制作資金はクラウドファンディングで2100万円も集められたわけですが、順調なのでしょうか?
山本 絵コンテ、原画作業には入っていますね。しかし、2100万円ではまだ劇場版の制作資金としては全然足りないので、金策にも動いています。和田さんはじめ、みんなが走り回ってくれているので、きちんと形にしなければいけないと思っています。
今後は業界のスポークスマンとしての活動も
──創作活動の一方で、芸能事務所であるカロスエンターテイメントに所属されています。今後はよりメディアに出ることも視野に入れられているんですか?山本 いろいろな人にアドバイスを受けた結果です。「山本さんがそこまで言うなら、もう顔を出して、電波に乗せましょう」「そのためには芸能事務所です」と。その通りだなと思って。
やっぱりTwitterやブログのように、文字だけだと刺々しいし、断片化されやすい。そういう意味では、本のオファーもあったりなかったりするんですよね。今は書いている場合じゃないんですけど(笑)。
先日も「アニカル部!」に出演して、桃井はるこさんと初めて会ったんですけど、「山本さんはこの業界では貴重な存在です。絶対に必要な存在ですから、挫けずに頑張ってください!」って言われて。 山本 冗談ではなく、コメンテーターとか本当にやるつもりで、探してもらってるんですよ。アニメ番組中心に、サブカルとか、マニアックなことを紹介するような番組。そういうテレビ番組に、レギュラーで出させてもらえたらと思ってるんだけど、なかなかこないですね。その割に、クイズバラエティからはオファーがあったり(笑)。
──Webメディアからのオファーはありますか?
山本 意外とないんですよ。怖いと思われてるんじゃないかな。まぁ、実際に怖いからいいんですけど(笑)。「誰かれ構わず噛み付くぞ!」みたいな。
キャラクターとしては、カンニング竹山さんみたいにしたいんですけど、どうすればいいのかなぁ(笑)。
自分のキャラづくりはもっと考えていかなきゃいけないなって思います。みんなで相談してますよ。オファーが来やすいキャラってどういうのだろうって。
──ご自身のキャラクターを立てることについて、冷静に考えていらっしゃるんですね。
山本 その辺はLINEブログでも意識してやっていますよ。と言っても、芸能人と名乗れるほどの数字(ポイント)でもないですね。
聞いた話だと、意図的に炎上させてブログのポイントを稼ぐ人もいるらしいです。自分で炎上させて、謝罪して消火して、本当にマッチポンプですよ。芸能界って、そういうこともやらないといけないみたい。
僕がそこまでやる必要あるかなっていう部分もあるので、今後の運用は考えようですけど、真っ当な意見を発信するっていうのはブレずにやりたいですね。今はほっといても月に1回は炎上するんで(笑)。そのほとんどが「まぁいいや」って感じなんですけど、中国だけは怖かった※。敵が大きすぎて(笑)。
※中国:2017年7月、山本監督が更新したブログに対して中国人からのリプライが殺到。最終的に中国で出演予定だったイベントに参加できなくなる(外部リンク)
──とはいえ、徐々にメディアに出るためのつながりというか、準備は始めているということですね。
山本 もうスポークスマンですね。かつてオタキングこと岡田斗司夫さんがやろうとしていたんですよ。でもあの人は基本「所詮君らにはわからないだろ」って考え方なので、途中で引いちゃうというか、諦めちゃう。その諦めた瞬間が「オタク・イズ・デッド※」で、僕もそれに共感しているので、岡田さんのことは責められない。
だから、その代わりというか、岡田さん以外に誰もいないなら、実際に現場を知る、現場にいる人間として、僕がやりますよっていうくらいの気持ちです。
※オタク・イズ・デッド:岡田斗司夫氏が2006年に開催したトークショー。開催後にレポート記事などを読んだ岡田氏は、自身のブログのコメント欄で、意図が上手く伝わらなかったとして、諦めとも取れるコメントを残している(外部リンク)。なお、山本監督も自身のイベントやブログで言及している(外部リンク)
──言論という意味で、具体的に予定されている活動はありますか?
山本 日本のアニメが初公開から100年なので、歴史を総括する番組を企画していますよ。とはいえ、黎明期の作品を並べるのではなく、岡田さんとか宇野さんとか何人かに声をかけていて、出演者に自分にとっての100年はこうだと、好き勝手に振り返ってもらうという。
実は、アニプレックスの元社長の植田益朗さんにも声をかけているんですけど、ドワンゴで話が止まっているという状況ですね。
ちょっと年内実施が難しそうなので、新たに企画したのが12月28日(木)に開催する「ヤマカンナイト2017」です。テーマは「のけものフレンズ 大反省会」。いかに「のけもの」達が蜂起できるか、試してみたい。
それ以外にも、アニメに関する批評の場は増やしていきますよ。今、業界にいる批評家が要らないような言論空間がつくりたいですね。
──それこそ宇野さんだったり、岡田さんだったりが参加するような?
山本 そうですね。ちゃんとアニメ以外にアクセスしている人がいいですね。アニメのみの人たちは本当にたちが悪いので。その辺もポタクだと思っているんですよ。
それこそ、『薄暮』の応援団長をやってくれている芸人のこにわさんもいいかもしれない。芸人からも人を呼んで、上手く連携を図って、アニメ批評の新しいメインストリームをつくりたいです。ポタクでなくて「ちゃんと話せる人がいる」って感じてもらいたいですね。
※記事初出時、『この世界の片隅に』について「TVCMを1本も打たなかったのに。」という発言がございましたが、誤りでしたのでお詫びして訂正いたします。
発端から現在まで、山本監督の動き
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山本寛
アニメ監督・演出家
1974年生まれ。大阪府出身。京都大学文学部卒業後、京都アニメーションに入社。演出を木上益治氏に師事。『POWER STONE』で初演出、以降『週刊ストーリーランド』『あたしンち』等数多くの作品に携わる。
2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』のシリーズ演出として参加。『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中歌で使用された『恋のミクル伝説』の作詞 やエンディング曲の演出なども手掛ける。このエンディングアニメーションは「ハルヒダンス」現象として世界中で大ブームとなる。
2007年、『らき☆すた』で初監督。同年アニメ制作会社Ordetを設立、代表取締役社長となる。アニメーション以外にも数多くのメディアで講演、執筆活動など多彩な才能を発揮する。
2010年に実写映画として『私の優しくない先輩』 を監督し、2010年度TAMA映画賞最優秀新進監督賞を受賞。「月刊アニメディア」での連載小説『アインザッツ』が出版される。
2011年3月11日に起こった東北地方太平洋沖地震以降は、復興支援やチャリティー活動にも積極的に参加している。
主な作品
2006年『涼宮ハルヒの憂鬱』(TV第一期)シリーズ演出
2006年『涼宮ハルヒの憂鬱』TVCM(実写)絵コンテ・出演
2007年『らき☆すた』(TV第1~4話)監督
2008年『かんなぎ』(TV)監督
2010年『私の優しくない先輩』(実写映画)監督
2011年『フラクタル』(TV)監督
2012年『blossom』(配信)監督
2013年『戦勇。』(TV)監督
2013年『宮河家の空腹』(配信)監督
2014年『Wake Up, Girls!七人のアイドル(映画)』『Wake Up, Girls!(TV)』原案・監督
2014年『愛』(CX「OV監督」内で放送。実写)監督
2015年『Wake Up, Girls!青春の影(映画)』『Wake Up, Girls!Beyond the Bottom(映画)』原案・監督
10件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:2988)
一般人と混じり合いたいのを望んだのはオタクの方なのに、コミケにきた一般人に自分ルールで迷惑をかけるとか、勝手に聖地巡礼とかオフ会で集まって邪魔だと批判されたら暴言を吐く姿を見ると
ヤマカンの言う通りにコミュ障のオタクがコミュ障である自分のカーストを上げるツールや承認欲求を満たせる物としてアニメを便利な棒のように振り回している現状は良くないんだなって思う
匿名ハッコウくん(ID:1496)
アニメが本当に好きでもないのにアニメをネタにする人は多いでしょうが、アニオタで仲のいい友達同士ならそういう住み分けはされてるでしょう。ヤマカンはプロデューサーを敵視してますけど、商売でやっているなら好き嫌いは二の次でしょう。同人ゴロも売れ筋をネタに狙います。稼げるかどうかが第一で、好きで作っているスタッフが蔑ろにされることもありますが、変わらないといけないのはスタッフのほうでしょう。立場によって正義は変わるので、意識を変えたいなら出世して自分でプロデューサーやるしかない。
CKS
是々非々 か〜