「うぇいよー!」UZIインタビュー 3つの顔を持つラッパーの正体

「うぇいよー!」UZIインタビュー 3つの顔を持つラッパーの正体
「うぇいよー!」UZIインタビュー 3つの顔を持つラッパーの正体

UZIさん JR蒲田駅前にて

テレビ朝日系列で放送中の人気MCバトル番組『フリースタイルダンジョン』で進行/ナレーションをつとめるラッパーのUZIさん。

うぇいよー!」の掛け声でも人気を集めているが、実はプロゲーマーとしても知られ、サッカーゲーム『バーチャストライカー98』の全国大会で優勝した経験もある実力者。

また、ご本人は東京出身だが、その家柄をたどると福岡県宗像地方の武家・許斐氏の末裔であり、祖父にあたる許斐氏利さんは軍人やクレー射撃選手として知られ、日本にサウナ文化を持ち込んだという超大物だ。

さらに、パンチ力のある「美声」で格闘技のリングアナウンサーとしても活躍。実にさまざまな顔を持っている。

蒲田のゲームセンター「SILK HAT蒲田M2」

今回はそんなUZIさんが常連だったという東京・蒲田にあるゲームセンター「SILK HAT蒲田M2」に訪れてインタビュー。

前半はこれまでの半生を振り返っていただき「FPS」や「e-Sports」についてなどゲーマーとしての側面や知られざる生い立ちとそのルーツを探った。

後半は兄貴分であるラッパー・Zeebraさんとの出会いや『フリースタイルダンジョン』の裏話、20年ぶりに開催されたヒップホップイベント「さんピンCAMP」などの話を通して、ラッパーとしてのアイデンティティーについてうかがった。

取材・文:コダック川口 撮影:Kodai Ikemitsu

ビートたけしにひっぱたかれた小学校時代

──UZIさんは現在おいくつですか?

UZI 昭和49年生まれで、2017年1月で43歳になります。

──幼少期はどんな子供だったんですか?

UZI クソガキだったと思います。バブルがはじけるまでは家が金持ちで、ワガママで自分勝手っていうのかな……。

小学生の時、バスに乗ったらビートたけしがいたんですね。当時おかっぱみたいな髪型してたから、ちょっとおばさんみたいに見えて、たけしの前に行って、何を思ったのか指さして「この人、男か女かわかんなーい!」って言ったんです。

そしたら、たけしにバーンッとひっぱたかれて吹っ飛んで。「人のこと、指さすんじゃない!」って怒ってくれた。今は親が子供を叱れないくらいだから、本当なら大人が叱るべきなんですよ。自分も礼節を欠いた子供だったんで、大人になっていく過程で学んでったんでしょうね。

──中学時代はどうでしたか?

UZI 中学はラグビー部だったけど成績が悪いとクビだから、2年生で辞めさせられて。3年は1年間柔道をやってました。スポーツが好きで、小学校で野球、ラグビー、高校生でアメフトをやったり、日焼けしたくて水球部に入ったりして。

人生で『バーチャストライカー』に費やした金額の半分くらいは回収できた

──小学校から慶應ということで、エスカレーター式に高校進学されたんですか?

UZI そうですね。高校はとにかく学校サボってずっとゲーセンにいて、ほとんどすべてのゲームをやり込みました。

どのゲームをやっても上手くて、ランキングに自分の名前を入れるのが好きだった。本名が許斐氏大(このみ うじひろ)なんですが、幼稚園の頃から「UZI」という名前を使ってたんです。『ギャプラス』ってゲームのランキングを「UZI」で埋め尽くした時は「ギャプラス小僧」ってあだ名をつけられた(笑)。

ゲームセンター「SILK HAT蒲田M2」は大きなモアイが目印!

──当時はゲームセンター全盛期ですよね?

UZI 幼少期は家庭用ゲームも普及してなかったから、兄貴に連れてってもらえるゲーセンが楽しみでしょうがなくて、行き狂いましたね。中学でハマった初代『ストリートファイター』は、でっかいゴムのボタンが2個しかなかったんですよ。キックとかパンチはボタンを叩く強さで「強・中・弱」が決まりました。

高校になると『上海』とか『コラムス』とかテトリスの帽子版『ハットリス』とか、パズルゲームも好きで、ウォークマンでヒップホップとか聴きながらやってたんですが、90分でカセットが1周して、A面・B面全部聴けちゃうぐらい熱中してました。

──ヒップホップはその頃から聴きはじめてたんですか?

UZI 高1からです。高校は上の先輩がみんな悪くて、1個上の人ら50人くらいが一気に落第して、俺らが高1になった時にその代と一緒になったんです。そいつらが悪い事を教えてくれたんですよね。

風邪薬を一気飲みするのが流行ったんです。せきどめの錠剤「ブロン」ていう製品があって、1回3錠とかのものを30錠くらい飲んだり。あとは「ロビタシン」っていう液体を飲むとか。

──どういう状態になるんですか?

UZI 「ブロン」にはエフェドリンとコデインっていう成分が入ってて、大量に摂取すると集中力が増して、たばこがマジうまくなるんですよ。

錠剤だとうんこが出にくくなって、かわりに真っ白なコロコロのうんこが出るんです。飯も食えないから「不健康だ」ってなって、液体に戻そうぜって成分を研究したら「トニン」っていう咳止め液が良いぞってわかったり。

──研究されたんですね(笑)。

UZI それで勉強にハマれて、1年間ブロンを飲みまくりながら、人生で一番勉強し狂った。それで慶應大の法学部政治学科に入れたんです。現在のブロンはキマる成分が調整されて効き目は薄いです。

UZIさんが一時熱中していたというトレーディングカードアーケードゲーム「WORLD CLUB Champion Football」/セガ・インタラクティブ

──ゲームの話が出ましたが、98年にサッカーゲーム『バーチャストライカー』の大会で優勝されたんですよね。

UZI 20代で野球やプロレスの対戦ゲームにハマって、サッカーも『ウイニングイレブン』とか『バーチャストライカー』を。筐体の反対側に対戦相手10人くらい並ばせて、俺は100円で全員倒していくとかやってた

それから『バーチャストライカー』の大会で優勝して、日本がはじめてワールドカップに出た試合のチケットを賞品でもらいました。飛行機とバルセロナのホテルと「日本対アルゼンチン」のチケット。それまでの人生で『バーチャストライカー』に費やした金額の半分くらいは回収できたかなと思います

マネージャーからの電話もシカトしてプレイしたFPS『カウンターストライク1.6』

──他に特にハマったゲームはありますか?

UZI PCゲームは触れる機会がなくて、ちょっと敬遠してたんですが、親友のいとこがFPS(一人称視点シューティング)を教えてくれた。

カウンターストライク1.6』という特殊部隊対テロリストで戦う対戦ゲームなんですが、30歳でそれを知ったときは楽しくて楽しくて、ボイスチャットツールをパソコンに入れてヘッドホンとマイク付けて、会話しながらゲームしてました。

攻めと守りに分かれて、30本中16本先取した方が勝ちなんですが「死んでもいいゲーム」というのが衝撃でしたね。『美髯公』というアルバムでこのゲームをテーマにした「H.A.I.J.I.N 99X」という曲とか、『Natural 9』というアルバムでさらに突っ込んだ「Battle Field」という曲もつくったくらい。

──「FPS」って10数年前はそこまで流行っていなかったジャンルですよね。

UZI 最先端でした。当時一緒に遊んでたニートだったやつが今ではゲーム会社に就職してFPSのプロデューサーになってたりするんだけど、実際に熱中してたやつらがつくってるから相当コア。

日本で1番強かった人が同じ町に住んでいて、そいつにひたすら教えてもらって努力したんですが、10代からはじめてるプレイヤーには反応速度の問題なのか、どうしても勝てなくて。俺は強さ的には中堅くらいだったんです。

その時は3年間くらいマネージャーからの電話もシカトしてずっとプレイしてたんですが、日本一にはなれなかったですね。

初期『カウンターストライク1.6』は誰かがサーバーを立てて、そこにみんなで入ってゲームしなければいけなかったんです。そうなると、そのサーバーの家でやってる人が一番有利になってしまうんです。すべての動作の情報をインターネットを通じてサーバーに送って、それが全プレーヤーのPCに反映されるのがコンマ何秒の間で行われてる。サーバーに近い人が弾を当てやすかったり、遠い人は当たってるのに殺せていないとか。

だから日本でやる場合は日本人同士。よくて、韓国・台湾くらいしかろくに遊べなかった。ラグが出ちゃうんです。今でも、そういうゲームの世界大会は必ずオフラインで誰も有利・不利な状態をつくらないで行うんです

そこから進化して『カウンターストライクオンライン』になると、ゲーム会社がちゃんと巨大なサーバーを置いて、世界中のみんなで遊べるようになった。これが大きな変化で、ゲームの進歩じゃないかな。

いとこが熱狂的な軍事マニアで、サバゲーもやりました。初めてやった時に、そこそこ活躍できちゃったりして。もしこの世が崩壊しちゃった時は、FPSをやってた人間についていったらいろいろ良いことがあるはずです。絶対に一般市民よりは戦えるはず。

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UZI

ラッパー

1996年、アンダーグラウンド・ヒップホップの名コンピレーションアルバム『悪名』の第2弾『続・悪名』に"マグマ沸騰 feat. ZEEBRA"で参加しデビュー。UBG結成からのメンバーとして活躍。強烈な破壊力のあるラップとパンチ力で圧倒的な存在感を見せるMC。

九州は宗像の武士の末裔(自身は東京出身)として侍魂を持つオリジナルなリリック観と、深く練り込み、かつ選び抜かれた言葉が突き刺さるラップは、一度聴いたら脳裏に焼きつく程の主張が込められている。また、得意のフリースタイルとその印象深いキャラクターで、リスナー/アーティストを問わず愛されており、シーンに欠かすことの出来ない起爆剤となっている。

「e-Sports」を推進する会社「PSYMIN」とプロ契約し、サッカーゲーム「ウイニング・イレブン」の大会にプロゲーマーとして参加するなど各方面で活躍。

その後、パンチ力のある美声を活かし、数々のリングアナ、ナレーション、司会などを務め、活躍の場を広げる。

2015年9月末からは、テレビ朝日『フリースタイルダンジョン』の司会/ナレーションを担当し、Zeebraとともに同番組の顔として、日本のHIP HOPシーンの啓蒙に努めている。

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