2月に贈呈式・受賞作品展が行われた第19回メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞した『弟の夫』。著者はゲイ・エロティック・アーティストとして、海外でも評価が高い田亀源五郎さん。ゲイ雑誌を中心に活動してきた田亀さんの、初の一般誌掲載作は、現在『月刊アクション』(双葉社)で連載している。
弥一と夏菜、父娘2人暮らしの家に、マイクと名乗る男がカナダからやって来る。彼は、弥一の双子の弟・涼二の結婚相手だった。涼二はカナダでマイクと同性婚をし、その後亡くなったのだった。描かれるのは弥一と夏菜、そして弟の夫・マイクが一つ屋根の下で暮らす日常だ。
今回は、1月にコミックス最新第2巻が発売され、注目を集める本作について、連載開始につながる出来事や作品に込めたメッセージ、文化庁メディア芸術祭の受賞についてお話をうかがった。
田亀 双葉社の担当編集さんに、「何か一緒にやりませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけです。もともと私の作品を読んでくださっていたんですよね。
担当 先生の作品との最初の出会いは、15年くらい前です。ある日突然、編集部に先生の『男女郎苦界草紙 銀の華』が送られてきたんですよ。コミックス全3巻以外は手紙も何も入っていなくて、正直少し戸惑いました。あとになって、他の出版社の人からも同じようなことがあったと聞いたので、おそらく発行元が複数の出版社に対して、ゲリラ的に送っていたんじゃないかと……。
田亀 まったく知りませんでした(笑)。
担当 その不思議な出会い以降、ずっと注目していたんです。でも、どちらかというとファンのような意識で、一緒に仕事をしようという発想はありませんでした。そんなとき、共通の知り合いのライターの方に田亀先生のお話を聞いて、「でしたら是非!」とすぐに紹介してもらったのがきっかけでした。
──“田亀先生の話”とはいったい何だったんですか?
田亀 もう30年くらい前から、そのライターさんは私の作品を読んでくださっていて、何度か取材していただいたことがあって。そのときに、「ゲイ雑誌以外では描かないんですか?」と聞かれたので、「声をかけていただければ、なんでもやってみたい」という話をしたんです。それを、担当編集さんに伝えていただいたようです。
積極的に「一般誌で描きたい!」とアピールしていたわけではありませんが、今回お誘いを受けて描かせていただくことになりました。
数年前から同性婚が世界的に大きなニュースになってきていて、海外のニュース記事を掲載した私のツイートは、ヘテロ(異性愛者)の人からも反応がよかったんです。そんなこともあって、ヘテロ向けのゲイ漫画が描けたら面白いのではないかと考えていたところでした。
時代の空気感からもズレることなく始められてよかったと思います。
──以前からあった構想の中に、『弟の夫』の原型になるようなものはあったんでしょうか?
田亀 『弟の夫』は完全に新しく考えました。私の場合、男性同士のエロをテーマにしているので、違うものを描いて何が残るのか、田亀源五郎らしさが表現できるものってなんだろうと、最初は何を描いていいのかわかりませんでした。
悩んで悩んで、煮詰まったときにダメ元で出した『弟の夫』のプロットが、意外にもすごく反応がよかったんです。
でも、プロットを説明した段階で「面白そうですね」と言っていただいたにも関わらず、当時の私としては半信半疑でした。「また途中でポシャるだろう」と(笑)。
実は、これまでにも何度か別の一般誌から声をかけていただいたことがありました。そのときは「男性に告白されたことで、セクシャリティが揺らいでいく」という物語を提案したんです。担当編集さんは非常にプッシュしていただいたんですが、最終的に、編集長の鶴の一声で流れてしまいました。
そんな経験もあって、一般誌でゲイを題材にした漫画は、世の中的にどこか引っかかってしまう部分があるだろうと今回もたかをくくっていたんです…。
担当 編集長に見せたら「いいね! 表紙・巻頭でいこう!」と即決でした(笑)。
田亀 それを聞いて驚きましたよ。連載が実現するにしても、きっとすみっこで目立たないように、ひっそり始まると思っていたので(笑)。
田亀 ヘテロの人たちに読んでもらえるよう、できるだけ読者の間口が広くなるように工夫しています。
──工夫というのは具体的にどのような点がありますか?
田亀 第1話の冒頭は特に象徴的ですね。ネームの段階ではマイクが弥一にハグするシーンから始まっているんですが、担当さんの提案もあって、最終的には日常のシーンから始まっています。
ハグするシーンから始まった場合、何も知らない読者に物語を提示するという意味で、ゲイ雑誌の読者であれば、インパクトがあって、なおかつ関係性を想像させたり、展開を期待させたりする効果が望めますが、一般誌の読者は混乱してしまっていたかもしれません。インパクトを与えて読者をつかめればいいですが、衝撃が強すぎて、その後のストーリーが入ってこなかったり、そこで読むのをやめられてしまったりするのは本意ではありませんでしたから。
いかに物語と読者の距離を縮めていくか、ジャンル誌と一般誌では手法が異なることに気づかされました。
──距離感を詰めるという点においては、リアリティの高い日常描写を意識しているのでしょうか?
田亀 ストーリーテリングとしても、弥一がきちんと夏菜のお父さんをやっていることを表現したかったので、日常的な家事のシーンは必要でした。私自身、パートナーと分担で一通りの家事はしますが、いずれも漫画ではあまり描いたことがなかったので、そこは苦労しています。
トースターにコーヒーメーカー、洗濯機、果てはラーメンまで、漫画家として初めて描いていますよ。例えば洗濯機だったら、その資料を探すところから始めないといけないので、結構大変ですね。ディルドやバイブなら何も見なくても描けるんですが(笑)。
──食事シーンに登場するメニューは、読むと必ず食べたくなります。
田亀 そこは担当さんの協力も大きいですね。ちゃんと美味しそうに見えるか、いつも不安でたまりません。「美味しそうでしたよ」って言われるとほっとします。
ラーメンが登場するエピソードでも、ネームでは食べるシーン自体がなかったんですが、担当さんのアドバイスもあって、より印象的な、美味しそうなシーンになったと思います。
日常を描いた作品なので、必然的に食事のシーンは多くなりますね。個人的には、弥一のお父さんらしさや、チーズマカロニを通じたマイクとの文化交流などを表現する役割を果たしていたり、食事は必須要素の一つになりました。
──一般誌の場合、思うように描けなかったシーンもありそうですが。
田亀 いえ、ありません(笑)。従来私は、ゲイ雑誌で真正面のエロを描いています。エロティシズムの要素は、そちらで存分に出しているので、わざわざ一般誌で描く必要もないですし、そもそもゲイのラブストーリーではないので、物語としても必然性がないんです。描きたいけどセーブしていることはないですね。
──「文化庁メディア芸術祭」の優秀賞の贈賞理由にもありましたが、マイクのシャワーシーンなど、男性の体毛の描写には田亀さんらしいこだわりを感じました。
田亀 やっぱり私のフェティシズムですから。個人的には、自分のことを耽美作家だと思っているので、美しいものを全身全霊で描く、ゆえに体毛も美しく描く。私にとっての美しさは、いやらしさやセクシーといったものと同義語なんです。
マイクの場合、体毛の描写は控えめになっています。彼は身体の毛が茶色なので、あまり描きこみすぎると、白黒しかつかえない漫画では濃く見えてしまう。だから、密度を減らすことで軽く見せるなど、そういったこだわりはありますね。『弟の夫』を描く前までは、体毛の描写に一番時間をかけていました。
──では、『弟の夫』で最も時間のかかる描写は何ですか?
田亀 街の風景を中心とした背景です。ゲイ漫画では街歩きのシーンはほとんど描いてませんでしたし、読み切りの場合は背景素材を使っていましたから。今回の作品では、時間があれば実際に写真を撮りに行ってから描くので、時間がかかりますね。
田亀 『月刊アクション』本誌に予告が掲載されたときにはかなり騒がれたみたいですが、いざ連載が始まってみると、意外とすんなり受け入れられたという印象です。当然、読みやすいように心がけた面はありますが、それとは別に、日本の漫画は本当にバラエティ豊かなので、読者も同様に懐深く柔軟なのかなと思いました。
むしろ海外からの反応が大きかったかもしれません。ありがたいことに、私には海外のファンも多く、個展の開催など、年に2回くらいのペースで出張しているんです。
このあいだもパリで新刊の発売に合わせてサイン会を開催しました。その会場に「『弟の夫』のフランス語版をうちで出したい!」という複数の出版社が来てくれたんです。いまのところ、英語、フランス語、韓国語での出版を進めているところです。
──ゲイ漫画家が一般誌に連載することに対しての驚きもありそうですね。
田亀 海外では、日本ほどエロやSMに免疫がないので、私の作品を本当に毛嫌いしている人だっています。日本産のコミックやゲームが好きな人の間でも、それくらいハードコアなジャンルを描いている作家として知られているので、一般誌での連載は話題になっていました。
双葉社の雑誌では、すでに森永みるくさんの『GIRL FRIENDS』という、いわゆるガールズラブ、百合を描いた作品が注目されていて、次いでは『弟の夫』が始まったこともあり、「双葉社にはally(アライ)がいる!」という書評があって面白かったです。(※編注:「アライ(ally)」とはLGBTなどを否定する価値観に異議を投げかける異性愛の人々を指す言葉)
田亀 海外といってもピンからキリまであるので、一概には言えないのではないでしょうか。日本も決して進んでいるとは思いませんが、大きな反発もないというのが実感ですね。海外では同性愛が近現代まで犯罪とされていた地域がある一方で、日本で犯罪になったのは、明治時代のほんのわずかな期間だけ。極端な弾圧がないかわりに、あまり進歩的でもないのかもしれません。
マイクの出身国であるカナダでは、10年前に同性婚が合法化されています。でも、早くから性に対してオープンになっているかと思えば、貧しい所得の層や地方では、まだカミングアウトしにくいという話は聞きます。
アメリカにしても、非常に進んでいるイメージを持ちますが、日本より遥かに意固地な人もいます。どこかの州では、州法で「バイブレーターを何個以上持つのは禁止」とか「オーラルセックス禁止」とかもあるそうですし。それくらい、海外とはいえ進んでいる面もあれば遅れている面もあるということです。
──最近では日本でも、渋谷区の同性パートナーシップ証明書など、同性愛・同性婚を取り巻く環境が変化しています。何か生活の中で感じられる変化はありますか?
田亀 世界的なイシューを日本でも取り入れようとする人が出てきたかな、とは思いますが、大きく認識が変わったという実感はないですね。
最近は、『弟の夫』の感想をブログに書いてくださる人がいて、すごくありがたいです。ただ、その文章の中でも、無意識の偏見があったり、差別的な表現が使われていたりします。
これはブログに限らず、こうした取材の時にも起こることなので、なかなか一筋縄ではいかない、根深い問題だと感じています。
──具体的にはどういう言葉にそれは表れているのでしょうか?
田亀 例えば「ノーマル」という言い方は好ましくありません。対になる言葉が「アブノーマル」で、正常か異常という区別の仕方をしています。同じような考え方で、「ストレート」という表現を嫌う人もいます。ストレート以外が、曲がっているわけではないですからね。
一方で、昔からある「ノンケ」は、「その気がない人」という意味ですが、ノーマルやストレートなどヘテロを中心にした表現と異なる言葉です。そういう意味では、古い言葉でありながら先進的なのかなと思います。
とはいえ、言葉尻はそこまで重要ではありません。どんな言葉を使うのかよりも、どういうつもりでその言葉を使うかが大切なんです。
田亀 同性愛・同性婚を、自分にとって身近なイシューとして引き寄せて考えてもらいたい、というのは作品のテーマの一つです。“弟と結婚した夫”という関係性にしたのも、身内であればより考えやすいと思ったからでした。当然、それらを押し付けることなく、あくまでもエンターテインメントとして成立するように、注意して描くようにしています。
──作中では、既存の「当たり前」に捉われてしまいそうになる弥一が、純粋な夏菜に気づかされる場面が多々あります。同性愛に触れた子どもは、どんな反応を示すのでしょう?
田亀 一概には言えませんが、私の持論としては、やっぱり親の影響をすごく受けると思います。親が理解を深めていれば、子どももきちんと理解を示すのではないかという、希望的観測みたいなものですが。
個人的な希望として、ボーイズラブ(BL)作品が好きな女性は、自分の子供が同性愛者だとわかった時に、より受け入れやすいのではないかと期待しています。同性愛を認識している親であれば、子どもが悩んだり苦しんだりするリスクは減るでしょうから。遠ざけるのではなく、子どものためにも同性愛について知り、時には考えてみてほしいですね。
田亀 最終選考に残っているという連絡をいただいたときに、すごく驚いたのを覚えています。担当さんとも、せっかくなら賞を取りたいねと話していたので、実際に受賞できて嬉しかったです。と同時に、できることなら大賞がよかったなと思ってしまいましたが(笑)。
正直、私以上に周囲の反応が大きかったんです。トロント・コミック・アート・フェスティバルでディレクターを務める友人は、「日本の権威あるマンガ賞を受賞したことは素晴らしい」とツイートしてくれていました。
個人としては、ありがたい、嬉しいという感覚ですが、パートナーは「すごいね、頑張ったかいがあったね」と言ってくれました。私の仕事を長年そばで見てきましたし、大変だった時期も知っているので、特にそう感じたのかも知れません。
ただ私としては、今回のような受賞や、一般誌を目指して努力してきたわけではありません。昔も今も、自分が読みたい漫画、描きたい漫画を描いてきたので、それがよい結果を得たことは純粋に嬉しいです。
──ご両親も『弟の夫』を読んでくださったとか。
田亀 そうですね。私の作品を読んだのはこれが初めてだと思います。隠れて読んでいたかもしれませんが(笑)。読まないでねと言っていましたし、家にいた頃はほとんど漫画を描いていませんでしたから。
今回の受賞についても、とても喜んでいました。そういった周囲の反応を通して、その喜びが私自身にもフィードバックされている状態ですね。
──メディア芸術祭を受賞したことで、考えるきっかけとしての広がりを期待する部分はありますか?
田亀 そうですね。賞がきっかけで作品を知るという人もいるでしょうし、いざ具体的な議論になったときに、きちんと自分の考えを用意するための下準備になれればいいと思います。
弥一と夏菜、父娘2人暮らしの家に、マイクと名乗る男がカナダからやって来る。彼は、弥一の双子の弟・涼二の結婚相手だった。涼二はカナダでマイクと同性婚をし、その後亡くなったのだった。描かれるのは弥一と夏菜、そして弟の夫・マイクが一つ屋根の下で暮らす日常だ。
今回は、1月にコミックス最新第2巻が発売され、注目を集める本作について、連載開始につながる出来事や作品に込めたメッセージ、文化庁メディア芸術祭の受賞についてお話をうかがった。
ゲリラ的に送られてきた全3巻のコミックス
──『弟の夫』は、これまでゲイ雑誌をメインに作品を発表してきた田亀さんにとって、初の一般誌での連載です。そもそも、どのような経緯で誕生したのでしょうか?田亀 双葉社の担当編集さんに、「何か一緒にやりませんか?」と声をかけていただいたのがきっかけです。もともと私の作品を読んでくださっていたんですよね。
担当 先生の作品との最初の出会いは、15年くらい前です。ある日突然、編集部に先生の『男女郎苦界草紙 銀の華』が送られてきたんですよ。コミックス全3巻以外は手紙も何も入っていなくて、正直少し戸惑いました。あとになって、他の出版社の人からも同じようなことがあったと聞いたので、おそらく発行元が複数の出版社に対して、ゲリラ的に送っていたんじゃないかと……。
田亀 まったく知りませんでした(笑)。
担当 その不思議な出会い以降、ずっと注目していたんです。でも、どちらかというとファンのような意識で、一緒に仕事をしようという発想はありませんでした。そんなとき、共通の知り合いのライターの方に田亀先生のお話を聞いて、「でしたら是非!」とすぐに紹介してもらったのがきっかけでした。
──“田亀先生の話”とはいったい何だったんですか?
田亀 もう30年くらい前から、そのライターさんは私の作品を読んでくださっていて、何度か取材していただいたことがあって。そのときに、「ゲイ雑誌以外では描かないんですか?」と聞かれたので、「声をかけていただければ、なんでもやってみたい」という話をしたんです。それを、担当編集さんに伝えていただいたようです。
積極的に「一般誌で描きたい!」とアピールしていたわけではありませんが、今回お誘いを受けて描かせていただくことになりました。
数年前から同性婚が世界的に大きなニュースになってきていて、海外のニュース記事を掲載した私のツイートは、ヘテロ(異性愛者)の人からも反応がよかったんです。そんなこともあって、ヘテロ向けのゲイ漫画が描けたら面白いのではないかと考えていたところでした。
時代の空気感からもズレることなく始められてよかったと思います。
──以前からあった構想の中に、『弟の夫』の原型になるようなものはあったんでしょうか?
田亀 『弟の夫』は完全に新しく考えました。私の場合、男性同士のエロをテーマにしているので、違うものを描いて何が残るのか、田亀源五郎らしさが表現できるものってなんだろうと、最初は何を描いていいのかわかりませんでした。
悩んで悩んで、煮詰まったときにダメ元で出した『弟の夫』のプロットが、意外にもすごく反応がよかったんです。
でも、プロットを説明した段階で「面白そうですね」と言っていただいたにも関わらず、当時の私としては半信半疑でした。「また途中でポシャるだろう」と(笑)。
実は、これまでにも何度か別の一般誌から声をかけていただいたことがありました。そのときは「男性に告白されたことで、セクシャリティが揺らいでいく」という物語を提案したんです。担当編集さんは非常にプッシュしていただいたんですが、最終的に、編集長の鶴の一声で流れてしまいました。
そんな経験もあって、一般誌でゲイを題材にした漫画は、世の中的にどこか引っかかってしまう部分があるだろうと今回もたかをくくっていたんです…。
担当 編集長に見せたら「いいね! 表紙・巻頭でいこう!」と即決でした(笑)。
田亀 それを聞いて驚きましたよ。連載が実現するにしても、きっとすみっこで目立たないように、ひっそり始まると思っていたので(笑)。
一般誌ならではのストーリーテリング
──時代の空気とも重なってスタートした連載。一般誌ということで、執筆時に特に意識していることはありますか?田亀 ヘテロの人たちに読んでもらえるよう、できるだけ読者の間口が広くなるように工夫しています。
──工夫というのは具体的にどのような点がありますか?
田亀 第1話の冒頭は特に象徴的ですね。ネームの段階ではマイクが弥一にハグするシーンから始まっているんですが、担当さんの提案もあって、最終的には日常のシーンから始まっています。
ハグするシーンから始まった場合、何も知らない読者に物語を提示するという意味で、ゲイ雑誌の読者であれば、インパクトがあって、なおかつ関係性を想像させたり、展開を期待させたりする効果が望めますが、一般誌の読者は混乱してしまっていたかもしれません。インパクトを与えて読者をつかめればいいですが、衝撃が強すぎて、その後のストーリーが入ってこなかったり、そこで読むのをやめられてしまったりするのは本意ではありませんでしたから。
いかに物語と読者の距離を縮めていくか、ジャンル誌と一般誌では手法が異なることに気づかされました。
──距離感を詰めるという点においては、リアリティの高い日常描写を意識しているのでしょうか?
田亀 ストーリーテリングとしても、弥一がきちんと夏菜のお父さんをやっていることを表現したかったので、日常的な家事のシーンは必要でした。私自身、パートナーと分担で一通りの家事はしますが、いずれも漫画ではあまり描いたことがなかったので、そこは苦労しています。
トースターにコーヒーメーカー、洗濯機、果てはラーメンまで、漫画家として初めて描いていますよ。例えば洗濯機だったら、その資料を探すところから始めないといけないので、結構大変ですね。ディルドやバイブなら何も見なくても描けるんですが(笑)。
──食事シーンに登場するメニューは、読むと必ず食べたくなります。
田亀 そこは担当さんの協力も大きいですね。ちゃんと美味しそうに見えるか、いつも不安でたまりません。「美味しそうでしたよ」って言われるとほっとします。
ラーメンが登場するエピソードでも、ネームでは食べるシーン自体がなかったんですが、担当さんのアドバイスもあって、より印象的な、美味しそうなシーンになったと思います。
日常を描いた作品なので、必然的に食事のシーンは多くなりますね。個人的には、弥一のお父さんらしさや、チーズマカロニを通じたマイクとの文化交流などを表現する役割を果たしていたり、食事は必須要素の一つになりました。
──一般誌の場合、思うように描けなかったシーンもありそうですが。
田亀 いえ、ありません(笑)。従来私は、ゲイ雑誌で真正面のエロを描いています。エロティシズムの要素は、そちらで存分に出しているので、わざわざ一般誌で描く必要もないですし、そもそもゲイのラブストーリーではないので、物語としても必然性がないんです。描きたいけどセーブしていることはないですね。
──「文化庁メディア芸術祭」の優秀賞の贈賞理由にもありましたが、マイクのシャワーシーンなど、男性の体毛の描写には田亀さんらしいこだわりを感じました。
田亀 やっぱり私のフェティシズムですから。個人的には、自分のことを耽美作家だと思っているので、美しいものを全身全霊で描く、ゆえに体毛も美しく描く。私にとっての美しさは、いやらしさやセクシーといったものと同義語なんです。
マイクの場合、体毛の描写は控えめになっています。彼は身体の毛が茶色なので、あまり描きこみすぎると、白黒しかつかえない漫画では濃く見えてしまう。だから、密度を減らすことで軽く見せるなど、そういったこだわりはありますね。『弟の夫』を描く前までは、体毛の描写に一番時間をかけていました。
──では、『弟の夫』で最も時間のかかる描写は何ですか?
田亀 街の風景を中心とした背景です。ゲイ漫画では街歩きのシーンはほとんど描いてませんでしたし、読み切りの場合は背景素材を使っていましたから。今回の作品では、時間があれば実際に写真を撮りに行ってから描くので、時間がかかりますね。
英語・フランス語・韓国語版を出版予定
──初の一般誌連載作として、作品の反響をどのように感じていますか?田亀 『月刊アクション』本誌に予告が掲載されたときにはかなり騒がれたみたいですが、いざ連載が始まってみると、意外とすんなり受け入れられたという印象です。当然、読みやすいように心がけた面はありますが、それとは別に、日本の漫画は本当にバラエティ豊かなので、読者も同様に懐深く柔軟なのかなと思いました。
むしろ海外からの反応が大きかったかもしれません。ありがたいことに、私には海外のファンも多く、個展の開催など、年に2回くらいのペースで出張しているんです。
このあいだもパリで新刊の発売に合わせてサイン会を開催しました。その会場に「『弟の夫』のフランス語版をうちで出したい!」という複数の出版社が来てくれたんです。いまのところ、英語、フランス語、韓国語での出版を進めているところです。
──ゲイ漫画家が一般誌に連載することに対しての驚きもありそうですね。
田亀 海外では、日本ほどエロやSMに免疫がないので、私の作品を本当に毛嫌いしている人だっています。日本産のコミックやゲームが好きな人の間でも、それくらいハードコアなジャンルを描いている作家として知られているので、一般誌での連載は話題になっていました。
双葉社の雑誌では、すでに森永みるくさんの『GIRL FRIENDS』という、いわゆるガールズラブ、百合を描いた作品が注目されていて、次いでは『弟の夫』が始まったこともあり、「双葉社にはally(アライ)がいる!」という書評があって面白かったです。(※編注:「アライ(ally)」とはLGBTなどを否定する価値観に異議を投げかける異性愛の人々を指す言葉)
感想ブログに潜む無意識の差別や偏見
──同性愛に対する認識は、日本と海外どちらが進んでいると思いますか?田亀 海外といってもピンからキリまであるので、一概には言えないのではないでしょうか。日本も決して進んでいるとは思いませんが、大きな反発もないというのが実感ですね。海外では同性愛が近現代まで犯罪とされていた地域がある一方で、日本で犯罪になったのは、明治時代のほんのわずかな期間だけ。極端な弾圧がないかわりに、あまり進歩的でもないのかもしれません。
マイクの出身国であるカナダでは、10年前に同性婚が合法化されています。でも、早くから性に対してオープンになっているかと思えば、貧しい所得の層や地方では、まだカミングアウトしにくいという話は聞きます。
アメリカにしても、非常に進んでいるイメージを持ちますが、日本より遥かに意固地な人もいます。どこかの州では、州法で「バイブレーターを何個以上持つのは禁止」とか「オーラルセックス禁止」とかもあるそうですし。それくらい、海外とはいえ進んでいる面もあれば遅れている面もあるということです。
──最近では日本でも、渋谷区の同性パートナーシップ証明書など、同性愛・同性婚を取り巻く環境が変化しています。何か生活の中で感じられる変化はありますか?
田亀 世界的なイシューを日本でも取り入れようとする人が出てきたかな、とは思いますが、大きく認識が変わったという実感はないですね。
最近は、『弟の夫』の感想をブログに書いてくださる人がいて、すごくありがたいです。ただ、その文章の中でも、無意識の偏見があったり、差別的な表現が使われていたりします。
これはブログに限らず、こうした取材の時にも起こることなので、なかなか一筋縄ではいかない、根深い問題だと感じています。
──具体的にはどういう言葉にそれは表れているのでしょうか?
田亀 例えば「ノーマル」という言い方は好ましくありません。対になる言葉が「アブノーマル」で、正常か異常という区別の仕方をしています。同じような考え方で、「ストレート」という表現を嫌う人もいます。ストレート以外が、曲がっているわけではないですからね。
一方で、昔からある「ノンケ」は、「その気がない人」という意味ですが、ノーマルやストレートなどヘテロを中心にした表現と異なる言葉です。そういう意味では、古い言葉でありながら先進的なのかなと思います。
とはいえ、言葉尻はそこまで重要ではありません。どんな言葉を使うのかよりも、どういうつもりでその言葉を使うかが大切なんです。
BL読者の同性愛を受け入れやすい素養
──無意識の偏見や差別は、文字通りなかなか気づきにくいものなのかもしれません。でも『弟の夫』を読んでいると、そういったことを自然に意識できるように思えます。田亀 同性愛・同性婚を、自分にとって身近なイシューとして引き寄せて考えてもらいたい、というのは作品のテーマの一つです。“弟と結婚した夫”という関係性にしたのも、身内であればより考えやすいと思ったからでした。当然、それらを押し付けることなく、あくまでもエンターテインメントとして成立するように、注意して描くようにしています。
──作中では、既存の「当たり前」に捉われてしまいそうになる弥一が、純粋な夏菜に気づかされる場面が多々あります。同性愛に触れた子どもは、どんな反応を示すのでしょう?
田亀 一概には言えませんが、私の持論としては、やっぱり親の影響をすごく受けると思います。親が理解を深めていれば、子どももきちんと理解を示すのではないかという、希望的観測みたいなものですが。
個人的な希望として、ボーイズラブ(BL)作品が好きな女性は、自分の子供が同性愛者だとわかった時に、より受け入れやすいのではないかと期待しています。同性愛を認識している親であれば、子どもが悩んだり苦しんだりするリスクは減るでしょうから。遠ざけるのではなく、子どものためにも同性愛について知り、時には考えてみてほしいですね。
自分を支えてくれた人が自分以上に受賞を喜んでいる
──今回、メディア芸術祭の受賞を、ご自身としてはどのように受け止めていますか?田亀 最終選考に残っているという連絡をいただいたときに、すごく驚いたのを覚えています。担当さんとも、せっかくなら賞を取りたいねと話していたので、実際に受賞できて嬉しかったです。と同時に、できることなら大賞がよかったなと思ってしまいましたが(笑)。
正直、私以上に周囲の反応が大きかったんです。トロント・コミック・アート・フェスティバルでディレクターを務める友人は、「日本の権威あるマンガ賞を受賞したことは素晴らしい」とツイートしてくれていました。
個人としては、ありがたい、嬉しいという感覚ですが、パートナーは「すごいね、頑張ったかいがあったね」と言ってくれました。私の仕事を長年そばで見てきましたし、大変だった時期も知っているので、特にそう感じたのかも知れません。
ただ私としては、今回のような受賞や、一般誌を目指して努力してきたわけではありません。昔も今も、自分が読みたい漫画、描きたい漫画を描いてきたので、それがよい結果を得たことは純粋に嬉しいです。
──ご両親も『弟の夫』を読んでくださったとか。
田亀 そうですね。私の作品を読んだのはこれが初めてだと思います。隠れて読んでいたかもしれませんが(笑)。読まないでねと言っていましたし、家にいた頃はほとんど漫画を描いていませんでしたから。
今回の受賞についても、とても喜んでいました。そういった周囲の反応を通して、その喜びが私自身にもフィードバックされている状態ですね。
──メディア芸術祭を受賞したことで、考えるきっかけとしての広がりを期待する部分はありますか?
田亀 そうですね。賞がきっかけで作品を知るという人もいるでしょうし、いざ具体的な議論になったときに、きちんと自分の考えを用意するための下準備になれればいいと思います。
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田亀源五郎
ゲイ・エロティック・アーティスト
ゲイ・エロティック・アーティストとして、漫画やイラストレーションなどの分野で活躍。1982年の商業活動開始以来から、30年以上にわたって国内外の第一線で活動を続けている。
2015年末に発表された「第19回文化庁メディア芸術祭」マンガ部門の優秀賞を、自身初となる一般誌への掲載でも注目を集めた『弟の夫』が受賞。2016年2月に行われた受賞作品展には、受賞者として登壇を果たした。
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