アイドルグループ・虹のコンキスタドールのメンバー・重松佑佳さんがグループから卒業することが発表された。
9月10日に福岡 LIVEHOUCE CBにて行われる『虹のコンキスタドール 全国4都市TOUR2016「限りなく冒険に近いツアー ~福岡編~」』を最後に卒業する。福岡出身の彼女にとっては最初で最後の凱旋ライブとなる。卒業後は、以前から考えていたという医師への道を本格的に目指すとのこと。
2014年7月の結成以来、“聴けるTシャツシングル”としてリリースされた「戦場の聖バレンタイン」、60分超のミュージックビデオを収録したDVDシングル「↓エイリアンガール・イン・ニューヨーク↑」など、様々な話題を振りまきながら活動中の虹コン。
グループ最年長の20歳、副委員長としてメンバーたちをまとめる役割を担ってきた“しげちー”こと重松さんが、なぜアイドルからの卒業を決意したのか? その真意に迫るインタビューをここにお届けする。
取材・文/ピロスエ
重松佑佳(以下、重松) 虹のコンキスタドールへ加入する以前は、親戚や両親がお医者さんということもあって、自分もずっとそちらの道を目指していたんです。今しかできないアイドル活動を頑張ってきたのが2年間でしたが、20歳になったのをきっかけに、子供の頃からの夢をやっぱり目指したいなと考えました。
──医者になりたいと思ったのは、まだ小さい頃ですか?
重松 小学・中学は、あまり学校に行ってないタイプの……。
──行ってないタイプ(笑)。
重松 (笑)いわゆる不登校だったんです。中学生の時、そんな私をかわいがってくれた祖母が入院しまして。そこで身内の病気や死を目の当たりにして、立派なお医者さんになりたいと思い、猛勉強して九州の進学校に入ったんです。
でも高校に入ってからも、人間関係が上手くいかない時期があって。こんな私が本当にお医者さんになれるのか? 自分の理想としているお医者さんになれないんじゃないか? と悩み始めたんです。それで、もっと広い世界を見てみたいなと考え、勉強と違う方向に一旦身を置きたいなって思った時に、ちょうど虹のコンキスタドールのオーディションを見つけて。芸能界という子供の頃あこがれがあった世界に、もしオーディションに受かったら進んでみたいなって、記念受験じゃないですけど、最後の希望みたいな感じでオーディションを受けたら、なんと合格をいただいて。
──オーディションに応募した時は、合格する見込みは何パーセントぐらいで考えていました?
重松 1パーセントぐらい(笑)。「これに落ちたら受験に集中しよう」と思いながら応募しました。
──合格したという報せを受けた時はどんな感じでしたか?
重松 本当に信じられなくて。結果はメールでいただいたんですけど、自分でもびっくりするぐらい、自然と涙がぼろぼろ出ちゃって。父は厳しい方なので、母にだけ相談していたんですけど、受かった瞬間に「もう絶対入りたいから!」ってお願いしました。
──お父さんに話して、すんなり許してもらえました?
重松 えっと、正直微妙なんですけど(笑)、契約してから父には話しました。後出しみたいな形なんですけど、「もう契約したし、私の将来だから!」って。当時18歳だったので、「勝手にしたら」じゃないですけど、びっくりはしてましたね。
重松 そうですね、主に年齢的な理由で副委員長にしていただいたのが大きかったと思うんですよね、最年長だったので。でもアイドルとしては経験ゼロですし、スキルを見せてみんなを引っ張って行けるタイプじゃなかったので……みんなに嫌がられずに、引っ張っていくというより先導していくというのが難しかったですね。メンバーも多いですし。
──当時、軋轢とかあったりしました?
重松 やっぱり、多少は揉めたりとか、みんな思い悩んでいた時期はあったと思うんですけど、でもそれはみんなで話し合って乗り越えてきました。今は2年間でみんな大人になって、お互いを理解するようになったりとか(笑)、ああみんな変わっていくんだなあって、逆に振り返ってすごく実感するというか、温かい気持ちになります。
──2年間虹コンで活動されていて、いろいろエピソードがあったと思うんですけど、印象に残っているものは?
重松 アイドル活動はもちろんですけど、好きだったコスプレの仕事をいただけたり、水島精二監督の『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』という作品の挿入歌PVの編集というまったく知らなかった映像のお仕事もをさせていただいて、実際にDVDにも作品が収録されたんですよね。本当に楽しくて、こんな仕事があるなんて知らなかったし、いろんなものに刺激を受けて、いろんな仕事をさせていただいて、素敵な2年間だったと思います。
──重松さんから見て、虹コンはどういうアイドルグループですか?
重松 アイドル活動をしていく中で、アイドルとして、そして人間的にも成長が見られる、それと同時に、お互いに刺激を受けるグループだなと思っています。初期の頃は、まともに歌えるメンバーも、ダンスが上手いメンバーも、ほとんどいなかったんですよね。でも時が経つにつれてみんな成長してきて。人数も増えてくると、ステージの規模によっては歌が無かったりステージに立てない曲が出てきたりもするんです。その時に、あの子に負けないようにとか、あの子を見習おうとか、ケンカじゃなくて良い意味で競い合っているのがすごく見受けられるんですよ。
悩んだり、時には泣きながらこのグループで時間を過ごして、虹コンが大好きになりました。自分なりの居場所を見つけて、その環境にいられることが誇りなんです。たくさんのファンの皆さんが、私を愛してくれて、認めてくれて、その中で私自身も変わっていくところがいくつもあって、私も多くの人を愛することができました。
でもそれと同時に、ずっと夢見ていた医師という仕事を諦められないという気持ちも心のどこかにあって。今から医師を目指すのはとても難しくて、長い道のりになるかもしれないけど、でも2年前に一度諦めた道を忘れることができなくなってきてしまって……。
重松 体調不良? と不信感を抱いていたファンの方も多いと思いますが、この場をお借りして言うと、20歳を迎える直前ぐらいから、このままアイドルを続けるか、お医者さんという道に改めて挑むか、深刻に思い悩むようになったんです。精神的な気持ちの揺らぎや葛藤がすごくて、それもあって体調を崩してしまい、みなさんにご迷惑をおかけしてしまいました。
そんな中でプロデューサーやスタッフさんと何度もお話させていただいて、20歳になったタイミングで今回の4都市ツアー、福岡での卒業公演という話をいただきました。悩んだけれど、辞める前に愛する虹コンでやれるだけのことはやりたいという私の意志を尊重していただき、とあるアーティストさんのMV出演といったソロの女優としてのお仕事や、夏には海外でのイベントに出演する予定など、今まで経験したことがなかったお仕事にもチャレンジさせていただきつつ、並行して受験勉強の時間も取らせてもらっています。
なので、グループとしての活動の頻度は大幅に減ってしまうと思います。自分でもわがままだとは思うんですが、残りのわずかな時間、この仕事を最後まで楽しみながら、やるべきことは精一杯全うしたいと思っています。
──アイドルを続けるか、医者を目指すか、二つの道のどちらを選ぶか、相当迷ったんじゃないかと思いますが……。
重松 すごくありましたね。虹コンに入って一番感じたのが、人の温かさだったんですけど、自分がこの2年間ですごく人に愛してもらって、愛される人間になれたなって思って。でもやっぱりお医者さんになりたいという気持ちもずっと片隅にあって、20歳になって、そっちの気持ちがちょっとだけ勝ってしまったんですね。
だから、アイドルや虹コンの活動が嫌になったわけじゃなくて、この2年間の虹のコンキスタドールという経験を通じてようやく「私は医者を目指してもいいんだ」と思えたっていうのが実感です。
──アイドル活動を平行して続けつつ医者も目指すという選択肢は考えなかったですか?
重松 虹コンとして活動していく中で、この人数の中で切磋琢磨していって、どんどん新しい予科生も増えて、才能を持った子がたくさん入ってきていて。私もこのグループがすごく好きで、本当に上まで行って欲しくて。医者を目指すという気持ちのままアイドルを続けるのは、とっても中途半端になっちゃうんじゃないかなって思ったんです。好きだから辞めるって言ったらおかしいですけど。
──卒業を決める時に、他のメンバーに相談とかしました?
重松 ほとんどしてないですね。メンバー自体に言ったのも、決めてから後で、みんなにはずっと黙っていたので。一緒に寮に住んでいる根本(凪)や陶山(恵実里)には少し話していたんですけどね。とあるレッスンの時に、みんなには発表したんですけど、知らなかったメンバーは泣いてくれて、それが嬉しいと同時に辛かったですね。「私がいない虹コンはまだ考えられない」と言ってくれる子もいたりして。もちろんそうじゃなくなると思いますし、なくなってほしいんですけど、私がこのグループに2年間いた意味がちゃんとあって良かったなと思います。
──ちょっと意地悪な質問かもしれないですけど、虹コンというグループは最近立て続けに辞めるメンバーが増えている印象があって、大丈夫なのか心配しているファンも多いかと思うんですが……?
重松 私自身、今回お話ししたように、ソロでのお仕事や勉強の時間を取らせていただくことで、最近はイベントに出演する機会が減ってしまいっていて。今日までちゃんとした理由を説明することができず、ファンの方に心配をかけてしまい、大変申し訳なかったと思っています。
やっぱり、初期からのメンバーが辞めているのは事実ですし、アーティスト写真をパッと見ると、ああ昔と変わったな、なんか違うなっていう印象は、客観的に見て自分でも思います。でも、実際に虹コンの生の姿を見てもらったら、それをふっ飛ばせるぐらい、みんながいろんなものを吸収しているとも思っています。
辞めたメンバーの中には歌の上手い子もいましたし、長田(美成)の練習量やパフォーマンスは私も一目置いていた部分があって、やっぱりみんな影響を受けているんですよね。いなくなってしまったけど、そのメンバーのいた実績というのは、虹のコンキスタドールの中には残っていると私は思うんですよね。
今はダンスリーダーとして的場(華鈴)と副リーダーは中村(朱里)が、みんなに教えてくれたりとか、引っ張っていきたいと思っている子がちゃんといてくれたりして。的場自身が「メンバーをまとめられたらいいな」というブログを書いていて、そういう意思がちゃんとあるんですよね。辞める身の私が言うことじゃないですけど、虹コンからは誰も辞めてほしくないし、みんながどんどん切磋琢磨していけばもっと上に行けるグループだと信じています。
──重松さんが抜けても、虹コンは大丈夫だという確信があるんですね。
重松 虹コンは売れます! 信じています! 委員長とか副委員長とか関係なく、今はみんなお互いを助けていこうという気持ちが感じられるので、不安だという気持ちはそこまではないですね。
重松 いろんな人の話を聞いていて、麻酔科と婦人科にあこがれています。6年の学習の中でいろいろまた興味は変わっていくとは思いますけど。父は脳外科なんですが、本当に大変そうですね。
──医学部といえば、かなりの難関かと思いますが。
重松 はい、すごく難しいのは重々承知しています。高校の同級生でも、医学部に入った子や、まだ浪人してしまっている子もいて。真面目に3年間勉強していても、受かる子もいれば落ちる子もいるという世界ですよね。本気で頑張ろうと思っています。
──虹コンプロデューサーの永田(寛哲)さんも歯科医を目指していたという経歴があるので、そういうところで相談したこともあったのでしょうか?
重松 プロデューサーもご自分の身の上の話をしてくれつつ、いろいろ相談に乗ってくださいました。印象的だったのは、「僕が通っていた大学は、他の大学を卒業してから入学してくる人や、社会人を経験して30歳を超えてから入学してくる人もたくさんいた。医者の道を目指すに遅すぎるということはないから、今やりたいこと、やれることをやりきってからの方が、最終的にどの道に進むにしても悔いがなくなるので、今はアイドルを頑張ってみるのが良いんじゃないか」というお話でした。それは加入する時も、悩んでいた時期も何度かお話したことです。
──今後、芸能活動はもう考えていないですか?
重松 そうですね、やっぱり医学部は本当に忙しいと周りからも聞くので、専念すると決めたからには、大学6年と研修2年で、受験が終わってからも長い道のりが待っているので、頑張っていけたらと思っています。
──これまで虹コンメンバーとして活動を続けていて、良かったと思った瞬間は?
重松 振り返れば毎日だと思います。やっぱり味わったことのない感動や、悔しさがありました。受験とか勉強って、点数や成績がすべて数字として結果が出るじゃないですか。そうじゃなくて、ステージでのパフォーマンスだったり握手会だったり、いろんなもので計られる世界だと思うので、それまで数字にこだわる学校という環境にずっと身を置いてきた私としては、自分の中の殻が破れたというか、本当に180度違う体験ができましたね。
──それでは、まだ活動は数ヵ月続きますが、ファンの方々に一言お願いできますでしょうか。
重松 2年間応援していただいて、私は覚えるのが比較的得意なタイプなので、ファン一人一人のみなさんとの思い出が、自分の中ですごく大きく残っていて。あの時来てくれたとか、あの時この場所にいたとか、よく覚えているんですよね。だからその分すごく寂しいし、やっぱり申し訳ないという気持ちがあって。だから、決めた以上は絶対にお医者さんになりたいし、それが私の誠意の見せ方だと思うので、遠くから気持ちだけでも応援してもらえたら嬉しいです。
もちろん、虹コンのことも! 絶対すごいグループになると思うので。私の卒業なんてちっぽけな出来事になればいいなって。私は「昔、虹のコンキスタドールのメンバーだったんだぞ!」って勝手に誇っているので(笑)。新しいファンのみなさんは、そんなこと全然気にならないぐらいのグループになってくれればいいな、と思っています。
9月10日に福岡 LIVEHOUCE CBにて行われる『虹のコンキスタドール 全国4都市TOUR2016「限りなく冒険に近いツアー ~福岡編~」』を最後に卒業する。福岡出身の彼女にとっては最初で最後の凱旋ライブとなる。卒業後は、以前から考えていたという医師への道を本格的に目指すとのこと。
2014年7月の結成以来、“聴けるTシャツシングル”としてリリースされた「戦場の聖バレンタイン」、60分超のミュージックビデオを収録したDVDシングル「↓エイリアンガール・イン・ニューヨーク↑」など、様々な話題を振りまきながら活動中の虹コン。
グループ最年長の20歳、副委員長としてメンバーたちをまとめる役割を担ってきた“しげちー”こと重松さんが、なぜアイドルからの卒業を決意したのか? その真意に迫るインタビューをここにお届けする。
取材・文/ピロスエ
医者への夢を抱いていた学生時代
──まず、今回の卒業理由を教えてください。重松佑佳(以下、重松) 虹のコンキスタドールへ加入する以前は、親戚や両親がお医者さんということもあって、自分もずっとそちらの道を目指していたんです。今しかできないアイドル活動を頑張ってきたのが2年間でしたが、20歳になったのをきっかけに、子供の頃からの夢をやっぱり目指したいなと考えました。
──医者になりたいと思ったのは、まだ小さい頃ですか?
重松 小学・中学は、あまり学校に行ってないタイプの……。
──行ってないタイプ(笑)。
重松 (笑)いわゆる不登校だったんです。中学生の時、そんな私をかわいがってくれた祖母が入院しまして。そこで身内の病気や死を目の当たりにして、立派なお医者さんになりたいと思い、猛勉強して九州の進学校に入ったんです。
でも高校に入ってからも、人間関係が上手くいかない時期があって。こんな私が本当にお医者さんになれるのか? 自分の理想としているお医者さんになれないんじゃないか? と悩み始めたんです。それで、もっと広い世界を見てみたいなと考え、勉強と違う方向に一旦身を置きたいなって思った時に、ちょうど虹のコンキスタドールのオーディションを見つけて。芸能界という子供の頃あこがれがあった世界に、もしオーディションに受かったら進んでみたいなって、記念受験じゃないですけど、最後の希望みたいな感じでオーディションを受けたら、なんと合格をいただいて。
──オーディションに応募した時は、合格する見込みは何パーセントぐらいで考えていました?
重松 1パーセントぐらい(笑)。「これに落ちたら受験に集中しよう」と思いながら応募しました。
──合格したという報せを受けた時はどんな感じでしたか?
重松 本当に信じられなくて。結果はメールでいただいたんですけど、自分でもびっくりするぐらい、自然と涙がぼろぼろ出ちゃって。父は厳しい方なので、母にだけ相談していたんですけど、受かった瞬間に「もう絶対入りたいから!」ってお願いしました。
──お父さんに話して、すんなり許してもらえました?
重松 えっと、正直微妙なんですけど(笑)、契約してから父には話しました。後出しみたいな形なんですけど、「もう契約したし、私の将来だから!」って。当時18歳だったので、「勝手にしたら」じゃないですけど、びっくりはしてましたね。
虹コンとしての2年間のアイドル活動
──そして虹コンに加入して、重松さんが副委員長、つまりサブリーダーに任命されたわけですが、活動していく中で様々な苦労もあったと思うんですが……?重松 そうですね、主に年齢的な理由で副委員長にしていただいたのが大きかったと思うんですよね、最年長だったので。でもアイドルとしては経験ゼロですし、スキルを見せてみんなを引っ張って行けるタイプじゃなかったので……みんなに嫌がられずに、引っ張っていくというより先導していくというのが難しかったですね。メンバーも多いですし。
──当時、軋轢とかあったりしました?
重松 やっぱり、多少は揉めたりとか、みんな思い悩んでいた時期はあったと思うんですけど、でもそれはみんなで話し合って乗り越えてきました。今は2年間でみんな大人になって、お互いを理解するようになったりとか(笑)、ああみんな変わっていくんだなあって、逆に振り返ってすごく実感するというか、温かい気持ちになります。
──2年間虹コンで活動されていて、いろいろエピソードがあったと思うんですけど、印象に残っているものは?
重松 アイドル活動はもちろんですけど、好きだったコスプレの仕事をいただけたり、水島精二監督の『コンクリート・レボルティオ ~超人幻想~』という作品の挿入歌PVの編集というまったく知らなかった映像のお仕事もをさせていただいて、実際にDVDにも作品が収録されたんですよね。本当に楽しくて、こんな仕事があるなんて知らなかったし、いろんなものに刺激を受けて、いろんな仕事をさせていただいて、素敵な2年間だったと思います。
──重松さんから見て、虹コンはどういうアイドルグループですか?
重松 アイドル活動をしていく中で、アイドルとして、そして人間的にも成長が見られる、それと同時に、お互いに刺激を受けるグループだなと思っています。初期の頃は、まともに歌えるメンバーも、ダンスが上手いメンバーも、ほとんどいなかったんですよね。でも時が経つにつれてみんな成長してきて。人数も増えてくると、ステージの規模によっては歌が無かったりステージに立てない曲が出てきたりもするんです。その時に、あの子に負けないようにとか、あの子を見習おうとか、ケンカじゃなくて良い意味で競い合っているのがすごく見受けられるんですよ。
悩んだり、時には泣きながらこのグループで時間を過ごして、虹コンが大好きになりました。自分なりの居場所を見つけて、その環境にいられることが誇りなんです。たくさんのファンの皆さんが、私を愛してくれて、認めてくれて、その中で私自身も変わっていくところがいくつもあって、私も多くの人を愛することができました。
でもそれと同時に、ずっと夢見ていた医師という仕事を諦められないという気持ちも心のどこかにあって。今から医師を目指すのはとても難しくて、長い道のりになるかもしれないけど、でも2年前に一度諦めた道を忘れることができなくなってきてしまって……。
「アイドル」「医者」どちらの道を選ぶかの葛藤
──5枚目のシングル「↓エイリアンガール・イン・ニューヨーク↑」がリリースされた後ぐらいに、重松さんが体調不良で休むという発表が頻発していた時期がありましたね。重松 体調不良? と不信感を抱いていたファンの方も多いと思いますが、この場をお借りして言うと、20歳を迎える直前ぐらいから、このままアイドルを続けるか、お医者さんという道に改めて挑むか、深刻に思い悩むようになったんです。精神的な気持ちの揺らぎや葛藤がすごくて、それもあって体調を崩してしまい、みなさんにご迷惑をおかけしてしまいました。
そんな中でプロデューサーやスタッフさんと何度もお話させていただいて、20歳になったタイミングで今回の4都市ツアー、福岡での卒業公演という話をいただきました。悩んだけれど、辞める前に愛する虹コンでやれるだけのことはやりたいという私の意志を尊重していただき、とあるアーティストさんのMV出演といったソロの女優としてのお仕事や、夏には海外でのイベントに出演する予定など、今まで経験したことがなかったお仕事にもチャレンジさせていただきつつ、並行して受験勉強の時間も取らせてもらっています。
なので、グループとしての活動の頻度は大幅に減ってしまうと思います。自分でもわがままだとは思うんですが、残りのわずかな時間、この仕事を最後まで楽しみながら、やるべきことは精一杯全うしたいと思っています。
──アイドルを続けるか、医者を目指すか、二つの道のどちらを選ぶか、相当迷ったんじゃないかと思いますが……。
重松 すごくありましたね。虹コンに入って一番感じたのが、人の温かさだったんですけど、自分がこの2年間ですごく人に愛してもらって、愛される人間になれたなって思って。でもやっぱりお医者さんになりたいという気持ちもずっと片隅にあって、20歳になって、そっちの気持ちがちょっとだけ勝ってしまったんですね。
だから、アイドルや虹コンの活動が嫌になったわけじゃなくて、この2年間の虹のコンキスタドールという経験を通じてようやく「私は医者を目指してもいいんだ」と思えたっていうのが実感です。
──アイドル活動を平行して続けつつ医者も目指すという選択肢は考えなかったですか?
重松 虹コンとして活動していく中で、この人数の中で切磋琢磨していって、どんどん新しい予科生も増えて、才能を持った子がたくさん入ってきていて。私もこのグループがすごく好きで、本当に上まで行って欲しくて。医者を目指すという気持ちのままアイドルを続けるのは、とっても中途半端になっちゃうんじゃないかなって思ったんです。好きだから辞めるって言ったらおかしいですけど。
──卒業を決める時に、他のメンバーに相談とかしました?
重松 ほとんどしてないですね。メンバー自体に言ったのも、決めてから後で、みんなにはずっと黙っていたので。一緒に寮に住んでいる根本(凪)や陶山(恵実里)には少し話していたんですけどね。とあるレッスンの時に、みんなには発表したんですけど、知らなかったメンバーは泣いてくれて、それが嬉しいと同時に辛かったですね。「私がいない虹コンはまだ考えられない」と言ってくれる子もいたりして。もちろんそうじゃなくなると思いますし、なくなってほしいんですけど、私がこのグループに2年間いた意味がちゃんとあって良かったなと思います。
──ちょっと意地悪な質問かもしれないですけど、虹コンというグループは最近立て続けに辞めるメンバーが増えている印象があって、大丈夫なのか心配しているファンも多いかと思うんですが……?
重松 私自身、今回お話ししたように、ソロでのお仕事や勉強の時間を取らせていただくことで、最近はイベントに出演する機会が減ってしまいっていて。今日までちゃんとした理由を説明することができず、ファンの方に心配をかけてしまい、大変申し訳なかったと思っています。
やっぱり、初期からのメンバーが辞めているのは事実ですし、アーティスト写真をパッと見ると、ああ昔と変わったな、なんか違うなっていう印象は、客観的に見て自分でも思います。でも、実際に虹コンの生の姿を見てもらったら、それをふっ飛ばせるぐらい、みんながいろんなものを吸収しているとも思っています。
辞めたメンバーの中には歌の上手い子もいましたし、長田(美成)の練習量やパフォーマンスは私も一目置いていた部分があって、やっぱりみんな影響を受けているんですよね。いなくなってしまったけど、そのメンバーのいた実績というのは、虹のコンキスタドールの中には残っていると私は思うんですよね。
今はダンスリーダーとして的場(華鈴)と副リーダーは中村(朱里)が、みんなに教えてくれたりとか、引っ張っていきたいと思っている子がちゃんといてくれたりして。的場自身が「メンバーをまとめられたらいいな」というブログを書いていて、そういう意思がちゃんとあるんですよね。辞める身の私が言うことじゃないですけど、虹コンからは誰も辞めてほしくないし、みんながどんどん切磋琢磨していけばもっと上に行けるグループだと信じています。
──重松さんが抜けても、虹コンは大丈夫だという確信があるんですね。
重松 虹コンは売れます! 信じています! 委員長とか副委員長とか関係なく、今はみんなお互いを助けていこうという気持ちが感じられるので、不安だという気持ちはそこまではないですね。
「これが私の誠意の見せ方」
──医者にも様々なジャンルがあると思うんですが、具体的にはどんな方面を目指しているんですか?重松 いろんな人の話を聞いていて、麻酔科と婦人科にあこがれています。6年の学習の中でいろいろまた興味は変わっていくとは思いますけど。父は脳外科なんですが、本当に大変そうですね。
──医学部といえば、かなりの難関かと思いますが。
重松 はい、すごく難しいのは重々承知しています。高校の同級生でも、医学部に入った子や、まだ浪人してしまっている子もいて。真面目に3年間勉強していても、受かる子もいれば落ちる子もいるという世界ですよね。本気で頑張ろうと思っています。
──虹コンプロデューサーの永田(寛哲)さんも歯科医を目指していたという経歴があるので、そういうところで相談したこともあったのでしょうか?
重松 プロデューサーもご自分の身の上の話をしてくれつつ、いろいろ相談に乗ってくださいました。印象的だったのは、「僕が通っていた大学は、他の大学を卒業してから入学してくる人や、社会人を経験して30歳を超えてから入学してくる人もたくさんいた。医者の道を目指すに遅すぎるということはないから、今やりたいこと、やれることをやりきってからの方が、最終的にどの道に進むにしても悔いがなくなるので、今はアイドルを頑張ってみるのが良いんじゃないか」というお話でした。それは加入する時も、悩んでいた時期も何度かお話したことです。
──今後、芸能活動はもう考えていないですか?
重松 そうですね、やっぱり医学部は本当に忙しいと周りからも聞くので、専念すると決めたからには、大学6年と研修2年で、受験が終わってからも長い道のりが待っているので、頑張っていけたらと思っています。
──これまで虹コンメンバーとして活動を続けていて、良かったと思った瞬間は?
重松 振り返れば毎日だと思います。やっぱり味わったことのない感動や、悔しさがありました。受験とか勉強って、点数や成績がすべて数字として結果が出るじゃないですか。そうじゃなくて、ステージでのパフォーマンスだったり握手会だったり、いろんなもので計られる世界だと思うので、それまで数字にこだわる学校という環境にずっと身を置いてきた私としては、自分の中の殻が破れたというか、本当に180度違う体験ができましたね。
──それでは、まだ活動は数ヵ月続きますが、ファンの方々に一言お願いできますでしょうか。
重松 2年間応援していただいて、私は覚えるのが比較的得意なタイプなので、ファン一人一人のみなさんとの思い出が、自分の中ですごく大きく残っていて。あの時来てくれたとか、あの時この場所にいたとか、よく覚えているんですよね。だからその分すごく寂しいし、やっぱり申し訳ないという気持ちがあって。だから、決めた以上は絶対にお医者さんになりたいし、それが私の誠意の見せ方だと思うので、遠くから気持ちだけでも応援してもらえたら嬉しいです。
もちろん、虹コンのことも! 絶対すごいグループになると思うので。私の卒業なんてちっぽけな出来事になればいいなって。私は「昔、虹のコンキスタドールのメンバーだったんだぞ!」って勝手に誇っているので(笑)。新しいファンのみなさんは、そんなこと全然気にならないぐらいのグループになってくれればいいな、と思っています。
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イベント情報
虹のコンキスタドール 全国4都市TOUR2016 「限りなく冒険に近いツアー」
- 東京
- 2016年8月27日(土)LIQUIDROOM 初級(昼)&上級(夜)
- 福岡
- 2016年9月10日(土)LIVEHOUSE CB
- 大阪
- 2016年9月17日(土)ESAKA MUSE
- 名古屋
- 2016年9月19日(月・祝) CLUB QUATTRO
http://pixiv-pro.com/2zicon/tour2016
※重松佑佳さんの出演は8/27東京、9/10福岡となります。
その他、リリース記念イベントも続々と決定中。
詳しくは虹のコンキスタドール公式HPをチェック。
http://pixiv-pro.com/2zicon/tour
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