「地方では、東京では考えられないような変化が起きるんですよ」
フェス後の打ち上げで盛り上がるスタッフを横目に、イベントプロデューサーの鶴田宏和さんは笑顔を見せた。食卓いっぱいに並んだお惣菜に、地元の日本酒を酌み交わす賑わいのなかから、僕は鶴田さんの声を拾おうとiPhoneを向けた。
「あえて大掛かりな仕掛けはせず、毎年DIYで増築してきたようなフェス。大手のスポンサーを入れたり、フェス受けするようなアーティストを集めるような“正常進化”はしたくなかったんです。東京もそうだけど、正常進化の枠で考えられることって、もう僕はあまり面白くないと思っていて」
ここは、長野県山ノ内町、渋温泉郷。 東京からクルマで4時間あまりの、山間の温泉街だ。豊富な湯量と泉質が自慢だけれど、箱根や熱海なんかと比べれば、その名前はメジャーではないだろう。
でも、この街で1年に一度開催され、今年で9回目になる音楽フェス「音泉温楽」には全国から300人が足を運ぶ。会場のキャパシティとして300人限定しかチケットが用意できないプレミアムフェスだ。東京からの参加者は7割を占める。 メイン会場は『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のモデルになったともいわれる、登録有形文化財の温泉宿「金具屋」の大広間。観客は禁煙、ノースタンディングで、温泉と美酒を楽しみながら音楽を味わう。
参加してみて、はっきりわかった。ここが……楽園か……! 「今は地方でも東京でも同じモノが買えるし、地方の街だけの特別な場所も歴史もある。
でも、今はそこに暮らす人たちがそこにしかないコアな価値に気づいていないし、その中身がないだけなんですよ。
渋温泉にはいろんな人が入ってくることで、それこそ文明開化が起きているのかもしれない。だって、移住者もいて、『音泉温楽』で出会ったイベントスタッフ同士が結婚して、会場となっている金具屋の若旦那が自らDJになって、しかも文化財の建物の中に温泉が併設されたクラブスペースまでつくっちゃったんですよ?(笑)」
鶴田さんはそう語る。イベントプロデューサーという肩書きにうさんくさいものを感じる人もいるかもしれないが、実はこの人も大分県別府温泉郷にある、老舗の「ホテルニューツルタ」の若旦那だ。 人口1.2万人あまりの温泉街に起きつつある文明開化。とはいえ、そもそもなぜ、1758年開業の老舗温泉宿で音楽フェスが開かれ続けるのだろう? それはこの町にとって、どんな意味と変化をもたしているのだろう? そして、この町に鳴る音楽は、そこでどんな役割を担っているのだろう?
その裏側を、今回は当事者たちへのインタビューを交えて、探ってきた。
撮影:東京神父
源泉100%掛け流しの温泉は金具屋の自慢のひとつ。また、渋温泉郷には9つの公衆浴場があり、それらを巡るのも一興だ。
初日のステージは休憩をはさみながら、15時から22時半まで、6組のアーティストが登場した。
1日目のメインフロア、アーティスト写真をぜんぶ見る
フードメニューは100円のおでんから、700円の「麦と冬野菜のリゾット」まで多種多様。メニューは地元スタッフが試作をした自信作で、売上もすべて地元へ還元されるという。えのき茸や野沢菜など、長野らしい食材がふんだんに使われていた。
参加して4年目になる地元スタッフの女性は「今では音泉温楽がないと、その年が締まらないなって気持ち」と笑う。さらに、この仕事を通じて仲良くなった男性と結婚(!)したそうで、いまでは夫婦で音泉温楽を裏方から盛り上げる。 サブフロアとなった『慶雲の間』はDJスペースに。
“宴会型歌謡カルチャーの次世代型アップデート”を提唱するDJ CARP、J.A.G.U.A.R.、Nachuからなる「ゆけむりDJs」をはじめとしたDJ陣が、メインフロアに負けず劣らずサウンドを響かせた。
スタッフや地元民を招いて行われた、打ち上げを兼ねたアフターパーティー。その場所は登録有形文化財に指定され、かつては旅館として営まれていた金具屋別館「臨仙閣」。 ふだんは閉じられているこの館の……その地下には、秘密の「ONONBAR」が存在する。現在、宿泊はできないものの浴場や炊事場は利用できるように整備されており、おそらく世界でも珍しい「温泉付きDJラウンジ」として活用されているのだ。
この場所をつくりあげたのは、金具屋9代目館主の西山和樹さん。現在は「きゅうだいめ」としてDJプレイをする西山さんだが、「音楽にそれほど興味はなかった」と話す。しかし、音泉温楽やプレイヤーとの出会いが、若旦那に新しい扉を開かせた。その大きなカギになったのは、アニメ『プリキュア』だったという。
現在までの歩みを、音泉温楽プロデューサーである鶴田宏和さんを交えて、振り返ってもらった。 鶴田宏和さん(以下、鶴田) もともとはサワサキヨシヒロさんの企画で、アンビエント音楽と温泉の映像を組み合わせた作品集をつくることになり、そのロケ地を探す過程で渋温泉と金具屋さんに出会ったんです。出来上がった作品のリリースパーティをすることになり、「これは温泉地でやってこそ意味がある」と、金具屋さんの宴会場をお借りしたのが2009年ですね。
西山和樹さんこときゅうだいめ 映像作品もイベントも、あまりよくわからないままに、まぁいいかなと(笑)。そこから毎年開催するようになったのですが、最初に鶴田さんから「次はライブだけじゃなくてDJを入れたい」と言われたときは抵抗感がありました。それまで「DJ=怖いもの」という意識だったから……。
鶴田 そのときに来てもらったのが、宴会型歌謡カルチャーの次世代アップデートを掲げるDJ CARP率いる「ゆけむりDJs」のコアメンバーでした。しぶる西山さんにお願いして、使われていなかった館内のカラオケバーをお借りすることになって。
きゅうだいめ そうしたら、バーの前を通りかかると聞こえてきたのが『プリキュア』の主題歌で(笑)。プリキュアは娘が大好きで知ってたんです。次に通りかかったらミスチルが流れてて、それからもアニソンやヒット曲や知っているばかり。「そういうのもあるのか!」と今までのDJのイメージが払拭されました。
言うならば、僕らがカラオケで盛り上がるような曲をつないでいた。メロディが流れたら全然知らない人同士でも打ち解ける、まさにスナックのカルチャーにもオーバーラップするようで。興味が出て、打ち上げでDJ機材を見せてもらい、ゆけむりDJsのDJ CARPさんたちと親交を深めていきました。 きゅうだいめ 初めはDJアプリで始めて、曲と曲のつなぎ方がわかったら面白くなってきて。DDJ-WeGOを買って、好きな特撮ソングをつないでみたり。機材を買ったので音も出したくなって、この臨仙閣の地下に持っていた5.1cn1スピーカーを入れたんです。
それで2014年12月の音泉温楽の打ち上げでDJプレイを披露することに……そうしたら、DJ CARPさんから「年明け1月にイベントを東京の渋谷OTOでやるから出てよ」と声をかけられました。
「やってみたくないですか? 渋谷の箱で、爆音で、鳴らしてみたいと思いませんか」という甘い囁きに乗ってしまったんです(笑)。それまでクラブにも行ったことがなく、だから僕は「クラブデビュー=DJデビュー」で、しかも時間は1時台というメイン。慌てて猛練習して、わけもわからないなりに頑張ったら、お客さんが盛り上がってくれた。それで麻薬みたいなDJの楽しさを知ってしまったんです。
別の機会に三軒茶屋Orbitでもプレイをして、すごく楽しかったわけです。でも当然、仕事もあって長野から東京へは週に何度も行けませんし、だったら自分の家にOTOやOrbitをつくればいいんじゃないか、と。それがきっかけで、臨仙閣の地下スペースをよりクラブっぽくしていったんですよね。 きゅうだいめ 実際にクラブユースな機材を置いて、プレイできる場所を開放すると、興味を持った人が集まるようになって。いまは妻もDJプレイをするようになりました。
鶴田 すごいね、渋温泉から主婦DJが生まれているんだ。僕はDJって「音楽でひとつになれる」という大衆文化だと思ってますし、ゆけむりDJsのパフォーマンスは特にそれを体現してる。そういう化学変化をローカルに落とし込むと、東京だとその出口が「お金」というわかりやすい形になりがちだけど、渋温泉のような地方だと異形のコミュニティができあがったりしていくんですよね。
80年前に目を転じると、金具屋の宴会場はブロードウェイみたいなもので、少女歌劇や大衆芸能、落語といった当時の最先端の芸能を見せていた場所です。そういう日本の芸能における源流に、現代のサブカルチャーを移植したらどうなるかと考えたのが、実は音泉温楽の始まりにはあったりします。
きゅうだいめ 毎月1回はここで「臨仙会」というイベントをして、週に1回は「D研」という勉強会も開いています。でも、先生はいませんし、DJのプロもいない。僕が現場で見てきたことを真似したり、みんなでプレイしては、ああでもないこうでもないと言い合って。
ふつうならやらないんでしょうけど、あえてちゃんと学ばないようにしてるんです。YouTubeを見たりすれば学べるかもしれませんけど、そのほうが逆に面白い。すぐうまくならないようにしているというか……みんなで楽しんでいるのが大事で。 きゅうだいめ やっぱり、やっている人たちが楽しんでいないとダメだと思うんです。「町おこしをしよう、地域活性化しよう」とビジネスで考える人ほど、オフになればそんなふうに思っていないかもしれない。でも、僕らのような旅館業や自営業はオン/オフがないから、とにかく自分たちが楽しいように生活をしなければいけないんですね。
鶴田 そうそう、町おこしは頑張っちゃだめ。楽しそうなところに人は集まるんです。“天岩戸”みたいなことで、みんながドンチャンやってると、輝いて楽しそうに思えて、最初は怪訝そうだった地元の人たちものぞきにきたくなる。同じ動きは加賀温泉郷や僕が暮らす別府温泉郷でもいま実際に起きてますよ、音楽フェスやDJパーティーをコアとした新しいコミュニティの発生です。
きゅうだいめ 田舎でも仕事はしてるし、遊ぶ場所もないし、遠くに旅行へ出かけることもそうそうできないから、それしかない。だから、クラブだって自分の家につくる(笑)。
来年は渋温泉でもインターンとして若者をたくさん受け入れようと思っているんです。通年で来る若者にも「D研」などを通じて楽しい場所を提供して、居着いてくれたら嬉しいですけど、まずはそれで「面白い場所だったな」って思ってもらえればいい。
楽しいことしかしないほうがいいんです。それが成立する田舎を楽しんでもらえる若者が一部でもいればいいかなと。渋温泉はいま少しだけそうなってきています。移住者もいたり、スタッフ同士が結婚したり……そういう人たちを巻き込んで「面白い」と思える場にしたいですね。
鶴田 渋温泉以外にも、別府や加賀といった温泉地でも音楽フェスに関わっていると、それぞれのエリアの人口の規模やバランス、町の成立の背景で、コミュニティの変化の仕方が違うんですよ、それこそが地方の特性で、フィールドワークのようで楽しい。
今、起きている変化は、東京にいるだけでは見えないと思います。でも、実際に起きている。こんな楽しいことが、長野県の山間の渋温泉から起きているなんて、想像もつかなくないですか? 聞くところによると、地方のクラブやDJは、ヒップホップ率が圧倒的に高いという。ところが渋温泉では、J-POPや歌謡曲も鳴り響き、地元民が夜な夜な楽しむ文化が形成され始めている。それは、会話のなかにも登場したように、スナックやカラオケカルチャーの突然変異でもあり、DJカルチャーの持つ引力でもあるかもしれない。
数々の写真にあらわれている笑顔と熱狂、それからTwitterに参加者や演者から残された言葉たち。それらを眺めているうち、音泉温楽は「ネオ宴会」にして「ネオ寄合」なのだ、というイメージが浮かび上がってくる。
かつて、日本人が見出した「温泉地で遊ぶ」という楽しみの、再発見。
フェスの最後に、鶴田さんと西山さんは「10周年を迎える音泉温楽、また来てくれる人は手ぬぐいを上げて!」と参加者に聞いた。みんなはチケット代わりの手ぬぐいを高々と掲げ、歓声を上げていた。 最高すぎた「音泉温楽」写真をすべて見る
フェス後の打ち上げで盛り上がるスタッフを横目に、イベントプロデューサーの鶴田宏和さんは笑顔を見せた。食卓いっぱいに並んだお惣菜に、地元の日本酒を酌み交わす賑わいのなかから、僕は鶴田さんの声を拾おうとiPhoneを向けた。
「あえて大掛かりな仕掛けはせず、毎年DIYで増築してきたようなフェス。大手のスポンサーを入れたり、フェス受けするようなアーティストを集めるような“正常進化”はしたくなかったんです。東京もそうだけど、正常進化の枠で考えられることって、もう僕はあまり面白くないと思っていて」
ここは、長野県山ノ内町、渋温泉郷。 東京からクルマで4時間あまりの、山間の温泉街だ。豊富な湯量と泉質が自慢だけれど、箱根や熱海なんかと比べれば、その名前はメジャーではないだろう。
でも、この街で1年に一度開催され、今年で9回目になる音楽フェス「音泉温楽」には全国から300人が足を運ぶ。会場のキャパシティとして300人限定しかチケットが用意できないプレミアムフェスだ。東京からの参加者は7割を占める。 メイン会場は『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のモデルになったともいわれる、登録有形文化財の温泉宿「金具屋」の大広間。観客は禁煙、ノースタンディングで、温泉と美酒を楽しみながら音楽を味わう。
参加してみて、はっきりわかった。ここが……楽園か……! 「今は地方でも東京でも同じモノが買えるし、地方の街だけの特別な場所も歴史もある。
でも、今はそこに暮らす人たちがそこにしかないコアな価値に気づいていないし、その中身がないだけなんですよ。
渋温泉にはいろんな人が入ってくることで、それこそ文明開化が起きているのかもしれない。だって、移住者もいて、『音泉温楽』で出会ったイベントスタッフ同士が結婚して、会場となっている金具屋の若旦那が自らDJになって、しかも文化財の建物の中に温泉が併設されたクラブスペースまでつくっちゃったんですよ?(笑)」
鶴田さんはそう語る。イベントプロデューサーという肩書きにうさんくさいものを感じる人もいるかもしれないが、実はこの人も大分県別府温泉郷にある、老舗の「ホテルニューツルタ」の若旦那だ。 人口1.2万人あまりの温泉街に起きつつある文明開化。とはいえ、そもそもなぜ、1758年開業の老舗温泉宿で音楽フェスが開かれ続けるのだろう? それはこの町にとって、どんな意味と変化をもたしているのだろう? そして、この町に鳴る音楽は、そこでどんな役割を担っているのだろう?
その裏側を、今回は当事者たちへのインタビューを交えて、探ってきた。
でも!まずは!!このフェスの最高感を伝えたい!!!
カジヒデキ、中村一義、Sugar’s Campaign、DÉ DÉ MOUSE、前野健太といった面々が集った地方発のニューポップカルチャーの現場を、写真とともに振り返ってみよう。撮影:東京神父
築80年の温泉宿で楽しむ、アップデートされた「大宴会」
今年の「音泉温楽2017・冬」は2017年12月9日(土)、10日(日)にかけての開催。会場となった金具屋は全館貸切となり、参加者は浴衣に着替え、思いおもいのタイミングで食事、音楽、温泉を堪能した。源泉100%掛け流しの温泉は金具屋の自慢のひとつ。また、渋温泉郷には9つの公衆浴場があり、それらを巡るのも一興だ。
初日のステージは休憩をはさみながら、15時から22時半まで、6組のアーティストが登場した。
1日目のメインフロア、アーティスト写真をぜんぶ見る
フードエリアは大盛況!サブフロアも大熱狂!
人がたえず訪れたフードエリアでは、地元民と東京からのサポートスタッフが明るく立ち働く。地場産の「志賀高原ビール」樽生は700円、「緑喜」などの信州の地酒が4号瓶で1500円から、地元では有名な「五一わいん」もフルボトル1500円からと良心的な価格。フードメニューは100円のおでんから、700円の「麦と冬野菜のリゾット」まで多種多様。メニューは地元スタッフが試作をした自信作で、売上もすべて地元へ還元されるという。えのき茸や野沢菜など、長野らしい食材がふんだんに使われていた。
参加して4年目になる地元スタッフの女性は「今では音泉温楽がないと、その年が締まらないなって気持ち」と笑う。さらに、この仕事を通じて仲良くなった男性と結婚(!)したそうで、いまでは夫婦で音泉温楽を裏方から盛り上げる。 サブフロアとなった『慶雲の間』はDJスペースに。
“宴会型歌謡カルチャーの次世代型アップデート”を提唱するDJ CARP、J.A.G.U.A.R.、Nachuからなる「ゆけむりDJs」をはじめとしたDJ陣が、メインフロアに負けず劣らずサウンドを響かせた。
アットホームな空気に、たゆたう2日目
熱狂から明けた2日目はチルアウトデイとして、11時すぎから15時ごろまで、3組のアーティストが登場。やわらかく冬の陽が入りこむなかで、Alfred Beach Sandalなどが演奏した。 2日目のメインフロア、アーティスト写真をぜんぶ見るDJにハマった老舗旅館の若旦那、文化財の旧旅館をクラブに改造してしまう
2日間の日程を終え、参加者は帰路へついていった……だが、実は、音泉温楽はこれで終わりではなかった……!スタッフや地元民を招いて行われた、打ち上げを兼ねたアフターパーティー。その場所は登録有形文化財に指定され、かつては旅館として営まれていた金具屋別館「臨仙閣」。 ふだんは閉じられているこの館の……その地下には、秘密の「ONONBAR」が存在する。現在、宿泊はできないものの浴場や炊事場は利用できるように整備されており、おそらく世界でも珍しい「温泉付きDJラウンジ」として活用されているのだ。
この場所をつくりあげたのは、金具屋9代目館主の西山和樹さん。現在は「きゅうだいめ」としてDJプレイをする西山さんだが、「音楽にそれほど興味はなかった」と話す。しかし、音泉温楽やプレイヤーとの出会いが、若旦那に新しい扉を開かせた。その大きなカギになったのは、アニメ『プリキュア』だったという。
現在までの歩みを、音泉温楽プロデューサーである鶴田宏和さんを交えて、振り返ってもらった。 鶴田宏和さん(以下、鶴田) もともとはサワサキヨシヒロさんの企画で、アンビエント音楽と温泉の映像を組み合わせた作品集をつくることになり、そのロケ地を探す過程で渋温泉と金具屋さんに出会ったんです。出来上がった作品のリリースパーティをすることになり、「これは温泉地でやってこそ意味がある」と、金具屋さんの宴会場をお借りしたのが2009年ですね。
西山和樹さんこときゅうだいめ 映像作品もイベントも、あまりよくわからないままに、まぁいいかなと(笑)。そこから毎年開催するようになったのですが、最初に鶴田さんから「次はライブだけじゃなくてDJを入れたい」と言われたときは抵抗感がありました。それまで「DJ=怖いもの」という意識だったから……。
鶴田 そのときに来てもらったのが、宴会型歌謡カルチャーの次世代アップデートを掲げるDJ CARP率いる「ゆけむりDJs」のコアメンバーでした。しぶる西山さんにお願いして、使われていなかった館内のカラオケバーをお借りすることになって。
きゅうだいめ そうしたら、バーの前を通りかかると聞こえてきたのが『プリキュア』の主題歌で(笑)。プリキュアは娘が大好きで知ってたんです。次に通りかかったらミスチルが流れてて、それからもアニソンやヒット曲や知っているばかり。「そういうのもあるのか!」と今までのDJのイメージが払拭されました。
言うならば、僕らがカラオケで盛り上がるような曲をつないでいた。メロディが流れたら全然知らない人同士でも打ち解ける、まさにスナックのカルチャーにもオーバーラップするようで。興味が出て、打ち上げでDJ機材を見せてもらい、ゆけむりDJsのDJ CARPさんたちと親交を深めていきました。 きゅうだいめ 初めはDJアプリで始めて、曲と曲のつなぎ方がわかったら面白くなってきて。DDJ-WeGOを買って、好きな特撮ソングをつないでみたり。機材を買ったので音も出したくなって、この臨仙閣の地下に持っていた5.1cn1スピーカーを入れたんです。
それで2014年12月の音泉温楽の打ち上げでDJプレイを披露することに……そうしたら、DJ CARPさんから「年明け1月にイベントを東京の渋谷OTOでやるから出てよ」と声をかけられました。
「やってみたくないですか? 渋谷の箱で、爆音で、鳴らしてみたいと思いませんか」という甘い囁きに乗ってしまったんです(笑)。それまでクラブにも行ったことがなく、だから僕は「クラブデビュー=DJデビュー」で、しかも時間は1時台というメイン。慌てて猛練習して、わけもわからないなりに頑張ったら、お客さんが盛り上がってくれた。それで麻薬みたいなDJの楽しさを知ってしまったんです。
別の機会に三軒茶屋Orbitでもプレイをして、すごく楽しかったわけです。でも当然、仕事もあって長野から東京へは週に何度も行けませんし、だったら自分の家にOTOやOrbitをつくればいいんじゃないか、と。それがきっかけで、臨仙閣の地下スペースをよりクラブっぽくしていったんですよね。 きゅうだいめ 実際にクラブユースな機材を置いて、プレイできる場所を開放すると、興味を持った人が集まるようになって。いまは妻もDJプレイをするようになりました。
鶴田 すごいね、渋温泉から主婦DJが生まれているんだ。僕はDJって「音楽でひとつになれる」という大衆文化だと思ってますし、ゆけむりDJsのパフォーマンスは特にそれを体現してる。そういう化学変化をローカルに落とし込むと、東京だとその出口が「お金」というわかりやすい形になりがちだけど、渋温泉のような地方だと異形のコミュニティができあがったりしていくんですよね。
80年前に目を転じると、金具屋の宴会場はブロードウェイみたいなもので、少女歌劇や大衆芸能、落語といった当時の最先端の芸能を見せていた場所です。そういう日本の芸能における源流に、現代のサブカルチャーを移植したらどうなるかと考えたのが、実は音泉温楽の始まりにはあったりします。
きゅうだいめ 毎月1回はここで「臨仙会」というイベントをして、週に1回は「D研」という勉強会も開いています。でも、先生はいませんし、DJのプロもいない。僕が現場で見てきたことを真似したり、みんなでプレイしては、ああでもないこうでもないと言い合って。
ふつうならやらないんでしょうけど、あえてちゃんと学ばないようにしてるんです。YouTubeを見たりすれば学べるかもしれませんけど、そのほうが逆に面白い。すぐうまくならないようにしているというか……みんなで楽しんでいるのが大事で。 きゅうだいめ やっぱり、やっている人たちが楽しんでいないとダメだと思うんです。「町おこしをしよう、地域活性化しよう」とビジネスで考える人ほど、オフになればそんなふうに思っていないかもしれない。でも、僕らのような旅館業や自営業はオン/オフがないから、とにかく自分たちが楽しいように生活をしなければいけないんですね。
鶴田 そうそう、町おこしは頑張っちゃだめ。楽しそうなところに人は集まるんです。“天岩戸”みたいなことで、みんながドンチャンやってると、輝いて楽しそうに思えて、最初は怪訝そうだった地元の人たちものぞきにきたくなる。同じ動きは加賀温泉郷や僕が暮らす別府温泉郷でもいま実際に起きてますよ、音楽フェスやDJパーティーをコアとした新しいコミュニティの発生です。
きゅうだいめ 田舎でも仕事はしてるし、遊ぶ場所もないし、遠くに旅行へ出かけることもそうそうできないから、それしかない。だから、クラブだって自分の家につくる(笑)。
来年は渋温泉でもインターンとして若者をたくさん受け入れようと思っているんです。通年で来る若者にも「D研」などを通じて楽しい場所を提供して、居着いてくれたら嬉しいですけど、まずはそれで「面白い場所だったな」って思ってもらえればいい。
楽しいことしかしないほうがいいんです。それが成立する田舎を楽しんでもらえる若者が一部でもいればいいかなと。渋温泉はいま少しだけそうなってきています。移住者もいたり、スタッフ同士が結婚したり……そういう人たちを巻き込んで「面白い」と思える場にしたいですね。
鶴田 渋温泉以外にも、別府や加賀といった温泉地でも音楽フェスに関わっていると、それぞれのエリアの人口の規模やバランス、町の成立の背景で、コミュニティの変化の仕方が違うんですよ、それこそが地方の特性で、フィールドワークのようで楽しい。
今、起きている変化は、東京にいるだけでは見えないと思います。でも、実際に起きている。こんな楽しいことが、長野県の山間の渋温泉から起きているなんて、想像もつかなくないですか? 聞くところによると、地方のクラブやDJは、ヒップホップ率が圧倒的に高いという。ところが渋温泉では、J-POPや歌謡曲も鳴り響き、地元民が夜な夜な楽しむ文化が形成され始めている。それは、会話のなかにも登場したように、スナックやカラオケカルチャーの突然変異でもあり、DJカルチャーの持つ引力でもあるかもしれない。
数々の写真にあらわれている笑顔と熱狂、それからTwitterに参加者や演者から残された言葉たち。それらを眺めているうち、音泉温楽は「ネオ宴会」にして「ネオ寄合」なのだ、というイメージが浮かび上がってくる。
かつて、日本人が見出した「温泉地で遊ぶ」という楽しみの、再発見。
フェスの最後に、鶴田さんと西山さんは「10周年を迎える音泉温楽、また来てくれる人は手ぬぐいを上げて!」と参加者に聞いた。みんなはチケット代わりの手ぬぐいを高々と掲げ、歓声を上げていた。 最高すぎた「音泉温楽」写真をすべて見る
さらに!音泉温楽×KAI-YOUコラボで、温泉グラビアも撮ってきました!!!!!
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CKS
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