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MCバトルに捧げた男 晋平太インタビュー「ずっと誰かの役に立つ方法を探していた」
埼玉県・狭山市生まれのラッパー・晋平太さん(33)。

MCバトル最高峰の大会と言われる「ULTIMATE MC BATTLE」(以下、UMB)2010年、2011年と当時では史上初となる2連覇を成し遂げ、いまでは総合司会として47都道府県を飛び回り、MCバトルの普及に努め、全国各地のラッパーから信頼を得るMCだ。

今年7月には、ドリーミュージックアーティストマネジメントへの所属を発表し、NHKへの出演など、TV番組への露出機会も増えてきた。

12月17日(土)には、初の著書『フリースタイル・ラップの教科書 MCバトルはじめの一歩』を発売。ラップをしたことがない初心者に向けて、自信が体験してきたフリースタイルに関する知識を詰め込んだ一冊となっている。

ここまでの経歴を見てみると、順風満帆なラッパー人生を歩んできたようにも思える。

しかし、ここにたどり着くまでには数々の栄光と挫折があった。ここでは、そんな晋平太さんの過去と未来を紐解いていく。

取材・文:吉田雄弥 撮影:Kodai Ikemitsu

KREVAに魅せられたドリーム

──いつからラッパーとして生きていこうと決めたんですか?

晋平太 僕、18歳の時に2001年の「B BOY PARK」の本選に出てるんですよ。KREVAくんが最後に優勝した年ですね。それがきっかけで、KREVA(当時25歳)くんからしたら、僕、すごい年下だったんですけど、当時は「遊びに来いよ」ってよくイベントに誘ってくれて。

それでイベントに行くと、身動きできないくらいのお客さんがいるわけですよ。その中で、「フリースタイルやるからこいよ」ってステージに上げてくれたりもしてくれて。

そんなに深い交流があるわけではないんですけど、それからKREVAくんは「紅白歌合戦」にも出るようになって、18歳の僕は、KREVAくんの姿を見て「ラッパーになったらこんなにスーパースターになれるんだ」って、完全に見せつけられました。

しかも2001年の「B BOY PARK」には、他にも般若くんもいたし、くんもいた。彼らの姿を間近で見て、ラッパーって生き物として本当にかっこいいなって、それから、僕もラップで生きていきたいと思うようになりました。

COMA-CHIとの戦いで得たスタイル

──それから4年後、2005年の「BBOYPARK」で優勝されてから晋平太さんの名前が広がりました。

晋平太 2001年に出てからも、ずーっとラップは続けてました。多分、その間が人生で一番ラップしてたかもしれない。「B BOY PARK」の本選に出るのって、当時はものすごく価値のあるパスポートみたいなものだったんですよ。

「B BOY PARK」のコンピCDに参加させてもらったり代々木公園でライブできたり、有名になれるチャンスでした。当時は有名になれるチャンスなんてほぼなかったし、僕みたいな田舎から出てきた若いラッパーなんてなおさら。

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晋平太 だから2005年に「B BOY PARK」が両国国技館で復活した時は、すぐにエントリーしました。2001年はベスト8で負けてしまってたので、優勝を目指すというよりは、ベスト8より上に行きたいという気持ちで。

ベスト8、準決勝でKEN THE 390くんに勝って、そのまま決勝戦でCOMA-CHIちゃんと戦いました。

今でも鮮明に覚えてるんですけど、僕はこの時初めて、「絶対優勝するにはどうしたらいいだろう」ということを考えたんですよ。COMA-CHIちゃん相手に真正面から普通にディスするんじゃ勝てないなって。

しかもこの時の「B BOY PARK」のバトルの判定はお客さんで、ダンサーの大会も一緒に併催したので、お客さんの中にはヒップホップをよくわかってない人もいっぱいいました。

だからわかりやすく自分の気持ちを素直に吐き出す方がお客さんにも気持ちが伝わるんじゃないかと思って。バトルがはじまると、「俺はお前のこと、認めてるぞ」「でも勝ちたい気持ちは俺の方があるぞ」って全力でバイブスをぶつけました。

そしたら、勝てたんですよ。

今思い返すと、この時の体験が、今の僕のラップの原点になってる気がします


──晋平太さんのバトルスタイルの原点ということですか?

晋平太 そうですね。COMA-CHIちゃんとのバトルでしたラップが原点になっているというか。

もちろんディスることもあるんですけど、それよりも、気持ちを伝える方が大事って気づけた。

フリースタイルやってても、今どういう気持ちでやってんのかっていうことにベクトルを向けるようになりましたね。フリースタイルに自分の気持ちを乗っけていくというか。

待っていた栄光と挫折

──本選に出るだけですごく価値のある「B BOYPARK」で優勝したとなると、相当の変化があったんじゃないですか?

晋平太 もう、ウルトラファストパスチケットでしたね。そのチケットを持ってるだけで、結構な数のドアが開いていく。実際、CDデビューもできましたし。CDを出すって、今と比べると当時はすごく大変だったんですよ。

今って知り合いのツテをたどれば、プロじゃなくてもある程度の物がつくれる人がいるじゃないですか。昔はレコーディングする場所もあまりなかったし、ビデオ撮れる人もプロ以外にいなかった。

そんな時代に、21歳の若さでプロデューサーが付いて全国でCDを出せたことは奇跡のような出来事でした。しかもそれが何千枚と売れるなんて、「B BOY PARK」で優勝しないと絶対できないことでした。

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──18歳の頃に見ていたKREVAさんの姿に少しずつ近づいている実感はありましたか?

晋平太 近づきつつ、このままCDを出し続けてそれなりに売り上げていけば、なれないこともないんじゃないかって思えるくらいの位置にはいたと思います。

──その先はいかがでしたか?

晋平太 もうその先は全然思ってたのと違いました。やっぱり所詮、僕はバトルで勝ってるだけなので、その他の自分自身のスキルとか人格とかあらゆるものが足りてなくて。ライブもすごくしてたし、曲もつくってたけど、根本的に人として、ラッパーとして持っていないといけない部分が備わってなかった。

メジャーデビューするかみたいな話もしてたし、プロダクションに所属したりもしたんですけど、何もかもがうまくいなかったり。で、うまくいかないことを仲間のせいにして、自分自身も調子に乗ってたし、人がどんどん離れていきました。

「B BOY PARK」で優勝してから、本当にあっという間にうまくいかなくなったんですよ。だんだん、「あいつ何してんの?」って言われるようになって、恥ずかしいからより一層家に引きこもるようになった。24歳、25歳の頃なんかは、1年間ライブしてないとか、そんな生活を送ってました。

SHINPEITA A-SHA WEB

──うまくいかなくなって引きこもっていた間はなにをしてたんですか?

晋平太 就職しました。もう、ラップだけで生活するのは無理だなって。郵便局で配達員の仕事をはじめましたね

普通の仕事してると、やっぱりだんだんと生活が安定してくるじゃないですか。そうすると、どこかヒップホップのことを完全に諦めきれなかったので、だんだん仕事しながら続けようと思うようになってきて、最終的にやっぱり今の生活はちがうなって思った。

ラップ、もう一回やってみたいなって

けど、自分が今いる場所から、もう一度ラップで食べるようになっていくことは果てしなく距離が遠い。生活どうこうよりも、「俺はまだまだやれるぞ」「俺はまだヒップホップにいるぞ」ってことをみんなに認めさせたい気持ちの方が強かったんですね。ラップで食べるとかは考えてなかったかもしれない。

じゃあ、みんなを認めさせるにはどうしたらいいんだろう?ってことを毎日考えてたどり着いた先にあったのが、MCバトルでした

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