2011年、じんさんがニコニコ動画に投稿した動画をきっかけにTwitter上で出会ったしづさんは、ムーブメントが広がるきっかけとなった「カゲロウデイズ」でキャラクターデザインとMVを担当。
その後も全てのMVを手がけ、小説『カゲロウデイズ-in a daze-』では挿絵、漫画版『カゲロウデイズ』ではキャラクターデザインを担当。独特の醒めた絵柄や高速のカットインを多用する動画構成で、『カゲロウプロジェクト』のビジュアルイメージを一手に担ってきた。
11月から公開されているMX4D™専用の劇場版映画『カゲロウデイズ-in a day's-』では初のアニメ監督を務めたしづさん。 今回のインタビューでは、その制作の裏側や公開後の反響、『カゲロウプロジェクト』の群像劇を織り成すメカクシ団それぞれのキャラクターのイメージ、さらには、メディアではじんさんに焦点が当てられることが多いが、共に『カゲプロ』を支えてきたクリエイターとして、『カゲプロ』とそのムーブメントをどう捉えてきたか、たっぷりと語ってもらった。
取材・文:柴 那典 編集:新見直
最初は「PVの延長」だったはずの劇場版カゲプロ
──今回のMX4D『カゲロウデイズ-in a day's-』は、完成直前まで根を詰めて製作をされていたそうですね。しづ はい(笑)。最終的な〆切日の昼までスタジオで編集していました。それまでの数日は昼夜もわからないくらいでした。
──どういうところが大変だったんでしょうか?
しづ 自分は全体を見る監督という立場で、アニメーション監督は別にいらっしゃったんですが、どうしても修正したい箇所があって、最終的には「After Effects」というソフトを使って自分でいわゆる「撮影処理」って言われてるエフェクト作業をやりました。
──過酷な制作状況がうかがえますね……。そもそも、MX4Dの劇場版アニメーション映画の監督を引き受けたのは、どういう思いからなのでしょうか?
しづ 最初はPVの延長というお話だったんです。BGMを全部繋いで一つの曲にして、そこに映像をつけるという。それならできるだろうし、他にやる人もいないならやろうと思ったんですけど、話が進むにつれて自分がやることが膨らんでいって……。
はじめは脚本もなしで、スタジオには絵コンテを渡すだけのつもりだったんですが、結局脚本も自分で書くことになりました。ただ自分だけでは脚本は難しいので、前に『坂東蛍子、日常に飽き飽き』(新潮文庫nex)という小説でイラストを担当させていただいた小説家の神西亜樹さんと一緒にプロットをつくっていきました。 ──ストーリーはどのようにつくっていったんでしょうか?
しづ 最初に聞いていた話では25分から30分ということだったんです。アニメ1話分の長さだし、一つのまとまった話はできるかなと思ったんですが、実際につくる段階になったら18分に収めないといけないと。もともとのストーリーは初見の人でもわかるような説明シーンも入ったドタバタ劇だったんですけど、それは全部削りました。アクションシーンと、本当に必要なところだけを残して繋いでいきました。
──今回の物語は『カゲプロ』本編のストーリー序盤に起こるある事件の、ある種のパラレルワールドのような設定になっていますよね。
しづ そうですね。「もしあのシーンにメカクシ団のみんながいたらどうなるだろう?」という想像からプロットを書きました。それと、今回はMX4D専用の映画なので、やっぱりMX4Dのエフェクトをアクションシーンで使いたいと思って、アクションが多いあの場面しかないと。
しづが語る『カゲプロ』のキャラクターたち
──制作にあたって、大事にしたポイントは?しづ キャラクターの個性ですね。カノだったら陰に徹して仲間を守るだろう、キドはあいつらしくこそこそするだろう、みたいな感じです。そうやってキャラクター達がどういう行動をするか、それぞれの個性から考えてつくり始めました。
──キャラクターの個性を大事にしたというお話ですが、『カゲプロ』という作品をじんさんと一緒につくっていく中で、ご自身の中でのキャラクター像が育っていったということでしょうか?
しづ そうですね。特に今回は、じんさんは主題歌に、自分は映画に専念するという形で、ストーリーやキャラについては自分の解釈だけでつくりました。だから、じんさんの描くキャラクター像とは別のものになった気がします。
──具体的に、しづさんの思い描くキャラクター像は、じんさんとはどういう部分が違うのでしょうか?
しづ 例えばキドは、小説を読んでいると、じんさんの中ではあざといキャラなんじゃないかと思うんです。でも、自分の中では宝塚の男役を張れるようなカッコいい女性というイメージがある。 ──なるほど。しづさんがキャラクターについて語るのは貴重な機会だと思うので、よろしければ全員の印象を聞いてみたいです。
しづ シンタローに関してはそんなに変わらないですね。気持ち悪いところもあるけれど、兄としての一面も持っている。 モモも、あんまり離れていないです。曲のイメージのままで、ちょっとだけ頭が切れるキャラだと思ってますね。バカだけど機転が利くというか。 ただ、マリーに関してはかなり違いがある気がします。
──どう違うんですか?
しづ じんさんの中のマリーは、簡単に言っちゃうとサイコパス、人間離れした印象があるんですね。それでもか弱いというか、天然で可愛いところがある。でも自分の中のマリーは、そんなに臆病ではない。今までずっと一人で人生を送ってきて、自分でなんとかしてきたところがあるので、肝が据わっているイメージがあります。 セトはもともと全然出番がなくてわからないです。ただそこにいると楽しい、でもいなくても大丈夫だから、どこかに行ってしまうようなキャラなのかも。でも自分としては、セトは自分のことを考えないで先走るようなタイプ。アヤノに似ていて、ほの暗い何かを抱えていそうな感じですね。 ヒビヤは、クールだけど、好きな子を守るためには躊躇しないという、「カゲロウデイズ」という曲を聴いたときに感じたイメージが大きかったんです。でも、じんさんの描くヒビヤは、たぶんじんさん自身だと思う。田舎で暮らす小学生だし、ちょっと気持ち悪い(笑)。それを違和感なく合わせたのが、今の自分の中にいるヒビヤですね。 ──ヒヨリはどうでしょう?
しづ じんさんの中のヒヨリは本当にキツいキャラですよね。ああいうのが好みなのかわからないですけど(笑)。自分の中のヒヨリも、「カゲロウデイズ」の印象そのままですね。突っぱねた感じはあるけど、そんなに他人を貶すようなキャラでもない。 エネは、元になるキャラがいるんですが、エネはエネとした方がマスコットキャラとして立ち位置がハッキリする。アニメ版もそうです。でも、小説の中では元のキャラを引きずっているので、そのバランスが難しかったです。 カノは、ヘラヘラしていても、やるときはちゃんとやる。ただ、じんさんの中のカノは女々しくて、なよなよしている。でも、自分の中のカノは、暗い過去を抱えているのを周りに絶対悟られない、格好いいキャラのイメージがあります。 ──最後に、コノハはどうですか?
しづ コノハについては、自分とじんさんは別ベクトルかもしれないですね。じんさんの中のコノハは臆病なんですよ。どちらかと言うと(九ノ瀬)遥の方が饒舌。自分の中のコノハは完全に遥と切り離されていて、遥が持ってた勇気も臆病さも何も持ってない。コノハの中で考えた結果の行動とかではなく、受け取ったものを跳ね返す、鏡みたいなキャラですね。 ──なるほど。確かにこうして話を聞くと、劇場版には随所にしづさんの解釈が出ていたと思います。
しづ だから、観る人によっては原作と別物と感じるかもしれないですね。 ──じんさんはインタビューで「公式アンソロジーのようなもの」と言っていました(関連記事)。
しづ その表現が近いと思います。
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