あの日から11年後の2017年6月、かねてより目標としていたさいたまスーパーアリーナでの単独コンサートを最後に、ハロー!プロジェクトの5人組アイドル・℃-uteは解散する。
実力派揃いのハロプロの中でもいまや飛び抜けたパフォーマンス力を獲得し、全員が成人したことで”脱アイドル路線”に進むという選択肢もあった中、彼女たちはレベルの高いステージパフォーマンスをもって、あえて「アイドルの℃-ute」として最後までやり遂げる道を選んだ。
そこには自分たちが生まれ育ったアイドルという命題への、最上の誇りと感謝がある。
必ずしもすべての願いが叶う場所ではないアイドルの世界において、アイドルグループ・℃-uteの夢を今日まで支え続けてきたものとは一体なんだったのか?
それは、今振り返ると決して華やかな成功ではなく、むしろ苦しみ抜いた日々の歴史だったように思う。今回は℃-uteの12年にも及ぶアイドル人生で彼女たちが乗り越え残していった、3つの”レガシー(遺産)”について書き記していきたい。
文:小娘 編集:コダック川口
℃-uteのレガシー(遺産)1:メンバー卒業・脱退の克服
矢島舞美(当時14歳)、梅田えりか(当時14歳)、村上愛(当時13歳)、中島早貴(当時12歳)、鈴木愛理(当時12歳)、岡井千聖(当時11歳)、萩原舞(当時10歳)、有原栞菜(当時12歳)というメンバーでスタートした℃-uteは、全12年に渡る活動の中で、これまでに3人の卒業・脱退を経験している。
結成2年目に村上愛、5年目には有原栞菜と梅田えりかが、それぞれ新しい道へと進んでいった。 アイドルグループにとって、卒業や脱退がもたらす影響は周囲の想像以上に大きい。
ましてや年長の村上と梅田は結成直後から幼かった年下のメンバーを引っぱり、また有原はその明るい性格からグループのムードメーカーとなっていただけに、最終的に5人となった℃-uteは当初、喪失感からなかなか抜け出すことができなかった。
「辞めて欲しくなかったけど、考え方は人それぞれでその人の意志だから、辞めないでとは言えなくて」 (岡井千聖 / ワニブックス「℃-ute OFFICIAL BOOK 『9月10日は℃-uteの日』」p103より)
この時期、℃-uteは「もう1人辞めたら本当に解散を告げられるかもしれない」とまで、思いつめていたという。「1回、どうしても耐え切れなくなって、母の目の前で泣いたことがある」 (矢島舞美 / ワニブックス「℃-ute OFFICIAL BOOK 『9月10日は℃-uteの日』」p86より)
しかし、その痛みは、やがて思わぬ形で℃-uteを救うことになる。
終わりを意識したことによって、残された5人はここで初めて”当事者意識”、全員がこのグループにとって絶対に欠けられない存在であるということを、はっきり自覚したのだ。
すでにメジャーデビューしていたとはいえ、5人になった当時でも℃-uteはまだ平均年齢約15歳、本来幼さに甘えて当然の年齢でもある。
実際、人数が多かった時期の℃-uteは「自分じゃなくても他の誰かがやってくれるだろう」と互いに任せてしまうことがあったという。(出典:DC FACTORY「℃-uteコンサートツアー2015春~The Future Departure~ 10th Anniversary Photo Book ℃-ute」インタビューより)。
しかし5人になったことで、全員が役割と責任をまっとうしなければ、ステージどころか存続もままならなくなる。 他グループのように新規メンバーの加入をとらない形で、しかもメンバー数が半減に近い変化を見せる中、彼女たちの危機感は、あきらめではなく意識改革へと向いた。
この経験は後に、グループが成長した未来で大きな花を咲かせることとなる。
℃-uteのレガシー(遺産)2:客離れをバネに
こうして新たな出発を決意した℃-uteだったが、メンバーの卒業で負った深い痛手は、すぐにもう1つの乗り越えるべき試練をもたらす。5人となった℃-uteが次に見たものは、次第に埋まらなくなっていくライブ会場の客席だった。℃-uteはもともと、2002年に開催された「ハロー!プロジェクト・キッズ オーディション」の合格者で構成されている。
彼女たちがハロー!プロジェクトの一員になったのは、モーニング娘。が安倍なつみと後藤真希というツートップを配して、前年の「ザ☆ピ~ス!」からさらに勢いを増し、松浦亜弥も「桃色片想い」「Yeah! めっちゃホリディ」と大ヒット曲を量産しまくっていた、そんな時期だ。
テレビ露出も頻繁にあり、後の℃-uteメンバーも先輩たちと一緒に「うたばん」や「FNS歌謡祭」など、いくつもの有名歌番組に出演していたことがある。
しかしブームが一旦収束に向かいだすと、先輩のモーニング娘。ですらメディア露出の減少を避けられない状況になっていく。妹分である℃-uteはなおさら、新しいアピールの場を得ることができずにいた。
そこへさらに続いたメンバーの卒業。メンバーを襲った衝撃、その痛みは、ファンにとっても同じことだった。
「たくさん賞を頂いたのに、テレビの露出もなくなってきて、ライブもファンの人は来てくれるけど、会場が埋まってなくて」 (中島早貴 / ワニブックス「℃-ute OFFICIAL BOOK 『9月10日は℃-uteの日』」p92より)
不安定なグループの現状、そして離れていくファンの心を目の当たりにして、ずっともがき続けていた若き日の℃-ute。「ライブをやっていても今まで埋まっていた場所が埋まらなかったり、目に見えて会場の半分くらいしか人がいなかったりして、焦りました。このままじゃまずいって危機を感じました」 (矢島舞美 / ワニブックス「℃-ute 10th Anniversary Book」p10より)
そんな彼女たちが最後に出した結論は、「とにかく目の前に来てくれたお客さんを全力で盛り上げる」。周囲の評価に縮こまらずにガムシャラに、客席を煽り、声を出しまくる。これをメンバーの鈴木愛理は後にステージへの「欲」という言葉で表現している。
この発見は彼女たちが5人組グループとして再スタートした1年後の2010年あたりから、「℃-uteはライブパフォーマンスで魅せる」という明確なコンセプトになって、活動に繋がっていく。 そして、この頃に生まれた「大きな会場でのライブを実現していく」というグループの具体的な目標は、やがて多くの新規ファンを呼び込むとともに、その後の彼女たちの飛躍を決定づけるものとなった。「どんどんこういうライブがしたいっていう欲も出てきて、それはライブが好きだという気持ちに変わって」 (鈴木愛理 / ワニブックス「℃-ute 10th Anniversary Book」p26より)
℃-uteのレガシー(遺産)3:後列メンバーの成長
脱退も迷いも乗り越えたアイドルグループにとって、最後の関門となるのはきっとどこも「後列メンバーがいかに伸びてくるか」、なのではないだろうか。℃-uteの場合、初期から前列で目立つ歌パートを担当することが多かったのはエースの鈴木愛理とリーダーの矢島舞美、この2人で、中島早貴・岡井千聖・萩原舞の3人は、基本的に端や後列でユニゾンやコーラスなどを担当することがほとんどだった。
実は後列に回っていたメンバーの1人、岡井千聖に関しては、グループ結成直後から歌唱力を評価する人が少なからずいた。
彼女は小学生の時点ですでに先輩である藤本美貴の歌唱法をなんなくコピーできてしまうほど器用な歌い手で、さらに歌声にはハスキーという個性もあったのだ。しかし、何年経っても彼女にグループのメインパートは回ってこない。
そんな彼女の目立たぬ毎日を変えたのは、5人になったタイミングで、グループを少しでも知ってもらおうと挑戦したYouTubeへの投稿動画「踊ってみた」だった。
そして、グループの名前が一気に知られていく中で、一番変わったのは、他ならぬ岡井自身の内面だった。
「歌うのは好きだからレコーディングも頑張ってたつもりなんですけど、「どうせ愛理は才能があるし、舞美ちゃんはかわいいし、それだけで歌割ももらえるんでしょ」って」
「そうすることで諦めというか、自分の気持ちに折り合いを付けていたんです。でもそれは今思うと全部言い訳で、自分が逃げていた」 (岡井千聖 / ワニブックス「℃-ute 10th Anniversary Book」p34より)
そして、元々歌の実力があった岡井の覚醒はやがてグループパフォーマンスの急激なレベルアップにも貢献、同じく”端っこ”で苦楽を共にしていた中島や萩原も巻き込んで、全員に大きな自信を芽生えさせていった。
「やっていくうちに、自分の立ち位置が見えて来た」 (中島早貴 / ワニブックス「℃-ute OFFICIAL BOOK 『9月10日は℃-uteの日』」p95より)
この歴史が果てに生み出したもの、それは最新のミュージックビデオを見れば一目で分かるだろう。「端っこだからと言って輝けないわけじゃない」 (萩原舞 / ワニブックス「℃-ute OFFICIAL BOOK 『9月10日は℃-uteの日』」p112より)
今の℃-uteはもはや「誰がフロントに立っていても違和感を覚えさせない」、女性アイドルでは非常に稀有なステージに辿りついている。
「アイドルが憧れるアイドル」℃-uteの発展的解散
そのほとんどは道半ば、夢半ばの別れである。そんな現実の中で、℃-uteが小学生から成人までの女性の12年という月日をまっとうし、全員の意志でゴールテープを切ることには、少なからず重要な意味合いがあるのではないだろうか。
事実、今のアイドル界には「アイドルが憧れるアイドル」という言葉が生まれるほど、℃-uteへのリスペクトを公言している者がかなり多い。
少女たちにとって℃-uteの12年の眩さは、夢を追い続けるエネルギーであり、希望であり、支えでもある。
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小娘
ライター
1983年生まれ、アイドルと音楽を中心に活動する北海道在住の女性フリーライター。ウェブメディアを中心に、近年は「EX大衆」や「CDジャーナル」などの雑誌にも寄稿し、活動の幅を広げている。
ハロプロファン歴18年目。
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