これは、2013年から2014年に放送されたP.A.WORKS制作のTVアニメ『凪のあすから』(以下『凪あす』)のキービジュアルである。
『凪あす』は、海と地上に分かれて人々が生活を送る世界を舞台に、少年少女の恋模様を繊細に、かつ色彩豊かに描き、男女問わず好評を博した作品だ。
この背景美術を手がけた東地和生さんは、『サクラ大戦 活動写真』『攻殻機動隊S.A.C.』『パプリカ』といった有名作品の美術監督補佐を経て、現在は『花咲くいろは』『TARI TARI』といったタイトルに代表されるP.A.WORKSの作品を中心に美術監督をつとめている。
『凪あす』を見たことがない人でも、その美しさに見惚れてしまうこの背景美術の数々は、どのようにして生み出されているのだろうか?
アニメーションにおける美術スタッフの仕事、背景美術の役割やつくり方、そして背景美術をつくるにあたっての東地さんの思想についてうかがった。
取材/文:asanoappy・かまたあつし
東地和生(以下、東地) もともと小さい時から絵を描くことが好きだったんです。アニメばっかり見ていたというわけでもないんですが、影響された作品を挙げるとすれば、『ルパン三世 カリオストロの城』といったスタジオジブリ以前からの宮﨑駿監督の作品でしょう。あとは、兄貴が見ていた『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』といった劇場版アニメを夢中になって見ていました。
ただ、当時はアニメとか背景に携わりたいと思っていたわけではなく、高校の美術教師に「おまえは絵を描く人間だ」と言われたことがきっかけでデッサンを始めて、その流れで漠然と「絵を描き続けた方がいいのかな」と考えて、美大で油絵を学んでいました。
でも、卒業と同時に進路に迷った時、そもそも自分が1番影響を受けたもの、感動したものってなんだろうかと。決して世界の名画ではないなと。そこで冷静に考えてみると、中学生の時に見た『王立宇宙軍 オネアミスの翼』という劇場アニメの世界観にものすごく強烈な衝撃を受けていたことに気づいて。じゃあアニメやりたいんじゃないの? というところに行き着いたんです。 ──アニメの背景に携わるようになったのは、その世界観に衝撃を受けて、それを形づくる仕事をしたかったからということでしょうか?
東地 そうですね。もっと言えば、自分もああいうものをつくりたい、衝撃を与える側になりたいと。あの時、自分が受けたような心の震えを、今の子たちにも感じてもらいたいという気持ちが、この仕事の原動力のひとつになっています。
東地 まず、背景美術の構想段階からお話しますね。ある作品をつくる時、その世界観を監督を筆頭とするメインスタッフの打ち合わせで決めて、監督が「こういう絵が欲しい」という要求を出してきます。それを踏まえて、美術設定さんが設定画と呼ばれる設計図(色のついていない線画)を起こします。
例えば、『Angel Beats!』に登場する食堂はこういう場所である、という設計図をつくるわけです。 1作品でも150以上という、おびただしい数の設計図をつくります。たくさんつくっておかないと、ここの背景はどうなっているの? ってことになっちゃうから。絵コンテを描く方は、シナリオを読み解きながら美術設定を見てキャラを配置して、画面の設計図である絵コンテを描くわけです。
私の仕事は、この美術設定ができ上がってきてからが本番。美術設定を見ながら美術ボード(背景作業に入る際の指針となる背景)を描きます。 夕方だったり夜だったり、場面によっていろいろシチュエーションって異なるじゃないですか。それらを踏まえて着色して、「夜はこういう表現です」「影はこういう色です」っていうスタンダードなボードをつくるわけです。
こうしたメインボードをひたすら描いて、世界観がだいたい固まったら、各話数のシーンごとにボードを描く。それをもとに背景スタッフと背景打ち合わせをして、背景を描いてくれるスタッフに対して、シーンごとに指示を出します。 例えばこれは、「車が曲がってくるキキーって音とともに路面にタイヤの跡がつくように撮影してもらうから、これをブック(背景の手前に重ねて置かれる背景素材)にしてください」とか、「フレームはここから始まってぎゅっと寄ります、最後はここで止まりますよ」という演出さんの一連の指示を確認しながら、問題が出れば解決策を出しながら打ち合わせを進めていきます。
こういった指示を受けて背景スタッフが背景を描いていく、という連携作業なんです。作品によりますが、だいたい1話あたり300カット前後あるとして計300ファイルの背景が上がってくる。それを今度は私の方で1カット1カット見て、バランスを取るために色を調節し、必要であればディティールを描き加えたり、つぶしたりしながら並べていく。それが済んだらチェックを受けて撮影さんに納品、これが美術監督の主な仕事です。
なんでしょう。感覚的には水が綺麗に流れるように水路をつくっているイメージがありますね。 ──背景を1つ仕上げるのにも、いろいろな役職の方が携わっているんですね。
東地 美術設定、美術監督、背景スタッフの連携です。それぞれ形をつくる人、色をつくる人、具現化する人って言った方が分かりやすいかな。みんなで協力しあって、舞台装置をひたすら良い物に仕上げていくんです。
ただ、今のアニメ業界は作業時間がどんどんなくなるという過酷な状況になってきて、クオリティを保つのが非常に難しくなっているという問題に直面していたりもします。
──制作技術の進歩にともなって、時間に余裕ができるものかと思っていました。
東地 むしろ逆ですね。個人的に、業界は技術の進歩をクオリティよりも時間短縮に割いてしまったと感じることがあります。
機械を使うとはいえ、結局描くのは人の手なので、やっぱり時間はどうしたってかかりますね。その中で、どうしたらお客さんに喜んでもらえるものをつくれるのか、考え悩むことは多いです。
東地 実は私、P.A.WORKSさんの方ではじめて美術監督をつとめた『Angel Beats!』をやるまで、いわゆる美少女アニメにあまり携わったことはなかったんです。
昔のアニメ業界というのは、劇場作品が最上級という風潮が(90年代までは)あったと感じてまして。ジブリを筆頭に、『AKIRA』だったり『王立宇宙軍』だったり、TVアニメではなく劇場アニメを渡り歩くスタッフが一流であると。だから、20代の頃はアニメの背景の仕事をやるからには劇場作品に参加できる人間になりたい、そう思ってました。
でも、2000年代に入ってからアニメ業界もちょっと違う流れがきたんですよね。美少女アニメ自体はそれこそ大昔からありましたが、それ自体がメインストリームになってきたという印象がありました。 それまで予算のかかった劇場作品が最上であると信じて疑わなかったのに、お客さんはまったく違うベクトルの物を求めているっていう現実をつきつけられたんですよ。それとともに、劇場作品が最上であるという文化の終焉も感じ、30代の自分は迷いが生まれてました。
早い人は20代で美術監督になるパターンが多いんですけど、私は美術監督としては遅咲きで、下積み時代がけっこう長かった。そこで、このまま仕事をやっていたら5年後には美術監督を1度もやらずに40歳になってしまう、このままじゃまずいんじゃないかと。
そう考え悩んだ挙句に、今思えばおごった言い方だなと思うんですが、当時のそのままの言葉で言うと「萌えアニメでいいから、美少女アニメでいいから美術監督をやりたい」って思ったんですよ。
その矢先に、P.A.WORKS社長の堀川憲司さんに『Angel Beats!』の美術監督のコンペに誘われて。ただ、そのコンペに絵を出すってことは、参加していた他のスタジオの劇場チームを去るということ。もう2度と戻れないというくらいの決別ですごく迷ったんですが、やっぱり美術監督をやりたいという思いがあって、絵を出しそれが採用されて『Angel Beats!』の美術監督を引き受けたという経緯がありました。 あの時は必死でしたよ、認めてもらいたい一心でしたから。だからなのか、『Angel Beats!』の背景はエッジが効いてるなんて言われることがあります。
──相当な覚悟がそこにはあったんですね。
東地 時代の移り変わりを垣間見たってことですかね。自分が1番いいと思っていたアニメーションが、もうお客さんたちには求められていないっていうのを当時すごく感じてしまった。それは寂しいことだったけれど。
『凪あす』は、海と地上に分かれて人々が生活を送る世界を舞台に、少年少女の恋模様を繊細に、かつ色彩豊かに描き、男女問わず好評を博した作品だ。
この背景美術を手がけた東地和生さんは、『サクラ大戦 活動写真』『攻殻機動隊S.A.C.』『パプリカ』といった有名作品の美術監督補佐を経て、現在は『花咲くいろは』『TARI TARI』といったタイトルに代表されるP.A.WORKSの作品を中心に美術監督をつとめている。
『凪あす』を見たことがない人でも、その美しさに見惚れてしまうこの背景美術の数々は、どのようにして生み出されているのだろうか?
アニメーションにおける美術スタッフの仕事、背景美術の役割やつくり方、そして背景美術をつくるにあたっての東地さんの思想についてうかがった。
取材/文:asanoappy・かまたあつし
『王立宇宙軍』から受けた“衝撃”
──東地さんがアニメの美術スタッフになったきっかけとは何だったのでしょうか。東地和生(以下、東地) もともと小さい時から絵を描くことが好きだったんです。アニメばっかり見ていたというわけでもないんですが、影響された作品を挙げるとすれば、『ルパン三世 カリオストロの城』といったスタジオジブリ以前からの宮﨑駿監督の作品でしょう。あとは、兄貴が見ていた『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』といった劇場版アニメを夢中になって見ていました。
ただ、当時はアニメとか背景に携わりたいと思っていたわけではなく、高校の美術教師に「おまえは絵を描く人間だ」と言われたことがきっかけでデッサンを始めて、その流れで漠然と「絵を描き続けた方がいいのかな」と考えて、美大で油絵を学んでいました。
でも、卒業と同時に進路に迷った時、そもそも自分が1番影響を受けたもの、感動したものってなんだろうかと。決して世界の名画ではないなと。そこで冷静に考えてみると、中学生の時に見た『王立宇宙軍 オネアミスの翼』という劇場アニメの世界観にものすごく強烈な衝撃を受けていたことに気づいて。じゃあアニメやりたいんじゃないの? というところに行き着いたんです。 ──アニメの背景に携わるようになったのは、その世界観に衝撃を受けて、それを形づくる仕事をしたかったからということでしょうか?
東地 そうですね。もっと言えば、自分もああいうものをつくりたい、衝撃を与える側になりたいと。あの時、自分が受けたような心の震えを、今の子たちにも感じてもらいたいという気持ちが、この仕事の原動力のひとつになっています。
アニメにおける美術監督の役割とは?
──美術監督の仕事について詳しく教えていただけますか?東地 まず、背景美術の構想段階からお話しますね。ある作品をつくる時、その世界観を監督を筆頭とするメインスタッフの打ち合わせで決めて、監督が「こういう絵が欲しい」という要求を出してきます。それを踏まえて、美術設定さんが設定画と呼ばれる設計図(色のついていない線画)を起こします。
例えば、『Angel Beats!』に登場する食堂はこういう場所である、という設計図をつくるわけです。 1作品でも150以上という、おびただしい数の設計図をつくります。たくさんつくっておかないと、ここの背景はどうなっているの? ってことになっちゃうから。絵コンテを描く方は、シナリオを読み解きながら美術設定を見てキャラを配置して、画面の設計図である絵コンテを描くわけです。
私の仕事は、この美術設定ができ上がってきてからが本番。美術設定を見ながら美術ボード(背景作業に入る際の指針となる背景)を描きます。 夕方だったり夜だったり、場面によっていろいろシチュエーションって異なるじゃないですか。それらを踏まえて着色して、「夜はこういう表現です」「影はこういう色です」っていうスタンダードなボードをつくるわけです。
こうしたメインボードをひたすら描いて、世界観がだいたい固まったら、各話数のシーンごとにボードを描く。それをもとに背景スタッフと背景打ち合わせをして、背景を描いてくれるスタッフに対して、シーンごとに指示を出します。 例えばこれは、「車が曲がってくるキキーって音とともに路面にタイヤの跡がつくように撮影してもらうから、これをブック(背景の手前に重ねて置かれる背景素材)にしてください」とか、「フレームはここから始まってぎゅっと寄ります、最後はここで止まりますよ」という演出さんの一連の指示を確認しながら、問題が出れば解決策を出しながら打ち合わせを進めていきます。
こういった指示を受けて背景スタッフが背景を描いていく、という連携作業なんです。作品によりますが、だいたい1話あたり300カット前後あるとして計300ファイルの背景が上がってくる。それを今度は私の方で1カット1カット見て、バランスを取るために色を調節し、必要であればディティールを描き加えたり、つぶしたりしながら並べていく。それが済んだらチェックを受けて撮影さんに納品、これが美術監督の主な仕事です。
なんでしょう。感覚的には水が綺麗に流れるように水路をつくっているイメージがありますね。 ──背景を1つ仕上げるのにも、いろいろな役職の方が携わっているんですね。
東地 美術設定、美術監督、背景スタッフの連携です。それぞれ形をつくる人、色をつくる人、具現化する人って言った方が分かりやすいかな。みんなで協力しあって、舞台装置をひたすら良い物に仕上げていくんです。
ただ、今のアニメ業界は作業時間がどんどんなくなるという過酷な状況になってきて、クオリティを保つのが非常に難しくなっているという問題に直面していたりもします。
──制作技術の進歩にともなって、時間に余裕ができるものかと思っていました。
東地 むしろ逆ですね。個人的に、業界は技術の進歩をクオリティよりも時間短縮に割いてしまったと感じることがあります。
機械を使うとはいえ、結局描くのは人の手なので、やっぱり時間はどうしたってかかりますね。その中で、どうしたらお客さんに喜んでもらえるものをつくれるのか、考え悩むことは多いです。
アニメ業界の変化、そして『Angel Beats!』の美術監督へ
──以前には『攻殻機動隊』や『パプリカ』といった作品に参加されていましたが、今はP.A.WORKSの作品を中心に美術監督をつとめていらっしゃいますよね。東地 実は私、P.A.WORKSさんの方ではじめて美術監督をつとめた『Angel Beats!』をやるまで、いわゆる美少女アニメにあまり携わったことはなかったんです。
昔のアニメ業界というのは、劇場作品が最上級という風潮が(90年代までは)あったと感じてまして。ジブリを筆頭に、『AKIRA』だったり『王立宇宙軍』だったり、TVアニメではなく劇場アニメを渡り歩くスタッフが一流であると。だから、20代の頃はアニメの背景の仕事をやるからには劇場作品に参加できる人間になりたい、そう思ってました。
でも、2000年代に入ってからアニメ業界もちょっと違う流れがきたんですよね。美少女アニメ自体はそれこそ大昔からありましたが、それ自体がメインストリームになってきたという印象がありました。 それまで予算のかかった劇場作品が最上であると信じて疑わなかったのに、お客さんはまったく違うベクトルの物を求めているっていう現実をつきつけられたんですよ。それとともに、劇場作品が最上であるという文化の終焉も感じ、30代の自分は迷いが生まれてました。
早い人は20代で美術監督になるパターンが多いんですけど、私は美術監督としては遅咲きで、下積み時代がけっこう長かった。そこで、このまま仕事をやっていたら5年後には美術監督を1度もやらずに40歳になってしまう、このままじゃまずいんじゃないかと。
そう考え悩んだ挙句に、今思えばおごった言い方だなと思うんですが、当時のそのままの言葉で言うと「萌えアニメでいいから、美少女アニメでいいから美術監督をやりたい」って思ったんですよ。
その矢先に、P.A.WORKS社長の堀川憲司さんに『Angel Beats!』の美術監督のコンペに誘われて。ただ、そのコンペに絵を出すってことは、参加していた他のスタジオの劇場チームを去るということ。もう2度と戻れないというくらいの決別ですごく迷ったんですが、やっぱり美術監督をやりたいという思いがあって、絵を出しそれが採用されて『Angel Beats!』の美術監督を引き受けたという経緯がありました。 あの時は必死でしたよ、認めてもらいたい一心でしたから。だからなのか、『Angel Beats!』の背景はエッジが効いてるなんて言われることがあります。
──相当な覚悟がそこにはあったんですね。
東地 時代の移り変わりを垣間見たってことですかね。自分が1番いいと思っていたアニメーションが、もうお客さんたちには求められていないっていうのを当時すごく感じてしまった。それは寂しいことだったけれど。
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東地和生
美術監督
1974年生まれ
『サクラ大戦 活動写真』『攻殻機動隊S.A.C.』『パプリカ』などの美術監督補佐を経て、現在はP.A.WORKSの作品を中心に美術監督をつとめている。
代表作に『Angel Beats!』『花咲くいろは』『凪のあすから』など。
Twitter:@higashiji
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