1月19日、音楽プロデューサー・小室哲哉さんが引退を発表した。
病気療養中の妻・KEIKOさん看病のかたわら、別の女性との不倫疑惑を報道され、本日開かれた緊急記者会見で宣言。
会見で小室哲哉さんは「僕なりの騒動のケジメとして引退を決意しました」とコメントした。
その影響は計り知れない。
現在放送中の「仮面ライダービルド」では、浅倉大介さんとのユニット「PANDORA」として主題歌を提供。今後のライブ活動も控えている。
また、今年をもって引退が決まっている安室奈美恵さんのベストアルバム『Finally』に16年ぶりに新曲を提供。ちょうど本日は、安室奈美恵さんのHulu独占ドキュメンタリー番組にて「小室哲哉プロデュース時代を振り返る」回が配信されたばかり。
もちろん、彼が関わっている企画はこれだけではない。関係各所は現在、頭を抱えていることだろう。
何より日本のJ-POP史に貢献してきたクリエイターが、59歳にしてなお盛んな創作意欲にあふれている(ように筆者には思える)にも関わらず、引退を決意するに至った。いや、引退を余儀なくされた、と表現するべきだ。その影響は大きい。
報道の論調は様々だ。そして、報道を受けての反応も様々だ。「引退して当然」「これまで不倫がバレた芸能人も全員引退しろ」という声もあれば、「何も引退する必要はなかった」「辞めてほしくない」という声も当然ある。
いずれにしろ、小室哲哉ファンではなくても、日本に在住していて、彼のプロデュースした曲を一度も耳にしたことのない人はいないだろう。国民的音楽プロデューサーの電撃引退は、波紋を呼んでいる。
小室哲哉さんとKEIKOさんが所属するglobe、そのもう一人のメンバーであるマーク・パンサーさんは「グローブのともし火は消さない!!!信じ続けて突っ走る!!!」と表明している。
ユーモアあふれるエッセイや、国税局査察部への取材を通して自身で監督・脚本をつとめた映画『マルサの女』はじめ社会に切り込んだ映画作品など、多才な彼のファンは多い。
死後、伊丹十三さんの遺業を記念して「伊丹十三賞」が創設されている。ちなみに、2017年度の受賞者は星野源さんだ。
1997年の伊丹十三さんの死を巡っては、様々な疑惑が残されている──『ミンボーの女』をきっかけにした暴力団からの襲撃事件もあり、暴力団絡みを疑う報道も多い──ものの、警察からは自殺と断定されている。
週刊誌による不倫疑惑報道の直後だったこと、「死をもって潔白を証明します。」という遺書が残されていたことから、自殺は不倫報道が原因という見方が当時から根強かった。
近しい関係者は「不倫疑惑くらいで自殺する人間ではない」と否定しているが、真相は藪の中だ。なお、小説家の大江健三郎さんは、後年、義兄であり親友であった伊丹十三さんの自殺をモチーフにした小説『取り替え子』を執筆している。
因果関係が究明されていない伊丹十三さんの死を例にあげるのは不適切かもしれない。
ただし、日本は法治国家だ。「不貞行為」は民法第770条に規定されている通り、民事上の“不法”行為にあたる。この限りにおいて、不倫は裁かれるべき対象である。しかし、刑法に関わる“犯罪”ではない。
近年の不倫報道の過熱を背景に、当事者間の話し合いや民事裁判といった然るべき対処をすっ飛ばし、即座に社会的な責任に転化させられる事態に及んでいる。
このような状況は、何も今に始まったことではないかもしれない。しかし、今の不倫報道およびそれに対するバッシングの過熱は、筆者には異常に思える。
公人でもない限りにおいて、当事者間の問題を、社会に対して償わなければならない理由は存在しない。そして、例えば当事者がクリエイターの場合、作品の正当性を巡る事件ではない限り、人格と作品は切り離されて考えられるべきものだ。
不倫疑惑のケジメをつけるために、創作の機会が奪われてはならない。
筆者を含めて、これら当たり前の事実を一人一人が当たり前に受け入れない限り、このまま行き着くところまで行けば、その先に待っているのは、不倫報道による自殺という痛ましい事件かもしれない。
そして今日は、小室哲哉というミュージシャンが殺された。
病気療養中の妻・KEIKOさん看病のかたわら、別の女性との不倫疑惑を報道され、本日開かれた緊急記者会見で宣言。
会見で小室哲哉さんは「僕なりの騒動のケジメとして引退を決意しました」とコメントした。
その影響は計り知れない。
小室哲哉引退の波紋
小室哲哉さんは、テレビ朝日の人気オーディション番組「ラストアイドル」で、アイドルグループのプロデュースを担当している。現在放送中の「仮面ライダービルド」では、浅倉大介さんとのユニット「PANDORA」として主題歌を提供。今後のライブ活動も控えている。
また、今年をもって引退が決まっている安室奈美恵さんのベストアルバム『Finally』に16年ぶりに新曲を提供。ちょうど本日は、安室奈美恵さんのHulu独占ドキュメンタリー番組にて「小室哲哉プロデュース時代を振り返る」回が配信されたばかり。
もちろん、彼が関わっている企画はこれだけではない。関係各所は現在、頭を抱えていることだろう。
何より日本のJ-POP史に貢献してきたクリエイターが、59歳にしてなお盛んな創作意欲にあふれている(ように筆者には思える)にも関わらず、引退を決意するに至った。いや、引退を余儀なくされた、と表現するべきだ。その影響は大きい。
報道の論調は様々だ。そして、報道を受けての反応も様々だ。「引退して当然」「これまで不倫がバレた芸能人も全員引退しろ」という声もあれば、「何も引退する必要はなかった」「辞めてほしくない」という声も当然ある。
いずれにしろ、小室哲哉ファンではなくても、日本に在住していて、彼のプロデュースした曲を一度も耳にしたことのない人はいないだろう。国民的音楽プロデューサーの電撃引退は、波紋を呼んでいる。
小室哲哉さんとKEIKOさんが所属するglobe、そのもう一人のメンバーであるマーク・パンサーさんは「グローブのともし火は消さない!!!信じ続けて突っ走る!!!」と表明している。
車内の学生達の会話からニュースを聞いた…先生が引退…落ちる…いやっ、落ちてはいけない!グローブのともし火は消さない!!!信じ続けて突っ走る!!! #iloveglobe #globegeneration pic.twitter.com/i4MTZbXATr
— マーク・パンサー (@marcpanther) 2018年1月19日
故・伊丹十三を思う
伊丹十三という人がいた。映画監督、俳優、作家…あらゆる文化活動に興味を持ち、数多くのジャンルで功績を残した人物だ。ユーモアあふれるエッセイや、国税局査察部への取材を通して自身で監督・脚本をつとめた映画『マルサの女』はじめ社会に切り込んだ映画作品など、多才な彼のファンは多い。
死後、伊丹十三さんの遺業を記念して「伊丹十三賞」が創設されている。ちなみに、2017年度の受賞者は星野源さんだ。
1997年の伊丹十三さんの死を巡っては、様々な疑惑が残されている──『ミンボーの女』をきっかけにした暴力団からの襲撃事件もあり、暴力団絡みを疑う報道も多い──ものの、警察からは自殺と断定されている。
週刊誌による不倫疑惑報道の直後だったこと、「死をもって潔白を証明します。」という遺書が残されていたことから、自殺は不倫報道が原因という見方が当時から根強かった。
近しい関係者は「不倫疑惑くらいで自殺する人間ではない」と否定しているが、真相は藪の中だ。なお、小説家の大江健三郎さんは、後年、義兄であり親友であった伊丹十三さんの自殺をモチーフにした小説『取り替え子』を執筆している。
因果関係が究明されていない伊丹十三さんの死を例にあげるのは不適切かもしれない。
ただし、日本は法治国家だ。「不貞行為」は民法第770条に規定されている通り、民事上の“不法”行為にあたる。この限りにおいて、不倫は裁かれるべき対象である。しかし、刑法に関わる“犯罪”ではない。
近年の不倫報道の過熱を背景に、当事者間の話し合いや民事裁判といった然るべき対処をすっ飛ばし、即座に社会的な責任に転化させられる事態に及んでいる。
このような状況は、何も今に始まったことではないかもしれない。しかし、今の不倫報道およびそれに対するバッシングの過熱は、筆者には異常に思える。
公人でもない限りにおいて、当事者間の問題を、社会に対して償わなければならない理由は存在しない。そして、例えば当事者がクリエイターの場合、作品の正当性を巡る事件ではない限り、人格と作品は切り離されて考えられるべきものだ。
不倫疑惑のケジメをつけるために、創作の機会が奪われてはならない。
筆者を含めて、これら当たり前の事実を一人一人が当たり前に受け入れない限り、このまま行き着くところまで行けば、その先に待っているのは、不倫報道による自殺という痛ましい事件かもしれない。
そして今日は、小室哲哉というミュージシャンが殺された。
この記事どう思う?
関連リンク
1件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:1626)
テレビや雑誌が有名人なら何でも穿り出してさらし者にすることで稼ぐというのは嫌悪感がある。一方でこれらのメディアは50代以上がターゲットで情報の消費という点では固定化が進んだ年齢層だ。恐らく、顧客の購買力が衰えない限り変化は無い。今後も何も変わらず、徐々に衰退していくだろう。ビジネスモデルは変えられないからだ。
一方で違和感があるのは小室氏が男性機能は無いと断言し不倫疑惑をシャットアウトしたにもかかわらず自発的な音楽活動から退くことだ。音楽業界には色々なかかわり方があり、小室氏名義で作品を発表しないという意味なら、裏方として関わることはできる。何より、自営業である以上働かなくては食べていけない。同時に彼が背負った十字架である妻の介護もできない。その証拠に小室氏は引退するとは言っていない。
これはブランド力の高く収益力のある「小室哲哉」という名前を使わず、細々とマスコミの目から逃れて仕事を続けていくという意味だろう。当然、収入は大幅に減るが、小室氏には他に糊口をしのぐ方法は無く、まだ59歳という年齢からいっても無為に日々を送れるわけでもない。小室氏の寿命の蝋燭はまだまだ長い。妻のそれはさらに長い。
だが、これまでよりも妻の介護にかけられるお金は減るだろう。会見での様子では小室氏自身の健康状態も悪化している。59歳という実年齢より10歳は老けて見えたのは肝炎の影響だろう。
不倫疑惑と妻の介護、さらに自身の病気と3つの重荷が精神を袋小路に追い込んだことは容易に推察できる。それがあの会見となった。もう、そっとしておいてくれ、そう言いたかったのだろうが、責任を取るという意思表示を全面に出す必要もあった。その意味では職業人としての筋を通したともいえる。
マスコミが社会的影響力のある人物を追うのはわかる。営業上、有利だしそれが政治家のように国家や社会の根幹にかかわることなら国民に知らせるという報道の大義は容認される。だが、人生の下り坂を静かに歩む者が水たまりで転んだからと言って面白がるのは不謹慎だ。ましてそれが私人ならばなおのこと。
マスコミの蝋燭の残りは短い。