いまだ19歳と聞いて耳を疑うほどの働きぶりだ。
アニソンシンガーとして活動する鈴木このみさんが10thシングル『Redo』を5月11日(水)にリリースした。本作はTVアニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』のOP主題歌でもある。
歌詞の「僕は抗うだろう 運命に」からも読み取れるように、大切な人を守りたい主人公の執念にも似た熱い感情が込められたロックナンバーに仕上がっている。鈴木このみさんは本作のMVでは演技にも初挑戦し、新たな表情をのぞかせた。鈴木このみ「Redo」(「Re:ゼロから始める異世界生活」OP)
彼女はこれまでにも数々のアニメタイアップ曲を熱唱してきた。フレッシュなサウンドでファンの心をつかんだ名曲『DAYS of DASH』(TVアニメ『さくら荘のペットな彼女』ED曲)、一転して強烈なハイトーンを響き渡らせた『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』(TVアニメ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』OP曲)などを歌い、アニメソングの祭典ともいえる「Animelo Summer Live」にも4年連続出場。2016年は春の2ndツアーを含めた20本ワンマンステージとライブ活動にも精力的だ。
TVアニメ『マクロスF』に多大な影響を受けてアニソンシンガーを志した14歳の少女は、応募総数10,223組を勝ち抜き、第5回全日本アニソングランプリで優勝。デビューして4年、シンデレラガールのように思える彼女のヒストリーを聞いてみると、青春時代を歌に捧げてきた真摯な姿も見えてくる。
今回は新曲への意気込みはもちろん、原点ともいえる少女時代のこと、歌う時の心構え、自分の未来形、まだ見ぬ後輩へのエールまでをうかがった。19歳の等身大な鈴木このみさんの姿が見えてくるはずだ。ファンの心を揺さぶる歌声の秘密に迫る。
文:松本塩梅 写真:市村岬
鈴木このみ そうなんです! もちろん知っていました。May'nさんはずっと憧れの存在なので不思議な気持ちですが、焦りもありますよね。May'nさんは19歳であんなにすごい歌を歌ったのかと思うと、もっと私も頑張らないとなって。
今はビブラートの練習をしています。いろんな種類を使いこなせると、バラードやアップテンポにも対応できるし、使い分けていけたらいいなと思うので。
──課題がしっかり見えているんですね。今回は鈴木このみさんの過去から未来にわたってお話をうかがっていこうと思っています。歌の練習はいつ頃から始めていたんですか?
鈴木このみ 幼稚園の年長さんあたりなので、記憶はもうほとんどないんですけど、鍼(はり)治療に連れていかれたこともあるくらいに、人見知りや泣き虫だったそうなんです(笑)。
そこで母が考えたのが、体を動かしてストレス発散をしたらどうだ、と。地元の大阪でバレエとダンスの体験レッスンに行き、私が「ダンスがしたい」って言ったからレッスンを始めました。
そのスクールで、たまたまダンスを一緒に習っていた2歳くらい上の“頼れるおねえちゃん”みたいな存在の友達がいて、その人がミュージカルもやっていたんです。そのステージを観た時に「あ、なんか歌や演技はかっこいいな」って思って、私もやってみたくなったんですね。
──歌よりも先にダンスやミュージカルからスタートしているんですね。
鈴木このみ そうなんです。はじめて人前で歌ったのは小学校1年生でした。緊張はしたけれど、人前に出るのが怖いっていう気持ちはなかったです。人見知りというよりは、やっぱりパワーを持て余していたのかもしれません(笑)。
歌を習い始めて1〜2ヶ月くらいだったと思うんですけど、あるコンテストで「勝手にスター大賞」っていう、ちょっと面白い特別賞みたいなものをいただいて。あの時に賞をもらって、まわりのみんなが喜んでくれるのが嬉しくて、それがクセになって歌を続けていったのはあると思います。
歌った曲は「チュウ チュウ チュ チュ 夏のお嬢さん〜♪」で有名な、榊原郁恵さんの『夏のお嬢さん』でした。
──シンガー・鈴木このみの原点かもしれません。
鈴木このみ そうですね! 音楽は母に選んでもらっていて、昭和歌謡をよく歌っていました。当時は雑誌で見つけたコンテストに応募して歌うことが多かったです。
教わったのが声楽家の先生だったこともあって、最初の2〜3年くらいは「歌をきれいに歌いましょう」というレッスンを受けてきたんですよ。1年間で1曲練習できたらいいかなくらいで、ソルフェージュ(楽譜読みや音感トレーニング)とか、走りながら歌って声がぶれないように維持するとか、本当に基礎しかやらせてもらえなくて。でも、あの基礎訓練があったからこそ、いろんな技術を上乗せできるのかなと思っているので感謝しています。
──ミュージカルも続けていた?
鈴木このみ ミュージカルは小学校4年生から中学校1年生の4年間くらいやっていて、歌とは別に習っていました。オーディションに応募して、公演に出たり。
でも、ミュージカルは「やっぱり歌にもっと多くの時間を使いたい」って思って、中学1年生の時に辞めたんです。とにかく歌一本でやっていきたい、歌だけで世界を表現したいなっていうのは、物心ついた時から思っていました。
ライブ活動を小学校6年生から始めたんですよ。ボイトレの先生が変わったタイミングで、その先生が「ライブハウスに出ると経験をいろいろ積める」と紹介してくださって。
──その時に歌っているのは、まだアニソンではない?
鈴木このみ ずっとJ-POPばかりで、どんな歌が歌いたいかまでは決めていなかったんです。EXILEさん、伊藤由奈さん、ポルノグラフィティさんとかが好きでした。
でも、その当時からアニオタの素質はあったと思うんですよ(笑)。兄の影響でマンガだったりゲームだったりに触れてはいたんですけど、アニメはまだそれほど詳しくなかった。
鈴木このみ 決まりましたね。
アニソンを知ってからは、ライブでも急にアニソンばかり歌うようになっていました。大好きなMay'nさんや『マクロスF』の曲、あとは『BLEACH』の曲……fumikaさんの『アオイトリ』とか、そういうのをチョイスして。
──アニソングランプリに出る前に、アニソンを歌うシンガーとしてステージデビューをしていたんですね。
鈴木このみ アニメにハマった時期って、嫌なことが特にあったわけではないんですけれど、毎日もやもやと過ごしていた時期で。根拠もなく「絶対に東京の高校へ行ってやろう」と思っていたんですよ。場所を変えて、新しい自分を始めたかったんでしょうね。
そんな時に『マクロスF』に出会って、アニメを好きになって、一気に毎日がすごく楽しくなりました。アニメを好きになったら友達との関係も変わったんです! アニメ好き同士って打ち解けるの早いじゃないですか。この人は同じ匂いを感じる、みたいな(笑)。
──『マクロスF』のどういうところが刺さったんでしょう?
鈴木このみ 衝撃を受けたのはライブシーン。シェリルが何人もいたりとか、絶対に二次元でしかできないかっこよさじゃないですか。挿入歌も多くて、本編を見ていく中で「うわー、泣きそう、泣きそう」って時にトドメを刺すかのように『ダイアモンド クレバス』が流れてきたりするんですよね……(笑)。
カラオケに行ってもアニソンを歌うようになって。J-POPだと「良い曲だね」って終わるのが、アニメソングだと歌った後に「あのアニメの、あそこのシーンいいよね!」って盛り上がったり。友達の輪も広がって、すごく楽しくなりました。
その時の私にとっては、アニメとの出会いは、東京に行くよりもきっと大きな変化だったんだと思います。
鈴木このみ 正直、ありますね……!(苦笑)
友達と遊びに行く時間がなかったですし、当時はミュージカルのお稽古にも時間がとられて休日がなかったりもしましたし……でも辞めようとは全然思わなかったです。
──そのモチベーションはどこから来るんですか?
鈴木このみ みんなと同じように、同じ時間を遊んで来られなかったけれど、でも私はあんなに大きいステージで歌えているんだ、みんなができない体験を私はできているんだ、という強い気持ちはありました。
それも友達や家族の支えがあったからですね。レッスンで遊びの誘いを断る私を友達たちはむしろ応援してくれたし、母もずっと二人三脚でやってくれていた。ひとりだったら、たぶんできなかっただろうなぁ。
アニソンシンガーとして活動する鈴木このみさんが10thシングル『Redo』を5月11日(水)にリリースした。本作はTVアニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』のOP主題歌でもある。
歌詞の「僕は抗うだろう 運命に」からも読み取れるように、大切な人を守りたい主人公の執念にも似た熱い感情が込められたロックナンバーに仕上がっている。鈴木このみさんは本作のMVでは演技にも初挑戦し、新たな表情をのぞかせた。
TVアニメ『マクロスF』に多大な影響を受けてアニソンシンガーを志した14歳の少女は、応募総数10,223組を勝ち抜き、第5回全日本アニソングランプリで優勝。デビューして4年、シンデレラガールのように思える彼女のヒストリーを聞いてみると、青春時代を歌に捧げてきた真摯な姿も見えてくる。
今回は新曲への意気込みはもちろん、原点ともいえる少女時代のこと、歌う時の心構え、自分の未来形、まだ見ぬ後輩へのエールまでをうかがった。19歳の等身大な鈴木このみさんの姿が見えてくるはずだ。ファンの心を揺さぶる歌声の秘密に迫る。
文:松本塩梅 写真:市村岬
憧れのシェリルに追いついた、大阪のステージ少女
──鈴木このみさんがアニソンシンガーを志したきっかけは『マクロスF』で、シェリル・ノーム役の歌唱パートを担当したMay'nさんのステージに衝撃を受けたとインタビューでもお話になっています。May'nさんがシェリルとして歌っているのが当時19歳。その年齢に追いつきましたね。鈴木このみ そうなんです! もちろん知っていました。May'nさんはずっと憧れの存在なので不思議な気持ちですが、焦りもありますよね。May'nさんは19歳であんなにすごい歌を歌ったのかと思うと、もっと私も頑張らないとなって。
今はビブラートの練習をしています。いろんな種類を使いこなせると、バラードやアップテンポにも対応できるし、使い分けていけたらいいなと思うので。
──課題がしっかり見えているんですね。今回は鈴木このみさんの過去から未来にわたってお話をうかがっていこうと思っています。歌の練習はいつ頃から始めていたんですか?
鈴木このみ 幼稚園の年長さんあたりなので、記憶はもうほとんどないんですけど、鍼(はり)治療に連れていかれたこともあるくらいに、人見知りや泣き虫だったそうなんです(笑)。
そこで母が考えたのが、体を動かしてストレス発散をしたらどうだ、と。地元の大阪でバレエとダンスの体験レッスンに行き、私が「ダンスがしたい」って言ったからレッスンを始めました。
そのスクールで、たまたまダンスを一緒に習っていた2歳くらい上の“頼れるおねえちゃん”みたいな存在の友達がいて、その人がミュージカルもやっていたんです。そのステージを観た時に「あ、なんか歌や演技はかっこいいな」って思って、私もやってみたくなったんですね。
──歌よりも先にダンスやミュージカルからスタートしているんですね。
鈴木このみ そうなんです。はじめて人前で歌ったのは小学校1年生でした。緊張はしたけれど、人前に出るのが怖いっていう気持ちはなかったです。人見知りというよりは、やっぱりパワーを持て余していたのかもしれません(笑)。
歌を習い始めて1〜2ヶ月くらいだったと思うんですけど、あるコンテストで「勝手にスター大賞」っていう、ちょっと面白い特別賞みたいなものをいただいて。あの時に賞をもらって、まわりのみんなが喜んでくれるのが嬉しくて、それがクセになって歌を続けていったのはあると思います。
歌った曲は「チュウ チュウ チュ チュ 夏のお嬢さん〜♪」で有名な、榊原郁恵さんの『夏のお嬢さん』でした。
──シンガー・鈴木このみの原点かもしれません。
鈴木このみ そうですね! 音楽は母に選んでもらっていて、昭和歌謡をよく歌っていました。当時は雑誌で見つけたコンテストに応募して歌うことが多かったです。
教わったのが声楽家の先生だったこともあって、最初の2〜3年くらいは「歌をきれいに歌いましょう」というレッスンを受けてきたんですよ。1年間で1曲練習できたらいいかなくらいで、ソルフェージュ(楽譜読みや音感トレーニング)とか、走りながら歌って声がぶれないように維持するとか、本当に基礎しかやらせてもらえなくて。でも、あの基礎訓練があったからこそ、いろんな技術を上乗せできるのかなと思っているので感謝しています。
──ミュージカルも続けていた?
鈴木このみ ミュージカルは小学校4年生から中学校1年生の4年間くらいやっていて、歌とは別に習っていました。オーディションに応募して、公演に出たり。
でも、ミュージカルは「やっぱり歌にもっと多くの時間を使いたい」って思って、中学1年生の時に辞めたんです。とにかく歌一本でやっていきたい、歌だけで世界を表現したいなっていうのは、物心ついた時から思っていました。
ライブ活動を小学校6年生から始めたんですよ。ボイトレの先生が変わったタイミングで、その先生が「ライブハウスに出ると経験をいろいろ積める」と紹介してくださって。
──その時に歌っているのは、まだアニソンではない?
鈴木このみ ずっとJ-POPばかりで、どんな歌が歌いたいかまでは決めていなかったんです。EXILEさん、伊藤由奈さん、ポルノグラフィティさんとかが好きでした。
でも、その当時からアニオタの素質はあったと思うんですよ(笑)。兄の影響でマンガだったりゲームだったりに触れてはいたんですけど、アニメはまだそれほど詳しくなかった。
アニメで拓けた新しい自分、アニソンシンガーとしての芽生え
──そこで中学2年生の時にMay'nさんと出会って、一気に道が決まる。鈴木このみ 決まりましたね。
アニソンを知ってからは、ライブでも急にアニソンばかり歌うようになっていました。大好きなMay'nさんや『マクロスF』の曲、あとは『BLEACH』の曲……fumikaさんの『アオイトリ』とか、そういうのをチョイスして。
──アニソングランプリに出る前に、アニソンを歌うシンガーとしてステージデビューをしていたんですね。
鈴木このみ アニメにハマった時期って、嫌なことが特にあったわけではないんですけれど、毎日もやもやと過ごしていた時期で。根拠もなく「絶対に東京の高校へ行ってやろう」と思っていたんですよ。場所を変えて、新しい自分を始めたかったんでしょうね。
そんな時に『マクロスF』に出会って、アニメを好きになって、一気に毎日がすごく楽しくなりました。アニメを好きになったら友達との関係も変わったんです! アニメ好き同士って打ち解けるの早いじゃないですか。この人は同じ匂いを感じる、みたいな(笑)。
──『マクロスF』のどういうところが刺さったんでしょう?
鈴木このみ 衝撃を受けたのはライブシーン。シェリルが何人もいたりとか、絶対に二次元でしかできないかっこよさじゃないですか。挿入歌も多くて、本編を見ていく中で「うわー、泣きそう、泣きそう」って時にトドメを刺すかのように『ダイアモンド クレバス』が流れてきたりするんですよね……(笑)。
カラオケに行ってもアニソンを歌うようになって。J-POPだと「良い曲だね」って終わるのが、アニメソングだと歌った後に「あのアニメの、あそこのシーンいいよね!」って盛り上がったり。友達の輪も広がって、すごく楽しくなりました。
その時の私にとっては、アニメとの出会いは、東京に行くよりもきっと大きな変化だったんだと思います。
「歌に捧げてきた」青春を支えてくれた人たち
──15歳から仕事をしてきて、ある意味では「青春を歌に捧げてきた」ともいえますが、それを正直にツラいと思ったことはないですか?鈴木このみ 正直、ありますね……!(苦笑)
友達と遊びに行く時間がなかったですし、当時はミュージカルのお稽古にも時間がとられて休日がなかったりもしましたし……でも辞めようとは全然思わなかったです。
──そのモチベーションはどこから来るんですか?
鈴木このみ みんなと同じように、同じ時間を遊んで来られなかったけれど、でも私はあんなに大きいステージで歌えているんだ、みんなができない体験を私はできているんだ、という強い気持ちはありました。
それも友達や家族の支えがあったからですね。レッスンで遊びの誘いを断る私を友達たちはむしろ応援してくれたし、母もずっと二人三脚でやってくれていた。ひとりだったら、たぶんできなかっただろうなぁ。
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