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  • 2023.10.21

「もしヒップホップが忘れられそうになったら、全部ぶち壊してくれる誰かが必ず現れる」

「もしヒップホップが忘れられそうになったら、全部ぶち壊してくれる誰かが必ず現れる」

ラッパーとしてキャリアの歩みを始めたRYUZO

現在は、2017年からABEMAで始まった『ラップスタア誕生』の企画・オーガナイザーや、レコード・バー「BLOODY ANGLE」やクラブ「MADAM WOO TOKYO」などの多角的経営者として知られるようになっている。

「ラップスタア誕生」を改めて振り返った前編に続き、日本とアジアのヒップホップシーン、そして常に自らがヒップホップだと思うことを貫き続けてきた彼の哲学を問う。

音楽活動の一線から退いているRYUZOの手広い活動。見えてきたのは、ヒップホップを貫いてきた彼のブレない“場所づくり”へのこだわりだった。

目次

  1. 「このままだとヒップホップが口喧嘩だけになってしまう」
  2. 大人の遊び場をつくりたかった
  3. 「こいつ売れるやろ、金になるやろ」を理由にするのは無理
  4. アジアの先端にいた日本のヒップホップシーンが、今は遅れをとっている
  5. もしヒップホップがカルチャーとして忘れられそうになったら、シーンごと全部ぶち壊してくれる誰かが必ず現れる
  6. 自分を信じて、自分の仲間を信じて

「このままだとヒップホップが口喧嘩だけになってしまう」

ラップスタアShowyVICTOR誕生の瞬間 R-指定ら審査員にも直撃

──そもそも『ラップスタア誕生』 を企画したきっかけは何だったのでしょうか?

RYUZO 最初は『さんピンCAMP20周年』でABEMAの藤田(晋)社長に会った時の会話が始まりで。俺が酔っぱらって、社長に「フリースタイルダンジョン』がめっちゃバズってるけど、このままあれだけが流行ったらヒップホップが口喧嘩だけになってしまうから、オーディション番組をやらせてくれ」みたいな提案をしたんですよ。

もちろん、『フリースタイルダンジョン』へのリスペクトはある。番組から世間的に知られていったR-指定とかすごいと思うし、だから審査員も依頼している。ただ、ヒップホップってもっと素晴らしいし、もっと深いし、もっとアートなもんなんですよ。だから、あれだけじゃないぞってところを見せてやろうやと。

それを社長にずっと言ってたら、2日後に呼び出されて「前にRYUZOくんが言ってた企画、面白いからやろう」という話になって。

──そうして動き出した『ラップスタア誕生』ですが、実際に番組をつくるにあたって、特にどのようなことを意識されましたか?

RYUZO やっぱり「テレビ番組」にすることが大事。例えば『ラップスタア誕生』というタイトルもそう。俺自身は、経営してる店に「BLOODY ANGLE」という、NYのチャイナタウンの中国系マフィアが抗争を繰り返していた街角の名前をつけるような趣味だから。そんなやつが、番組として『ラップスタア誕生』と名付けているわけです。

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撮影は、RYUZOが経営する渋谷の「BLOODY ANGLE Dougen Tong」にて」にて

RYUZO 藤田社長からも「やっていることはヒップホップでも、受け入れられやすいものにしよう」というアドバイスを受けて。『イカ天』※を意識したり、とかね。やっぱりエンターテインメントとして面白くなかったら続かないので、ちゃんとマスに届くようにするために番組上の工夫はしてますね。

※『イカ天』 1989-1990年にかけて深夜番組の1コーナーとして放送されたバンドオーディション番組『三宅裕司のいかすバンド天国』

──確かに『ラップスタア誕生』は、エンターテインメントとしても楽しめる番組になっていることも人気の理由の一つだと感じます。番組が大きくなったことで、現在、新たにラッパーになろうとする人にとっては「MCバトル大会への出場」、「音楽配信サービスへの投稿」、そして「ラップスタア誕生への出場」と、様々な選択肢が開かれています。このように入り口の広くなったヒップホップシーンについてどのように思われますか?

RYUZO 『ラップスタア誕生』にしても『フリースタイルダンジョン』にしてもそうなんですけど、全部ヒップホップゲームやと思う。別に俺、この番組に出てるやつが好きなわけじゃなくて、フリースタイルでむちゃくちゃ格好良いやつが出てきたら好きになるし、楽曲聴いてヤバかったら好きになる。だからどのキャリアを選んでつくり続けるのかは、そいつら次第だと思う。

別に『ラップスタア誕生』だけがヒップホップの入り口だと思っていない。むしろ俺が現役ラッパーだったら、番組に出ないで成り上がる方がカッコいいと思って出ないようなヤツやから(笑)

でも、もし右も左もわからん京都に住んでる若手の時の俺やったら、すごい良い番組だと思うはずなんですよ。Spadaみたく、無冠の王がタイトルを獲りにいくのも面白いし。そういう色々な才能を拾えたらいいし、もっとこのシーンを広げるために、番組をどんどん大きくしていきたいとは思ってます。

大人の遊び場をつくりたかった

──改めて、プロデューサー・RYUZOの誕生についてもうかがせてください。これまでの活動としてはMAGMA MC'sというグループを結成して活動されていたラッパー、そしてANARCHYを発掘した「R-RATED RECORDS」でのレーベルオーナーというポジションでしたが、現在の飲食経営や番組のオーガナイザーへと転換したのは、どういったきっかけがあったのでしょうか?

RYUZO 今のいけてるアーティストと一緒に曲をつくろうとなった時に、俺は46才で、相手が19〜20の子たちだとしたら、彼らの思いはわからへん(笑)。一緒に曲をつくれないのであれば、聴く方に回ろうというフェーズに変わっていったのはありますね。

あとは「R-RATED RECORDS」に所属していたANARCHYがメジャーレーベルに行きたいという話が出たり、芸能事務所のLDHさんが絡んで話が動いたタイミングがあって。でも俺、そういうタイプじゃないんですよ(笑)。アンダーグラウンドだったり、ストリートなことしかできないんですよね。メジャーの人らに割って入っていって戦うことに興味がなかった。だったら俺はレーベルから離れようかな、という流れがあって。

──なるほど。そこからどうして「BLOODY ANGLE」などの飲食店経営を始めていったのでしょうか?

RYUZO プロデュースやレーベルからも離れた時、一緒に曲をつくってるトラックメーカーのLostFaceに声をかけられて。ちょうどLostFaceが経営してたレコード屋を閉めたところで、「家にレコードあっても仕方ないし、毎日飲み歩いてるんだったらレコードかけれるバーでもしましょうよ」って誘われたんですよね。で、バーを始めたらそれが当たってめちゃくちゃ忙しくなってきて、いつの間にかそっちの方が面白くなってきた。

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──店内の内装、流れている音楽一つ一つにこだわりを感じます。

RYUZO 人って、自分の青春時代の音楽が好きなんですよ。もちろん自分はトラップも聴くけど、やっぱりサンプリングが多用された90年代のヒップホップの音が好きで、それを聴ける場所が存在していてほしい。

あとは何より、この歳になってクラブに行って若い子に奢り倒してたら、ヤバいんですよ(笑)。でも大人になっても、自分たちの遊び場がほしいじゃないですか。そういう遊び場を自分でつくろう、という目的もありますね。それにバーだと、音楽をやってる人間以外にも関係なく出会える。それも新鮮で面白かったんですよね。

ただのバーじゃない。レコードもこだわってる。例えばこの間、店に(米プロデューサーの)Swizz Beatzが来て「レコードを全部買い取りたい」みたいな、そのレベルでやってるんで

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RYUZO 例えばMADAM WOO TOKYOだと店で流れているヒップホップは多分日本で一番やばい。そのクオリティを保つように言ってるので、店で回すDJも鬱陶しいと思います(笑)。それくらい、ヒップホップにはこだわってる。

「こいつ売れるやろ、金になるやろ」を理由にするのは無理

──もう自分では楽曲をつくりたい、とは思わないのでしょうか?

RYUZO 今でも時間ある時に曲をつくったりもしてるんですよ。ただ、以前沖縄にライブで呼ばれた時に思ったことがあって。ライブの3日ぐらい前から沖縄前乗りして遊んで、当日にはヘロヘロみたいな状態だったんですよ(笑)。そうしたら俺の前にCHOUJIが出演して、もうめちゃくちゃヤバいライブしてて。

それを見た時、「あ、なんか俺ちゃうな」と。お金もらって適当なライブをするって、もう駄目じゃないですか。俺はヒップホップに全身全霊注いでるやつの音楽が好きなんですよね。

でも、自分が一番気持ち悪いなと感じるようなことを俺はそのライブでやってしまってた。だから自分が全身全霊を注げるような準備ができるまで、マイクを置こうと。

──それは現在、レーベル業を再開しない理由とも重なるところがあるのでしょうか?

RYUZO どうでしょうね。「R-RATED RECORDS」というレーベルを運営してた時も思ってたんですけど、やっぱりプロデュースするアーティストを本気で好きじゃないとやりたくないんです。

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アジアの先端にいた日本のヒップホップは、アジアに遅れをとってる