Interview

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  • 2023.07.06

「俺にとってのラップゲームは、短距離走じゃない」

突然の逮捕と裁判。飛び交った憶測。

今NORIKIYOの目には、どんな景色が見えているのか──振り返る半生と、繰り広げられるラップゲームについて。

実刑判決で収監される以前に収録された、その胸中を語るロングインタビューを前後編で掲載。

「俺にとってのラップゲームは、短距離走じゃない」
特に言うことはねぇんだ下衆に 
おりゃ袋の中のネズミ?
娑婆で子供と見たミッキー  
パパはハマってんだ今ミッフィー
檻で口を閉じてミッフィー
NORIKIYO「あの~」

2022年6月、ラッパーのNORIKIYOは、大麻取締法違反の疑いで逮捕された。警察は当初、営利目的での栽培容疑をかけていた。その後の事件の詳細は、一部の新聞社による18kg以上の大麻(末端価格1億1千万円相当)所持と営利目的ではない栽培で起訴されたという断片的な報道のみ。

本人や公式からの声明もなく、NORIKIYOの身に何が起こったのか? 憶測も飛び交った。

逮捕の真相は、曲で話したほうがいいでしょって思って。俺はラッパーなんだから。せっかくだから、みんなこれ(曲)を楽しんでよ」──それが、NORIKIYOが多くを語らなかった理由だ。
 
2023年に入り、田我流との共作の『風を切って』やELIONEの『One Wish』をはじめ、客演での活動も目覚ましいNORIKIYOが、ついにアルバム『犯行声明』を6月22日にリリースした。


 
保釈中の身であるNORIKIYOが、自分を生んだ相武台団地で語ったすべて。改めて振り返るこれまでの来歴、そして逮捕の真相と今の思い──

目次

  1. 2周り離れた、相武台団地出身ラッパーとの共演
  2. 「揚げ足とるのが得意だった」
  3. バックDJからラッパーへ きっかけはBRON-Kと下心
  4. それぞれの表現を磨く──SDPの遊び
  5. 俺たちの街のサイズにあったヒップホップがあるはず
  6. ストリートに必要なものを失った時、NIRIKIYOに残された武器
  7. ハテナが集まった時に、曲になる
  8. 音が、自分の引き出しを開けてくれる
  9. ラップを通して、自分自身を理解する
  10. NORIKIYOにとってのラップゲーム──

2周り離れた、相武台団地出身ラッパーとの共演

 
3月末日、NORIKIYOが生まれ育った相模原へ向かった。この日は、NORIKIYOと同じ相武台団地出身の若きラッパー・Young Osimとの客演曲『DANCHI』のMV収録のため、地元に戻ってきていた。

Young Osim - DANCHI feat. NORIKIYO (Official Music Video)

現在、NORIKIYOは相武台団地に住んでいない。ただ、なんだかんだで地元に頻繁に帰ってくるという。

「昔はこの辺も寛容だったっすよ。酒屋さんの自販機に下から手入れてビール抜いたりしてて(笑)。絶対俺たちがやってるとわかってるのに良くしてくれてた。……って都合よく俺は捉えてるけど(笑)、みんなほんとに良い人ばかりで。子どもたちを見守るじゃないけど、静かになっちゃうよりはいいでしょっていう雰囲気があった」

それから20年以上が経っている。世代を隔てて相武台団地で生まれ育ったYoung Osimとの出会いは、地元の先輩後輩として“ではなく”、NORIKIYOが偶然その曲を聴いたことだった。
 
「『タントからベンツ』って曲をたまたま見つけて、超面白いじゃんって。見たら相武台団地が映ってて、嬉しくなってインスタで反応したんですよね」

th_reKAI-YOU_NORIKIYO-1544.jpg

相武台団地は、1965年から計画的に開発された広さ31.4ヘクタール、総戸数約2,500を誇る広大な複合団地

Young Osimはその後、NORIKIYOが撮影で地元に訪れた際、その場へ駆け付けて対面を果たしたという。「売人かと思った」それが、待ち伏せしていたYoung OsimへNORIKIYOがかけた第一声だった。

「俺が教えたわけじゃなくて、BRON-KとかもYoung Osimのこと知ってましたね」(NORIKIYO)

Young Osimは、2回り先輩であるNORIKIYOを「フッドスターです」と尊敬の念を込めて評する。「ずっとNORIKIYOさんの音楽を聴いてきたので、自分の音楽面で影響受けてるっすね」。
 
ラッパー・NORIKIYOの背中から学ぶことも多い。「この世界では、自分がつくりたいものと、お客さんが求めているものの違いがあるんだっていうこともNORIKIYOさんから教わりました」。

Young Osimからすれば、地元のレジェンドだ。しかし、NORIKIYOはそういう扱いをキッパリ否定する。

「レジェンドって、俺にもよくわかんない(苦笑)。ただ長生きしてるだけ。俺も咲き始めただけだから、あんまりそういう意識はないっすね」

ストイックなまでの楽曲リリースを続け、ラップ表現を更新しながら常に第一線で活動するNORIKIYOには、確かにレジェンドという言葉は似合わないかもしれない。

「揚げ足とるのが得意だった」

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「その辺に種蒔いて勝手に育ててたり」MV撮影の合間、Young Osim率いるヒップホップクルー・046たちと、相武台団地での思い出話に花を咲かせるNORIKIYO

 
相武台団地を後にし、NORIKIYOが指定した馴染みのバー・ZIZOへ移動してインタビューが始まった。

筆者もNORIKIYOと同年代で、高校も神奈川だった──同じ青春時代を過ごした1990年代は、スケートボードやDJが流行っていた。
 
「俺がスケボーを一生懸命にやっていたのは、たぶん中学生の頃くらいで。スケボーのVHSビデオがあったじゃないですか。その中でヒップホップの曲が使われてたんですよ。それで『ヒップホップ』っていう言葉を知りました。エンディングのテロップを一時停止して(曲名を)メモったりしてた」
 
当時、スケーターが滑走するシーンやエンディングで、ヒップホップやメロコアの曲がよく使われていた。
 
「だから決して、ヒップホップ一辺倒ではなかったんすよ」

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