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『HUNTER×HUNTER』における自由 赤ん坊/王/ハンターの可能性
人は誰しも、思い通りに生きたい。

好きなものを好きなだけ食べたり、アイドルや女優と付き合ったり、働かずに暮らしたかったりする。これを(狭義の意味で)“自由”と呼ぶ。

だがそれはもちろん“許されない”。皆が自由に振る舞っては“社会”というものは成立しないからだ。僕達は一定の不自由を許容しているおかげで、街中でいきなり強盗に襲われることのないような、秩序のある生活ができる。18世紀のフランスの政治哲学者・ルソーのいう「社会契約論」なんかは超平たくいうとそういうことだ。

しかしそれでも、自由に生きたい、誰の束縛も受けずに、自分の思うがままに行動したいと願う者がいる。そしてそれは『HUNTER×HUNTER』の世界では3つの可能性として描かれる。

赤ん坊と、と、ハンターだ。

許される存在としての赤ん坊

赤ん坊は、何をやっても“許される”。そうでないと、生きていけないからだ。だが赤ん坊は社会に生きていない。では誰が、何が赤ん坊に自由に生きることを許すのか。

母親だ。なぜなら家族とは、社会の最小単位だから。

ところで、冨樫義博が『幽☆遊☆白書』の中で、一番嫌いなキャラクターをご存知だろうか?

それは主人公である浦飯幽助の幼馴染・雪村螢子である。その理由として「描いてて面白くないから」だと自身の同人誌『ヨシりんでポン!』で語っている。僕なりに解釈するなら、幽助の行動を束縛する、母性的な存在だからだ。

さっき母親を自由を許す者と書いたが、それは同時に“許さない”権利を持つ者、ということでもある。

子供はもっともっと自由に遊びたいのに、 いつだって母親が邪魔をする。

僕が今まで描いてきた漫画は、主人公も含めてみんな片親だったり、色んな家庭環境のキャラクターが多いんですよね。僕自身はいまだに両親も健在だし、よくある家庭環境でしたけど(笑)。でも、漫画を描いてみたらそういう家庭環境になりますね。特に主人公とか、長く描いていくだろうなってキャラクターは全部、そんな感じです。まあ、元々、漫画の中に親とかは邪魔だと思っているんですよね。「冨樫義博×石田スイ 特別対談 - 少年ジャンプ+」より 冨樫義博の発言

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『HUNTER×HUNTER』1巻 31ページより

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『HUNTER×HUNTER』5巻 145ページより

赤ん坊は自由だ。けれど、成長して家族から次なる段階(コミュニティ)へ移るために、どうしても不自由を与えられてしまう。人間として社会で生きていくには、どうしようもないことなのだ。

それでも不自由な社会の中で自由に振る舞いたいなら、強さが必要だ。

王という父性のメタファー

王とは、大人(社会に参加している存在)であり、かつ自由が許されている者だ。言い換えると、社会に自由が承認されているほどの強さの保有者である。

蟻編における進化の突端としてのメルエム、そしてカキンの王位継承戦。僕はなぜ冨樫義博が王様というモチーフを繰り返し描いているのか、ずっと考えていた。それは、王というのが父性のメタファーだからではないだろうか。

許す存在の母性に対して、父性とは何か。それは“与える者”である。

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『HUNTER×HUNTER』27巻 154ページより

社会において、母親が子供を受け入れる機能だとすると、父親とは子供を育てる(大人にする)機能だ。

……脱線しそうなので話を戻そう。

社会(母親)に自由を許されるには大人にならなければならない。王というのは、その究極系だ。

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前段落で述べた、赤ん坊の何もかも許される頃の王 『HUNTER×HUNTER』21巻 26ページより

だがそんな王もまた、『HUNTER×HUNTER』においては自由を許されなかった。社会という大きな母性の判断──核兵器をモチーフにしたであろう大量殺戮兵器「貧者の薔薇」に殺されてしまった。

敗因は何か。“ほんの少し”大人になるのが遅かったのだ。言い換えるなら、メルエムは薔薇を受け再誕し、コムギの存在を再認知するまでは、王ではなかったのだろう。メルエムが王であるという前提で論を進めていたが、蟻編とは要するに圧倒的強さを持った赤ん坊が王になることに失敗するという、ビルドゥングスロマンだったのだ(王の人生については、記事一つかかるくらい長くなるので省略する)。

メルエムほどの強さをしても、自由には生きられないという事実。

母性(社会)という箱庭の中で思い通りに生きるには、強さを前提とした、異なったアプローチが必要なのだろう。

ハンターはいかにして不自由を克服するのか

第三の可能性としてのハンター……なのだが、その前にちょっと整理しておこうと思う。

母性とは無条件に承認する者であり、同時に承認しない者。母親とは、行動を規定する裁定者である。

母親の許しの力は、絶大だ。

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『HUNTER×HUNTER』21巻 62ページより

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『HUNTER×HUNTER』28巻 186-187ページより

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『HUNTER×HUNTER』30巻 99ページより

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『HUNTER×HUNTER』33巻 205ページより

許しの力は、愛の力でもある。そしてそれは、あらゆる論理を超えたものだ(愛の非論理性と超越性にも触れたいところだが、長くなるので割愛)。

この許しの力が、許さないというベクトルに向いた時、キルアの母親のような支配の力が働くわけだ。

自由に生きるには、そういった母性の支配から逃れなくてはならない。

前置きが長くなってしまった。ハンターという生き方は、どうやってそういった不自由を克服するのか。

僕の見立てでは、3つの方法で成功している。


1つ目は、母性よりもメタ的な視点に立ち、場そのものをコントロールすることだ。

ハンターとはどういう生き物であるか、ジンの発言を思い出してほしい。

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『HUNTER×HUNTER』30巻 196ページより

『HUNTER×HUNTER』という物語は、必ず「複数のコミュニティの思惑が錯綜する」構図となっており(しかも一つのコミュニティ毎に必ず1人は裏切り者がいる)、もはや主人公不在の群像劇に近い。そんな複雑すぎる関係性を、一番読み切って行動する者がゲームの勝者となる。

支配を支配する、とでも言おうか。そこに絡むあらゆる意図を先読みし、結果を得るという方法。

要するに、ピエロを演じるのだ。観客にどれだけ笑われようが、サーカスは脚本通りに進んでいる(余談だが、メルエムは最後の最後にパームに土下座しようとすることで、ピエロになれた“とも”言える)。

流れの中から流れを支配する。これが1つ目の方法。


2つ目は、支配そのものを楽しむということ。

『HUNTER×HUNTER』という物語は、ほぼ必ず“楽しんだ者が勝つ”という構図になっている。例を挙げる必要もないくらい、ほとんどの戦いがそうなっている。強いて言うなら、逆説的だが、ネテロは最後に楽しさより人類のために勝つことを選んでしまった結果、負けてしまった。もしくは、どこかにその思いがあったから負けた。結果論だが。

そしてこれは、1つ目で述べた読み合いでの勝者が、必ず楽しんでいることとも呼応する。

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『HUNTER×HUNTER』28巻 43ページより

世界を変えるのではなく自分を変える、自己変容的なアプローチ。思い通りに生きる、の“思い”自体を支配に最適化する。「G.I.編」終盤のゲンスルー戦で、例え腕が爆破されようが、試してみたいという狂気にも近い好奇心を優先させるゴンのように。これも例を挙げたらキリがないのでやめておくが。

ジンの言葉を借りるなら、道草を大いに楽しむこと。これが2つ目の方法。

3つ目は言うのも申し訳ないレベルなのだが、無視することだ(笑)

けれど無視の仕方は、たくさんある。

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単純に母親を超えたり 『HUNTER×HUNTER』5巻 144ページより

逃げたり(もちろん責めてるわけじゃない)

逃げたり(もちろん責めてるわけじゃない) 『HUNTER×HUNTER』24巻 78ページより

仏教でいう“足るを知る”的な生き方だったり

仏教でいう“足るを知る”的な生き方だったり 『HUNTER×HUNTER』30巻 106ページより

他人にぶん投げたり

他人にぶん投げたり 『HUNTER×HUNTER』32巻 203ページより

そもそも興味を持たなかったり

そもそも興味を持たなかったり 『HUNTER×HUNTER』30巻 173ページより

なんじゃそら、と思うかもしれないが、これも立派な選択の結果だ。

関わらないこと。これが3つ目の、そして最も現実的な方法だ(もっとも、物語とはえてしてキャラクターが無視できない方向に持っていかれてしまうものだが)。

以上、これらが『HUNTER×HUNTER』世界における、僕なりに見出だせた自由に生きる方法である。

『HUNTER×HUNTER』において自由を勝ち取るのは誰か?

本題はこれで終わりなのだが、せっかくなので現在の連載にもざっくり触れておこう。

まず、暗黒大陸編全体について、以前に僕個人がやっているブログでこのように述べた。
ハンターハンターについての所感  メルエム以後、非論理はいかに克服されるのか - やさしいことわり

ハンターハンターについての所感  メルエム以後、非論理はいかに克服されるのか - やさしいことわり

「基本的には漫才ですよ。(中略)その中でキャラ同士がそいつらしさを守った上での最良の一手をボケツッコミみたいな感じでバンバンかぶせていくんです。そんで論理展開させてってー、最後は主人公がそのずっと上をゆく解(オチ)を打ち出す! そんな感じです」 これは村田雄介先生の描かれた「ヘタッピマンガ研究所R」の中の、冨樫義博へのインタビューの一節です。 この記事では、この冨樫先生の言葉を起点に、ハンターハンターについて普段考えてることを書いてみようと思います。 ※もちろんネタバレあり

groll.hatenablog.com
読むのが面倒な人向けに簡単に説明すると、ナニカのような人間の論理(≒念)を完全に超越した存在に、最強プレイヤーであるジン(達)はどのように立ち向かうのか、という内容だ。

……なのだが、今はまだ暗黒大陸の前哨戦。この記事に則って見方を変えるなら、協会か、カキンか、ビヨンド達か、(獲物の狙いをつけるという意味で)最強のハンターがいるのはどのコミュニティか、最も自由な(思い通りに生きられる)のは誰か、という物語である。

王というモチーフが蟻編に続き繰り返されているが、新たに登場した第四王子ツェリードニヒはある意味、メルエムの上位互換だ。なぜなら彼は強さ(私有の軍隊)を保持している上、目的のためなら道化になることに何ら抵抗のない、成熟した王として描かれてているからだ。メルエムが一度死ななければ得られなかった政治力(ウェルフィンへの労いやパームへ土下座する意思)を、そもそも備わった者として物語に参戦している。


あとこれはほんとに本題とは関係ないおまけなんですが、ジンが形ばかりのNo.2に拘るのって、これを読まれてる方は何故だと思いますか?

もちろんパリストンの抑止も前提にありますが、個人的には「協専メンバーはビヨンド抜きで暗黒大陸に到着し、その時面子を重んじる案内人にリーダーと認知されるため」だと予想してるんですが、これ外れてたら相当恥ずかしいやつですね…みなさんどう予想されてますか?

このままいくと永遠に書いてしまいそうなので、そろそろ終わっておきます。

最後に、人類史上古今東西最も面白い物語を産み出す冨樫義博先生に、最高最大限の感謝を。僕みたいに『HUNTER×HUNTER』を読むために生きてる人って、意外と多いんじゃないかなぁ。どうかどうか、ご自愛下さい。それでは、ご覧戴き、ありがとうございました。

亮祐 // りょうすけ

1988年生まれ。関西在住。漫画、映画、小説等に傾倒…していたが、最近はスプラトゥーンにハマり過ぎてプレイ時間は余裕の1000時間超え。趣味で作曲も嗜む。

Twitter:https://twitter.com/c0ra1_reef

BLOG:http://groll.hatenablog.com/

亮祐

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