傑作『シン・ゴジラ』で覆った、庵野秀明の世間評価
それは『シン・ゴジラ』の方が明らかに庵野秀明のキャリアの中で、イレギュラーなわけですよ。
ぶっちゃけ俺も『シン・仮面ライダー』を見た時に思ったのは、本当にいつもの庵野だし、マジで『キューティーハニー』の時と変わらないなと思った。
うん、そうだよ!(泣)
それはよねさんも、『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』の公開前に言ってたところですね。庵野の実写に過度の期待はやめようって言ってた……!
結局、どうやってもいつもの庵野に着地しちゃうっていうのが抗えない作家性で。自分に刺さるかどうかは置いておいて、それはそれで強靭な作家性が高いと俺は思う。
本当にその通りなんだけど──気持ち悪いというか、どうしても釈然としないことがあって。僕はやっぱり、世の中が庵野秀明という監督をかなり誤解していると思う。
なるほど?(また庵野秀明論か……)
『シン・ゴジラ』の話なんだけど、にいみさんとうぎこさんが言ったように、『シン・ゴジラ』はめちゃくちゃ面白い。むしろ良くできすぎていて、明らかにイレギュラーな作品なんです。その後の『シン・エヴァンゲリオン』も、名実ともに彼の集大成だし、日本アニメーションの歴史を更新したとさえ思います。
ただ、庵野秀明は過去にも実写作品を結構撮ってるんですけど、どれも残念ながら面白くないんですよ……。そもそも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズや『シン・ゴジラ』から庵野秀明を知った人には、その存在すらあんまり知られていないレベルだと思います。
さらにいうと、本業であるはずのアニメーション作品ですら、ちゃんと最後まで製品として成立するようなものをつくれた試しが少ないです。「エヴァンゲリオン」だって20数年という膨大な年月をかけて、ようやく完成した。
TVシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』は未完のまま放り出して、「旧劇場版」はその補完という意味合いで制作されたものだけど、当時のファンとしては「これで完結なの?」という印象が強いものでした(僕は好きですが!)。他にも、漫画原作がある『彼氏彼女の事情』ですら、人形劇や紙芝居のような、明らかに制作スケジュールが破綻してるような感じになって終わります。
そもそも作品を完成させて、観客が満足するように届けきる、という能力が明らかに欠けている監督なんです。ただ、むしろその欠損こそが彼の作家性だとも思うし、90年代に熱狂してた人は、そういう部分に惹かれていたと思います。
なるほどね。
そういう“尖った”監督なんです。ただ最近になって、急に『シン・ゴジラ』とか『シン・エヴァンゲリオン』のような異常な興行収入を記録する、重厚でありながら、一般的にも理解されやすくエンターテイメントとしても質の高い作品が出てきた。
それでメディアや世間が「庵野秀明はすごい。宮崎駿に継ぐ天才映画監督!」みたいになってしまった。僕はそもそも『シン・ゴジラ』出てくるまで、あるいは「エヴァ」がパチスロになるまで、庵野秀明の一般的な評価は、むしろ低かったと思っています。
「新劇場版」の時もですか?
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』だって、新しく「エヴァ」を好きになった層からは、めちゃくちゃ叩かれてたよ(僕は好きですが!!)。
テレビアニメの時とかいわゆる旧劇場版の時も、芳しくない感じだったんですか?
アニメ業界では注目されていたけど、一般知名度なんて全然なかったよ。今はNHKで特集されたり、ダウンタウンの松本人志さんと対談したり──完全に国民的な映像作家として扱われるようになったけど、当時はコアなアニメオタクの一部が注目してる、アンダーグラウンドでカルト的な監督という立ち位置だった。
『新世紀エヴァンゲリオン』自体がそういう作品でしたからね。だから「みんな庵野作品に期待しすぎちゃう?」ってことですよね。
そうです。期待されるのは良いことだけど、あまりに本来の作品性と違った、大作志向の幻想を抱かれてるというか……普段通りにつくったら、こうなるし、むしろこれ(『シン・仮面ライダー』)こそが従来の庵野作品だと思っています。
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連載
その時々のエンタメ業界に現れた覇権コンテンツについて編集部が議論する連載。コンテンツ自体はもちろん、そのコンテンツが出てきた背景や同時代性、消費のされかたにも目を向け、ネタバレ全開で思ったことをぶつけ合っていきます。
2件のコメント
匿名ハッコウくん(ID:8229)
全然ダメでしょ。
結局、自分が見たいものじゃなかったという話しかしていない。
というか、ほぼ同じ意見の人どうしで話をするなら一人でいい。
同じ意見だから、互いの意見にツッコミも入らない。
座談としても、つまらない、できが悪い。
シン仮面ライダーという作品が、何をどう描こうとし、具体的にどう描かれているかという話がまるで不十分。オーグを倒す度に、本郷が彼らに黙祷を捧げることの意味や、単なる組織の殺人マニアかのように見えるクモオーグの人間性をKKオーグが語ること。母を持たないルリ子が母を失ったことで苦悶するイチローと同じ写真の中に居たかったというSF的な設定とシナリオの高度な連携。
冒頭コミュ障だと言われる本郷が、ルリ子の本心を察することで描かれる繊細さ等々、そうした丁寧な表現の積み重ねの上で世界の平和や人々を守るのではなく、むしろ守られなかった、傷つき排除された存在を救う物語が描かれる。そこにはライダーも含まれる為に最後の的はライダー0号を名乗るわけでしょう。
本郷の姿を見守るケイの存在にも言及がないし。
特撮映画だからといって、一般の映画評論についてなされるような最低限のシナリオの分析と評価はされたうえで、座談のようなことはされるべきだよ。
折角、賛否両論ある映画の座談をやろうというのなら、双方相当の理解があった上で、真っ向意見をぶつけられるようなやり方をすべきでしょ。
匿名ハッコウくん(ID:7455)
面白い記事でした
確かに特撮を復活させる!みたいな作品ではなかったと思います
シン・ウルトラマンとシン・仮面ライダーは、どちらかと言うと昭和特撮を復活させる!昭和特撮の良いところを知って欲しい!みたいな思惑の方が強いんじゃないかなと思ってます
洗練され常に新しい試みが続いてるウルトラと仮面ライダーシリーズは、蓄積していく中で削られていったものが確実にあります
そこに再度スポットライトを当てようとしていたような感じがするのです
古臭いよね、ダサいよね、そう思えるようなところにこそ
そこがいいんだよかっこいいんだよと本気で庵野秀明は思っている
シン・仮面ライダーが深く刺さった自分の戯言かもしれませんが笑