人気アーティスト・ヨルシカのMVを担当したことで知られる映像制作チーム・Hurray!(フレイ)。チーム名は日本語で 「激励や賞賛、喜び」を意味しており、メッセージ性の強さをコンセプトに、さまざまなMVやCMの映像を手がけてきました。
そんなHurray!がASMRに特化したアプリ「ZOWA」のプロモーションとして制作した新作『あなたから聴く物語』は、これまでの映像作品とは違ったアプローチが目を引く短編アニメーション。
「公衆電話で会話する女の子」を描く全10話の短編シリーズで、その内容も単純な会話だけではなく、聞いているうちにどこか奇妙な物語が広がっていくのが特徴です。
近年はさらに活動のフィールドを広げているHurray!。KAI-YOUでは、チームの中心人物であるぽぷりかさんにインタビューを行い、映像制作を志した理由や、今回の『あなたから聴く物語』の制作背景など、話を聞きました。
執筆:葛西 祝 編集:小林優介
ぽぷりか 僕はもともと「将来の夢は公務員がいいです」って言ってた子供だったんですけど、 ニコニコ動画に投稿されていたある動画をきっかけに、美大を目指そうと思ったんです。 ──そのきっかけになった動画というのは?
ぽぷりか ニコニコ動画に投稿されていた初音ミクの「サイハテ」っていう動画です。喪服を着ているミクが登場する映像で、見ていてすごく感動したんです。
昔話をすると、中学2年くらいのころ、 「君はバカですね~」って担任に馬鹿にされたんですよ。 それが悔しくて先生を見返そうと、 その学校からいける一番偏差値の高い進学校に合格したんです。 行動理由がバカですね。
当たり前ですけど、先生を見返すのが目的だったせいで、進学校に入ったものの高校生活に対するやる気がなくなりました。 だんだん不登校気味になっていきます。
学校を休んで一日中、床に転がったままでニコニコ動画を見てるような日々を送ってく中で、「サイハテ」に出会いました。
──動画が投稿されたのは2008年。ボカロP・小林オニキスさんが手がけ、100万再生以上を記録して「VOCALOID伝説入り」のタグも付く動画ですね。
ぽぷりか 作者の小林オニキスさんが、ブログで「サイハテ」について「自分は映像をつくる人間ではないけど、絵はちょっと描くことはできる」「できる中で一番良く見えるものをつくろう」と書いていて(外部リンク)。
彼のようにやってみたいと思った表現に向けて、いまの自分の手札の中でやれることをやるという考え方にすごく感銘を受けて、自分もこうなりたいと思ったんです。
それから、じゃあまずはどうしようかとなったときに、美大に行きたいと思いました。元々美大への憧れはあったけど、「美大は努力を重ねた天才だけが行く場所で、自分では行けない場所」だと勝手に思ってしまっていた。
この時に 「一度やってみてダメだったら諦めよう。でもやる前から諦める生き方は、一回やめよう」 と決めました。
──すごく納得感があります。その後、進学校から美大に進学されたと。いわゆる受験用の絵が、どのように映像につながっていくのでしょうか?
ぽぷりか 美大の受験って、鉛筆を使うデッサンのほかにも色彩構成っていう試験があるんです。「人と話す」みたいなテーマが与えられて、絵の具を使って絵を描く試験です。
きれいな絵を描きつつ、テーマに対する自分なりの思いを画面に載せなきゃいけないんですけど、めちゃくちゃ苦手だったんですよ。きれいな絵と、何が言いたいかわかる絵の両方を表現しようとして、どちらもできなかった。考え方の説明に色を割くと、その色の見栄えが悪くなったり、きれいな絵を頑張って描こうとすると全然伝わってなかったり。
でも、一方で「1枚では難しいけど、連作だったらうまくやれるのにな……」とも思ったんです。「連作だったら、1〜2枚目はここまで説明して、3〜4枚目で決着をつけよう」みたいに言いたいことも配分できる。それなら絵のきれいさも担保できるんじゃないかなと。
特定の順番で絵を見てもらって、言いたいことを伝えるのって、まさに「映像だな」と思ったんです。そうして美大に受かって、「受験のときに考えていた映像制作を1回やってみようかな」と思ったのが大学1年生のころですね。
ぽぷりか 自分の入った大学にはクラスルームがあったんですね。席がもう決まっていて、高校に近いかたちでした。なので隣の席にいつも同じ人がいるんです。
そいつに「映像をつくってみたいんだよね」みたいなことを言ったら、「僕も!」って返ってきて、「じゃあ一緒にやってみようか」って意気投合。それがおはじきですね。 ぽぷりか 2人でジミーサムPさんの楽曲を使った映像をつくってそれをニコニコ動画に投稿しました。
まったく無名の状態だったんですけど、本当に運良くそれがバズり、 映像をつくり続けるきっかけをもらえました。
──当時の成功によって、より映像制作にのめり込んでいったんですか?
ぽぷりか そうですね。その後一人で映像をつくってみたり10人くらいにお願いしてたくさんでつくってみたりしましたが、どれも制作の形としてしっくり来なかった。
どうやって映像つくるのが一番楽しいのかなって1、2年くらいずっと考えていたあたりで、最初につくった映像の楽曲制作者の方から、「前のファンメイドのPVが良かったので、有償で新曲でPVをつくっていただけませんか」という依頼が来ました。
──仕事としてのはじめての依頼ですね。
ぽぷりか 自分たちの作品にきちんと対価が支払われる。それがすごく嬉しくて、最初の映像の続きだったのもあって、当時組んだおはじきともう一度つくろうと思ったんです。
制作を開始してみると、僕もおはじきも前より成長してるのを感じました。つくった映像自体も前と比べて良くなってるし、制作の雰囲気も相棒感というか、背中預けあってる感が凄く楽しかった。
ぽぷりか 「今回このクオリティなら次回はもっと良くなるじゃん!」っていう無敵感みたいなものがありましたね。
その時点で僕は映像をつくるのが楽しかったから、卒業制作はアニメーションにしようと思っていたんです。当然、同学年のおはじきも同じタイミングで卒制をつくるんですよ。
──そうなると2人ではつくれない。
ぽぷりか さすがにおはじきには手伝わせられないので、別の人を見つけようと。そこで当時3年生だった僕は、卒制を手伝ってもらおうと、当時1年生のまごつきに「一緒に映像をつくらない?」と声をかけました。
僕は自分でそんなに絵が上手くないと思っているので、自分だけで、しかも手描きでアニメを描ききるのは避けたかった。
まごつきとも最初はあまり上手くいかないことがありましたが、卒制を手伝ってくれる頃にはとても頼もしくなってくれて、おはじきと同じく「今回これなら次回もっと凄くなるね! 無限によくなるね」と思える無敵感がありました。 ──おはじきさんとまごつきさん、2人との作業で感じた無敵感がHurray!結成につながっているんですね。
ぽぷりか そうなんです! 彼らとの映像制作をずっと続けたくて、そのためには自分が起業して2人を雇えばいいと。まずは映像と会社経営を学べそうな会社で経験を積むために、いろいろな人に相談しました。
その中で「うちに来なよ」って言ってくれる会社に入って、そこの社長にたくさんのことを教えてもらいました。
ある時に「もし3人で東京で会社をやりたかったらいくら稼がなきゃダメですか? 」と聞いたら「1年間に2000万くらいは必要だとは思うよ」と言われて、衝撃でした。
そんなかかるんだ! って思って。当時僕は、30万円で受注したMVを3か月かけてつくっていたので「絶対無理だ」って悟ったんです(笑)。
だからと言って、3人でのアニメ制作はあきらめたくなかった。それで2人に「なんにもできないかもしれないけどチームをつくりたい」と相談して、そうして結成されたのが現在のHurray!ですね。
そんなHurray!がASMRに特化したアプリ「ZOWA」のプロモーションとして制作した新作『あなたから聴く物語』は、これまでの映像作品とは違ったアプローチが目を引く短編アニメーション。
「公衆電話で会話する女の子」を描く全10話の短編シリーズで、その内容も単純な会話だけではなく、聞いているうちにどこか奇妙な物語が広がっていくのが特徴です。
近年はさらに活動のフィールドを広げているHurray!。KAI-YOUでは、チームの中心人物であるぽぷりかさんにインタビューを行い、映像制作を志した理由や、今回の『あなたから聴く物語』の制作背景など、話を聞きました。
執筆:葛西 祝 編集:小林優介
目次
きっかけは「初音ミク」 這いつくばるのをやめた高校時代
──まず基本的なお話として、どういった経緯で映像制作をはじめられたのかうかがえますか?ぽぷりか 僕はもともと「将来の夢は公務員がいいです」って言ってた子供だったんですけど、 ニコニコ動画に投稿されていたある動画をきっかけに、美大を目指そうと思ったんです。 ──そのきっかけになった動画というのは?
ぽぷりか ニコニコ動画に投稿されていた初音ミクの「サイハテ」っていう動画です。喪服を着ているミクが登場する映像で、見ていてすごく感動したんです。
昔話をすると、中学2年くらいのころ、 「君はバカですね~」って担任に馬鹿にされたんですよ。 それが悔しくて先生を見返そうと、 その学校からいける一番偏差値の高い進学校に合格したんです。 行動理由がバカですね。
当たり前ですけど、先生を見返すのが目的だったせいで、進学校に入ったものの高校生活に対するやる気がなくなりました。 だんだん不登校気味になっていきます。
学校を休んで一日中、床に転がったままでニコニコ動画を見てるような日々を送ってく中で、「サイハテ」に出会いました。
──動画が投稿されたのは2008年。ボカロP・小林オニキスさんが手がけ、100万再生以上を記録して「VOCALOID伝説入り」のタグも付く動画ですね。
ぽぷりか 作者の小林オニキスさんが、ブログで「サイハテ」について「自分は映像をつくる人間ではないけど、絵はちょっと描くことはできる」「できる中で一番良く見えるものをつくろう」と書いていて(外部リンク)。
彼のようにやってみたいと思った表現に向けて、いまの自分の手札の中でやれることをやるという考え方にすごく感銘を受けて、自分もこうなりたいと思ったんです。
それから、じゃあまずはどうしようかとなったときに、美大に行きたいと思いました。元々美大への憧れはあったけど、「美大は努力を重ねた天才だけが行く場所で、自分では行けない場所」だと勝手に思ってしまっていた。
この時に 「一度やってみてダメだったら諦めよう。でもやる前から諦める生き方は、一回やめよう」 と決めました。
──すごく納得感があります。その後、進学校から美大に進学されたと。いわゆる受験用の絵が、どのように映像につながっていくのでしょうか?
ぽぷりか 美大の受験って、鉛筆を使うデッサンのほかにも色彩構成っていう試験があるんです。「人と話す」みたいなテーマが与えられて、絵の具を使って絵を描く試験です。
きれいな絵を描きつつ、テーマに対する自分なりの思いを画面に載せなきゃいけないんですけど、めちゃくちゃ苦手だったんですよ。きれいな絵と、何が言いたいかわかる絵の両方を表現しようとして、どちらもできなかった。考え方の説明に色を割くと、その色の見栄えが悪くなったり、きれいな絵を頑張って描こうとすると全然伝わってなかったり。
でも、一方で「1枚では難しいけど、連作だったらうまくやれるのにな……」とも思ったんです。「連作だったら、1〜2枚目はここまで説明して、3〜4枚目で決着をつけよう」みたいに言いたいことも配分できる。それなら絵のきれいさも担保できるんじゃないかなと。
特定の順番で絵を見てもらって、言いたいことを伝えるのって、まさに「映像だな」と思ったんです。そうして美大に受かって、「受験のときに考えていた映像制作を1回やってみようかな」と思ったのが大学1年生のころですね。
無敵感を得た仲間たちとの出会いと2000万円の壁
──美大ではのちにチーム「Hurray!」を結成するまごつきさん、おはじきさんと出会います。3人でチームを組むきっかけを教えてください。ぽぷりか 自分の入った大学にはクラスルームがあったんですね。席がもう決まっていて、高校に近いかたちでした。なので隣の席にいつも同じ人がいるんです。
そいつに「映像をつくってみたいんだよね」みたいなことを言ったら、「僕も!」って返ってきて、「じゃあ一緒にやってみようか」って意気投合。それがおはじきですね。 ぽぷりか 2人でジミーサムPさんの楽曲を使った映像をつくってそれをニコニコ動画に投稿しました。
まったく無名の状態だったんですけど、本当に運良くそれがバズり、 映像をつくり続けるきっかけをもらえました。
──当時の成功によって、より映像制作にのめり込んでいったんですか?
ぽぷりか そうですね。その後一人で映像をつくってみたり10人くらいにお願いしてたくさんでつくってみたりしましたが、どれも制作の形としてしっくり来なかった。
どうやって映像つくるのが一番楽しいのかなって1、2年くらいずっと考えていたあたりで、最初につくった映像の楽曲制作者の方から、「前のファンメイドのPVが良かったので、有償で新曲でPVをつくっていただけませんか」という依頼が来ました。
──仕事としてのはじめての依頼ですね。
ぽぷりか 自分たちの作品にきちんと対価が支払われる。それがすごく嬉しくて、最初の映像の続きだったのもあって、当時組んだおはじきともう一度つくろうと思ったんです。
制作を開始してみると、僕もおはじきも前より成長してるのを感じました。つくった映像自体も前と比べて良くなってるし、制作の雰囲気も相棒感というか、背中預けあってる感が凄く楽しかった。
ぽぷりか 「今回このクオリティなら次回はもっと良くなるじゃん!」っていう無敵感みたいなものがありましたね。
その時点で僕は映像をつくるのが楽しかったから、卒業制作はアニメーションにしようと思っていたんです。当然、同学年のおはじきも同じタイミングで卒制をつくるんですよ。
──そうなると2人ではつくれない。
ぽぷりか さすがにおはじきには手伝わせられないので、別の人を見つけようと。そこで当時3年生だった僕は、卒制を手伝ってもらおうと、当時1年生のまごつきに「一緒に映像をつくらない?」と声をかけました。
僕は自分でそんなに絵が上手くないと思っているので、自分だけで、しかも手描きでアニメを描ききるのは避けたかった。
まごつきとも最初はあまり上手くいかないことがありましたが、卒制を手伝ってくれる頃にはとても頼もしくなってくれて、おはじきと同じく「今回これなら次回もっと凄くなるね! 無限によくなるね」と思える無敵感がありました。 ──おはじきさんとまごつきさん、2人との作業で感じた無敵感がHurray!結成につながっているんですね。
ぽぷりか そうなんです! 彼らとの映像制作をずっと続けたくて、そのためには自分が起業して2人を雇えばいいと。まずは映像と会社経営を学べそうな会社で経験を積むために、いろいろな人に相談しました。
その中で「うちに来なよ」って言ってくれる会社に入って、そこの社長にたくさんのことを教えてもらいました。
ある時に「もし3人で東京で会社をやりたかったらいくら稼がなきゃダメですか? 」と聞いたら「1年間に2000万くらいは必要だとは思うよ」と言われて、衝撃でした。
そんなかかるんだ! って思って。当時僕は、30万円で受注したMVを3か月かけてつくっていたので「絶対無理だ」って悟ったんです(笑)。
だからと言って、3人でのアニメ制作はあきらめたくなかった。それで2人に「なんにもできないかもしれないけどチームをつくりたい」と相談して、そうして結成されたのが現在のHurray!ですね。
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葛西
ライター
ジャンル複合ライティング業者。ビデオゲームや格闘技、アニメーションや映画、アートが他のジャンルと絡むときに生まれる価値についてを主に書いています。
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