Interview

Series

  • 2023.02.10

「表現の自由」は、規制論への対抗言説になるか? 憲法と法律から考える

自主規制が進んだ先の世界を考える。「表現の自由」の適用範囲を弁護士が解説

「表現の自由」は、規制論への対抗言説になるか? 憲法と法律から考える

芸術活動を支援する「骨董通り法律事務所」に所属する寺内康介弁護士の協力のもと、連載中の「ポップカルチャー×法律 Q&A」シリーズ。第3回は「表現の自由」という創作の根幹に触れるテーマを取り上げる。

SNSが普及した影響もあって、ポップカルチャーを巡る社会問題や炎上案件は日々絶えることがない。それらの中には、思想的な対立が加熱し、議論が感情的になってしまうケースも否めない。各々のイデオロギーを主張し、溜飲を下げたいがための「論破」に気を取られすぎることもあるだろう。

そこで今回は、誰にとっても関わりのある「法律」という観点に立ち返って「表現の自由」を深掘りしたい。

昨今のポリティカル・コレクトネスなどに配慮した表現規制を巡る盛んな議論において、その反動として「表現の自由」を掲げている事例もしばしば見受けられる。「表現の自由戦士」などと呼称されることもある。

「表現の自由」は日本国憲法に記載されている基本的人権の一つだ。憲法は、国民の権利や自由を守るために「国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)」について定めた決まりで、主には国家権力の暴走を防ぐものである。

では、個人間の議論においてはいかなる時に適用される/適用されないのか。

目次

  1. Q1. そもそも「表現の自由」とは何か?
  2. Q2. 保護される「表現」を誰が決めるのか?
  3. Q3. 創作物に対する意見に「表現の自由」を持ち出すのは是か?
  4. Q4. 自粛を求める声に対して「表現の自由」で反論できるか?

Q1. そもそも「表現の自由」とは何か?

Q1. 「表現の自由」が認められていることは創作活動における根幹にもつながることだと考えます。まずは、そもそも「表現の自由」とは一体何を指しており、なぜ守られなければいけないのかを教えてください。

「表現の自由」は日本国憲法(以下、憲法)で保障されている基本的人権の一つです。憲法では、第19条で、どのような思想、価値観を持っていても、それが内心に留まる限りは絶対的に自由であるという「思想・良心の自由」が規定されています。そして、このような内心における精神活動を外部へ表明する自由として「表現の自由」が第21条に規定されています。

「思想・良心の自由」や「表現の自由」は憲法においても非常に重要な権利だと言われます。理由はいくつかあります。

前提として、憲法とは国家権力を規制するものです。表現の自由も、原則的には対国家から表現活動を規制されない権利です。憲法は、法律よりも上位の概念として位置づけられており、憲法に反しない範囲でしか法律は定められません。憲法に反する法律であれば「違憲」となります。違憲と判断するのは裁判所ですから、裁判所が法律をつくる国会を見張っている形ですね。

これに対して、戦前、現行の憲法より一つ前に発布されていた大日本帝国憲法においては、「表現の自由」は「法律の範囲内で保障する」とされていました。そうなると、憲法を理由に新しい法律を拒否することができませんから、言ってしまえば国会議員の考え一つで「表現の自由」も脅かされてしまうわけです。そのため現在の憲法のように、国家権力の“暴走”を縛るためにも、法律の上位概念としての憲法で自由を定めておくことはとても大切なのです。

「表現の自由」には、「自己実現と自己統治」の価値があると言われます。意見・考え・作品などは外部へ表明することで社会的な価値を持つと言えますが、人間はこのように内心を外部へ表明することで「自己実現」をしているという考えです。そのため、精神活動を発表する場は非常に大切です。また、誰にとっても政府を批判する自由や、あるべき社会を発信する自由が守られなければ、民主主義は実現できません。これが「表現の自由」の「自己統治」における価値です。

たとえば、国が制定しようとする法律や政府に不満があるときに、それを批判したり、反対運動をしたりといった表現活動が認められないと、どうなるでしょうか。自由を奪われ、あるいは逮捕され、反対意見の表明さえできません。それでは国家の暴走を、民主主義において是正できないことになってしまうのです。

さらに、「表現の自由」には「思想の自由市場」という考えもあります。かいつまんで表すと、「思想を自由競争に置けば、誤った考え方は淘汰され、正しいものが生き残る」という考え方です。表現の良し悪しや正誤を問わず、全てを市場へ出すことによって、政府のような権力者ではなく私人同士で批判し合い、その思想の是非を判断しながら淘汰されれば、最終的には真理へたどり着くはずである、という考えです。この「思想の自由市場」の反対にある概念が、市場に出される前に国家が表現を規制する「検問」で、憲法21条2項は検閲を禁止しています。

歴史的に見ても「表現の自由」は傷つき壊れやすく、一度侵害されてしまうと回復しにくい権利だとも言われます。国家が国民を統制する手段として「表現の自由」は最初に手をつけたい項目でもありますからね。

これらの理由から「表現の自由」は憲法においても重要視されているということが、理解の第一歩になってきます。

Q2. 保護される「表現」を誰が決めるのか?

Q2. 政治や社会に対する思想表現を守るための権利という印象を強く受けます。ただ、エンタメにおける表現についても、同様に「表現の自由」が認められるでしょうか?

はい、「表現の自由」が適用される表現のジャンルにも、制限はありません。

エンタメ作品に政治的・社会的メッセージが込められることはよくありますが、そうでないとしても、お話したように、そもそも「表現の自由」には「自己実現の価値」、すなわち内心を外部に表明すること自体の個人的な価値があります。エンタメ作品の表現も当然、表現の自由により保護されます。

このように、基本的にはどのような表現も保護されますが、表現内容によっては制約もやむを得ない、という領域はあり得ます。たとえば、名誉毀損表現が考えられるでしょう。それでは、差別的表現、性的な表現、弱者の立場に配慮しない表現などとなるとどうでしょうか。この辺りの線引きは人によって異なるのではないかと思います。

例え弱者を傷つけうる不快な表現でもまず市場には出すべきというのが、表現の自由をより重視する立場と言えるでしょう。他方、児童虐待や差別の助長につながる表現などは市場に出さず弱者保護を図ることこそが、あるべき社会の姿という考えもあるでしょう。

ここで肝心なのは、その表現の是非を「誰がどうやって」判断するのか、という視点です。この判断は最終的に裁判所がおこないますが、判断基準が曖昧になってしまうこともあります。

10日間無料でおためし

STEP 01

アカウントを作成

STEP 02

お支払い情報を入力

STEP 03

サブスク登録完了!

NEXT PAGE

「表現の自由」を、個人間の議論に持ち込むのは適切なのか?