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連載 | #15 KAI-YOU ANIME REVIEW

『シン・エヴァ』で結実した失われたはずの可能性 映像と脚本で紐解く奇跡の作品

フィクションの“究極”を成し遂げた脚本

さて、次は本作のストーリーテリングについてだ。

フィクションには2つの“究極形”がある。それは、作者が登場人物に殺される物語、そして作者が登場人物と愛し合い現実と虚構の合いの子をつくる物語だ。本作『シン・エヴァ』は、25年の歴史の果てに、それまでの文脈を全て背負いながらもその究極形2つを同時に実現してしまったのである。

まず『シン・エヴァ』の脚本における最重要ポイントは、碇ゲンドウとその妻・綾波ユイがそれぞれ別世界の人間であると明言されたことにある。

セカンドインパクト、その呪われた爆心地であるカルヴァリー・ベースに存在する地獄の門。その奥に広がっていたのは、我々がこれまで慣れ親しんだエヴァ世界の裏宇宙こと「マイナス宇宙」だった。そのマイナス宇宙の中、ゲンドウとシンジは前作『:Q』でもその姿が描かれていた「ゴルゴダオブジェクト」に辿り着く。

碇ゲンドウ曰く、ゴルゴダオブジェクトとは、「人ではない誰かが、アダムスと6本の槍とともに残した神の世界」なのだという。そして、ユイはその神の世界=ゴルゴダオブジェクトにいた存在であることが続いて明かされる。つまり、ユイとは、エヴァ世界の人間ではなく、神そのもの、あるいは神がエヴァ世界とコミュニケーションするための依代(アバター)だったと考えられるだろう。

※なお、これは『シン・』で唐突に提示された新設定ではなく、その伏線は1995〜1997年の“旧世紀版”こと『新世紀エヴァンゲリオン』の時点ですでに張り巡らされていたことは指摘しておきたい。

旧世紀版において冬月コウゾウは、京都大学の教授時代に「形而上生物学」という(架空の)学問を研究していることが描かれていた。形而上の生物──つまりエヴァの世界を作った上位次元の生物が存在していることを、エヴァ世界の一部人物は仮定して研究していたのだ。そして、そんな冬月が驚く論文を提出した学生が、他ならぬユイだった。また、劇中、彼女はゼーレをバックボーンとする人物であると説明されている。

そうした極めて特権的なキャラクター設定と、ゲンドウと冬月の常軌を逸したユイへの執着、そして旧世紀版の終局第26話「まごころを、君に」で明かされた「人類が生きた証を残すためにエヴァに残る」という狂気的な目的、ユイ(唯一)というネーミングなどから、ごく一部の熱狂的なエヴァファンは「ユイは人間ではない別世界の人間ではないか」と長らく考察していたのだ。

つまり、ユイとゲンドウの子であるシンジはまさしく“神児”こと神の子だったというわけだ。

そしてゲンドウは神がエヴァ世界に与えた運命を明かす。「知恵の実を食した人類に神が与えた選択は二つ。生命の実を与えられた使徒に滅ぼされるか、使徒を殲滅し、その地位を奪い、知恵を失い、永遠に存在し続ける神の子と化すか」と。これを渚カヲルがループに囚われた存在であるという新事実などと掛け合わせると、エヴァ世界は次の円環を繰り返していると捉えることができる。

生命の書に記入された者たち(知恵の実を与えられた生命)が、物語を動かす装置としての使徒によって滅亡させられる or 使徒殲滅後に人類補完計画を発動してデッドエンドを迎える。その後、ゴルゴダオブジェクトに存在するエヴァンゲリオンイマジナリーによって世界が再構築される」。

そう、これは『エヴァンゲリオン』という作品が無限にシリーズ生成されていく仕組みそのものでもある(これによって無限のスピンオフが可能になるわけだ)。

だが、ユイはおそらくゲンドウや冬月、マリらと触れ合い、シンジを産むことで、虚構世界とそこに住む人類や生命を愛したのだろう。呪われた運命のループに囚われたエヴァ世界を解き放つことを望み、シンジがエヴァのない世界を望む未来に賭け、初号機に残ることを決めたのだ。

“ゲンドウ=作者”を意味する「プロジェクトエヴァ」

以上、この『シン・エヴァ』の展開をユイの視点から整理すると、「神(=ユイ)が自ら生み出した虚構世界の住人(=ゲンドウ)と愛し合って子(=シンジ)をつくり、その子が自らを殺しに来るのを待ち望む」という筋書きになっている。しかしながら、本作にはそこからさらに深い階層が隠されている。

神の世界であるゴルゴダオブジェクトが存在し、エヴァ世界の人間からは知覚できないマイナス宇宙。その裏宇宙とはつまり、エヴァ世界からすると上位次元であり、スタジオカラーをはじめとしたクリエイターや、我々観客が存在する現実世界そのものを指しているのは、想像に難くないだろう(実際、エヴァのいらない世界を望んだ果てに色も動きも失い原画に退行する演出から、「エヴァ=アニメ作品」であることは劇中の物理現象内で明言されている)。

だが、そんなマイナス宇宙に存在するエヴァンゲリオンイマジナリーが、エヴァ世界からは「虚構と現実を等しく信じることのできる人類だけが知覚できる、想像上のエヴァ」と呼ばれていたように、ある意味ではエヴァ世界から見ればマイナス宇宙こそが虚構であるとも言える──考えはじめると、自分の視点がどちらにあるのかわからず気が狂いそうになる構造で、エヴァ世界は構成されている。

さらには「虚構と現実を同一化して世界の認識を書き換える」というアディショナルインパクトの発動によって、メタ演出ではなく作中設定に沿ったまま、物理現象としてゲンドウと庵野総監督がシンクロする。その独白の中で、ゲンドウはユイを失ったことから、もう一度彼女に会うために「プロジェクトエヴァンゲリオン」を立ち上げたことが明かされるのだが、この「プロジェクトエヴァンゲリオン」という言葉に違和感を感じないだろうか?

そう、これは『新世紀エヴァンゲリオン』という作品を企画した「Project Eva.」(庵野秀明と元キングレコード・大月俊倫の2名だけの製作委員会)を明らかに指した言葉である。

つまり「エヴァとは、1人の女性またはそれに相当する何かを失ったクリエイターが提唱したアニメ作品だった」という、総監督の告白そのものとして機能しているのだ。ともかくこれは、社会現象を巻き起こし、アニメ業界を戻れないレベルにまで変え、あらゆるカルチャーに影響を与えた『エヴァンゲリオン』が、極めて個人的な動機で企画されたという告白である。

もしかしたら「そんな事実は大したことないじゃないか」と思う方も少なくないかもしれない。なぜなら、あらゆる創作の原点とは、往々にしてパーソナルなものだからだ。だが、それを認め、告白することは、作家本人にとって「エヴァを終わらせる」ためには不可欠な儀式なのである。

その“弱さ”を認めたゲンドウ=作者は、ここで電車(物語)を降りる。これはシンジやミサトたち『エヴァ』世界のキャラクターによって、作者が解放されたと表現してもいいだろう。

そして、父なる神が退場した後の世界で、主人公・碇シンジは他のエヴァパイロット=運命を仕組まれた子どもたちを解き放ち、その果てに決断する。自らを贄として、世界を、エヴァを必要としないものに書き換えることを。無限とも言える円環の中でついに辿り着いた、たった1つの答え。そこで初めてユイはシンジの前に姿を現し、シンジを新世界へ見送る。「もういいのね」(旧世紀版第26話より)という、あの言葉が聞こえるかのように。

“私があなたと知り合えたことを/私があなたを愛してたことを/死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから”

そしてシンジは目覚める。大人になったシンジは、自らの成長に加え、マリによってエヴァの呪縛から解き放たれ、階段を駆け上がり宇部新川駅を後にする。駅を出た瞬間、背景は実写となり、人物はアニメキャラクターとして描かれる。つまり、実写とアニメが融合した世界がそこには広がっていのだ。それはエヴァ世界の新たな姿なのか、『シン・エヴァ』という作品を見届けた我々観客の中に生まれた“神の世界”なのか。もしかしたら、我々が生きるこの現実の世界に、シンジとマリがやってきたのか。

ただ1つ確かなのは、シンジとマリが『エヴァ』という物語の電車に乗ることをやめ、自らの足で駆け出したということだ。

引き裂かれたあらゆる可能性が1つになった、奇跡のような作品

以上のように『シン・エヴァ』とは、フィジカル(映像)とメンタル(脚本)の両方で『エヴァ』を補完した作品だった。

TV版や旧劇場版(旧エヴァ)は、特撮(実写)とアニメに引き裂かれながらもその融合を試み、道半ばで断念せざるを得なかった作品だった。だが、そんな後悔にも似た要素を、『ラブ&ポップ』『彼氏彼女の事情』『式日』『キューティーハニー』『シン・ゴジラ』などを制作した25年の経験とその間に進歩したテクノロジーの活用によって、庵野総監督は『シン・エヴァ』で見事に書き換えた。

旧エヴァは、虚構と現実の壁を描こうと試みながら、物語を飛び越えた外側からのメタ演出に頼らざるを得なかった。しかし『シン・エヴァ』では、作品世界内の設定と物理法則に従いながら、現実世界とリンクさせるという極限のストーリーテリングで、虚構と現実の壁を描いてみせた。

旧エヴァは、「気持ち悪い」という言葉とともに幾多のトラウマを生んだ旧劇場版は、作者や業界、観客を含む数多の魂を呪縛した。そんな呪縛の元凶である『Air/まごころを、君に』という地獄の門を開いた『シン・エヴァ』は、あのとき言えなかったアスカへの「好きだった」という言葉とともに、観客のエヴァに囚われた魂と置き去りにされたフィジカルを再び融合させて再生へと導いた

少年・少女たちの内的な葛藤が世界の危機とリンクしていく「セカイ系」という概念を生み、肥大化したエゴの象徴となったエヴァ以降のアニメを、実写の手法を取り込むことにより自意識の外側からつくり上げるフィジカル。そして、新劇場版で旧世紀版のエヴァを書き換えて成長しようとする脚本(メンタル)。その両者の補完を実現するための糧として、これまでアニメや特撮、SFなどの分野で生まれてきた、庵野秀明が愛したあらゆる作品群が不可欠であったことは指摘するまでもないだろう。

劇中で描かれる生命の種子保管の流れなどは、庵野秀明がここ10年にわたり資料保全などアニメや特撮文化のための運動に取り組んできた活動や、そこにある想いの表れとも言えるはずだ。

そして、実際に本作の制作には、ドワンゴ、カラー、スタジオポノックの3社が協力して設立した手描き職人が集まった背景美術スタジオ「でほぎゃらりー」が、ウルトラマンほか多数の特撮作品の背景画を手がけてきた島倉二千六が、そして数々の特撮作品への参加で知られる「特撮研究所」が特殊技術素材・パネル美術撮影ほかで参加している。つまり本作はCGを中心とした最新テクノロジーと、このままでは失われかねない職人の手仕事が、深く手を繋いだ作品でもある。

作家個人のテーマと、エヴァの大ヒットが生んだ社会的なテーマ、アニメや特撮とその命運を含む業界的テーマ、そして技術論──それら全てを、25年の時を経てシンクロさせた、異形のエンターテインメント。それが『シン・エヴァンゲリオン劇場版』である。まさに、人の知恵と意志が成し遂げた、奇跡のような作品だ。

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照沼健太 // Terunuma Kenta

Editor / Writer / Photographer

編集者/ライター/カメラマン。MTV Japan、Web制作会社を経て、独立。2014年よりユニバーサルミュージック運営による音楽メディア「AMP」の編集長を務め、現在は音楽・カルチャー・広告等の分野におけるコンテンツ制作全般において活動を行っている。ブログメディア「SATYOUTH.COM」を運営中。
http://satyouth.com

照沼健太

作品情報

シン・エヴァンゲリオン劇場版

上映時間
2時間 35 分
企画・原作・脚本・総監督
庵野秀明
監督
鶴巻和哉、中山勝一、前田真宏
テーマソング
「One Last Kiss」宇多田ヒカル(ソニー・ミュージックレーベルズ)
音楽
鷺巣詩郎
声の出演
緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃
山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人
優希比呂、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里
制作
スタジオカラー
配給
東宝、東映、カラー

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LINE
匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん

直接この記事にでなく、この記事からも感じとれる一般論で言うんですけども
誰のどんな解釈、考察を読んでもそれがエヴァのものだと確実に半分は共感出来ても、なんかもう半分はそれどうなの…?って拒否したくなるニュアンスを感じちゃうんですよね
脊髄反射的に拒絶反応が起こっちゃう…「俺の考えとは違う」って
こんな解釈の分かれ方するのがエヴァの不思議なところですよ
ある意味聖書みたいですよね、どの弟子が一番イエスを理解してるか?みたいなw
その見方も面白いね!と思えたらハッピーですよね

匿名ハッコウくん

匿名ハッコウくん

解釈について、色々捉え方がある作品ですから。映像作成等については確かに言ってらっしゃる通りと思います。ただ、作品解釈については言い切れる部分と言い切れない部分があると言わざるをえない作品です。言い切ってしまうと解釈を巡って色々問題が起こったりします。現状カラーに対して誹謗中傷や脅迫が届いてることを考えると、「様々な解釈はあると思いますが〜」くらいの前置きの文章があった方がいいのでないかとは感じました。

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