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POPなポイントを3行で

  • 『SSSS.GRIDMAN』は松本人志の『大日本人』に近い
  • 平成特撮が黙殺していた要素を表現
  • 特撮畑じゃない異業種の監督ほど、特撮の可能性を追求

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『SSSS.GRIDMAN』がえぐり出す“平成特撮に黙殺された嘘“と『大日本人』

『SSSS.GRIDMAN』と『大日本人』の共通点とは?

……『大日本人』だこれ

アニメ『SSSS.GRIDMAN』を見て、そう思ってしまいました。独特のリズムを持った本作は、平成が終わる年に“平成怪獣特撮”というジャンルで黙殺された要素を抱えていると感じます。

一体『SSSS.GRIDMAN』の何を見て『大日本人』だと感じたのでしょうか? そして平成特撮とはなんだったのでしょうか。一言で言い表すなら、僕にとって新条アカネは松本人志です。

※この記事には『SSSS.GRIDMAN』第8話放送までのネタバレが含まれております。ご注意ください。

文:葛西 祝

ドキュメンタリー的な怪獣特撮アニメとは?

1993年に放送された円谷プロ制作による『電光超人グリッドマン』。日本アニメ(ーター)見本市にて公開された短編アニメーション版を経て(外部リンク)、2018年10月より、最新作『SSSS.GRIDMAN』が放送されています。
新番組『SSSS.GRIDMAN』放送直前PV
キルラキル』のTRIGGERが制作すると聞いたとき、アップテンポな演出に期待した自分は、『SSSS.GRIDMAN』のある種ドキュメンタリー的な手法に驚きました。

「ドキュメンタリー的」というのは、まるで現実のハンディカメラで撮影したかのようにアニメのキャラクターを映す質感のことです。第1話を観たとき、冒頭から戦闘までBGMがまったく入っていないことに驚きました。環境音や部活の音が無造作に入り込み、ジャンプカットもガンガン入っています。

これらは『涼宮ハルヒの憂鬱』の「サムデイ イン ザ レイン」や『リズと青い鳥』を代表とする、京都アニメーションの手法を思い出させます。ドキュメンタリー的な演出によって、キャラクターがまるで現実にいるかのように感じさせる効果を出した、先駆的なスタジオです。

ただ『SSSS.GRIDMAN』は、「ドキュメンタリー的」と言い切れるわけではありません。話数によっては、あまり気持ちよくない映像のリズムだったり、奇妙なカットもいくつか入っていたりします。つまりは映画の素人がつくったように見える部分すらあるのです。

もちろん、その「下手さ」は意図的なものでしょう。本作を監督した雨宮哲さんは意図的なはずです。なにせ過去に作画が1枚しかない『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』(外部リンク)を監督していたくらいですからね。あえてチープに見せる効果を知っている、珍しい監督だと言えるでしょう。

公開から11年『大日本人』の持っていた可能性

そんな“映画の素人がドキュメンタリー的なスタイルで撮る怪獣特撮“だったことが、過去の鈍い記憶とともにある作品を思い出させました。そう、大きな批判を浴びた映画『大日本人』です。
『大日本人』BD発売予告
『大日本人』は「お笑いの最先端への期待」とか「トップの芸人による作家性」という観点で批評されてきました。しかし2018年現在も、平成怪獣特撮という文脈からはあまり言及されていないのではないでしょうか?

そう、“平成怪獣特撮が黙殺したもの“として考えると、『大日本人』は意味深い作品です。怪獣特撮映画の技術も完成形もわかっていない映画でしたが、映画の素人がつくったドキュメンタリー的特撮であることが、別の可能性を引き出していたと言えます。

ここで『SSSS.GRIDMAN』と似た点を挙げるのなら、怪獣特撮の持つ性質を意図的に利用している点があるでしょう。両作とも、巨大化したヒーローが怪獣と闘い、街を破壊しているものの、その周辺住民が逃げ惑っていたり、ビルが破壊されたりする状況がはっきり表現されていないんです。

また「巨大スタジオで着ぐるみを着て闘うという嘘」をあえて見せることにも、両作は自覚的です。『SSSS.GRIDMAN』では怪獣をわざと着ぐるみ的に見せたり、車をミニチュアのように感じさせるように演出されており、その意図は、CGアクションを担当したグラフィニカの公式Twitterより明らかにされています。 『大日本人』のラストでも、急に3DCGでの特撮ではなくなり、特撮スタジオで着ぐるみで戦うシークエンスになりました。これは特撮の持つ性質をメタな立場で見つめていると言えるでしょう。

怪獣特撮のもうひとつの可能性を追求していた両作

こうやって『SSSS.GRIDMAN』と『大日本人』を観ていると、平成特撮というものが黙殺してきた要素が凝縮されているとも思います。それは作品の二次的な効果を意識的に演出していることです。

ちょっと複雑な言い方をしているので整理しましょう。一次的な効果が「大迫力の怪獣の破壊が観ることができて面白い」といったスペクタクルです。

二次的な効果とは、怪獣や巨人を現実のメタファーとして象徴させ、特撮というメディアの構造をメタに見せることなどが含まれています。「特撮というメディアで、何ができるのか」に対して、実験的にアプローチしていると言えるでしょう。

さて、平成特撮ならではの二次的な効果とは何か? ここで『SSSS.GRIDMAN』と『大日本人』に通じるのが、先ほど挙げたようなドキュメンタリー性の導入です。テレビメディアのインタビュー、あるいは素人がスマホやハンディカメラで撮影したような映像だからこそ、本当のことだと感じられるという。 ドキュメンタリー性に重きをおいた代表例としては、アメリカの作品ですが『クローバーフィールド/HAKAISHA』があります。こちらは手持ちカメラの向こうから見える怪獣を描きました。背景には9.11の生々しい状況が関係していると語られています。災害やテロの現実を描くメディア自体が変わったことに伴う、リアリティの変化を示す映画でしたね。

異業種の監督が特撮の可能性を追う

ひるがえって国内の怪獣特撮はどうか? 一次的なスペクタクルや、ヒーロー描写に注力していきますが、二次的な効果としてヒーローや怪獣は何を象徴しているのか? そして怪獣特撮というメディアの限界をどう捉えているのか?

そのいずれもが、ほぼ黙殺されています。ですが、何人かの作家はそれを意識して、実践しています。

実相寺昭雄監督を代表とする、昭和特撮を見てきた作家たちは、平成において二次的な効果を意識しました。ところが、その試みを成功させたのは怪獣特撮業界の内部の人間ではなく、異業種からの監督が目立つのです。文字通り、業界から離れた距離だからこそ、怪獣特撮の現実を遠くから見つめることができているのではないでしょうか。 そうした成功の代表例は、やはり庵野秀明監督ではないでしょうか。『新世紀エヴァンゲリオン』そして『シン・ゴジラ』でその姿勢が見られます。『シン・ゴジラ』では怪獣特撮業界のプロパーであった樋口真嗣監督を仲介する形で、業界とは少し距離のある庵野監督が演出することで「3.11」をゴジラに象徴させることができたと思います。

雨宮哲監督の『SSSS.GRIDMAN』では『新世紀エヴァンゲリオン』が実現した、アニメによる怪獣特撮のアクションを引き継いでいると言えるでしょう。同時に現代のアニメーションらしいドキュメンタリー的な演出も含まれていて、距離を置いた位置から怪獣特撮を捉えていると言えます。

そして『ウルトラセブン』への思い入れをしばしば見せていた松本人志も、本音では『大日本人』で深い解釈が可能な怪獣特撮を目指していたのでしょう。『ウルトラマン』の批評には、科学特捜隊とウルトラマンの関係を日米安保条約になぞらえた裏読みがしばしば見られました。

『大日本人』はそこに重ねる形で、大日本人と獣との闘いを日本とアメリカ、北朝鮮の関係をメタファーにしたかったのだと思います。

「箱庭の世界」を晒す平成怪獣特撮

このように、異業種の監督が巨大怪獣が都市部に襲い掛かるという「怪獣特撮らしいものごと」をまるでドキュメンタリーのように、現実のものとして捉えようとする一方、物語が進むと「この世界はスタジオのミニチュアみたいなつくり物ではないのか?」という疑問が露呈していく点も興味深いのではないでしょうか。

『SSSS.GRIDMAN』ではグリッドマン同盟の3人だけ、街の風景となっている怪獣が見えるのに、周りの住人は気づかないという謎が提示されています。ところが物語が進むと街自体が、「怪獣をつくりだしている新条アカネがつくり上げた箱庭の世界ではないか」と示唆されるのです。

空の上を突き抜けていくと、原色で彩られたワイヤーフレームの街が見えてきたり、徐々に原作『電光超人グリッドマン』の世界観につながっていく演出が見られます。
電光超人グリッドマン Blu-ray BOX CM
ここで原作の『電光超人グリッドマン』を思い出してみましょう。

あの作品が一種異様かつ斬新なのは、怪獣と戦うシーンが街の中ではなくネットワークの世界であることです。それは一歩離れて考えてみれば、怪獣特撮で戦うシーンとは結局現実ではなく、スタジオの中で起こる物事にすぎないと示していることにもなります。そういう意味では『SSSS.GRIDMAN』は原作をリスペクトするとともに、怪獣特撮の構造をメタに捉えていると言えますよね。

平成怪獣特撮が黙殺していること。それは、そもそもの怪獣特撮を現代でも制作していくことの限界点を見つめることです。

すべて3DCGで描くことをせず、いまでもスタジオで制作されるということをクールに見つめてみれば、怪獣特撮とは生身の役者が着ぐるみを着て演技する現実的なことだけど、同時にミニチュアでできた箱庭の世界で完結しきっているものではないでしょうか。

世界の広がりを感じさせない、閉塞的な箱庭。平成が終わる年に、平成怪獣特撮が黙殺してきたのはそうした事実です。『大日本人』の最後、警告文のあとに展開されたのはスタジオ内につくられた、コントのような怪獣特撮の世界でした。そこには怪獣特撮をメタに見つめるとともに、松本人志が持つ世界観が箱庭の世界である限界があったと思います。

僕にとっては新条アカネは松本人志です。

恵まれた才覚の一方、周囲のちょっとした行動に怒りを覚え、執拗に敵意を向けるところなど。あと数話、『SSSS.GRIDMAN』が完結を迎えるときには、その世界の広がりを感じさせてくれるのでしょうか?

グリッドマンの世界を知る

葛西 祝 // かさい はじめ

ライター

ジャンル複合ライティング業者。ビデオゲームや格闘技、アニメーションや映画、アートが他のジャンルと絡むときに生まれる価値についてを主に書いています。

Twitter:@EAbase887
ポートフォリオサイト:http://site-1400789-9271-5372.strikingly.com/

葛西 祝

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この記事へのコメント(8)

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匿名のユーザー

匿名のユーザー

面白いからいいんじゃないのかな。確かにいろいろな意見があって良いとは思うから、面白いとは受け取らない人がいてもいいし、回りくどい見方をする人がいてもいいとも思うけど、この記事については、読後、書いた人は、損な生き方をしているなあ、という思いが真っ先に浮かんだよ。お疲れ様です。

匿名のユーザー

匿名のユーザー

>一体『SSSS.GRIDMAN』の何を見て『大日本人』だと感じたのでしょうか?

誰も感じてねえよ。
駄文をダラダラ長文で書くな。
チラシの裏にでも書いてろ。
あとお前才能ないから、もうじきこの仕事終わるよ。

匿名のユーザー

匿名のユーザー

↓ただ単にこの記事が大日本人に結ぶつけているから呆れているだけでしょ
ってか特撮ってだけに一括りにされても

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