Interview

  • 2021.05.21

Rev.Run(Run-DMC)来日インタビュー 「Hiphop loves Internet, Internet loves Hiphop」

泣く子も黙るヒップホップのリビングレジェンド・Run-DMCのフロントマンであるRev.Run(レブ・ラン)。

ラッパーとしての活動休止と前後して牧師となった彼が語った、ヒップホップのこと、インターネットのこと。

Rev.Run(Run-DMC)来日インタビュー 「Hiphop loves Internet, Internet loves Hiphop」

Run-DMCのRev.Run

クリエイター

この記事の制作者たち

ジョセフ・"レヴァランド・ラン"・シモンズ

Run(ラン)またはRev.Run(レブ・ラン)の名で知られる、泣く子も黙るヒップホップのリビングレジェンド、Run-DMCのフロントマンである。

その彼が来日した。2017年のことだ。

テクノロジーやエンターテイメント業界の一大イベント「Advertising Week Asia 2017」のクロージングパーティーのゲストとして招待された彼に、幸運にもパーティー直前にインタビューする機会があった。

そこで、以前から気になっていた疑問をぶつけることにした。大ベテランのラッパーは、現在のネットやヒップホップをめぐるコンテンツとその恩恵についてどう考えているのだろうか。

取材:しげる 撮影:市村岬 編集:ふじきりょうすけ

本稿は、2017年に「KAI-YOU.net」で掲載した内容を再構成して配信したもの

目次

  1. Run-DMCがヒップホップに与えた影響
  2. 「ラッパー」のイメージをつくり上げたRun-DMC
  3. レジェンドが語るヒップホップとインターネット
  4. 40年以上、フロンティアを切り開き続けるRev.Run

Run-DMCがヒップホップに与えた影響

インタビューを届ける前に、まずはRun-DMCがどのようなグループかを少し振り返ってみたい。その存在がいかに偉大かは、口うるさいマニアたちでも意見の一致するところだろう。

彼らは80年代初頭、ヒップホップがブロンクスのストリートから、より広い範囲にリーチしようとしていた時期のフロントランナーだ。

そしてヒップホップの存在を、攻撃的で社会性を有する、パーティーの余興以上のものにした張本人たちである

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80s当時のRun-DMC

もう少し詳しく説明すると、Run-DMCはジェイソン・"ジャムマスター・ジェイ"・ミゼル、ダリル・"DMC"・マクダニエルズ、そして前述のジョセフ・シモンズの3人からなるグループだ。

Run-DMCという名前になったのは1982年のことだが、この3人での活動はその数年前、オレンジ・クラッシュ名義だったころまで遡ることができる。

彼らの最初のシングルは1983年に発売された『It's Like That』。だが、そのB面に入っていた「Sucker M.C.'s」はより重要だ。

RUN DMC - Sucker MC's (Official Video)

この曲は彼らが考える大したことのないラッパー、つまり"Sucker M.C."に向けて書かれたもので、「心臓発作を起こしちまえ」「お前は自分の妻を欺いてる」「お前は5ドルで喜ぶお子様、おれは100万ドルを稼ぐ男」などなど、舌鋒鋭い罵倒を浴びせている。

ストリートやクラブでのMCバトル自体はRun-DMCがこの曲を書くずっと前から行われていたが、実際の楽曲として何かを集中的に罵倒するレコードが発売されたのはこれが初めてのことだった。

つまり限定された場所での瞬間芸ではなく、パーマネントな音源で何かをdisるという行為を最初にやったのがRun-DMCだったのだ。

「ラッパー」のイメージをつくり上げたRun-DMC

加えて、トラックにおける楽曲の演奏を取り払い、無機的なドラムマシンや硬質なロック・ギターを前面に押し出した。そんな彼らのおそらく最もポピュラーな楽曲が、エアロスミスのナンバーをカバーした「Walk This Way」である。

RUN DMC - Walk This Way (Official HD Video) ft. Aerosmith

さらに服装も、ディスコやファンクの影響がまだ色濃い70年代末〜80年代初頭のラッパーたちとは全く異なっていた。

彼らの全身黒で固めたジャージやレザージャケットに、STETSONやKANGOLのハット、adidasのフラットシューズにゴールドのロープチェーンというクールな出で立ちは、ヒップホップにまつわるファッションを永遠に変えてしまった。

ちなみにインタビュー当日のRev.Runの服装も上下黒のadidasのジャージに白のフラットシューズ。靴紐はもちろん結ばず、靴の中に突っ込んでいた。さすが!

全身の写真が残っていないのが悔やまれる

全身の写真が残っていないのが悔やまれる

要するに、今我々が「ラッパー」と聞いて想像するような服装を初めて上から下まで揃えたのがRun-DMCであり、以降のヒップホップは多かれ少なかれ彼らの影響を受けているのだ。

レジェンドが語るヒップホップとインターネット

そんなRun-DMCだが、2002年にDJのジャムマスター・ジェイが射殺され、活動を停止。

その後のRev.Runは、MTVのリアリティーショー「Run's House」(言うまでもないが1988年に発表されたRun-DMCの同名の曲にちなんだタイトル)で家族とともにテレビに出演。

また実の息子であるディギー・シモンズも2009年にラッパーとしてデビューしている(このインタビュー中にもRev.Runは「息子のやることは音楽だろうがなんだろうが全部好きだよ」と語っていた)。

一方のRev.Run自身は、クラシックなヒット曲を世界各国やラスベガスの定期イベントなどでプレイしている。

そして、Rev.Runが近年力を入れているのが牧師としての活動だ

2001年に発売されたアルバム『クラウン・ロイヤル』の発表後、Run-DMCは活動休止状態に入ったが、その前後にRunは牧師としての資格を取得していた。

そもそもRevは「Reverend」の略で、聖職者の前につける尊称だ。この名義でのソロ作品を発表するなど、神と運命について近年の彼は考えを巡らせている。

それが最も端的に表れているのがRev.RunのTwitterのアカウントである。そこではキリスト教的な啓蒙の言葉が数多くツイートされているのだ。

そこで本人にTwitterの利用について聞いてみた。ことのほか、彼はネットを重要視していることがわかる。

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