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般若はなぜKREVAを挑発したのか フリースタイルバトルの世代間闘争史
2012年からBSスカパー!ではじまった「BAZOOKA!!!高校生RAP選手権」、そして昨年からテレビ朝日で放映中の「フリースタイルダンジョン」の大ヒットをきっかけに、じわじわとその認知度を高めてきたフリースタイル/MCバトルの人気が今年に入って大爆発している。

『ユリイカ』『サイゾー』『クイック・ジャパン』『ele-king』『WOOFIN’』といったいくつもの雑誌が日本語ラップ/フリースタイル/MCバトルの特集を組み、大手新聞夕刊の文化欄にも日本語ラップを紹介する記事が掲載されている。

7月6日の朝日新聞デジタルでは、日比谷野外音楽堂で20年ぶりに開催されるヒップホップの一大イベント「さんピンCAMP20」に出演する複数のラッパーへのインタビュー映像を配信した。

ほぼ同時期に、いちサブカルチャーであるラップ文化をこれだけの多種多様なメディアが取り上げる現象自体驚くべきことだが、さらに地上波TVへもラッパーが続々と進出している。

例えば、渋谷のスクランブル交差点付近などで行われている渋谷サイファーの首謀者であるACEが、マツコ・デラックスの「マツコ会議」に登場。アンダーグラウンドシーンで知らぬ者はいない輪入道も「NOGIBINGO!6」で乃木坂46のメンバーとラップバトルを披露した。

以前から大のラップファンとして知られていたお笑い芸人・若林正恭(オードリー)のハイセンスなラップはコアなリスナーたちからも注目を集めている。
オードリー若林 / 春日disラップ feat.ゴンゴール氏原 (Prod.Yuto.com™)
2016年現在、日本語ラップは何度目かの大きなブームを迎えた。しかし、これまで何度か起きてきたブームと決定的に異なる点がある

それは、特定のヒット曲やアーティストやグループの人気によって火が付いたものではなくMCバトル、つまりヒップホップという音楽文化のいち構成要素であるラップから派生した“エンターテイメント”が発火点だったということだ。

文:二木信

フリースタイルバトルの起源はどこにある?

そもそもフリースタイル/MCバトルは、クラブの現場やラジオ番組でも一般的に行われていたものだった。では、日本のMCバトルの大会のはじまりはいつなのか

MCバトルの“公式”と呼べるであろう最初の大会は1999年からはじまったB BOY PARK内のそれであった。そして、この大会で2001年まで3連覇を果たしたのが、ゼロ年代前半の“ラップブーム”の火付け役の一人でもあり、その後商業的にも大成功を収めることになるKICK THE CAN CREWのラッパー/トラックメイカーであるKREVAだ。
b boy park2001 MC battle KREVA vs KIN DA SHER ROCK
KREVAが3連覇を果たす以前と以降では、ラップスタイルのみならず、大会の興行的性格にまで関係してくるほど、フリースタイル/MCバトルのあり方が大きく変化した。

では、KREVAの3連覇以前と以降で何が変化したのか。

まず大きな転換点は2002年に訪れる。この年のB BOY PARKのMCバトルで、現在「フリースタイルダンジョン」のモンスターでもある漢 a.k.a. GAMI(以下、漢)が、 “ラスボス”般若との決勝戦を制して優勝したこと。

そして、翌2003年の同大会で、般若とFORK MASTER(現:FORK)の試合の判定をめぐって起きた、般若が当時所属していた妄走族(2015年解散)とFORKが所属するICE BAHNの小競り合いによる大会の混乱だ。妄走族もICE BAHNも当時勢いのあった、若く血気盛んな、いわゆる不良系でハードコアなヒップホップグループだった。
漢 a.k.a. GAMIさん/画像は9sarigroupのサイトより

漢 a.k.a. GAMI/画像は9sarigroupのサイトより

前者から語ろう。当時KREVAのフリースタイルが武器としていたのは、小節のケツで上手く韻を踏む脚韻。その“クレバスタイル”は、MCバトルの勝敗を大きく分ける評価基準の最たるものだった。

だが2002年の大会で優勝した漢は、脚韻のみにこだわらない。高速のフロウの中にいくつもの韻を散りばめ、しかもバトルでありながらも相手への攻撃だけではなく、内省や自問自答さえ含み込んでラップした。

すでにそのような変化の兆しはあったものの、MCバトルの勝敗を分ける評価が「韻の上手さや妙技だけではない」という認識の共有を決定的にさせる。つまり、評価基準が技術力から人間力へと変化したのだ。

ちなみに漢本人は、「フリースタイルでも録音した楽曲と同程度のレベルを目指していた」という主旨の話を自伝『ヒップホップ・ドリーム』(2015年/河出書房新社)やいくつかのインタビューなどで語り、さらにラッパーやフリースタイラーに必要不可欠なのは、単なる技術ではなく、“ヒップホップセンス”であるとも語っている。

その発言の背景には、ゼロ年代後半以降のMCバトルが再び技術力重視へと移行した状況=“MCバトルのスポーツ化”への漢の懸念があるが、その話題にここで深く踏み込むのは止めておこう。いずれにせよ、2002年の漢の優勝がMCバトルに人間力という評価基準を持ち込んだのは間違いない。

世代から生まれる飢餓感をラップするMCたち

般若/撮影:市村岬

般若/撮影:市村岬

では、2003年の混乱は何を意味するのか。それは明らかに“世代間闘争”であった。

判定結果をめぐる騒動は、大会に出場する若いラッパーたちによるMCバトルの大会を運営する上の世代、あるいはヒップホップメディアや業界関係者に対する反発心や不信感といったものが一気に噴出した結果となった。

その反発心や不信感につながる決定的な出来事や事件はなく、評価や理解を渇望する血気盛んな若者による既存の体制への純粋な反骨精神だった。

もちろん理由や背景がまったくなかったわけではない。ゼロ年代前半の、メジャーレーベルによる日本語ラップの“青田買い”の波に上手く乗れたラッパーと乗れなかったラッパー。あるいは、メジャーからアルバムや作品をリリースし、その後華々しいスターダムにのし上がれたラッパーと芳しい結果を残せなかったラッパーとの断絶と格差であろう。

2016年現在のラップシーンでは、ポップとハードコア、オタクと不良、メジャーとインディーといった対立構造が融解しつつある。そういう状況にある今、いたずらに対立を強調するつもりはない。

それでも、現在を知るため、改めて過去を振り返るとするならば、ゼロ年代前半にKICK THE CAN CREWRIP SLYMEといったグループがそのポップな魅力で商業的成功を収めた裏側で、苦渋を舐めていたラッパーたちが少なからずいたのは事実だ。般若もその一人であろう。

先日放映された「フリースタイルダンジョン」では、般若がKREVAに同番組への参加を挑発的に呼びかけた しかし、この日本で最も成功したラッパーの一人であるKREVAへの挑発は、テレビ的なエンタメを意識した般若流のリップサービスと理解するのが妥当であり、それ以上の深い意味はさほどない。それが筆者のひとまずの見解である。

それでも、少なくとも一つ言えるのは、般若(1979年生まれ)からKREVA(1976年生まれ)への発言は単なる一対一のラッパー同士の確執という話に回収されるものではなく、日本語ラップという音楽ジャンルが抱えてきた世代間闘争が時を越えて、エンターテイメント化して表現されたものであるということだ。

ゼロ年代前半にラッパーたちの命運を分けた要因は、音楽産業のみならず、この国の経済状況が急速に下降していった社会とも密接に、直接的に関係していた。

特にいま「フリースタイルダンジョン」に出演している般若や漢より下の世代のラッパーたちは、そのように時代状況が深刻化していく中で、より鬼気迫った“飢餓感”を原動力にしながら、ラップでここまでのし上がってきたとも言える。

ラッパー自身がもたらしたフリースタイルバトルの変革

では、2004年以降のMCバトルシーンはどうなったのか。

2002年の漢の優勝と2003年の混乱は、それまで“業界のオトナ”が仕切っていたフリースタイルのシーンを“プレイヤー=ラッパー”、つまり当事者自身が仕切りはじめるきっかけになっていく。
UMB2015 FINAL DVD TRAILER vol.1
B BOY PARK内のMCバトルは2003年の混乱を受け、2004年は開催されなかった。

そこにチャンスを見出し、当事者であるラッパーが運営する大会をやろうと思いついたのが漢だ。そして漢は2004年に、その後全国規模の地方予選まで繰り広げることになる「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)を仲間と立ち上げる。

それがMCバトルの興行的性格の変化である。

そうして、2004年以降のフリースタイルシーンは一発逆転を狙う個性豊かなアンダーグラウンド/インディーのラッパーが、メジャーの音楽産業の価値基準では測りきれない技術力と人間力を武器に、争い、しのぎを削る現場へとなっていき、日本のフリースタイル文化は発展していくこととなる。

つまりラッパーたちは、メインストリームのメディアが見過ごしてきた“若者の声”を発し続けてきたのだ。

発展を続ける日本語ラップシーン

筆者は『サイゾー』(2016年6月号)の「ニッポンのラップ新潮流」という特集内の記事でコメント取材に応じ、「漢が仲間達と立ち上げた『UMB』が全国規模で地方予選を行ったことが、あくまでも複数ある導火線の一つとして現在の『フリースタイルダンジョン』へとつながっている」という見解を述べた。

「シーンやメディアから見向きもされないラッパーでも、地方予選で優勝すれば、それだけで地元でプロップス(支持)を得られるし、本戦に進めば1回戦で負けても自分の姿がDVDに収録される。そうやって地方の裾野を広げたことが、『FSD(フリースタイルダンジョン)』のハイレベルなMCバトルにつながっているのではないだろうか。しかも、関東や関西、東北といった大雑把なエリアではなく、都道府県レベルで地方予選が行われ、各地のラッパーやフッド(地元)のあいだに強固なコネクションが築かれていったのです」 『サイゾー』2016年6月号,p32「フリースタイルダンジョンに至る30年の裏側――いとうせいこうからKOHHまで! 日本語ラップの“正しい”歴史」より筆者の発言抜粋(須藤輝/編集部)

もちろん「UMB」だけではない。2008年からCASTLE RECORDSのG.Oが主催する「罵倒」、2012年からはMC正社員による「戦極MC BATTLE」がはじまる。

他方で大阪の、ERONEHIDADDYらが所属する韻踏合組合が主催する「ENTER」などもあり、2015年からは漢が「KING OF KINGS」を新たに立ち上げた。また同年、サイプレス上野が横浜で「ENTA DA STAGE」をスタートさせている。

これまでメインストリームのメディアが取り上げてこなかった“人間力”で勝負する才能が、エンターテイメントの世界で華々しく活躍している。素晴らしいことだ。

2016年に入ってからもいくつもの壮絶なMCバトルがくり広げられてきた。その中でも新時代の到来を予見させる、特別に凄まじい1戦があった。

それは、4月2日に大阪・南港ATC HALLにて行われた「第9回 高校生RAP選手権」での10代女性ラッパー同士の対決だった。 耳を疑うほどどぎついスラングで容赦なく攻撃を仕掛けるReichiと、それに対してグルービーなフロウを駆使する冷徹な喧嘩スタイルのちゃんみなが巻き起こしたバトルである。フリースタイルという表現に出会ったことによって己の強烈な個性と闘争本能を解放した10代の女性の美しさと強さに多くの聴衆が心を打たれたはずだ。

この戦いは、この国のラップ文化、あるいはMCバトルがこれまでにない領域に入ったことを示したと言っても過言ではない。ラップ/フリースタイルという表現、あるいはMCバトルというエンターテイメントが新時代の声をすくい上げ、また、新たな言葉と声を生み出していっている。本番はこれからである。

※Reichiのcはマルシー表記

二木信 // フタツギシン

音楽ライター

音楽ライター。共編著に『素人の乱』、共著に『ゼロ年代の音楽』(共に河出書房新社)など。2013年、ゼロ年代の日本のヒップホップ/ラップをドキュメントした単行本『しくじるなよ、ルーディ』を刊行。漢 a.k.a GAMI著『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社/2015年)の企画・構成を担当。
https://twitter.com/shinfutatsugi(外部リンク)

 二木信

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