「セカイ系」や地方と都市の文化的な断絶、組織/個人のパワーバランスの変化も、いってしまえばそんな我々が持っていた「繋がり」というものの扱われ方の加速度的な変容によってもたらされたといえる。 オンラインゲームを介して、会ったことのない人と話し、共通の目的を達成する。匿名の他者が掲示板に書いたことを真に受けて行動してしまう。現実では接点のない人のライフスタイルをTwitterやFacebookといったSNSで覗き見ることができる、それについて「いいね!」や簡単なリプライを送ったりしてコミュニケーションを行うことがきる。
現在となっては当たり前のことだが、そんな「繋がり」自体の性質の変容こそが、2000年代に起きたもっとも衝撃的な出来事といえるかもしれない。 また、ネットワーク上の世界はバーチャル(仮想現実)なものとして表現されていくことも自然に受け入れられていった。アメーバピグやセカンドライフといった自己の分身であるアバターを用いてコミュ二ケーションを促し、仮想の通貨が存在し、現実とは違った繋がりと生活、そして社会をもたらす、まるでSFで描かれていたようなことが実際に起きている。
そのように膨大な量の新しい「繋がり」の在り方がつくられていくなかで、それでも繋がれない人、孤独な人はさらにその影を深くしていくことなる。
そんなネガティブなネット発の事件は、ゼロ年代中期には、「炎上」という言葉も形成されていくことになる。
そこから考えられることは、かつてはネットはバーチャル(仮想現実)でしかなかった。しかし、2000年代にはたしかなリアリティを獲得するまでに至った。もうリアル/バーチャルとか本物/分身とかいう感覚もない地続きなものとして我々は、この情報化社会を捉えはじめている。それは新たな形の「繋がり」を今後さらに形成していくことだろう。
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