温かすぎて、地元を拒んだ

藤田さんが歌手という夢、東京という場所への憧れに従い上京したのが19歳のとき。今でこそ北九州市には帰るようにもなったが、何年も北九州市に帰らない、いや帰れなかった時期があったという。

その理由は“北九州市の居心地の良さ”。どういうことか、藤田さんと姉の千乃さん、その旦那さんである下川寛二さんたちに食卓を囲んでもらい、話をうかがった。
左端が義兄さん、2人の甥っ子と、真ん中がお姉さん

左端が義兄さん、2人の甥っ子と、真ん中がお姉さん

下川さんの幼馴染が経営する居酒屋『日和』にて。北九州市の新鮮な海産物、特にごま油と塩でいただく関門海峡のたこは絶品だ

下川さんの幼馴染が経営する居酒屋『日和』にて。北九州市の新鮮な海産物、特にごま油と塩でいただく関門海峡のたこは絶品だ

藤田さん お姉ちゃんは常に私を支えてくれる家族で、良き友人なんですけど、旦那さんの下川さんも私の人生の恩人なんです。

上京一年目、私は当時所属していた事務所の寮に住んでいたんですけど、その寮費、学費を全部出してくれていたのが、私と面識もなかった寛二兄ちゃんだったんです。お母さんはもう亡くなったのですが、私が上京したときにはお母さんの容体ももう良くなくて、毎日お母さんのお見舞いにも行ってくれていた」

──なかなかできることではないですよね。

下川さん 結婚する前に全部家のことを聞いたし、これから家族になる妹が頑張るっていいよるけんね。それは頑張るしかないやないですか。

──でもそれだけ感謝している家族もいる地元に帰らなくなったのはなぜなんですか?

藤田さん 私が勝手に、仕事に集中する! 地元は振り返らない! みたいな時期があって。見返りを求めずに応援してくれたからこそ、手ぶらでおめおめとは帰れなかったというか。当時はお金も苦しかったので交通費のこともあるし。同窓会とかも行けなかったなぁ。

それに地元、というか北九州市は温かすぎて、甘えすぎちゃうって当時は思っていて。寛二兄ちゃんは男気あるし、お姉ちゃんからはいつでも帰っておいでと言ってくれる。それで帰っていたら、心が折れてたかもしれない。
下川さんの幼馴染である日和のマスターは、藤田さんの活躍をテレビでチェックしているそう。「寛二くんも『恵名がテレビ出てた』っていつも言うんよ」と暴露

下川さんの幼馴染である日和のマスターは、藤田さんの活躍をテレビでチェックしているそう。「寛二くんも『恵名がテレビ出てた』っていつも言うんよ」と暴露

──辛いことを家族に相談などもあまりしなかったんですか?

お姉さん 恵名は、仕事の悩みとかはほとんど話さないですね。この世界ってみんながライバルだから、何もわからない私みたいなのに相談してほしいなとは思うんですけどね。でも、悩んでるかは電話の声のトーンで大体わかりますよ。

藤田さん バレてる(笑)。常にいい報告をしたいという気持ちが強くて、ただでさえ離れてるし、心配させたくないから家族だからこそ言えないというか。話せばいいと自分でも思うんですけど、意地のようなものかもしれないですね。

──それは僕も気持ちがわかります。でも、やっと胸を張って帰れるようになった。

藤田さん そうですね、ようやく。少しでも恩返しするために、事あるごとに甥っ子たちにモノを買い与えてます(笑) 藤田さんと下川さん家族 ──北九州市に住むご家族のみなさんは、地元のことをどう思っていますか? 「修羅の国」と揶揄されることもありますが、実際は15年ほど前から犯罪件数は激減して、政令指定都市の中でも犯罪件数はむしろ少ないほうです。政令指定都市で物価の安値1位で、子育て環境を評価する次世代育成環境ランキングで政令指定都市で7年連続1位でした。10万人以上の地方都市で住みやすいランキングでも北九州市が1位になっています。

下川さん 北九州市は住んでて本当に何も困らないです。地震とかの災害も少ない。そもそも、前から治安が悪いイメージはそこまでないんですよね、自分たちには。

お姉さん 電車もバスもモノレールもあるし、交通の便もいい。それに医療制度も手厚くて、福祉施設が充実してるから子育てもしやすいです。子どもは月に数百円で治療が受けれるし(*1)、薬代は無料です。私はそれが普通だと思ってたんですけど…。

*1:小学6年生まで通院に係る医療費を助成(薬代は無料)。入院費は中学3年生まで無料。*保険診療による自己負担額が対象。また24時間365日体制での小児救急を実施。24時間対応の救急医療用のテレフォンセンターも設置。出産に関しても、政令指定都市初の「ペリネイタルビジット制度(出産前後の子育て相談)」を導入している

下川さん 地域のひとたちは、義理・人情に厚いところはあると思います。飲み屋でも知らない人にしょっちゅう声をかけられて一緒に飲んだりもするしね。仕事をしていても思います。お金じゃないところでの信頼に重きを置いてくれる。

お姉さん それに、田舎すぎず、都会すぎないところ。1時間もあれば博多にいけますし、ちょうどいいんですよ。道も広くて、ゴミゴミしていないし、のんびりしてますね。 藤田さんと下川さん家族 藤田さんを取り巻く北九州市の温かい家族と住む環境。藤田さんの実績を残すまでは「居心地が良すぎて帰れなかった」という言葉は、少しわかる気がした。

藤田恵名、恩師に会いに行く

久しぶりにゆっくりと北九州市を歩き、子どものころの思い出が溢れてくる。そして、藤田さんにとって、それは必ずしも懐かしいものだけではない。

私、中学一年生のときの記憶がほとんどないんです。いじめにあっていて。多分本能的に記憶から消したいんでしょうね」。

「小学校のときはみんなより成長が早かった」という藤田さんは、体のことをからかわれるようになったという。それが中学生になると女の子からも嫌がらせが続き、徐々にエスカレートしていった。気づけば、小学校で一番仲の良かった友達が壮絶ないじめの輪に加わっていた。

同時期に両親の離婚も重なり、「絶望していた」という思春期の藤田さんだったが、そんなとき、転校先の中学校で人生の恩師と出会う。

一行は、藤田さんが「命を救ってくれた」とまで言う恩師に会いに、現在校長先生を務めているという、北九州市立富野中学校へお邪魔した。 北九州市立富野中学校 「緊張するし、覚えててくれてるかな...」という藤田さんの不安をかき消すように、「おお、恵名! 元気しとるんか!」と玄関で出迎えてくれたのが、教師生活26年、北九州市出身の末包智幸(すえかね ともゆき)先生だ。当時、転校先の学校で藤田さんの担任を務めていた。

通りがかる生徒に名前で呼びかけ「調子どうや!」と声をかける末包先生に招かれ、教室へ案内される。夏休みの廊下に響く蝉の鳴き声、グラウンドから響く部活動の掛け声、日直の書かれた黒板。縦横に整列された机、なんともいえない懐かしい空間で、当時のことを聞いた。 末包先生と藤田さん ──会ってちゃんと話すのは、中学生のとき以来だとうかがいました。

末包先生 変わってないね、いい意味で。それはすぐわかりました。

藤田さん これまで何千人という生徒を見て来てるので、先生が私をそもそも覚えてるかも不安だったんですけど、自分が先生に本当に救われたということだけは伝えたくて。

末包先生 当時のことは良く覚えてるよ。恵名は、自分を捨ててでも他人を助けるような優しい子でした。いじめを受けて転入してきたことは知っていたので、気になっていました。そして、この子はなかなかサインを出さない子だということがわかったので、こちらから積極的に話したのを覚えてます。

藤田さん 周りの友達は、次自分に降りかかるのが怖くて誰もかばってくれなくて。だから誰にも言わずに転校したんです。ある日、「私はもうこの教室には戻らない」って決めて、教科書とか全部持って家に帰った。そしたら親が何かあったと気付いてくれて、すぐに「転校する?」って聞いてくれた。

中3だったお姉ちゃんは卒業を控えた一番大事な時期だったのに、文句ひとつ言わずに、『気付いてあげられなくてごめんね』って言って私と一緒に転校してくれて。 藤田さん 藤田さん 当時は「死ぬ」ということに対して敏感な時期だったし、危うかったなって思います。人間不信だった私に、先生や、先生の教えを受けてる友達が、誰に言われるでもなく私を気遣ってくれた。それがなかったら、本当に、こうして今ここにいなかったかもしれません。「逃げて良かった」って思ってます。

──印象に残ってる、末包先生の言葉や行動ってありますか?

藤田さん 全然関係ない笑い声が聞こえると、自分の背中越しに笑われている記憶がフラッシュバックして。自分のことを笑われているような気になって、よくトイレに閉じこもってたんです。

先生はその度に私を見つけて「大丈夫だぞ」ってずっと声をかけてくれてたんです。授業を他の先生に頼んで、ずっと声をかけてくれた。末包先生が見つけてくれるっていう安心感があったから、トイレに隠れていられたんだと思います(笑)。

──信頼を積み重ねた結果ですよね。先生はこれまで長く教鞭を執る中で、教師と生徒、保護者との関係性について、変化を感じることはありますか?

末包先生 時代や考え方、環境が変わろうが、子どもたちは根本的には変わりません。「自分を認めて欲しい」んです。

同時に、我々の「子どもの命を守る」という使命も変わりません。綺麗ごと抜きで、クラス、学年、学校の子どもは全部自分の子どもだっていう気持ちを持ってるので。

だから、恵名が教室からいなくなったときも、自分の子どもを探すのと一緒ですよね。「あ、今日逃げるな」っていうのが朝話した時になんとなくわかるんです。 末包先生 末包先生 親御さんも、真剣な学校には協力してくれるんですよ。逆にそれがないと不信が重なる。恵名のお母さんからも最初は「もう学校なんて」と言われました。でも、昼も夜も数え切れないくらい挨拶にうかがってたら(笑)、恵名もお母さんも変わってきた。子ども、保護者、地域、根本は昔から変わらないんです。

──では、変わったことはありますか?

末包先生 部活動でも、猛暑の影響もあって、短い時間で鍛錬して成果を出そうという方針にしています。教師自身も、昔は遅くまで残って指導するのが良い先生という風潮でしたが、早く仕事をこなして早く帰る先生を評価する流れになっていっています。

教師を取り巻く環境は変わって来ているし、我々も変わっていく必要がある。それも、子どもに愛を注ぐという根本的な価値観を失わなければ、教師も自然にアップデートされていくし、失えば教育は歪みます。

──「荒れた北九州市」と言われることについては、先生の立場からはどう思われますか?

末包先生 「北九州市の子どもは荒れてる」みたいに思ったことは、一度もないんですよ。決められたルールも、きちんと守ろうと努力してくれる。要はそこに到るまでの人間関係の積み重ねがあるかなんです。北九州市の子どもはみんなかわいいし、活躍を聞くと本当に嬉しいですよ。

──藤田さんの活躍はどうですか?

末包先生 嬉しい限りですよ。この間、恵名が出ている番組をたまたま見かけて、自分の子どもに思いっきり自慢しましたよ(笑)。「夢を持って、やり遂げろ」と教えていたし、恵名は当時から芸能の世界に行きたいと言っていた。実際にいろんな仕事をやり遂げている姿が本当に美しいです。「有名になったら、先生のこと言ってくれよな」って冗談で言ってたんですよ(笑)。

──それが本当にこうして会いに来るとは!

末包先生 本当にそうですね(笑)。

藤田 理不尽なことが圧倒的に多い社会で、ずるや逃げ癖が出そうになったときに、初心に還ってなにくそとやれてるのは、自分の根っこに末包先生のことがあるからなんです。先生、「校長先生になりたい」って公言してましたよね? (夢を叶えた先生)だからなおさら説得力もあって。

末包先生 子どもは敏感だから、都合のいいことばかり言ってる先生には応えてくれないんです。だから、自分も夢を語ることで子どもとキャッチボールをしてきました。 末包先生と藤田さん ──末包先生が思う、北九州市の好きなところは?

末包先生 他の地域と比べてもとびぬけて温かいところですね。困ったら誰かが助けてくれる。そこが北九州市の一番の魅力です。そして地域や自分の恩師がしてくれたことを、僕は北九州市の子どもたちにしていきたいというか。

──北九州市の教育を取り巻く、ポジティブな変化はありますか?

末包先生 学力や基礎体力が少しずつ上がってきていると感じます。学力、体力をつけるって、人生の選択肢や考える能力を育むうえでとても大事なことです。

市の積極的に取り組みや、発信する努力をすごく感じますし、すると僕ら周りの大人も、「自分には何ができるか」と考えていく。そのいい循環が徐々に生まれている気がします。

──末包先生ご自身が取り組んでることはありますか?

末包先生 補充学習を充実させたり、読書を積極的に推進したりなどですね。

より深い情報の接し方と自己主張が求められている今、文章をしっかり読めることが、ものすごく大事になっています。言葉を知って、文脈を読み取って、自分の言葉で意見を言える子どもを育てていきたいですね。

──藤田さんは、今いじめを受けている子どもに、どういった言葉をかけたいですか?

藤田さん いま、いじめられている子には、「大丈夫だよ」ってことを伝えたい。いじめられた経験が、あなたを誰よりも優しくしてくれる。「いじめられる方にも原因がある」って言われたりしますけど、あなたにあるのは原因ではなくて個性。だから逃げていいし、私は逃げて本当によかった。だから、「死んだらすべて終わりだよ」。そう伝えたいです。 末包先生と 筆者にとって、末包先生は漫画に出てくるような、ちょっと信じられない先生だった。何千人と見てきた中のたったひとりの生徒のエピソードも、昨日のことのように溢れるように出てくる。

13年ぶりに会話を重ねる恩師と生徒を見ていて、本当の親子のように見えた。家族だけでなく、地域に存在する熱意がどのように地域のこどもや未来を育むかを、この目で見たような気がする。

こんな先生がきちんと評価され校長先生になれている北九州市の懐の深さを感じ、そして自分もこんな先生に出会えていたらなと、ちょっと羨ましい気持ちになった。

勘違いされやすい女と、勘違いされやすい街の職員が語る地元・北九州市

北九州市の食やスポット、さらには地域の家族、教育などを巡ったこの旅の終わりに、取材の協力をしてくださった北九州市職員の石川さんと森井さん、そして藤田さんに、地元・北九州市について語ってもらった。
「Gill&co.」(ジルアンドコー)

今年3月にオープンした人気焼き鳥店「Gill&co.」(ジルアンドコー)

──藤田さん、今回ゆっくり北九州市を回っていかがでしたか?

藤田さん この街に住んでいたころは、地元は別に特別ではなく当たり前の環境でした。高校は博多まで通学していたし、その後も地元の居心地の良さを振り払うようにして上京したので。だから知らないことの方が多くてちょっと反省しちゃったし驚いたというか…。

石川さん でも、それはそうですよ。10代で上京してずっと東京にいるんですから。

藤田さん 今回、改めて自分が当たり前に感じていたこと、自分の思い出の中で完結していたことが、実は北九州市の魅力なんだって気づけたし、地元の新しい顔も知れました。こんなに綺麗で、以前よりも明るい街になってたり、魚町のアーケードが栄えてたり。

「北九州市」の観光大使になりたいという夢があったんですけど、まだ全然北九州市のことをわかっていなかったことに改めて気付いて、正直「肩書きがほしい」みたいな気持ちもあった自分が恥ずかしいです。出直して来ます!

一同 (笑)

藤田さん でも、昔から、周りの人から「北九州市出身」と話すと、私はそういう自覚はなかったのに、周りからは「北九州市? 怖い街なんだよね?」って言われてきましたね。

石川さん そういうときいつもどう返すんですか?

藤田さん いじられるのも「オイシイ」とも思ってたんですけど、これからは今回知ったことを教えたりできるなと思います。こんなに色んな顔がある街なんだって改めて知りました。

治安の良さとか、災害も少なければ、ラーメン一杯の料金や家賃も安い、医療補助は手厚い、インフラも整っていて、子どもだけでも移動しやすい。山も海も公園もある。

インスタにだって乗せたくなるような穴場のスポットがあって、そこにはちゃんと歴史がありますよね。一番栄えてる駅に近い街のど真ん中に城があるって冷静に考えたらすごいことですよ。
藤田さんの推しは「小倉城」だ。子どもの頃は毎年正月に、小倉城で書き初めを行なっていたのだそう

藤田さんの推しは「小倉城」だ。子どもの頃は毎年正月に、小倉城で書き初めを行なっていたのだそう

藤田さん 自分が体験したことだったら胸張って人に伝えられますしね。

石川さん 藤田さんには、次回是非「角打ち」に行って欲しいですね。

藤田さん 行きたい! 仕事後にちょっと一杯引っ掛ける、ってことに憧れるんですけど、東京だとやっぱり変な格好で外に出れないし、北九州市はいい意味で気楽に外に出かけられるし、角打ちとかもある。北九州市ならではですよね。

石川さん お酒を飲む人にとっては天国のような街です。北九州市って、行けばいい街だとみんなが思ってくれるんですけど、行かないと良さが分かりにくい。一度行けばいくらでも掘り下げられる色々な顔があるんですけど。

藤田さん それと北九州市は自然も豊かで釣りやレジャーもしやすいですよね。釣りにすごく興味があるんですけどやったことがないので、初めての経験を北九州市に捧げたいです(笑)。スキューバダイビングのライセンスも持ってるんですけど、全然使えてないんで、スキューバしたい。もう一泊しようかな…(笑)。 市職員と ──藤田さんはプロフィールでも「福岡県北九州市出身」をアピールされていて、ブログでも北九州市のことを綴っていますよね。自分の中で、「北九州市をもっと発信したい」って思いが出てくるようになったきっかけはあるんですか?

藤田さん ファンにすら北九州市出身だってことが認知されてなくて、それが次第に気になるようになってきて。同時に、自分のルーツである北九州市に愛されたいと思うようになった。そしたらこっちから好きにならないと、好きになってなんてもらえないなと思うんです。

──地元・北九州市って藤田さんにとって、決して綺麗な思い出だけでなく、辛い思い出が同居する街ですよね。僕が凄いと思うのは、その過去も含めて、胸を張って地元が好きだっていえることだと思うんです。もし僕だったら藤田さんみたいに言えるかわからないなって。

藤田さん 嫌な思い出はどこにでも少なからずあるわけで、ひとつの思い出がたまたまあの中学であの教室だったというだけ。

中学1年生のときの記憶って曖昧なんですけど、今回の旅でその欠けてた記憶が少しずつ蘇りました。忘れてたことの中にはいい思い出が沢山輝いていて、それがとても嬉しかった。地元のお祭りに向けて毎日練習したリコーダーの曲はいまだに吹けますし、それだけで誇らしいです。だから、一部の記憶のために、自分の中でずっとキラキラしてる思い出を帳消しになんてできないんです。

──市職員のお二人は、藤田さんにお会いする前はどういう印象でしたか?

森井さん やっぱり女性らしいイメージでしたね。

石川さん テレビやニュースで活躍を拝見していて、語弊があるかもしれませんが、「東京の芸能人」のような方を想像していました。

森井さん でも実際に接して見ると、過去の出来事や東京での荒波を泥臭くても乗り越えていて、そのいまがあるからこそ、これまでの道のりを自分の中で肯定できている強い女性なんだなと思いました。

石川さん 完全に勘違いしてました。

藤田さん 私の活動も色々な分野に手を出して収拾がつかなくなってはいるんですけど(苦笑)、私はそれを肯定して色んなことを取り入れて進んで行きたいし、音楽という芯だけは絶対に外せない。だから、とにかく聴いて欲しいと思ってやってるんです。

──北九州市も、そういうところがありますよね。

藤田さん そう。たまに迷走したりもするけど(笑)、本当にいろんな要素がごった煮になっていて。本来の良さが口では説明しづらいからそれが勘違いも生んでいる。でも一度知るといくらでも掘り下げられる、この街のブレない良さがある。

──北九州市のブレないところとは?

藤田さん 私が一番印象的なのは、何かひとつのことにかける情熱が強い、お祭り気質なところです。そして掘り下げたら、みんなまじめ。

それこそいろいろ言われている成人式なんて、あのために健気にアルバイトしてお金を貯めるんですよ? やるときはみんなで一致団結してとことんやる。熱量がすごいというか。末包先生だって、ちょっとおかしいくらいの情熱じゃないですか。

だから勘違いされやすい街ですよね。私も勘違いされやすい女だから一緒ですね(笑)。

石川・森井 確かにそうですね!(笑)

藤田さん 北九州市出身だからこうなってるのかもって、今回思いました(笑)。 空港へ向かいバス。手を振る市の職員さん 勘違いされやすい女と勘違いされやすい街。しかし勘違いされやすいということは、人の感性に触れる何かがあるということだ。

実際に北九州市を巡ってみると、なぜか掴んで離さない魅力がある。

今回は、どちらかといえば知る人ぞ知るスポットや、地域に根付くミクロな思いや営みを覗いた。

しかし、そのどれもが、歴史があり、熱量があり、温かみのある、まぎれもない北九州市カルチャーなのである。そんな、ちょっとやそっとじゃ見えない「北九州市の奥の奥」。それを見れたことが、今回、僕はとても嬉しかった。
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プロフィール

和田拓也(Wada Takuya)

和田拓也(Wada Takuya)

Editor / Writer

1986年生まれ。サッカーメディア「DEAR Magazine」を運営する傍ら、「HEAPS Magazine」などWeb媒体を中心に執筆・編集を行っている。ストリートやカウンターカルチャーが好きです。

Twitter: @theurbanair
Instagram: @tkywdnyc
SIte: http://dearfootball.net/

山口雄太郎(Yamaguchi Yutaro)

山口雄太郎(Yamaguchi Yutaro)

Photographer

1987年長野県生まれ。
神田外語大学外国語学部国際コミュニケーション学科卒業。2010年ナショナルジオグラフィック国際写真コンテスト風景部門優秀賞、2015年上野彦馬賞入選、2014年・2017年清里フォトアートミュージアムヤングポートフォリオ作品収蔵。

http://www.yutaro-yamaguchi.com/

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