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「オシャレはツールでしかない」──異端の映像作家・大月壮インタビュー

大月壮さん

日夜YouTubeニコニコ動画にたくさんの作品が投稿され、バイラルメディアが注目を集め、ソーシャルメディアでそれがシェアされてゆく。人類の前に映像作品が姿を現してから約120年経った今、映像と人との距離が最も近づいてると言えるのではないだろうか。

そんな状況下で、エッジの効いた作風から「鬼才」「クセ者」と呼ばれ注目を集めている映像作家・大月壮さん。格ゲーとHIPHOPを融合させた世界初のMCバトルシステム「STREET CYPHER 2」の開発や、KLOOZさんや上坂すみれさんをはじめとする様々なアーティストのMVを制作している彼に注目してきた編集部が、ついにインタビューを敢行。映像との出会いから、作品に色濃く見えるゲームからの影響、インターネットや現在のメディア環境まで、うかがった。

クセ者らしく一筋縄ではいかない予想外の返答と、その行間からにじみ出る、ものをつくることの楽しさをぜひ感じてもらいたい。(取材・構成/武田俊)

『マリオペイント』みたいにマックを触っていた

上坂すみれ / 3rd シングル「パララックス・ビュー」
──映像作家としてお仕事をされていますが、そもそものきっかけは何だったのでしょうか?

大月 僕が高校2年くらいの時に、兄貴が親にマックを買ってもらったんです。っていうのも、母がフラワーアレンジメント教室の先生をやってたんですが、兄貴が「これからはホームページの時代だ! 俺がつくってあげるよ」って言って、母をだまくらかした(笑)。その結果、我が家にマックがやってきて僕も触るようになりました。母は早々にインターネットにハマって「薔薇の香り」っていうハンドルネームで活動してました(笑)。

兄貴はちょっとギークで変わってて、小学生の頃から簡単なプログラムを書いてたんです。僕は子どもの頃、彼がつくった謎のレースゲームとかで遊んでました。ゲームはやっぱりずっと好きで、中学校の時には『マリオペイント』で遊んだりしてたんだけど、同じ感覚でマックに当時入っていた「クラリスドロー」っていうソフトで絵を描いたりしてました。

そうやって遊んでるうちに高3の受験期になっていて、進路を考えたんですけど、どこの大学にも行けないような成績で(笑)。そんな時お正月にテレビを見てたら、3DCGを使ったパルコのCMが流れて、衝撃を受けたんです。当時も『バーチャファイター』や『トイ・ストーリー』など3DCGを使った作品はあったんですけど、そのCMのCGはこれまでに見たことのない個性的なものだった。その時「なんかこれおもしろい、スゲーつくりてえ!」って思って調べたら、それをつくったのが谷田一郎さんだということがわかりました。

それでさっそく谷田さんが載ってる本を買いに行ったんです。そこで入手したのが『DIGITAL BOY』という雑誌。インターネットカルチャー全般を扱っているようなもので、3DCGだけじゃなくって、ハッキングとかテクノやトランスについても触れていて、ニューエイジ感があったなあ。谷田さんのほかにも、宇川直宏さん、田中秀幸さん、タナカカツキさんなどが載ってて、めちゃおもしろくて、それが僕の初期衝動でした。
IMG_2805

その時に大月さんが購入した『DIGITAL BOY』1996年3月号

──初めからデジタル作品に魅了されたんですね。でも実際それを自分でつくろうと思うと、色々なソフトが必要になってきますよね。高校生には荷が重い気もします。

大月 そこなんですよ。僕は3DCGをただつくりたかったんだけど、調べるとみんな最初にPhotoshopってものを使ってるってことがわかったんです。そこでこれが、どうも基礎らしいって気づいた(笑)。あと静止画を取り込むための、スキャナーというものがあるということもわかった。それをさっそくお年玉で買いました。

ソフトは色んな調達の仕方をしたなあ。当時のインターネットって海賊行為が普通のこととして行われてて、僕も安く色んなソフトを集めちゃってたんです。そういう時代だったんですね。その結果高3の終わりには、映像制作に必要な大抵のソフトを揃えてしまっていました。

──世代的にはネット上のコミュニケーションツールを使って、インターネットの未来の可能性を感じたっていう方が多い気がします。大月さんはそうではなかったんですか?

大月 それが感じなかったんですよね。当時も僕はBBSとかには参加はしてなくて、インターネットにコミュニケーションを求めてなかったんです。僕はインターネット上では海賊で、情報やソフトを調達するためのツールでしかなかった。同世代の頭いい人は早々に「これが世界を変える」って気づいてたんだけど、俺はまったく気づいてなかった。気づかずにゲットしたソフトをつかって、ただショボいロボットとか描いてました(笑)。

その時僕にとってパソコンは新しいゲーム機みたいなもので、インターネットはそこでできることを増やすソフトを入手する手段、って感じだったんです。そうやって自分なりにものをつくるのがおもしろくて、もっと学びたいなと思ったので、最初に影響を受けた谷田一郎さんの出身校、東洋美術学校に行くことにしたんです。

──その頃はどんな作品をつくられてたんですか?

大月 それがね、もうくっだらないの。昔、絶版マンガを集めてたんですけど、『空手バカ一代』が好きな時期があって、「大山倍達マン」みたいなキャラを妄想して勝手に描いてたのを覚えてます(笑)。

あとニューエイジの影響もあって、曼荼羅みたいなスピリチュアル映像もつくってました(笑)。Photoshopで曼荼羅みたいな絵を描いて、ひとつずつ少し細部を変えて、それをPremiereに取り込んでコマ撮りのアニメーションみたいにつなげてました。

それが高校の終わりくらい。専門学校に進んでからはイベントのフライヤーを作ったりしてましたね。専門卒業後は、タナカカツキさんのお手伝いをさせてもらってました。責任を持たせてもらってつくったのは、『Mosha&Kusha』っていうアニメーションがはじめてで、それは僕と菅原そうたと牧鉄兵っていう盟友クリエイターが参加してて、責任的な立場でやった初めての仕事でした。23歳頃のことでしたね。

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