世界中の若者たちを虜にするデジタルメディア「VICE」。その規模は、VICE単体で月間5000万ユニークユーザーを超え、VICE関連のメディアも含めると月間2億5000万~3億ユニークユーザーと、他を圧倒する勢いと存在感を見せつけている。

1994年にパンクやドラッグなどを取り扱うフリーペーパーとして始まったVICE Mediaは、音楽、ファッション、アート、スポーツに代表されるエンターテイメントから、時事、政治、戦争、イデオロギーに至るあらゆるトピックを扱い、ネット発のメディアとして初めてエミー賞を受賞するなど、20年の時を経て世界37カ国に拠点を置く巨大メディアカンパニーへと成長した。

そして2012年には、伝説のオルタナティブ・ロックバンド「54-71」のボーカルである佐藤 Bingo 慎吾氏を社長に、ベースである川口賢太郎氏を編集長に迎え、「VICE Media Japan」が始動した。
しかし、その勢いや話題に注目は集まる一方で、あまりメディア露出することがなかった”中の人”たちは、いま何を考え、何を伝えようとしているのか。

佐藤・川口両氏の取材は(おそらく)初めてということで、2人の出会いやVICE Japan発足の経緯も含めて話をうかがった。

取材・構成:織田上総介・新見直 撮影:時永大吾

周囲に馴染めない同士が惹かれ合った

VICE Media Japanインタビュー佐藤ビンゴ・川口賢太郎──VICE Japanを運営されているお二人の出会いのきっかけを教えてください。

川口賢太郎(以下、川口) 学生の時ですね。大学自体(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス「SFC」)、あまり自分と合う雰囲気じゃなくて「ソリが合う人いないなー」と思ってたら、初めて佐藤を見かけた時にキテレツな格好で、「なんか変な人いるな」って。

だって、25年前の当時、紺ブレ(紺ブレザー)の流行が終わる頃に紺ブレにベティ(ベティ・ブープ)ちゃんのTシャツを着て、セカンドバック持ってたんですよ(笑)?

そのセカンドバックもよくよく見たら「レノマ(renoma)」のバッタもんで、頭文字がNになっている「ネノマ(nenoma)」になってて、「あぁ、すごい人がいるな」と思って僕から声をかけました。

佐藤ビンゴ(以下、佐藤) 川口は東京出身なんですが、僕は横浜出身なので、流行のタイミングに差異があるんですよね(笑)。

川口はガタイも良いし、何回洗ったんだろう……と感じるような青いパーカーを着ていて、髪は長く、エンジニアブーツみたいなものを履いていたので、怖かったですね。迫力が……人間力が高そうだなと(笑)。それが18歳くらいの時かな。

川口 こまっしゃくれた大学だったので、周りにはスカした奴しかいなかったんですよ。

佐藤 あー……英語で話す講義があったり、当時は、ムカッとするような気持ちはあったね。

──音楽を通して出会ったわけではないんですね。

佐藤 それまで、親に言われてピアノをやっていたくらいです。小学生の頃はバレると「ダセェ」と言われると思って、ひた隠しにしながらやっていましたね。

──佐藤さんはいわゆるボンボンな生まれだったんですか?

佐藤 全然。どちらかというと中流でしたね。それこそ大学に行ったら周りがボンボンだらけだったので。

川口 どこかの御曹司みたいな奴らが多くて、逆に「普通がいけないのかな?」と思うくらいでした。

──そんな中で、やや周囲に馴染めなかった2人が惹かれあった?

川口 自ずとそうなるじゃないですか。似たような人間が集まって、でもボンボンの世界も面白そうだから、良いベース持っているヤツをバンドに誘ってみたり……

佐藤 エフェクターとか買わして、奪うとか……(笑)。

川口 まあ……そうですね。

ロッキングオン編集長を脅したり……全部が面白かった

VICE Media Japanインタビュー佐藤ビンゴ・川口賢太郎2──なぜそこから始めたのがバンドだったんですか?

佐藤 音楽に詳しい川口から「なんじゃこりゃ」みたいな音楽を聞かされ続け、「なんて汚い音楽なんだ!」と思いながらだんだんハマっていき……聞いているうちに「自分でも出来るのかな」と思い始めたんですよね。個人的には、音楽で飯が食えたらすごいなと思いましたし。

川口 SFCって都内からとてつもなく遠くて、何かやるならそこでやるしかないようなところがあって。かといって、ボンボンの間に入ってテニスなんてできないし……

佐藤 下手こいてテニスで負けたら負けたでムカつくなというのもあるよね(笑)。

川口 しかも、俺らからしたら、周りのみんなは食べに行くところが高いんだもんね。佐藤が普通に家庭教師やるのと、ボンボンが人づてで家庭教師をやるのでは、時給が3倍くらい違うとか、そういう世界だから。だから自分たちだけの方がやりやすかったのもありました。

──気の合う仲間となにかをやろうとした結果、たまたまバンドだったと。

川口 そりゃテニスとかダンス以外に面白いことがあればやったんだけど。バカな学生の範囲内で、バンド以外のくだらないこともやっていましたし……(笑)。

──その後、2人を中心に結成したバンド「54-71」(ごじゅうよんのななじゅういち)の勢いも出て、当時NUMBER GIRLというバンドをやっていた向井秀徳さんにもプッシュされ、順調だったように思えます。にもかかわらず、なんでバンドは辞めてしまったのですか?

川口 みんなそれぞれあるだろうけど、俺は面白くなくなったんだよね。結局、決まりごととかそういうのが嫌で、大学まで行って音楽なんてものをやっていたのに、金を稼ぎ出しちゃうと堅苦しくなって、普通の会社員の方たちと変わらないなと。

佐藤 確かにマネージャーが付いたり、運転とかしてくれたりしてたよね。

川口 デカくなっていくと、音楽で食ってかなきゃいけない人が、僕ら以外にも増えてくるし。そうするとだんだん息苦しくなってくるんですよね。

しかも、話題になったのも偶然ですよ。向井(秀徳)がキャッキャ言ったから(売れ始めた)ということも無きにしも非ずでしたし。

佐藤 でも、彼が興味を持ったきっかけはさ、自分たちのCDを東芝EMIの郵便ポストに投げ込んだりしたからじゃなかったっけ。

川口 そうそう。当時は全部が面白かった。『ROCKIN'ON JAPAN』の編集長を脅すとか(笑)。編集長がどこぞのバンドと飲み会をやっていると聞いたら、その居酒屋のテーブルに飛び込んでみたり。

──「俺らを載せろよ」みたいな?

川口 そう。そうすると案外、広告出稿もなしでカラー8Pもらえちゃったりして。とにかく型にハマっていない時は、自分たちがやりたいことをやっていたので面白かった。大学でもボンボンたちの間で変なことをやることが楽しかったですし。

なんか、アッパー(上流階級)な皆さんや確立された世界の人たちって、そういう変な奴らを求めて喜ぶじゃないですか。それに対して自分たちは「こうやれば良いんだろ」とやっていたので、すごい姑息な部分もあったけど。

佐藤 結構、ねじくれてはいますけど、そういう考えを自分も身につけながらここまで来ましたね。


「VICEがヤバいぞ」

VICE Media Japanオフィス外観

VICE Media Japanオフィス外観

──それから、2人して「VICE」に関わるようになったのはどういう経緯ですか?

佐藤 バンド辞めてから、一緒に「contrarede」(コントラリード)という音楽レーベルを立ち上げました。既存の枠の中で動くより、映像作品をライセンスしたり、いろんなことをやりたいなと思っていて。それで、スパイク・ジョーンズ(映画監督)の『I’m Here』というショートムービーをライセンスする機会があったんです。

スパイクはもともと『かいじゅうたちのいるところ』という映画をつくっていて、いわゆるハリウッド的な世界観だったのですが、本人的には辛かったらしく「絶対にメジャーな作品はつくらない」と決めて、その後、自分が思い描くチームでつくった作品が『I’m Here』。

そんな趣味でつくったものを誰もライセンスすることもなかったそうなのですが、自分たちが声をかけた際に「なんで(俺の作品を)ライセンスするんだ」と驚かれて「会おう」と言われてニューヨークに行ったんですね。

そこでスパイクと会って、自分たちもメジャーなものよりニッチなものを扱っていたので話も弾んで。それで彼に「なんか面白いものはないか?」と聞いたら「VICEがヤバいぞ」と。スパイク自身もVICEと一緒に映像をつくっていたらしく、深く関わっていたんですね。それで紹介してもらって、僕らも関わっていくようになりました。それが2011年くらい。

──その後、2012年にVICEがYouTubeと提携することになって、それにあわせてVICE Japanとして動き出したとうかがっています。VICEを運営するとなった時、川口さんはどう思われましたか?

川口 手放し(で喜んで引き受けたわけ)じゃなかったですね。その時点で日本にも何度か雑誌展開していたから、そもそもローカライズできるのかという不安もあった。その時に関わっていた人もいたわけで、簡単なことではないなと。

フロントマン、ヘッドオブコンテンツ…でも違和感がある?

VICE Media Japanオフィス──佐藤さんが経営、川口さんが編集長という役割分担ですよね?

佐藤 僕がどちらかというと、会社を回してくとか、海外のVICEと話すとか。川口がヘッドオブコンテンツ、コンテンツの責任者。会社では川口が「リーダー」と呼ばれてて、それはバンドの時から変わってない。バンドやってた時も、「練習やっとけ」と言い残して突然NYに行っちゃって、みんな「わかりやした」みたいな(笑)。

川口 そうだけど、フロントマンは佐藤ですよ。

佐藤 なんかフロントマンというとスポンジみたいで、身がない感じが嫌なんだけど…。

川口 現実、スポンジじゃん(笑)。今ではそれぞれ変な肩書きあるけど、もともとはバンドマンだから。みんなが一生懸命働いている時、適当に音楽やっていた人間なので、本来で言ったら俺も佐藤も今のポジションなんてできるわけないんですよ。でも、佐藤はやってるじゃん。

佐藤 うーん……スキルという面でも、コミュニケーションという面でも、違和感はありますよね。今でも。どうやって振る舞ったらいいんだろう。ちゃんとするとはどういうことなんだろうと。この場面ではネクタイなのか……? みたいな。そもそも数年前まで請求書ってなんだっけという感じでしたし。無茶といえば無茶ですね。

川口 でも、なんとかやってるわけじゃん。真面目な会議とか打ち合わせの場で、わからないことでも「あぁ~そうですね」と切り抜けるわけですよ。それが相手にバレていないというのがすごいですよ。

──ちなみに、「contrarede」を一緒に設立された小林英樹さんも現在、VICEにいらっしゃいますよね。VICE Japanを運営されているメンバーは、音楽畑の方が多いイメージがあります。

川口 僕らは音楽を通じてしか物を見ていなかったから、音楽畑の人が多いんじゃないですかね。90年代は、音楽がメインを張る時代だったから。

佐藤 踊らされていた可能性もあるけれど、カウンターでありながら夢を持っていられる、そういう時代だったので、その時代を一緒に過ごしてきた人たちが集まっているのかもしれない。

川口 本国にも似たような人がいて、そういう人とはやっぱり馬が合うっちゃあ合うんだよね。

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佐藤ビンゴ

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川口賢太郎

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